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 セナの婚約破棄宣言に、しんと静まり返った会場内。だれも、ひとことも発さない。会場中の視線を一身に受け、徐々にいたたまれなくなってきたセナは、一歩下がる。

 こんなときばかり頭は冷静で。頭のなかのもうひとりのセナが囁いた。

 言うことは言った。あとはもう、逃げるしかない。

 セナは、勢いよく会場を飛び出す。

「セナ!」

 背後からエーベルの声が聞こえたけれど、セナは無視した。走りながら、両目からはとめどなく涙があふれてくる。

 だめ。せめて建物を出るまでは、泣いちゃだめ。こらえないと――。

「あっ……!?」

 その瞬間、視界がぐらりと傾いた。ドレスの裾を踏んだのだ。勢いづいた身体はそのままつんのめる。

 ――まずい、転ぶ……!

 衝撃を恐れて、セナは思わず目をぎゅっと瞑った。しかし恐れていた衝撃はいつまで経ってもやって来ず、代わりにセナの身体は、だれかのぬくもりに包まれていた。

 恐る恐る目を開き、顔を上げる。

「っ……エーベルさま」

 セナを抱き止めてくれたのは、エーベルだった。

 相手を認識した瞬間、セナの身体は本能的にエーベルを拒絶する。

「……っ、セナ! お願い、逃げないで」

 腕から離れようともがくと、逆に強く抱きすくめられた。ひゅっと息が詰まる。

「は、離してください……!」

「……どうして? 俺のこと、きらいになった?」

 エーベルの声は、こちらが苦しくなってくるくらい、悲愴に驚いた。セナはぶんぶんと首を横に振る。

「きらいじゃないです」

「じゃあどうして……?」

「……きらいじゃないけど、もういやなんです……っ!」

「いや?」

 セナは震える声で、思いの丈を吐き出す。

「……本当は、ずっと気付いてたんです。私とエーベルさまのあいだには、大きな温度差があるって」

「温度差……?」

 ずっと気付かないふりをしてきた。けれど、この一年セナとエーベルは一ミリも関係が進んでいない。

「エーベルさまはいつも、私たちはまだ学生だからとかもっともらしい理由をつけては、私に触れてくれませんでした」

 きっと、セナを傷つけないための配慮なのだろう。エーベルは、優しいから。でも、こんなにまっすぐ想いを伝えているのに、いつまでもそんなふうに遠ざけられたら、セナはつらいだけだ。理性の外側で愛されたって、そんなの、恋とは言わない。ただの、愛だ。ほかのひとへ向けるふつうの愛。特別なんかではない。

 セナは泣きながら続けた。

「私は、割り切った関係はいやです。エーベルさまが好きだからこそ、エーベルさまが違う女の子と仲良くしてるところなんて見たくない。契約の結婚なんてぜったいいや。耐えられない。だから……」

 別れたい。そう告げようとした瞬間、手を強く引かれ、言葉が途切れた。

 驚く間もなく唇に柔らかいなにかが触れて、セナは硬直する。

 ――キスされてる。

 気付いたときにはもう、セナの後頭部はエーベルにしっかりホールドされていた。

「っ……」

 驚く間もなく、エーベルの唇が離れていく。呆然と離れていく唇を見上げていると、エーベルと目が合った。その瞬間、エーベルの顔色が変わった。

「……ご、ごめん! 苦しくなかった……?」

 顔が熱い。顔面が爆発しそうになりながらも、セナは一度だけ小さく頷いた。

 なにがどうなってこうなったのか、理解が追いつかない。

「……ごめん」

 エーベルはなぜか、両手で自身の顔を覆っている。後悔しているような態度だ。

「あの……エーベルさま?」

「……ごめん、突然婚約破棄なんて言われたから、ちょっとパニックになっちゃって」

「パニック……? エーベルさまが?」

「……そりゃ、好きなひとに婚約破棄なんて突き付けられたら、焦るだろ」

「好きなひと……?」

 え、と思う。

「私のこと、好きじゃないんじゃ……?」

 そろりと訊くと、エーベルは眉を寄せて、解せない、という顔をした。

「そんなわけないだろ。俺がどれだけ我慢してると思ってるんだ! この前だって、セナが男とふたりでいたからつい不安になって……でも、セナはずっと余裕がある俺を好きだって言っていたから、必死に我慢してたんだよ……」

 でも、最近は家に呼ばれたりしてさすがに限界だったから、ちょっと頭を冷やそうと思って距離を置こうと思っていたのに。と、エーベルは恥ずかしそうに呟いた。

「……じゃあ、私のこと、興味ないわけでは……」

 ないんですか、と聞く前に、エーベルは被せるように言った。

「当たり前だろ! 婚約まで決めたひとのことなのに!」

「……じゃ、じゃあ、エーベルさまは私のこと、好き……?」

 思い切って訊ねると、エーベルは目を泳がせ、ごくりと喉を鳴らす。

「……好きだよ。ずっと、好きすぎて嫉妬で狂いそうだった。でも、セナのこともセナの友達のことも大切にしたかったから、必死に抑えてたんだ」

 そう言って、エーベルは恥ずかしそうにセナから目を逸らした。

 信じられない。だって、あのエーベルが、嫉妬? しかも、好きすぎて?

「エーベルさまが嫉妬……」

 改めて呟くと、

「……そうだよ。悪い? 君はいつだって想像以上のことばかりするから、調子が狂うっていうか……どうしたらいいか分からなくなるんだ」

 エーベルは罰が悪そうな顔をして、そう言った。

「……す、すみません。……でも、嬉しいです」

 セナは微笑んだ。

「本当? 幻滅してない?」

「幻滅なんて、有り得ません!!」

 はっきり答えるセナを見て、エーベルは心底安心したように息を吐いた。

「よかった……」

 セナはドギマギしながらエーベルの様子を見守る。エーベルは何度か深呼吸をすると、セナを見た。

「……じゃあ、君はまだ俺の婚約者でいてくれる?」

 あんなに追いかけていたエーベルに不安げに見つめられていることがなんだかおかしく感じて、セナは笑った。

 うそみたいだ。昨日まであんなに避けられていたのに。てっきりきらわれてしまったと思っていたのに。

「もちろん。婚約破棄は、破棄でお願いします!」

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