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ウラジミール・ディアトロフの話

 ウラジミール・ディアトロフはロシアからの留学生だ。

 専攻は中国の歴史文化だが、なぜか日本の大学にやってきた。本人いわく中国の歴史文化より日本のアニメや漫画に興味があるらしい。ならば素直に日本の歴史文化を研究すれば良いのにと思うが本人いわく、『それは違う』とのことだ。なにが違うのか良く分からないが……

 ともかくウラジミールは趣味の傍ら、もとい、学業の傍ら、アニメや漫画の探求にも余念がなかった。その為か、彼はいつも金欠でもあった。生活費の大半を研究資料グッズに注ぎ込むためだ。その為だろうかいつも腹をすかして歩いている姿を目撃されていた。その姿はまるで萎びたネギのようだという。


 大矢おおや廼人のひとは激しく鳴らされるチャイムの音にせかされて玄関のドアを開けた。

 ドアの先に立っていたのは見知らぬ外国の女性だった。美人であったがその表情には焦燥感が滲んでいた。あるいは恐怖、不安の類かもしれない、と大矢は思った。


「ええっと、あなたは?」


 英語で問いかけるべきなのかもしれなかったが、大矢は御年65歳。英語どころか話せる外国語は一つもなかった。なんとなく面倒ごとに巻き込まれそうな予感もあったため、通じなければ通じないで好都合と思い日本語で話し掛けた。しかし、女性は「私はカーシャといいます」と、流暢な日本語で答えた。


「ヴェローシャ、いえ、ウラジミールの知り合いです」

「ウラジミール……?」

「ウラジミール・ディアトロフ! あなたのアパートを借りている者です」


 そう言われて大矢はようやくいつも腹をすかしているずぶ濡れの白熊のような、しかし気のいいロシア人の青年のことを思い出した。


「ウラジミール君のことか。彼がどうかしたのかね」

「それが……連絡がとれないのです」

「連絡が取れないってどのくらい?」

「2日、いえ、3日ほど……」

「3日? 子供じゃないからそのくらい連絡が取れないからと言ってそんなに大騒ぎする必要もないんじゃないかな。

旅行とかにでかけているのかもしれないじゃないか」

「いいえ、あの人に旅行に行けるような余裕はありませんわ。いつも、お金に困ってお腹を空かしているのですもの。この間もバイト先のスーパーで廃棄された食べ物を持って帰ってますから……。

それにその事がここへ相談にきた理由でもあるのです」


 女の思い詰めた表情と謎めいた言動に興味を持った大矢は取りあえず女性、カーシャを居間に通して話を聞くことにした。


「どこから話せば良いのでしょうか……」と、居間で大矢とちゃぶ台を挟んで対峙したカーシャはそう切り出した。が、切り出したきり、その先をなかなか続けようとしなかった。

 それでも大矢は彼女が話し始めるのを辛抱強く待った。やがてカーシャは意を決したように青ざめた顔を上げると再び話し始めた。


「……そう、事の始まりはヴェローシャが破棄された食べ物を無断で持って帰ったことでしょう。

賞味期限が切れたものでしたが、ヴェローシャ曰く、賞味期限が切れていたって食べれなくなるなんてことはない。むしろ食べれるものを捨ててしまうことこそ悪いことだと言っていました。

確かにわたしもそう思わなくはないのですが、その中に変なものが含まれていたのです」

「変なもの? 変なものとは?」

「トウフです」

「『トウフ』……、と言うのは、白くて四角いあの『豆腐』の事かな?」

「はい、そのトウフです。パックに入った普通に売っているやつです。でもそのパックのトウフの中にまん丸に膨らんで今に弾けそうなパックがあったのです」


 発酵して容器が膨らむ……、確かそんな缶詰めが外国にあったな。名前は確か……、思い出せない


 などと大矢は思ったがそれは口にはしなかった。代わりに「開けたらヤバそうなやつですね」とだけ言った。


「そうなんです。そうなんです。でもヴェローシャは、彼は『なにシュールストレミングもこんな感じだった』、とか言って平気で開けたんです」

「で、どうなったんですか?」

においはそれほどでもありませんでした。

でも、トウフにはうっすらと毛が生えていたんです」

「毛が?」

「はい、全体に白い産毛のようなものが生えていたんです。たぶんカビなんだと思うのですが……

それで、ヴェローシャはそれを食べたんです」

「えっ?! 食べちゃったの?」

「はい、『俺は中国で毛豆腐と言う食べ物があるのを知っている。これはそれと同じだ』って言って食べたんです」

「大丈夫だったの?」

「はい……ええっと、()()()()大丈夫だったようです。

ちょっと苦味があるけど不味くはないって、言っていました。

だけどそんなものを平気で食べてしまうあの人に少し呆れてしまって、その日はそのまま帰ったんです。それが1週間ほど前のことです。

それからわたしも忙しくてヴェローシャに会う機会がなかったのですが、丁度3日前に会いに行ったのです。それで……」


 カーシャはそこで言葉を切るとまた黙り込んでしまった。たっぷり1分ほどの沈黙の後、再びカーシャは口を開いた。


「これから話そうとしている話について話すべきか、正直、今も迷っています。とても信じてもらえないと思うからです。

でも、話さないと何故わたしがここに来たのか、そしてあなたになにをお願いするのかを理解してもらえないと思います。だから、どうかこれから話すことを最後まで聞いてください」

2025/06/21 初稿

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― 新着の感想 ―
 マオドウフ……。  かの朱元璋の逸話で有名らしいですが、正直私は知りませんでした。
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