「心霊」を殺したデジタル。
昨晩、幽霊について触れているエッセイを読んだ影響。
かつては夏の季語でもあった「心霊写真」。
(ほんとけ?)
この世に未練を残し、霊化した存在の映り込み。
的な?
ところが最近、とんと耳にしなくなった、この単語。いったいなぜだ?
視聴者からのクレームや、SNS等での炎上の懸念。コンプライアンス的にも、そういった番組が減ったのかもしれない。だが、一番の原因は、やはり撮影機材の「デジタル化」のような気がする。
フィルムという「アナログ」な撮影方式が生み出す、偶然とパレイドリア。要するに錯覚。と以前までの筆者なら、断言していただろう。
しかし、最近では「全てある体」で物事を考えた方が面白い、というマイブーム(死語)が、筆者に来ている。―― なので「霊はいる」という前提で考える。すると霊は「アナログな領域の存在」で「デジタルでは捉えきれない」存在となる。
おそらく霊の大半は「アナログ世代」だろう。ならば、デジカメやスマホのカメラで映らないのも当然(!)。スマホで撮影される霊の登場には、今しばらくの時が必要なのかもしれない(真顔で何言ってんだ、お前)。
真面目な話をすれば(ちっ)、Photoshopの登場のせいだろう。今では、DeepFakeまでもが登場し、虚構が霊的な世界をも超えてしまった。だから、どれだけ怖い写真や映像を見せられても「どうせフェイク」へと成り下がる。
実際は衝撃の映像でも、これからの時代は「すべてがフェイク」となる。ひとの人生でさえもね(何、その締め)。
文明開化で「電気」が登場して以降、日本人には「日常の仲間」だったはずの幽霊や妖怪が、一気に減ることとなった(夜の明かりと共に)。便利な発明は、それまでの時代の不自由だった「情緒」も忘れさせる。良くも悪くも。