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#012 空と海の融点

 海底の穴から姿を現した、人型の災厄。その存在は、絶対零度の静寂を纏い、ゆっくりとアンファングへとその腕を伸ばした。

『来るぞ!』

 昴助教の警告と同時に、敵の腕から不可視の冷気の刃が放たれる。僕は咄嗟に機体を後退させたが、掠めた左腕の装甲が一瞬で白く凍りつき、パリパリと音を立てて亀裂が走った。

「くっ……!リヴァイアサン・スケイルの自己修復ゲルが凍結させられてる!」

 美生奈先輩が悲鳴に近い声を上げる。分子運動そのものを停止させる、という悪夢のような攻撃。

『海中では不利だ! 一旦空へ!』

 創磨助教の指示に従い、僕はアルジェント・スヴァール・インパルサーを起動。アンファングは、水の粘性をものともせず、水面を突き破り、空へと舞い上がった。

 だがその存在はそれを待っていたかのように、追撃の手を緩めない。今度は、周囲から奪った熱エネルギーを解放し、超高温のプラズマ弾を雨のように撃ち放ってきた。

「ちぃっ!」

 僕は、慣れない空中での三次元機動を駆使し、プラズマ弾を必死で回避する。その動きは、どこかぎこちなく、最適化されていない。

『左だ、物部! 慣性質量低減フィールドの展開が0.2秒遅い!』

 創磨助教の、焦燥を帯びた声が飛ぶ。彼の作った翼を、僕が完璧に扱えていない。その事実が、彼を苛立たせているのが伝わってきた。

 さらに、事態は最悪の方向へと転がる。

 海面に残ったエネルギー反応が、二つに分裂したのだ。一つは、空中の僕たちを追うように、半透明なエネルギー体となって上昇。もう一つは、海中に留まり、再び周囲の熱を奪い始めている。

『分身しただと!?』

 管制室が騒然となる。

「二正面作戦を強いられる……!」

 空中のエネルギー体は、アンファングの飛行パターンを模倣し、執拗に追撃してくる。一方、海中の本体は、再び凪の領域を拡大させ、僕たちの退路を断とうとしていた。ジリ貧だ。このままでは、エネルギーが尽きるのが先か、僕の集中力が切れるのが先か。

『空中の分体を叩け! あれを放置すれば、インパルサーのデータが完全に模倣される!』

 創磨助教が叫ぶ。

『いや、海中の本体がエネルギー源だ! あれを止めない限り、分体は無限に再生される!』

 昴助教が、それに反論する。

 二人の天才の指示が、完全に食い違った。

「創磨の言う通りだ! 翼の優位性を失えば、我々はただの的になる!」

「昴の理論の方が正しい! 根を断たなければ、意味がない!」

 管制室で、二人の怒号が飛び交う。コックピットの僕たちは、どちらの指示に従うべきか判断できず、完全に動きが鈍ってしまった。

 その、一瞬の隙。

 空中のエネルギー体が放ったプラズマ弾が、アンファングの肩を捉えた。凄まじい衝撃と共に、コックピットが激しく揺れる。

「きゃっ!」

「ぐっ……!」

 もう、限界だった。

 僕は、怒りに任せて、コックピットから叫んだ。

「二人とも、やめてください!!」

 僕の、珍しく感情を露わにした声に、管制室の二人が、ハッとしたように押し黙る。

「あなたたちの理論は、どちらも正しい……! 空の脅威も、海の脅威も、両方同時に排除しなければ、僕たちに勝ち目はない! なら、答えは一つしかないはずだ! あなたたち二人の天才が、一つの答えにたどり着けないはずがない!」

 僕の言葉に、モニターの向こうで、二人の助教が、初めて、互いの顔をまっすぐに見つめ合った。

 数秒の沈黙。だがその間に、彼らの脳内では、僕などには到底及びもつかない、超高速の思考が交わされていたのだろう。

 そして、二人は、同時に、同じ結論にたどり着いた。

「……まさか」

「……ああ」

 二人の声が、重なった。

 そこにあったのは、もはや敵意やコンプレックスではない。同じ高みを目指す者だけが分かり合える、純粋な共鳴だった。

 創磨助教が、まるで別人のように、冷静で、しかし力強い声で指示を出す。

「物部! アルジェント・スヴァール・インパルサーの慣性質量低減フィールドを、今度は機体ではなく、眼下の海面全域に向けて最大出力で照射しろ! 海の『重さ』を、この宇宙から一時的に消し飛ばすんだ!」

 続いて、昴助教の声が響く。

「琴吹さん! それと同時に、リヴァイアサン・スケイルの全ソナーユニットから、特定周波数の超音波を海中へ向けて最大出力で照射してくれ! 海水そのものを、分子レベルで強制的に振動させる!」

 空の理論と、海の理論。

 その二つが、一つの目的のために融合する。

「了解!」

「やります!」

 僕と美生奈先輩は、二人の天才の、狂気的で、しかし確信に満ちた指示に、全てを賭けた。

 アンファングは、空中高く舞い上がると、その翼から、目に見えない、だが確実に空間を歪めるフィールドを、眼下の静まり返った海へと放った。

 同時に、全身の鱗が、まるで巨大な楽器のように、一斉に超音波を奏で始めた。

 そして、世界は、その姿を変えた。

 創磨助教の力によって重さという概念から解き放たれた海面。

 昴助教の力によって、内部から強制的に振動させられた海水。

 その二つの力が交わった時、海は、もはや液体としての形状を維持できなくなった。

 ゴゴゴゴゴゴ……!!

 海面が、沸騰した。

 いや、違う。これは、ただの沸騰ではない。海水そのものが、その存在を維持できなくなり、凄まじい勢いで水蒸気へと昇華していく、『共振蒸発』現象。

 直径数十キロの海が、一瞬にして、巨大な白い雲へと変わっていく。

 空中のエネルギー体も、海中の本体も、そのあまりに規格外な現象に、動きを止めた。

 彼らは、自らが潜んでいた水という媒体そのものを、僕たちの手によって奪われたのだ。

 そして、エネルギーを維持できなくなった二つの存在は、白い蒸気の中で、陽炎のように揺らめきながら、一つの、不安定な実体へと姿を変えた。

「……今だ!」

 僕は、その一瞬の隙を、逃さなかった。

 アンファングは、蒸気の中から姿を現した、無防備な本体へと、一直線に突撃する。

 振り下ろされた劈開剣が、今度こそ、その核を、完全に捉えた。

 断末魔は、なかった。

 ただ、静かに、その存在が、この宇宙から消えていった。

 後に残されたのは、巨大な水蒸気の雲と、海面が数十メートルも低下した、異様な光景だけだった。

 管制室から、歓声が上がる。

 僕と美生奈先輩は、コックピットの中で、ただ、その光景を呆然と見つめていた。

 モニターの片隅で、創磨助教が、昴にだけ聞こえるような小さな声で呟くのが見えた。

「……お前の理論も、悪くはなかった」

 それに対して、昴助教が、心の底から嬉しそうに、笑って返す。

「お前の理論がなければ、不可能だったさ」

 砕け散ったはずの翼が、再び、一つの空を目指して羽ばたこうとしていた。

 僕たちの戦いは、まだ始まったばかり。

 だが、僕たちの背中には、今、宇宙で最も頼もしい、二つの星が輝いていた。

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