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#002 目覚めの刻

 ――僕が、動かす。その考えが浮かんだとあれば、居ても立っても居られなかった。

 アンファングのパイロット認証システムは特殊だ。最初の搭乗者二名を「正規パイロット」として生体認証し、その二人の組み合わせ以外では動かせなくなる「ペアロック機構」が採用されている。問題は、アンファングが二人乗りであるという事実だった。

「誰か……!誰かいませんか!」

 研究室を飛び出し、静まり返った廊下に向かって叫んだ。現在時刻深夜2時を回った丑三つ時。こんな時間に人がいるとは思い難いが、それでもこの窮地を脱するには探すしかない。ぜえ、ぜえ、とすぐに息が上がる。焦燥に駆られながらフロアを見渡したその時、下の階、合成生物学セクションのラボの明かりがまだ点灯しているのが目に入った。

(誰かいる!)

 希望の光を見出した。手すりに掴まりながら階段を駆け下りた。目的のラボのドアを、彼は半ば体当たりするように開けた。

「はぁっ、はぁっ……!誰か……!」

 そこに立っていたのは、白衣姿の一人の女性。眼鏡の奥の青い瞳が、驚きに見開かれている。低い部分でポニーテールのようにまとめ上げられた緑色の髪が揺れた。

 性別?専攻?この際どうでもいい。アンファングを動かすなら人間というだけで十分だ。むしろ機械に対して無知な方がこっちの言うことを問答無用で聞かせられて都合がいい。

「あなた! 動けますね!? 今すぐ僕と一緒に来てください!」

「え? 一緒にって、どこへ……」

 ズズズズズ! ドガァン!

 外で、研究棟の一階部分の壁が、まるで砂糖菓子のように結晶化し、崩れ落ちる音が響いた。建物全体が大きく傾ぎ、書棚からファイルが雪崩のように滑り落ちる。

「アンファングが壊されます!あのままでは喰われてしまう!」

 僕は叫んだ。その瞳には、恐怖ではなく、自らの創造物が未知の存在に穢されることへの純粋な怒りと、それを守ろうとする強い意志の光が宿っていた……と思う。

「あれは機械じゃない、何か生命体です!悪意があるのか、ただの捕食本能なのかもわからない!でも、僕たちの手で動かして、アンファングを守るんです!」

「ええっ!?でも私たちは正規のパイロットじゃ……!」

「あの怪物に喰われるよりはマシです!操縦方法は僕が教えます。あなたはとりあえず乗って、僕の指示を受けてくれればそれでいい!」

 彼女は一瞬ためらった。しかし、自分が心血を注いできた生物学部門からのアプローチも、アンファングの一部なのだ。それを、あんな者たちに好きにされてたまるものか。そんな思いが、彼女にもあったのかもしれない。

「……わかったわ。行きましょう!」

 緊急用のエレベーターに飛び乗り、地下深くの格納ドックへと降下した。やがて扉が開くと、そこには広大な空間と、中央に静かに佇む純白の巨人、アンファングがいた。

「あれが……」

「感心している暇はありません!こっちです!」

 アンファングの足元にある搭乗ゲートへ駆け込むと、マックスウェルの音声が響いた。

『緊急事態プロトコルを認証。パイロットは速やかに専用スーツを着用してください』

 ゲート脇の壁がスライドし、二つのカプセルが出現した。中には、パールホワイトの光沢を放つ、身体に密着するタイプのパイロットスーツが収められている。

「着替えないと、コックピットハッチが開かないんです!急いで!」

 躊躇なく自身の服を脱ぎ捨てると、細身の身体を滑らせるようにスーツを着用していく。数分もかからず、準備を終えた。一方、彼女は苦戦を強いられていた。

「う、うぅ……!」

 咄嗟のことでよく見ていなかったが、彼女はかなり豊満な体つきをしていた。まず、豊かな胸がスーツの胸部装甲に収まりきらず、ジッパーを上げるのに一苦労する。なんとか胸を押し込み、ジッパーを引き上げようとすると、今度は下半身が抵抗した。豊満なヒップと太ももが、スーツの生地にひっかかり、なかなか上に引き上げられないようでいる。

「くっ…!また教授のせいでサイズが合わなく…!」

「早くしてください!なんなら僕が手伝いますから!」

「だ、大丈夫です!もうちょっとで入ります!」

 焦りと羞恥で彼女の顔が赤くなる。背後で待つ僕の苛立ったような視線を感じたのか、意を決して、大きく息を吸い込み、無理やりスーツを引き上げた。パツン、と生地が張り詰める音がして、彼女の体のラインが生々しく浮かび上がった。特に豊かな二つの丘と、丸く張り出した臀部のラインは、スーツの上からでもその存在を雄弁に主張していた。それどころではないし、そもそも普段から生身の女性に興味がないので僕には関係のない話だが、一介の男性達からは大好評を得られる…のだろう。実際のところはわからないが。

「す、すみません、お待たせしました!」

「……早く行きますよ」

 僕は彼女にそうすげなく返し、二人をコックピットへと運ぶリフトへと乗り込んだ。

 内部は、全天周モニターに囲まれた球形の空間だった。前席に僕が、その後ろの席に彼女が座る。

『パイロット候補の生体情報をスキャンします』

 青い光が二人を包み込む。

『……ペアロック機構を起動。プライマリパイロット、物部愛都もののべまなと。セカンダリパイロット、琴吹美生奈ことぶきみおな。以上二名を正規パイロットとして登録します』

 琴吹美生奈ことぶきみおな。とりあえず彼女の名前は覚えた。彼女も僕の名前は今ので聞いただろう。

「物部愛都…って、君があの…!」

「よし……!」

 琴吹さんの言葉も軽く聞き流し、安堵の息をつく間もなく、コンソールを叩く。

「外部からの物理的侵食を探知…!マックスウェル、メインフレームを防護モードに!あの結晶体、情報ネットワークにも干渉してくる可能性があります!」

『警告。未認証OSの使用は機体の保証外です』

「そんなものは後で僕がいくらでも書き換えます!早く!」

 僕の瞳に、常人には理解できない領域の光が宿った気がした。

「琴吹さん!後部座席のパネルを見てください!全身の人工筋肉アクチュエーターへの初期電圧印加が不安定です!各部のイオン濃度が均一化していない!」

「え、ええ…!わかったわ!」

 突然話を振られ、彼女は慌てて目の前のパネルに意識を集中させた。そこには人工筋肉の稼働データが表示されている。彼女は合成生物学の研究者だった。確か合成生物学は生物学、そして化学を基とする学問だ。ならば、この事態を解決できるはずだ。今はそれにかけるしかない。

「イナーシャルキャンセラーのキャリブレーションが間に合わない…!重力制御系のリサージュ曲線が発散する前に、慣性モーメントのパラメータを手動で修正します!あなたは僕の修正値に合わせて、アクチュエーターの応答閾値電圧を調整し、臨界点まで出力を引き上げてください!」

「了解!高分子ゲルの電解質溶液濃度を調整、プラス3.2%で安定させます!」

 もはや恐怖はなかった。自分達の知識と技術でこの巨大な体を動かす。その事実に、彼女は武者震いすら覚えていた。

『全システム、オンライン。起動準備、完了しました。発進コードを要求します』

 一度だけ後ろを振り返り、彼女と視線を合わせた。その瞳には、初めて見る、仲間への信頼の色が浮かんでいた。彼女も力強く頷き返す。

 二人の声が、コックピットに響き渡った。

「「アンファング!!」」

 認証コードが承認される。アンファングの双眸に、蒼い光が灯った。凄まじいGと共に、純白の巨人が地上へと射出される。

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