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#014 始まりから今まで

 フェーズ・シフターとの死闘からしばらくの時間が経ち、東都工業大学のキャンパスには、いつもの穏やかな時間が流れていたが、その地下深く、プロジェクト・アンファングの巨大なブリーフィングルームだけは、異様なほどの静けさと、これまでにないほどの熱気に包まれていた。

 円形劇場のように階段状に配置された座席には、この短期間に日本中、いや世界中から極秘裏に召集された、各分野のスペシャリストたちが、緊張した面持ちで着席している。機械工学、電子工学、情報工学、材料工学、分子生物学、高エネルギー物理学、そしてパイロットのケアを担当する脳科学や臨床心理学の専門家まで…。その数、およそ50名。皆、それぞれの分野で名を馳せながらも、既存のアカデミズムの枠には収まりきらなかった、一癖も二癖もありそうな顔ぶれだ。だが、その瞳には共通して、未知なる存在への純粋な探究心と、自らの知識で人類が直面したこの危機に立ち向かうという、強い意志の光が宿っていた。

 彼らこそ、蟹江教授と紫京院教授が選び抜いた、僕たちの「愉快な仲間たち」。アンファング新生チームの、ほぼ全てのメンバーが、今、初めて一つの場所に集結していたのだ。

 最前列の席で、僕は隣に座る琴吹美生奈先輩と視線を交わした。彼女は、緊張しているようにも見えたが、その瞳の奥には、僕と同じ決意の色があった。僕たちはもう、たった二人で、孤独にあの巨人を動かしていた頃とは違う。

 やがて、室内の照明がゆっくりと落ち、正面の巨大なメインスクリーンに、二人の人物の影がスポットライトを浴びて浮かび上がった。白衣の上に仕立ての良いダークスーツを纏い、杖をついた蟹江翔太教授と、年齢不詳の妖艶な美貌と圧倒的な知性を誇る、紫京院玲教授だ。二人の天才が並び立つ姿は、それだけで会場の空気を支配するほどのカリスマ性を放っていた。

「集まってくれたまえ、諸君」

 蟹江教授の、静かだがホールの隅々までよく通る声が、室内のわずかなざわめきを一瞬で鎮めた。彼は、眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、集まった研究者たちをゆっくりと見渡した。

「これより、我々が現在直面している、この宇宙からの『問いかけ』についての、最初の、そして最も重要な戦略報告会を始める。心して聞いてくれたまえ」

 スクリーンに、最初の映像が映し出される。

 それは、深夜のキャンパスを、青白い光を放ちながら侵食していく、あの結晶体の群れだった。僕たちが最初に遭遇し、そして初めてアンファングで戦った、記念すべき、そして忌まわしい記憶。

「第一の存在。我々はこれを、その特性から『結晶性複製体クリスタル・レプリカント』と正式に命名します」

 紫京院教授が、長く美しい指先で優雅にレーザーポインターを操りながら、説明を引き継いだ。彼女の声は、学術的な発表というよりは、まるで神話の一節を語るかのように、聴衆を惹きつけた。

「皆さんの、不眠不休の解析作業により、戦闘後に回収された微細な残骸の分析が飛躍的に進みました。現時点で判明している彼らの生物学的、あるいは工学的特徴は、大きく分けて三つ」

 スクリーンに、詳細な解析データと共に、三つの項目が表示される。

 僕は、その映像を見ながら、あの夜のことを鮮明に思い出していた。

 ――深夜の研究棟。得体の知れない震動。そして窓の外に広がる、現実とは思えない光景。あの時、僕が感じたのは、純粋な恐怖だった。だが、それ以上に、僕の人生の全てを注ぎ込んだアンファングが、あの美しい巨人が、あんな醜悪な者たちに汚されることへの、どうしようもない怒りが、僕を突き動かした。

『シリコンベースの生命構造』

 紫京院教授の説明が、僕の思考とリンクする。

「彼らの体組織は、我々の知る炭素ベースの有機化合物とは根本的に異なります。二酸化ケイ素、つまりガラスや水晶に近い構造を持つ、高純度のシリコン化合物をベースとした、半生命・半機械のハイブリッド構造です。これにより、彼らは従来の兵器では破壊困難な驚異的な硬度と、周囲の無機物――コンクリート、金属、ガラスなど――を取り込み、瞬時に自らの体組織へと変換する、恐るべき自己修復・増殖能力を獲得しています」

 あの夜、彼らは校舎の壁を、まるでアメーバが餌を包み込むように同化させながら進んでいた。物理攻撃を加えても、周囲の瓦礫を取り込んで再生してしまう。あの絶望的な光景の裏には、そんなメカニズムがあったのだ。

『情報による自己進化』

「さらに厄介なのが、この能力だ」

 蟹江教授が口を挟む。

「彼らは、接触した物体、特に高度な技術で作られた人工物の構造情報を、量子レベルでスキャンし、解析する。そして、その情報をもとに、自らの身体をより戦闘に適した形態へと、リアルタイムで再構成するのだ」

 映像が切り替わる。小型の個体が、放置されていた重機に接触し、そのアームのような形状へと変形していく様子。そして、僕たちが操るアンファングの攻撃パターンを学習し、回避行動を取り始めた、あの瞬間。

「これは、単なるハードウェアの模倣にとどまらない。我々の兵器の駆動システム、制御プログラム、さらにはパイロットの思考パターンといったソフトウェアまでも解析し、対抗手段を構築する可能性を示唆している。まさに、生きた万能兵器だ」

『集合知によるネットワーク形成』

「そして、それらの情報は、個体の中だけで完結しません」

 再び紫京院教授。

「現場にいた小型の個体(フラグメント)が得た戦闘データは、未知の通信手段によって、即座に後方に控える大型の個体(ジオード)、さらにはその上位存在へとフィードバックされ、共有されます。彼らは、個でありながら、全体で一つの巨大な並列処理を行う、超高度な情報生命体として機能しているのです」

 アンファングの攻撃で倒された大型個体の残骸に、小型個体が触れ、何かを回収して撤退していった、あの光景。あれは、戦闘データの回収だったのだ。次に彼らが現れる時、彼らは「アンファングの倒し方」を知った状態で現れるということだ。

「…なんてこと。まるで、現実世界に実体化した、自己増殖・自己進化するコンピュータウイルスだわ」

 情報工学班の女性研究者が、青ざめた顔で、震える声で呟いた。会場の研究者たちの間に、戦慄が走る。僕たちが相手にしているのは、ただの怪獣ではない。知性を持った、侵略者なのだ。

 スクリーン映像が暗転し、次に映し出されたのは、秩父の山間部に広がる、おぞましい紫色の風景だった。

「第二の存在。『遺失進化体(ロスト・エヴォルヴ)』」

 蟹江教授の声が、一段と低くなる。

「これも、パイロットである琴吹くんの現場での直感的な分析と、回収されたサンプルを用いた生物班の驚異的な解析により、生物学の常識を覆す事実が判明した」

 僕は隣の美生奈先輩を見た。彼女は少し照れくさそうに、しかし誇らしげに、小さく胸を張った。あの時、彼女の専門知識がなければ、僕たちはあの胞子の拡散を止めることはできなかっただろう。

『未知のアミノ酸による生命活動』

 スクリーンには、DNAの二重螺旋構造のシミュレーションが表示されるが、その一部には、地球上の生物には存在しない、歪な形状の塩基配列が組み込まれていた。

「彼らの細胞は、地球の生態系には本来存在しない、宇宙由来と思われる特殊な『非在アミノ酸』で構成されています」

 生物班のリーダーが立ち上がり、補足説明を行う。

「これにより、彼らは強酸性の体液を生成し、あらゆる物質を溶解させるだけでなく、周囲の環境――土壌の成分、大気の組成、水分量など――を、自らの生存に有利な環境へと強制的に作り変える、局所的なテラフォーミング能力を持っています。あの紫色の菌糸は、まさにその環境改変の結果です」

『遺伝子情報の水平伝播』

「さらに恐ろしいのは、彼らが散布するあの黄色い胞子です」

「あれは、単に仲間を増やすための種子ではありません。ウイルスのカプシドのように、内部に彼らの遺伝子情報を内包した、ナノマシンのようなものです。あれが土着の植物や動物、あるいは人間に接触すると、その細胞内に侵入し、宿主の遺伝子情報を強制的に書き換え、彼らの生態系の一部――彼らの食料、あるいは新たな苗床――へと作り変えてしまうのです」

 もし、あの時、風に乗って胞子が市街地へ届いていたら…。想像するだけで、背筋が凍る。それは、単なる都市の破壊ではない。生態系の、種のレベルでの侵略だ。

『環境への最適化』

「そして彼らは、出現した場所の環境に合わせて、自らの形態を瞬時に変化させます。山間部では、地形を利用し、風に乗せて胞子を拡散させる巨大な花弁状の形態をとりました。もし、砂漠に出現すれば、また別の、その環境で最も効率的に増殖できる形態をとるでしょう」

「つまり、放置すれば、地球上のあらゆる場所が、彼らの紫色の巣に作り替えられてしまうということか…」

 環境工学の専門家が、絶望的な声で呻いた。物理的な破壊だけでなく、生物学的な汚染。防ぐ手立てはあるのか。会場の空気は、さらに重くなった。

 そして、スクリーンが三度暗転し、映し出されたのは、波一つない、あの静まり返った、鏡のような海面だった。黒潮海域に出現した、直径50キロに及ぶ、死の海。

「第三の存在。『相転移存在フェーズ・シフター』」

 紫京院教授の声に、初めて明確な警戒、あるいは畏怖の色が滲んだ。

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