#021 インターリュード
対サイレン攻略作戦のための新たな兵器、いや楽器……広域制圧音響兵器『セイレーン・ハウル』と、共振誘導式近接戦闘用音叉剣『ディストーション・グレイブ』の基礎設計は、アンファングチームの総力を結集し、驚異的な速度で完成へと近づいていた。
静海真音くんが持ち込んだ、サイレンの音響パターンの詳細な解析データ。それを元に、小倉教授と音響工学班が『セイレーン・ハウル』の基本構造を設計し、蟹江教授と僕が、その理論の穴を埋めていく。綾辻教授は、敵の「楽曲」の構造から、最も効率的にノイズを発生させるためのアルゴリズムを構築し、紫京院教授と美生奈先輩は、大音響に耐えうる、特殊な生体ゲルを緩衝材として開発した。
まさに、異分野の天才たちが織りなす、完璧なアンサンブルだった。
シミュレーション上では、既に、サイレンに対して80%以上の勝率を叩き出していた。あとは、より細かいチューニングを重ね、その確率を100%に近づけていくだけだ。
僕たちは、来るべき再戦の日に向けて、準備を万端に整えていた。
……だが。
僕たちの準備が整っていくのを、まるで嘲笑うかのように、サイレンは、一向に姿を現さなかった。
一日、また一日と、平和な、しかし奇妙な緊張感をはらんだ日々が、過ぎていく。
そして、その均衡を、最初に破ったのは、僕たちの切り札であるはずの、静海真音くん、その人だった。
「……退屈だ」
ある日の午後、彼は、ヘッドホンをしたまま、コンソールに向かう僕たちの背後で、ぽつりと、そう呟いた。
「……秋葉原に、行きたい。大会が、ある」
その、あまりにマイペースな要求に、僕たちは、返す言葉もなかった。
だが、その提案に、意外にも、賛成の意を示した人物がいた。蟹江教授だった。
「……ふむ。相手の事情で、こちらの動きが制限されるのを嫌う人間は多い。彼も、そういう人種なのだろう」
教授は、まるで全てを見透かしたかのように、静かに言った。
「いざという時に、最高のパフォーマンスが発揮できないのでは困る。たまには、息抜きも必要だ。それに……」
彼は、僕と美生奈さんを見て、にやりと笑った。
「物部君、琴吹君。君たちも、少し根を詰めすぎだ。彼に、東京を案内したまえ。それもまた、チームワークというアンサンブルを、より強固なものにするための、重要なセッションだよ」
……結局、僕たちは、教授のその、もっともらしいような、ただ面白がっているだけのような命令に従い、静海真音くんを、秋葉原のゲームセンターへと、連れて行くことになったのだった。
……というわけで、秋葉原へ僕らは駆り出したのである。
僕たちは、大会で圧巻の優勝を飾った真音くんを連れ出し、秋葉原の街を歩いていた。
その道中は、やはり、僕がこれまで経験したどの対話よりも、困難を極めた。
「あのプレイは、見事だったよ。君の、あのパターン認識能力と反射速度は、アンファングにおいても、強力な武器になる」
僕が、最大級の賛辞を送っても、
「……うん」
「それにしても、すごい熱気だったね! 真音くん、あの界隈じゃ、有名人なんだね!」
美生奈さんが、興奮気味に話しかけても、
「……そう」
彼の口から発せられるのは、肯定か、あるいは疑問を促す単語のみ。そして、その視線は、なぜか、僕の方にばかり向けられ、美生奈さんの方を、決して見ようとはしなかった。
だが、その膠着状態は、ふとしたきっかけで、劇的な変化を見せた。
僕が、彼の饒舌さを引き出すための、唯一のキーワードを、口にしたのだ。
「……さっきの大会で使われていた曲。あれは、確か……」
「BPM185。キックの4つ打ちを基調としながら、裏で32分のハイハットが複雑なポリリズムを刻んでいる」
僕の言葉を遮るように、彼が、淀みなく語り始めた。
「48小節目からのブレイクで一度テンションを落とし、その後のドロップでベースラインの周波数を変調させて、聴覚上のカタルシスを最大化する設計。完璧だ」
……饒舌だ。
僕は、彼の思考回路をハッキングするための、一つの鍵を見つけたような気がした。
だが、その一方で、美生奈さんは、別の、もっと根本的な謎に、気づき始めていた。
「……ねえ、真音くん」
「……何?」
「さっきから、全然、私のこと見てくれないよね?」
彼女は、面白そうに、彼の正面に回り込み、その顔を覗き込もうとした。
「どうしてかなーって」
「な、何……?」
その瞬間、真音くんは、まるで感電したかのようにビクリと肩を震わせ、さらに顔を背けた。その白い頬が、ほんのりと赤く染まっているのが、僕にもわかった。
そして、その仮説を決定的なものにする、最後のピースが、僕たちの前に現れた。
「お兄さんたち、ちょっと見ていかない~? 今なら、お得なキャンペーンやってるよ~♡」
目の前に現れた、派手な衣装の客引きの女性。彼女が、その豊かな胸を、これでもかとばかりにアピールした、その瞬間。
「ふひゃあっ!?」
静海真音くんは、カエルが潰れたような悲鳴を上げ、僕の背中に隠れるようにして、ぷるぷると小刻みに震え始めた。顔は、耳まで真っ赤に染まっている。
……間違いない。
美生奈さんが、僕を見て、悪戯っぽく、そして全てを理解したというように、にやりと笑った。
この静寂の国のプリンスは、音楽以外の、特に、女性という名の、未知の周波数に対して、全く耐性がないのだ。
そんな、僕たちの間に流れる、どこかコミカルな空気を切り裂いたのは、僕の端末に叩きつけられた、緊急速報だった。
『緊急警報! 千葉県、京葉工業地帯に、再びサイレンの出現を確認! 前回と、同一のエネルギーパターンです!』
僕と美生奈さんの顔から、瞬時に笑みが消える。
モニターには、工場のコンビナートの上空に、再び、あのガラスの『音叉』が、静かに浮かび上がる、絶望的な光景が映し出されていた。
『愛都君、美生奈君。アンファングは、シュライクで、既に現地へと向かっている。 君たちも今から送る迎えの車で、直接現地へ向かってくれ』
蟹江教授からの、切迫した指示。シュライク、といえば、確か僕と美生奈先輩が不在時に輸送だけでも行えるように作っていた輸送機の名前だ。対サイレン用の兵器と並行して開発を進め、完成を迎えていたらしい。
「……小倉教授の教え子くんも、だ」
教授は、付け加えた。
「彼にも、来てもらう。最高の音響設備を用意した。そこで、存分に、指揮を振るってもらわねば、な」
僕の背後で、真音くんが、まだ小刻みに震えているのがわかった。
彼の穏やかな日常は、終わりを告げた。
これから向かうのは、彼の愛する音楽とは似ても似つかない、世界が軋む、不協和音の戦場。
黒塗りの車両が、僕たちの前に滑り込むように停車する。
僕たちは、言葉もなく、その車へと乗り込んだ。
新たな指揮者を、否応なく巻き込んで。
人類の理性が通用しない、歪んだ世界の、中心へと。




