試験が終わり、情報を得る
更に二ヶ月が経過した。
次期王太子は第三王子で決まった。しかし、全部署から仕事のペースが遅いので、人員を増やして早く済ませるようにしてくれと、お小言を貰い顔を引き攣らせている。
第二王子は……書類仕事と並行して行う試験で心が折れたらしい。将来は臣籍降下して可能な限り弟を支えると、自ら表明していたので宰相が懸念していた遺恨は残らないだろう。母親である側妃が唆さなければ多分。
第一王子は予定通りに大公の爵位を賜った。今後は『エルノ・クロヴァーラ大公』として王太子の相談役になる。一度全てを失ったからか感情的になる事もなくなり、書類仕事で兄としての威厳を完全に取り戻した。それで威厳が戻るのかと、内心突っ込んだのは秘密である。
弟王子二人も『感情的になって失敗する』兄を嫌っていたから、仲が悪かったのだが、現在の三王子の兄弟仲は非常に良好だ。
三王子を見ると、兄弟とは言え見落としていた何かに気づいたから、仲良くなれたのかもしれない。
そう考えると不謹慎だが、第一王子が一度全てを無くした一件は必要な事だったのかもしれない。
次期王太子が決まったその一ヶ月後。立太子の儀が行われ、国民にお披露目となった。自分は王家と和解した事を示す為に列席した。
立太子の儀も終わったその夜。招かれた他国の王族が率いる使節団の歓迎を兼ねて、王城で盛大なパーティーが開かれた。
自分もシュルヴィア・ヴィレン大公として参加した。ドレスは王城に有ったものを借りた……と言うか指定のドレスを着るようにと指示が有った。ラインストーンがあしらわれた派手な藍色のドレスに、緑色の石を使ったネックレスを身に着ける。イヤリングは立太子の儀の間は着けたが、パーティーではダンスの邪魔になると言う理由から外した。
それにしても、この二色を身に纏う事になるとは。国に所属していると言う事を示す気か? 王族と婚約する気はないが。
立太子の儀の間もだが、現在非常に耳目を集めている。一番集まっているのは廃嫡になったにも関わらず返り咲いた、クロヴァーラ大公だろうけどね。自分は二番目と言ったところか。ま、元王太子妃だから当然か。
王の挨拶で始まり、終わるとすぐに楽団が流麗な音楽の演奏を始めた。現王太子には婚約者がいないので、国王指名(騒動を防ぐ為の宰相指名なので真実だ)で元王太子妃の自分がファーストダンスの相手をする事になった。一曲終わった後、使者として来た他国の王族(何故か王子ばかりだった)と一曲ずつ踊り、全員と踊り終えると休憩と称して逃げた。
休憩室(パーテーションパネルで仕切られているだけだが)で料理を摘まみ、気力がある程度回復した後は壁の花として、一人、パーティー会場を眺める。どこを探しても父の姿はないが、愛想笑いを浮かべたホスティラ家の人間の姿は確認出来た。
煌びやかなシャンデリアの下で、誰もが着飾り、笑顔で談笑している。でもそれは、見せかけで、笑顔の仮面を付けて罵り合い、腹の探り合いをしている。
目を閉じ軽く息を吐いてから再び開き、一つの魔法を発動させる。
――瞬間、談笑の声が二重にブレて聞こえるようになった。
「まぁ、そうでしたの」
『貴方の自慢話なんて聞きたくも無いわよ』
「お探しとお聞きした品が、我が領地特産品ですので、是非ご検討頂きたく思います」
『何でこんな豚にへこへこしなければならんのだ! 豚に頭を下げるなら、娼館で若い娘を抱いていたいのに』
「ホスティラ家と息子の縁談は現在見直し中でしてな、どこがいいのだろうな?」
『没落の兆しの有る家との縁談なんぞ受ける訳ないだろう! 幸いにも、息子の顔はいい方だからヴィレン大公を口説き落としてくれんかのう』
「レイノ殿下の婚約者はどなたになるのかしらね」
『うちの娘じゃ、王太子妃なんて務まらないわね。未だにシュルヴィア嬢が最有力候補扱いだし』
「ラッセ殿下の婚約者も決まっていないですし、どうなるのかしらね?」
『どうせ正妃殿下の派閥から選ばれるのでしょうね。シュルヴィア嬢が独身宣言をしない限り、どうなるか分からないわね』
「お聞きになりました? エルノ様、生涯独身を宣言したそうですわよ」
『サンドラの阿婆擦れめ! 貴女のせいで大公夫人の座が狙えなくなったじゃない! 死ぬのは当然よ!』
「ええ、聞きましたわ。国に騒動を齎した責任を取り、生涯国に尽くすと宣言したそうです」
『エルノ様もあんな阿婆擦れに騙されてお労しい限りだわ。愛人でも良いからお傍にいられないかしら?』
軽く息を吐いて魔法を停止させる。使用したのは五秒程度だったが、余りの情報量の多さに頭痛がして来た。
料理が並んだテーブルに近づき、給仕に声をかけノンアルコールカクテルが注がれたグラスを一つ貰う。グラス片手に、テラスに向かう。背中に視線を受けるが無視した。
テラスに出て、夜気を吸い込む。冷えた空気が体と頭を冷やし、頭痛を幾分和らげてくれた。
グラスを傾けてカクテルを飲む。
……美味しくないなぁ、これ。
カクテルとされているが、実際は水で薄めた果実水を混ぜ合わせたものだ。砂糖を加えればもう少しマシな味になったかもしれない。
味付きの水だと思って飲み干し、五秒間で得た情報について考える。
自分、顔で男は選ばないので縁談持ち込みは止めて欲しいなぁ。
てか、何故自分が、次の王太子妃最有力候補なんだろうね?
爵位を返上して早々に国を出ないと、また騒動に巻き込まれそう。
手摺に近付いて、頬杖を突く。
先程使用した魔法は『魂読』と言う他人の心の声を聞き取る魔法だ。習熟具合と準備次第では、他者の記憶も読み取れるようになる。
何故この魔法を使ったのかと言うと、ただの慣らしと修練である。時々使わないとこの魔法に限っては処理能力が落ちる――ぶっちゃけると、使う度に頭痛に襲われるようになるので、定期的に人が密集する場所で使わないと処理能力が鈍るのだ。
一対一か、事前準備をしてから使うのなら問題ない。ないんだけど、気分の問題だ。
しかし、使えて良い事が有るのかと言うと、微妙だ。言っている事と心の声が違うので人間不信に陥る。使い処の見極めが難しいけど、大体使うのは『嫌がらせをして来た人物の知られたくない個人情報のばら撒き』や『諜報時に喋らせる手間を省く』、もしくは『人間以外の動物の思考を読み取る』の三つの時しか使わない。
夜気を浴びながら今後どうするか考えていると、足音が響き、声がかかった。振り返ると、そこにいたのは宰相だった。
「抜け出して大丈夫ですか?」
「構わぬ。酔い覚ましと言ったからな」
酔っていないくせに何を言っているんだか。ニヤリと笑ってそんな事を言った宰相だったが、不意に表情を引き締め、真顔になった。
大事な話しをする時、この宰相は真顔になる。その癖を知っているので、自然と空気も張り詰めたものになる。
「見つかったぞ」
「……そうですか」
依頼した調査が終わったのかと確信を持つ。宰相は見つかったとだけ言っているが『調査の果てに見つかった』ので間違いではない。
頭を下げて礼を言う。宰相は何も言わず手をひらひらと振るだけだったが。
余計な邪推を避ける為に、一人会場に戻る。
再び壁の花となって会場を眺めるかと考えていると、正面から一人の青年が近づいて来た。血の色を連想させる赤い軍服は正装なので今は着ていないが、赤系の服で盛装している。
洗練された動作で歩く青年に、会場にいる令嬢達が秋波を送っている。青年からすれば常に浴びているも同然なので、見向きもされていない。
戦略的逃亡を考えるが、左右は既にいい笑顔をした男共が壁になっていた。背後にもいる。内心舌打ちをしたくなったが、我慢する。
近づいて来るこの青年は皇族――それも、皇太子なので無礼な行動は慎まなくてはならない。
それが、過去何度も攻め込んで来た敵国であってもだ。
今の自分の立場は、大公であっても、王族でも、王太子妃でもない。身分は相手が上だ。どんな難癖をつけて攻め込んで来るか分からない国なので、無難にやり過ごさなくてはならない。対価に自分の身柄を要求されたくもないしね。
肩下まで伸びたアッシュグレイの髪は首の後ろで一つにまとめられている。薔薇のように赤い瞳は皇族の証である事から『クレメランルース』と呼ばれている。
青年と視線が合う。諦めて対応する事にした。
「先程振りだな、シュルヴィア嬢」
「先程振りになります。殿下」
隣国皇太子スレヴィ・クレメラは腹に一物有りそうな笑みを浮かべて挨拶して来た。合わせて一礼して挨拶する。
顔を上げると手が差し出された。掌が上に向いている。ダンスのお誘い……ではないだろう。手を重ねて顔を見れば、口の端が笑みの形に歪んでいる。
エスコートされながら、これは『ダンスの間だけの内緒話のお誘い』だなと、当たりを付ける。
どの道王族からの誘いは断れないし、自分の気を引く為に、何か有益な情報をポロッと零してくれるかもしれない。
歩む先、ダンスの場となっているパーティー会場の中央では、レイノ王太子がどこぞの令嬢とダンスを踊っていた。令嬢は楽しそうだが、相手の王子の笑顔は引き攣っている。ファーストダンス以降、令嬢とのダンス続きで疲れているのだろう。自分も疲れたしね。
周囲の視線を浴びながら、隣国の皇太子とダンスに臨む。
流麗な音楽に合わせてステップを踏み、ターンの時にスカートが広がり過ぎないように気を使いながら踊る。
たまたま視界に入った令嬢の顔は見れん。皇太子には蕩けるような熱い視線を送り、自分には絶対零度の冷たい嫉妬の視線を送って来る。どこの地獄だよ。
……代わって欲しいのなら代わるぞ。この手のダンスはあまり好かんしな。
睨んで来る令嬢相手に何となくそんな事を思っていると、パートナーを務める男の目が細められた。顔がやや近付く。
「おや、私よりも思う相手がいらっしゃったのですか?」
「そうですね、ご令嬢ですが」
「成程」
男じゃなくて、あんたのせいで睨まれる身にもなっておくれ。顔が近づいて来て、令嬢からの嫉妬の視線の温度が更に下がったんだぞ。
「私と同じでしたか」
何がだよ。内心で突っ込み、視界に入った他国の王子の顔を見て納得する。
「……まぁ、そうでしたか」
返答の間は見逃しておくれ。すげぇ睨んでいたなあの王子。逆に皇太子から一瞥を貰って、顔を顰めていたが。
「それにしても、変わりましたね」
「まぁ。それはどのような意味でになりますか? 立て続けに色々と起きましたので、色々と諦めただけです」
やべぇ。シュルヴィアから菊理に変わった事がバレてる? でも、この皇子と会った回数って今日を入れて五回目か。
背中に冷たいものを感じたが、間を置かずに返答が出来た自分は偉いと思う。
でも、この皇子相手では筒抜けか。『無愛想無表情だけど、よく見ると表情がコロコロと変わっている』とよく言われたしね。
微苦笑を浮かべた皇子の顔が再び近くなる。自分に向けられる令嬢の視線の温度が下がり、背中に氷柱が当たっているような感覚を覚える。
「警戒しないで頂きたい。虹の位階保持者は『別世界の記憶を持った異世界人』なのですから」
「……異世界人とは、随分と聞き慣れない単語を仰いますね」
「聞き慣れない、ですか」
「はい」
「ほう」
皇子の問いに正直に答える。単語の意味が分からない訳ではない。正しくは『この世界では聞き慣れない単語』なので嘘でもない。
だが、皇子は問いの答えでこちらに興味を持ったようだ。顔が近かったが、ターンで一瞬離れる。再び向かい合うと、こちらの顔を覗き込むように顔を近づけた。目を逸らさずしっかりと見つめ返すと、顔は離れた。
残念だったね。自分は男に顔を近づけられて喜ぶタチじゃないのよ。嘘を吐いていないかの確認みたいだったけど。
しかし、意外な事実を聞いたな。アルバータスについて調べた際に得た情報がなかったら、驚いてステップをミスったかもしれん。
でも、答え合わせは出来た。
転生者と異世界人で、認識の違いが有るが『虹の位階保持者=転生者』で合っているのだろうが、疑問が浮かぶ。
何故シュルヴィアはこの事実を知らなかったのか、と。
流されるようにダンスを踊りながら考える。
現時点で考えられるのは『機密情報』であるか、『王族のみに知らされる情報』か、『我が国では忘れ去られている情報』のどれかだろう。
王族の身に知らされる情報ならば、元婚約者が知らないのはおかしい。なので、王族の身に知らされる情報ではなく『王だけが知る情報』ならば可能性は有るが『王太子が知らない』のは変だな。
となると、機密情報か忘れられているのどちらかだろう。
でも、機密情報と仮定し、知っている人間が国の上層部だとすると今度は『宮廷魔術師筆頭が知っているそぶりを見せない』のはそれはそれで問題が有る。
やっぱり、我が国では忘れ去られた情報、と見るべきだろう。
他国に情報が残っていて良かった、そう思いながら再びダンスに集中する。
音楽に耳を傾けると、舞踏の曲が終盤に差し掛かった。スカートに気を使いながら最後のステップとターンを終え――ダンスが終了する。
婚約者でもない男と連続してダンスを踊ると、妙な邪推を招き、浴びたくもない嫉妬と殺意の視線を浴びる。回避の為に、これ以上踊る気はない意思表示として一礼したのだが、手を放してくれない。
見上げて皇子の顔を見ると、良い笑顔を浮かべている。そして、周囲の令嬢達から嫉妬と嫉みの視線を大量に頂戴する。
過去、様々な王子(皇子)に出会ったから判るのだが、悪戯を思い付いたかのような笑顔だった。
早く逃げないと次の曲が始まってしまう。
「いかがなさいましたか?」
「分かっていてその言葉が出て来るのか。随分とつれないのだな」
「何の事でしょうか?」
こう言う時、上手く笑顔が作れないのが痛い。目を細めてこちらの思考を読み取ろうとする皇子の視線に、小首を傾げて対応する。
自分もそうだが、シュルヴィアも笑顔を作るのが苦手だった。鏡に向かって、どこの世界に転生しても全く同じ顔の頬を抓り引っ張り、作り笑顔だけでも作れないかと試行錯誤したが、駄目だった。小説を読み漁って『笑顔の表現』はどう言ったものかと調べ、顔の力を抜いて目を細めてそれっぽい笑顔を作る事で落ち着いた。
掴まれている手を引くが、逆に引かれる。もう一曲相手を務めないと放してくれないらしい。仕方がないと向き合い直すと、
「スレヴィ殿下、婚約者でもない女性と何度も踊る必要が有るのか?」
自分の背後から、聞き慣れた声が響き一人の青年が割って入って来た。予想外の人物の行動に、演奏を始めようとした楽団も動きを止めた。視界の隅、壇上の椅子に腰かけている国王に至っては顔を真っ青にしている。王太子となった弟も顔を引き攣らせている。
だが、目の前の男は、ワザとらしく驚いた表情を作り――内心面白がっているのが丸分かりである――続いて憂いたような表情を作った。
「エルノ王子、失礼、今はクロヴァーラ大公だったな。嫌っていた婚約者でなくなった女性を庇うとは、どう言う心境の変化かな?」
ワザと間違えたなこいつ。臣籍降下したからって、喧嘩売り放題だと思っているのか?
大公から微かに悔しそうな歯ぎしり音が聞こえた。皇子の言う通り、自分とこの男の婚約は解消されている。再婚約はあり得ないと断っている。
と言うか、何故修羅場が発生する?
「……本日は第三王子立太子のお披露目である事をお忘れか?」
「忘れてはいないが……貴殿の顔に免じてここは下がるとしよう」
失礼したと、短く謝罪の言葉を口にして意味深長な笑みを浮かべ、未だに掴んでいる自分の手の甲にキスを落とすと去って行った。
……この世界では、貴族令嬢や婦人への謝罪として、手の甲にキスを落とす挙措が有る。なので、この皇子の行動に問題点はない。ないんだけど、突然始まった修羅場に、会場の注目が集まった。
もの凄く、居心地が悪い。
内心で嘆息を零して、王の許に向かい中座の挨拶をし、許可を得て会場から出た。向かう先は休憩室ではなく、借りている貴賓室だ。人数が減る休憩室では噂好きからの貴族からの逃げ場がないから行かない。
誰が自ら餌になりに行くか。
と言う訳で貴賓室に戻るのだ。逃亡ではない。戦略的撤退である。
「シュルヴィア嬢」
背後から響いた声に新たなトラブルの予感を感じる。振り返りたくはないが、それはそれで問題が有る。しょうがなく振り返ると、元婚約者が立っていた。随分と険しい表情をしているが、何が有ったのだろうか?
「クロヴァーラ大公、先程はありがとうございました。私は部屋に戻りますので、これにて失礼いたします」
適当に感謝を述べて再び背を向ける。
「クレメラの皇太子に何を言われた?」
背に届いた声に、肩越しに振り返り短く返す。
「詮索される程の、大した事は言われていません」
「そうか」
変わらない表情に、誰かに何かを言われたなと思う。宰相かしら? 今はどうでもいいけど。
「ええ。では、失礼します」
足早にその場から去る。
返事の声はなかった。