#023 0%を変える変数
僕と美生奈さんが、アンファングの正規パイロットとして登録されてから、早数ヶ月が経過した。季節は夏から秋へと移ろいでおり、当初は、僕の体力不足や、美生奈さんの戦闘経験の欠如など、問題ばかりが山積していた僕たちのパイロット適性も、度重なる実戦と、常軌を逸したトレーニングの日々によって、少しずつ改善されていた。
何より大きな変化は、僕たちを取り巻く環境だった。
蟹江教授と紫京院教授の呼びかけで集まった、癖の強い、しかし最高の頭脳を持つ仲間たち。彼らとの共同作業は、これまで孤立していた僕の世界に、初めてチームという概念をもたらしてくれた。
「物部くん、この解析データ、面白いよ!」
「琴吹さん、新しいゲルの試作品、すごい性能だ!」
そんな、活気に満ちた声が飛び交う研究室は、もはや僕にとって、ただの研究施設ではなく、帰るべき場所になりつつあった。
そんなある日の午後。
僕と美生奈さんが、シミュレーター室で次の戦闘に備えていた時、懐かしい顔が、僕たちの前に現れた。
「……やあ、二人とも。息災そうで何よりだ」
穏やかな、しかし芯のある声。アンファングプロジェクトの、元の総責任者であった、高坂総一郎教授だった。彼の隣には、材料工学の権威である篠宮教授も、優しい笑みを浮かべて立っている。
「高坂先生! 篠宮先生も!」
美生奈さんが、ぱっと顔を輝かせる。
彼らは、アンファングに継ぐ新たなロボットの開発計画が立ち上がった後も、アンファングチームに残り、僕たちを支え続けてくれている、数少ない旧体制のメンバーだ。高坂先生は、主に文系の立場から、政府やスポンサーとの交渉など、経済面で。篠宮先生は、今も変わらず、アンファングの装甲やフレームの改良に、その知識を貸してくれていた。
「君たちの活躍は、聞いているよ」
高坂先生は、僕たちの顔を順番に見て、深く頷いた。
「正直に言えば、最初は、本当に心配だった。本来なら、我々大人が守るべき君たちを、あんな危険な戦いに巻き込んでしまったのだからな。だが……」
彼は、僕の以前よりは少しだけ逞しくなった身体と、美生奈さんの自信に満ちた表情を見て、安堵のため息を漏らした。
「その心配も、もう、あまり必要なくなったようだ。君たちは、我々が想像していた以上に、立派なパイロットになった」
「ええ、本当に」
篠宮先生も、同意するように頷く。「君たちが、アンファングを、ただの機械ではなく、本当の意味で『生かして』くれている。開発者の一人として、これほど嬉しいことはないよ」
その温かい言葉に、僕も、美生奈さんも、少しだけ、照れくさいような、誇らしいような気持ちになった。
だが、高坂先生の表情が、ふと、寂しそうに曇った。
「……願わくば、この思いを、もっと多くの、かつての仲間たちと分かち合いたかったのだがな」
彼の言葉に、僕たちの心にも、一抹の影が差す。
アンファングは、元々、もっと多くの人々の夢と理想の結晶だった。だが、敵性存在の出現と、それに伴うプロジェクトの戦闘化は、その理想を、二つに引き裂いてしまった。
「矢部くんや……伊集院監査官は、今頃、どうしているだろうか」
高坂先生が、ぽつりと呟く。
矢部教授。情報工学の権威であり、アンファングのAI『マックスウェル』の基礎を築いた人物。
伊集院監査官。政府から派遣され、常にアンファングを脅威として監視していた、冷徹な男。
彼らは、アンファングのデータを踏み台にして、純粋な兵器である新たなロボットを建造する道を選んだ。
彼らが、僕たちの今の戦いを、どう見ているのか。僕たちには、知る由もなかった。
その、どこか感傷的な空気を切り裂いたのは、またしても、非情な現実を告げる、緊急警報だった。
『緊急警報! 埼玉県北部に、クリスタル・レプリカントの多数出現を確認! 確認された個体は、全て小型の個体、通称フラグメントです!』
メインモニターに、衛星映像が映し出される。そこには、田園風景が広がる平野部に、まるで蟻の群れのように、数はいるであろうフラグメントの群れが、蠢いている光景があった。
「フラグメントだけの、大部隊…?」
美生奈さんが、息を呑む。
「何を考えているんだ、奴らは…」
高坂先生と篠宮先生の表情が、再び、厳しいものへと変わる。
「……物部くん、琴吹くん」
「はい」
「わかっています」
僕たちは、もう、迷わない。
過去を振り返る暇など、僕たちにはないのだ。
目の前にある脅威を、排除する。僕たちが守るべき日常のために。
「アンファング、出撃します!」
僕たちの声が、地下ドックに響き渡る。
かつての理想を乗せた白い巨人は、今の僕たちの覚悟を乗せて、再び、戦場へとその翼を広げた。
その先に、どんな運命が待っているのかも、知らずに。
埼玉県北部の広大な平野は、異質な結晶の群れによって埋め尽くされていた。その数、目算で30は下らない。一体一体は、これまでの戦闘で得たデータから、脅威度が低いことはわかっている。だが、その圧倒的な数は、僕たちの感覚を麻痺させるには十分だった。
「アンファング、目標エリアに到達。これより、フラグメントの掃討作戦を開始します」
僕は冷静に宣言し、ツェルニク・プロジェクターを構えた。まずは、遠距離から数を減らすのが定石だ。
放たれた荷電粒子が、フラグメントの群れの一角を薙ぎ払い、数体をまとめて光の中へと消し去る。だが、その程度の損失は、奴らにとっては何の意味もなさないらしかった。
『ジジ……ギギギ……!』
無数のフラグメントが、まるで一つの巨大な生命体のように、一斉にこちらを向き、赤い単眼を光らせた。そして、地響きを立てて、アンファングへと殺到してきた。
「来る……!」
「美生奈先輩、回避と姿勢制御を!」
「わかってる!」
アンファングは、その生物的な人工筋肉の動きで、迫り来る結晶の津波を回避しようとする。だが、敵の数は、あまりに多すぎた。
「右翼から、シャード・タイプが接近!」
オペレーターの警告と同時に、右側から無数の結晶弾が撃ち込まれる。僕は咄嗟に機体を左に傾けるが、今度はその左側から、ドリル状の腕を持つドリル・タイプが、地面を抉りながら突進してくる。
「くっ……!」
劈開剣でドリル・タイプを切り裂くが、その一瞬の隙を突いて、正面からブレード・タイプの刃がアンファングの装甲を切り裂いた。
『左腕部装甲に損傷! 軽微ですが、ダメージが蓄積していきます!』
僕たちの戦い方は、常に、一体の強大な敵の謎を解き明かし、その弱点を突く、というものだった。ロスト・エヴォルヴの生態、フェーズ・シフターの物理法則。複雑なパズルを解くように、僕たちは勝利を掴んできた。
だが、今、目の前にいる敵は、違う。
そこには、解くべき謎など存在しない。ただ、純然たる、圧倒的な物量という、最も単純で、最も厄介な暴力があるだけだ。
「きりがない……!」
美生奈さんが、悲鳴のような声を上げる。
倒しても、倒しても、次から次へとフラグメントが湧いてくる。その中には、巨大な盾を構えたシールド・タイプも混じっており、僕たちの攻撃を巧みに防いでくる。奴らは、戦いの中で、原始的な連携すら学び始めているのだ。
『囲まれます! このままでは……!』
アンファングは、いつの間にか、フラグメントの群れの完全に中心に孤立していた。前後左右、360度、全てが敵。じりじりと、包囲網が狭まってくる。
僕の脳が、高速で最適解を探る。だが、どのシミュレーション結果も、機体の損耗率が70%を超えるという、絶望的な未来しか示さない。
これが、僕たちの限界なのか。
僕の額から、冷たい汗が流れ落ちた、その時だった。
突如として、僕たちの側面から、凄まじい弾幕が飛来した。それは、僕たちの知るどの兵器とも違う、重く、そして統率の取れた、鋼鉄の雨。
その弾幕は、僕たちを囲んでいたフラグメントの群れの一角を、いとも容易く吹き飛ばし、包囲網に風穴を開けた。
「……なんだ!?」
僕たちが驚きに目を見開く先、砂塵の中から、複数のシルエットが姿を現した。
先頭に立つのは、一体の、巨大な人型の機体。
そのシルエットは、アンファングによく似ている。だが、その全身から放たれる雰囲気は、全くの別物だった。理想や希望といった甘い感傷を一切排した、ただ敵を殲滅するためだけに存在する、鋼鉄の殺意の塊。
そして、その巨人を、まるで王に付き従う騎士のように、5機の、より小型で、しかし機能美に溢れた量産機が、完璧な陣形で固めていた。
「あれは……まさか……!」
美生奈さんの声が、震える。
僕の脳裏にも、一つの名前が浮かび上がっていた。アンファングのデータを元に、政府と第二開発チームが建造したという、アンファングの双子の兄弟。
その、漆黒の巨人の頭部から、僕たちの機体へと、直接通信が入ってきた。
スピーカーから流れてきたのは、感情というものが一切介在しない、平坦で、無機質な男の声だった。
『――シークェル、ならびに金剛・改 5機、現場に到着』
その声は、淡々と、しかし絶対的な自信を持って、続けた。
『直ちに、認識番号774……クリスタル・レプリカントの排除を開始する』




