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#035 問うべき答えを

 鳴海潤葉がもたらした衝撃のビジョンは、アンファングチームに、祝福であると同時に、重い呪いをもたらしていた。

 潤葉の証言通り、ロスト・エヴォルヴは、クリスタル・レプリカントによって故郷を追われた、哀れな宇宙の流浪民なのかもしれない。だとすれば、彼らを一方的に駆除し続けることは、果たして正義なのか。

 

 奇しくも、潤葉の覚醒と時を同じくして、世界各地でロスト・エヴォルヴの出現が頻発し始めていた。その多くは、古代遺跡や霊山といった、いわゆるパワースポットと呼ばれる場所。彼らが、地球のエネルギーラインに沿って、新たな故郷を築こうとしているのは、潤葉の分析を待つまでもなく明らかだった。

 それに対し、国防軍と、シークェルを擁する矢部教授のチームは、即座に、そして極めて効率的に対応した。AI『オーディン』が予測した出現ポイントに、シークェルと量産機、金剛・改の部隊を派遣し、コロニーが形成される前に、機械的に、そして徹底的に、殲滅していく。その戦いぶりに、もはや以前のような対立はなく、アンファングチームとの間には、奇妙な、しかし確かな役割分担が成立していた。

 だが、その光景は、東都工業大学の地下にいる者たちに、新たな倫理的ジレンマを突きつけていた。


「……私たちが戦っているのは、本当に、悪なのでしょうか」

 ブリーフィングルームの静寂を破ったのは、美生奈さんの、か細い声だった。メインスクリーンには、シークェルチームが、新たに出現したロスト・エヴォルヴの群れを、圧倒的な火力で掃討していく、無機質な戦闘映像が映し出されている。

「彼らは、ただ、生きる場所が欲しいだけなのかもしれない。それなのに、私たちは……」

 誰も、その言葉に、安易な答えを返すことはできなかった。

 潤葉が指摘した、もう一つの事実。アンファングの心臓の音は、ガーディアンと似ているという、あの言葉。

 もし、それが真実ならば。アンファングの人工筋肉と、ロスト・エヴォルヴの生体組織が、酷似したエネルギーパターンを持つというのなら。

 物語の始まり、あの夜、東都工業大学の地下を襲ったクリスタル・レプリカント。彼らの目的が、もし、アンファングではなく、その内部に宿るロスト・エヴォルヴに酷似した何かだったとしたら……?

 重苦しい沈黙が、部屋を支配する。その、暗雲を切り裂いたのは、一人の男の、常に変わらぬ、自信に満ちた声だった。

「――いつまで、過去の答えばかりを反芻しているのかね」

 蟹江教授だった。彼は、腕を組んだまま、壁に寄りかかり、まるで退屈な講義を聴くかのように、その場の空気を一蹴した。

「答えが出ない問いに、時間を浪費するのは、三流のすることだ。我々一流の科学者は、答えがないのなら、新たな『問い』を探しに行く」

 その言葉と共に、彼は手元のコンソールを操作した。メインスクリーンに、二つの、美しくも力強い設計図が映し出される。

 一つは、流麗な銀色の翼。もう一つは、深海の怪物を思わせる、紺碧の鱗。

「東都大学の、優秀な友人たちが、約束通り、最高の翼と鱗を、完成させてくれた」

 それは、かつてフェーズ・シフター『サイレンス』との戦いで、アンファングに空と海の活動能力をもたらした、戦術拡張パッケージの完成版だった。鋼宙寺昴と結城創磨。あの二人の天才が、戦闘データを持ち帰り、文字通り、寝る間も惜しんで改良を重ねた、叡智の結晶。

『アルジェント・スヴァール・インパルサー』と、『リヴァイアサン・スケイル』。

 特に、モニターに映し出されたリヴァイアサン・スケイルのスペックシートには、信じられないような数値が並んでいた。

「……最大潜行深度、8000メートル…? これは…」

 その数値の異常さに目を見開く。有人兵器としては、およそ考えられない、狂気のスペック。水深数千メートル。そこは、太陽の光も届かない、鉄の塊すらも握り潰す、絶対的な静寂と圧力の世界だ。

 蟹江教授は、不敵な笑みを浮かべた。

「そう。我々には、まだ解き明かさねばならない謎が、もう一つ、残っているだろう?」

 彼の視線が、スクリーンに映し出された、日本の太平洋沖の海図へと注がれる。そこに示された一点の座標。そこは、かつて、あの直径数十キロに及ぶ、異常な『凪の領域』が出現した場所だった。

「ロスト・エヴォルヴは、被害者。クリスタル・レプリカントは、番人。ならば、あの時、あの場所に現れた、第三の存在……フェーズ・シフターとは、一体、何者なのか。我々が、ロスト・エヴォルヴの謎に一つの答えを出した今、次に向き合うべき『問い』は、それしかない」

 その言葉に、ブリーフィングルームの空気が、再び、緊張と、そして、知的好奇心の熱を取り戻していく。

 そうだ。まだ、何も終わってはいない。感傷に浸っている暇などないのだ。

「――というわけで、君たちの出番だよ、物部君、琴吹君」

 蟹江教授がそう言うと、通信モニターに、人懐っこい笑顔が映し出された。鋼宙寺昴だった。彼の隣には、相変わらず仏頂面だが、その瞳の奥に、確かな自信を宿した、結城創磨の姿もあった。

『俺たちの作った、新しい翼と鱗の、テストも兼ねてくれ。創磨が、現代の地球の科学力じゃ、絶対に再現不可能なレベルの、とんでもない金属を作ってくれたんだ。水深8000メートルでも、お前らの機体は、傷一つ付かない』

『……お前が、無茶な要求ばかりするからだ』と、創磨はそっぽを向きながらも、その口元は、かすかに緩んでいる。『だが、物は、完璧なものを作ってやった。あとは、乗り手の腕次第だ。……死ぬなよ』

 二人の天才からの、不器用だが、力強いエール。迷いは、もうなかった。

「行きます」

 静かに、しかし力強く、答えた。

「僕たちが、次の『問い』の答えを、見つけに行きます」


 数日後。

 日本の太平洋沖、かつて『凪の領域』と呼ばれた海域の上空に、アンファングを懸架したシュライクが、静かにホバリングしていた。

 コックピットの二人を、三人の天才の声が、後押しする。

『いいかね、二人とも。今回の任務は、戦闘ではない。あくまで、探索だ。あの海域の深海に眠る何かを、その目で確かめてくるだけでいい』

 蟹江教授の、冷静な指示。

『俺の作ったスケイルは、完璧なソナーでもある。深海のどんな小さな異常も見逃さないはずだ。安心して、海の散歩を楽しんでこい!』

 昴助教の、楽観的な激励。

『……何かあれば、俺の作った鱗が、必ずお前たちを守る。信じろ』

 創磨助教の、ぶっきらぼうだが、最も信頼できる、約束。

「了解。これより、潜行を開始します」

 美生奈さんの穏やかな声と共に、アンファングは、シュライクから切り離され、鏡のような海面へと、静かに着水した。

 全身を覆う、改良された『リヴァイアサン・スケイル』が、青い光を放ち始める。マイクロキャビテーションによって発生した無数の気泡が、純白の巨人を包み込み、その巨体は、何の抵抗もなく、滑るように、海の底へと吸い込まれていった。

 目指すは、水深数千メートルの、深淵。

 そこに眠る、最後の謎の答えを、求めて。

 アンファングの、新たな、そして、最も危険な旅が、今、始まろうとしていた。

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