#018 拮抗する表現型
「……改めて思い返すと、すごいメンバーが集まりましたよね」
アンファングのメンテナンス作業の合間、美生奈さんがぽつりと呟いた。僕も、手元のコンソールから顔を上げ、彼女の言葉に同意する。
先日行われたブリーフィング。そこに集った新生アンファングチームの顔ぶれは、およそ研究者というカテゴリで一括りにするには、あまりに混沌としていた。
最先端の理論を語る、いかにもな学者然とした人物がいるかと思えば、やたらと日焼けした肌にサーフボードでも抱えていそうな軽薄な男や、ゴシックロリータのような服装に身を包んだ無口な女性もいた。統一感というものが、全くない。まさに、闇鍋だ。
「あの人選、一体どういう基準だったんでしょうか……」
「さあ……。ですが、心当たりがないわけでもありません」
後日、僕たちはそれぞれの指導教官に、その疑問をぶつけてみることにした。
まずは、蟹江教授。彼は、淹れたてのコーヒーを優雅に啜りながら、こともなげに言った。
「ああ、彼らか。あれは、僕の数少ない友人たちだよ」
「……友人、ですか」
正直、驚いた。彼のような人物に、友人と呼べる存在がいたとは。
「僕の理論は、学会では異端扱いされることが多いのでね。だが、少数ながら、僕の思考の波長に共鳴してくれる、奇特な人間も存在する。癖は強いが、腕は確かだよ。何より、彼らは常識という檻の外で思考できる」
なるほど。あのチームの癖の強い部分は、大体蟹江教授が呼び寄せた、類は友を呼ぶ的なメンバーらしい。
ならば、残りの、どちらかと言えば俗っぽいというか、下心が見え隠れするような雰囲気のメンバーは……。
僕たちの視線は、自然と、紫京院教授へと向けられた。
彼女は、まるで僕たちの思考を読んでいたかのように、うふふ、と妖艶に微笑んだ。
「わたくしは、蟹江教授のように、狭く深いお付き合いは好みませんでね。使えるものは、何でも使う。それが私の主義ですの」
彼女は、学術的なコネクションだけでなく、自らが共同開発した化粧品やサプリメントの販売ルート、果てはファッション業界のパーティーにまで顔を出し、その圧倒的な美貌とカリスマで、文字通り、ありとあらゆる分野から人材を釣ってきたのだという。
「もちろん、中には、わたくしのこの身体だけが目的の、学術レベルの低い殿方も大勢いらっしゃいましたわ。面接会場は、さながら動物園のようでしたけれど」
彼女はくすくすと笑いながらそう言った。
「ですが、ご心配なく。そういう方々には、わたくしが直々に作成した、超高難易度の『基礎学力テスト』をお受け取りいただきました。結果、ほとんどの方が、最初の数問を解くことすらできず、泣いてお帰りになりましたわ♡」
そのやり方のえげつなさに、僕と美生奈さんは顔を見合わせるしかない。
だが、そんな彼女にも、予想外の来訪者があったらしい。
その日の午後だった。
紫京院教授の研究室の扉が、ノックもなしに、勢いよく開け放たれた。
「――来てやったわよ、紫京『豚』」
凛とした、美しいアルトの声。
そこに立っていたのは、一人の、見慣れない女性だった。
雪のように白い、銀髪。切り揃えられたぱっつんの前髪に、腰まで届くほどのロングヘアを、高い位置で無造作にまとめ上げている。
そして、その体躯。
紫京院教授と同じく170cm後半はあろうかという長身に、信じられないほど長い脚。そして、ボン、キュッ、ボン。出るところは出て、引っ込むところは極限まで引っ込んだ、まるでCGで作成されたかのような、完璧なナイスバディ。
だが、その魅力のベクトルは、紫京院教授とは全く異なっていた。
全てが豊満で、むっちりとした肉感と、熟れた果実のようなフェロモンを振りまく紫京院教授に対し、彼女は、余分な脂肪を一切削ぎ落とした、アスリートのような、端正で、シャープな肉体美を誇っていた。例えるなら、紫京院教授がグラマラスなら、彼女はスタイリッシュ。そして発言からして紫京院教授と旧知の仲、ということは同年代。つまりそれ相応の年齢のはずなのだが、その見た目には全く老いを感じさせない。彼女もまたアンチエイジングに力を入れていることが伺える。
その女性の挑発に、紫京院教授は、優雅に紅茶を飲んでいたティーカップを置き、ゆっくりと振り返った。その瞳には、珍しく、剥き出しの敵意が宿っていた。
「……その、品性の欠片もない呼び方は。やはり、あなたでしたか、鶏ガラ」
「聞き捨てならない発言ね」
「あら、事実ですわよね? その骨と皮だけの貧相な身体、良い出汁が出そうですわことよ。あなたのお風呂の残り湯は、さぞかし上品な中華スープになることでしょうね」
「あら、聞き捨てならないわね、紫京『豚』。その、まるまると肥えた美味しそうな身体、お風呂でじっくり煮込めば、さぞかし上質な豚骨スープが取れそうですわね♡ コラーゲンたっぷりでお肌にも良さそうだわ」
僕と美生奈さんは、ただ唖然として、目の前で繰り広げられる、あまりにレベルの高すぎる罵り合いを見つめていた。再会を喜び合う親友の会話とは、到底思えない。だが、二人の瞳の奥には、確かに、互いの存在を認め合う者だけが放つ、信頼の光が宿っていた。
「えーと……こちらの方は」
僕はこの空気をとりあえず絶とうと、紫京院教授に彼女について聞いた。
「鶏ガラ……もとい、綾辻玻璃教授。西の名門、西京都大学において理論生物物理学の研究を行っているお方です。大学までは良き友にしてライバルだったのですが、院進学の際に京都の方へ行かれました」
西京都か。あそこは以前お会いした昴助教や創磨助教の所属する東都大学に次いで偏差値の高い大学だ。相当優秀なお方なのだろう。事実、その説明を自慢するかのように勝ち誇った表情を綾辻教授は浮かべている。
と、彼女はふと僕の隣に立つ美生奈さんへと、そのサファイアブルーの瞳を向けた。彼女は、まるで鑑定士が宝石を値踏みするかのように、美生奈さんの身体を頭のてっぺんから爪先まで、じろりと、しかし的確に見定めた。
「……あら」
綾辻教授の唇の端に、初めて、敵意ではない、純粋な感心の笑みが浮かんだ。
「でもあなたのその無駄の多い教育方針も、あながち間違いではなかったみたいね。あなたの教え子さん、十分に戦士として通用する、素晴らしい身体になっているわよ」
それは、紛れもない、賞賛の言葉だった。
予想外の言葉に、美生奈さんは、きょとんとした顔で、ぱちぱちと瞬きをした。
「え、あ……ありがとうございます……? びっくりしました……。なんか、この流れだと、『豚小屋で大きく育てられた、上物の子豚ちゃん』とか、『そのお尻じゃ、パイロットスーツのジッパーが閉まらなさそうね』とか、言われるのかと…」
おどおどと、しかし正直な感想を述べる美生奈さんに、綾辻教授は、くすりと、悪戯っぽく笑いかけた。
「あら、そんなこと言わないわよ♡ そういう下品な嫌がらせは、この肥えた豚さん……玲にだけ。わたくし、ちゃんと相手はわきまえているのだから」
そう言って、彼女は美生奈さんの隣にすっと立つと、その耳元に、僕にだけ聞こえるか聞こえないかくらいの、絶妙な声量で囁いた。
「……でも、もし玲のあのムチムチわがままボディより、わたくしのような、計算され尽くしたスタイリッシュ・ボンキュッボンボディになりたかったら、いつでも言ってね♡ あなたの身体のポテンシャルなら、もっと効率的に、もっと美しくなれるわよ」
その囁きは、甘い蜜のようであり、そして紫京院教授への宣戦布告のようでもあった。美生奈さんは、顔を赤くして、どう返事をしていいかわからない、といった様子で固まっている。
その、二人の魔女と一人の教え子の間に流れる、奇妙で濃密な空気を切り裂いたのは、けたたましく鳴り響いた、緊急警報だった。
『緊急事態発生! 東京湾岸エリア、お台場周辺に、ロスト・エヴォルヴの新たなタイプが出現! コードネーム“タイプ・ヒュドラ”と呼称します!』
ブリーフィングルームのメインモニターに、衛星映像が映し出される。そこには、巨大なイソギンチャクのような怪物が無数の触手を伸ばして、周囲の建物を破壊している、悪夢のような光景が広がっていた。
「……新型か。学習しているということだな」
蟹江教授が、忌々しそうに呟く。
「あらあら、歓迎パーティーとは、派手なお出迎えですこと」
紫京院教授も、扇子で口元を隠しながら、不敵に笑う。
そして、綾辻教授は。
「……面白いわね。わたくしの東京復帰祝いに、最高の研究材料じゃないの」
その瞳は、初めて見る獲物を前にした、冷徹な狩人のそれだった。
紫京院教授が、僕と美生奈さんに向き直り、高らかに宣言した。
「お二人とも! 聞こえましたわね! 出撃なさい!」
「「はい!」」
僕と美生奈さんは、同時に頷き、パイロットスーツが待つ搭乗ゲートへと走り出す。
その後ろ姿に、三人の天才たちの声が、追いかけるように飛んできた。
「物部君! 今回は、僕の理論を試す絶好の機会だ! データの収集を頼むぞ!」
「美生奈さん! あの子の体液、絶対に持ち帰ってきなさい! 一滴たりとも無駄にしてはダメですわよ!」
「二人とも、ご武運を。わたくしの数式が、あなたたちの勝利を保証するわ」
僕たちは、振り返らなかった。
だが、背中に感じる、三者三様の、しかし確かな期待の重みが、僕たちの覚悟を、さらに固くしてくれていた。
管制室のコンソールには、蟹江教授、紫京院教授、そして綾辻教授が並んで座り、それぞれの専門知識で、僕たちの戦いをサポートする体制が、すでに整えられている。
物理学、生物学、そして理論生物物理学。
東都が、そして西京都が誇る三人の天才が、僕たちの頭脳となる。
アンファングは、今、人類史上最も豪華で、そして最も狂気に満ちたバックアップを得て、新たな戦場へと、その翼を広げようとしていた。




