猶予期間は準備期間でもある
直径五センチ程度の、内包した鉱物が庭の草木に見える地球で『ガーデンクォーツ』と呼ばれる鉱石に似た雫型の小石を右手で強く握り締めた。
「展開」
脳裏で身に纏う、プラチナのような白金色の鎧の詳細をイメージしながら、一言呟いた。
「っ、くっ」
だが、イメージ通りにはならず、普段着のワンピースの上から鎧が体に食い込んだ。今回、鎧に食い込まれた部位が鎖骨の間だった為、気管が圧迫されて、息が漏れた。
呼吸困難に陥る前に、鎧の展開を解除したが、着ていたワンピースが裂けていた。魔法でパパっと直す。
「っ、はー」
気道が確保され、呼吸が可能となった。一度息を大きく吐き、そのまま深呼吸を行った。
「失敗、か」
グーフォと遭遇してから二週間が経過した現在。ほぼ謹慎状態の自分が何を行っているのかと言うと、とある魔法の練習を行っていた。
その魔法と言うのは『イメージした通りの鎧を身に纏う』と言うものだ。
意味が解らないかもしれないが、漫画とかラノベとかで戦闘直前に『魔力で編んだ鎧や衣服を展開して身に纏う』って言うシーンがあるでしょう? これをリアルに再現している最中なのだ。
鎧を着る時間の短縮や、持ち運びの手軽さを考えて、一度はこの魔法の研究を行ったけど、全く上手く行かずに頓挫した経緯がある。
一度だけあの人にも相談したが、内容を上手く伝えられずに終わった。
ベッドに腰掛けて、そのまま背後に倒れ込む。天井を見上げて魔法の改善点を考える。
魔力で鎧を編む点については、編み物のやり方を応用してどうにか出来た。毛糸を棒編みしてセーターや手袋を作るようにやった結果、鎧を編む点に関しては一発で出来た。ハンドメイドの経験が活きたよ。
けれど、上手く行ったのはここまでだ。
魔力で編んだ鎧を『身に纏う』点で、現在、躓いている。
鎧が上手く身に纏えなくて、先程のような事が発生している。
先程起きた現象を一言で説明すると、『テレポートに失敗した』が近いかな?
指定した移動先に上手く転移出来なかった、とでも言えば良いのか。
超能力もののラノベでテレポート使いのバトルシーンがあった。スピンオフ作品の漫画の方が解りやすいかもしれない。
うろ覚えだが、この作品内でのテレポートの移動は『移動先の物体を押し退ける』的な説明があった。
テレポートの移動先の計算に失敗して『体の一部が建物などの中に出てしまう』と、そこ部分と体の一部がくっ付いてしまう。
ここから先は思い出したくないが、この現象を応用した戦闘シーンが存在した筈。
魔法の改善点について考える前に起きた現象は、これとほぼ同じだ。
練習を始めた頃は、首が切断されるような事は無かったが、手指や四肢が切断されるなどの失敗をした。一度だけ、たまたまやって来たヒース大佐に練習現場を目撃されて、滅茶苦茶怒られた。
鎧と言ってもその形状は、手、肩、胴体を守るだけのハーフプレートに近い。だから、失敗しても首が切断されるような事には発展していない。代わり手指や四肢が切断されたら意味は無いが。
改善策と言うか、最初の内は衣服と鎧を入れ替える形式にした。その結果は失敗だった。
当たり前と言うか、衣服と鎧を入れ替えたら、『入れ替え先をどうすれば良いのか』とか、魔力で編んだ鎧の展開を解除したら『下着姿(流石に全裸にはなっていない)になってしまう』とか、別の問題が発生してしまい却下した。
理想は『着ている服の上に重ねる』だが、中々上手く行かない。
使えれば便利だろう程度の認識で、研究をしているからなのかな?
……出来れば誰かに相談したい。可能なら過去に開発された刻印機か、原始魔術刻印の資料が読みたい。
天井を見上げたまま唸っていると、ドアの開閉音が耳に入った。
慌てて起き上がると、出入り口には呆れ顔のヒース大佐がいた。その手には二人分の昼食のケースがある。
ベッドに備え付けられている簡易テーブルを出し、ヒース大佐と二人で昼食を取る。自分はベッドに座り、ヒース大佐は壁面収納から取り出した椅子に座っている。
昼食を取りながら交わす話題は、この部屋で行っている事についてだ。
「今日もまた練習をしていたのか? 失敗ばかりで飽きないのか?」
「流石にこればかりは、出来るようにしないと生死に関わります。意地でも習得する必要が有ります」
「習得出来なければ、死ぬって事か。前みたいに、両腕がバラバラになるような事態だけは避けろ。アレは心臓に悪い」
指摘を受けて思い出す。そう言えば、ヒース大佐に練習を失敗したところを見られていたな。
右手はポロリと床に落ち、左腕に至っては肩の付け根から三等分にされて床の上に落ちた。しかも、床に落ちた両手指を良く観察すると、関節の辺りでバラバラになっている。
どこをどう見ても、バラバラ殺人現場だな。
ヒース大佐の目の前で魔法を使って治して見せたが、『そういう問題じゃねぇ!』って、怒髪天を衝く勢いで怒られた。ついでに脳天に拳骨も貰った。
「そうならないようにする為の練習です。行き詰っているので、参考資料が欲しいですね」
必要な練習だと言い張り、ついでに希望も口にしたが、ヒース大佐の耳には届かず怪訝な顔をされた。
「随分と余裕だな。あの訳の分からん野郎が、一体何時来るか分からん状況だってのによ」
ヒース大佐が怪訝な顔になった理由を知り、自分の疑問は氷解した。自分の希望は愚痴と勘違いされたな。
でも、そう思われても仕方が無い。
何しろ『必ず殺す』とか言われたのに、二週間も放置されている。更に当のグーフォは別の破壊活動に勤しんでいる。グーフォに関わる情報を持っていないと、何がどうなっているのかさっぱり分からんだろう。
自分が持つ情報を開示して、少し理解を深めて貰うか。
「これは推測ですが、私がこの部屋から移動しない限りは大丈夫でしょう。二週間も放置されているのがその証拠です」
「……どう言う意味だ? あの野郎から、お前の位置を特定する発信機か何かを渡されたのか?」
「どちらも受け取っていません。あの男は感覚でそう言う事が出来る奴です」
「そうか。って事はお前、戦う場所も考えているのか?」
「はい。周辺に人のいない場所で戦う予定です。建物を一刀両断するような攻撃が当たり前のように来ますから、周辺の被害を考えると場所を選びます」
戦う場所を選ぶ理由を併せて口にすれば、被害を思い出したヒース大佐は納得した。
「確かにそうだが、場所を選んだだけで勝てる相手なのか?」
「勝つのは難しいです。それでも周りを気にせずに戦えた方が非常に楽なので、場所は選びます。相手は私が知る中でも、三指に入るぐらいには強いです。それ以前に、一度交戦したら、周辺を気にする余裕はありません」
ここで『グーフォが一番強い』と言い切れないのは、やはり師匠の存在が大きい。
色々な意味でオカシイ女傑だったからなぁ。
ある日突然、修行と称して『神狩りツアー』を実行する人だった。そのツアーで、その世界の神々の中でも三指に入る、武神と戦神と闘神を『三人纏めて、たった一人で斃した』人だった。
どこをどう見ても、完全に超えてはいけない一線を越えて、辿り着いてはいけないところに到達した人だよ。
多少の美化が入っているのは認めるが、この人物を超える存在をこれまでに見た事が無い。グーフォも近いと言う感じはするんだが、超えるかと聞かれたら……『否』としか言えない。
グーフォが、師匠を超えるレベルで頭がイッテいるとか、そんな風にも見えないし。
師匠みたいに『では、お前を殺してから決めよう』とか言わずに、グーフォは優先順位を考えてから動いていた。直感に任せて動くタイプでは無いだろう。
「リア? 遠い目をしてどうしたんだ?」
「ちょっと昔を思い出しただけです」
「……そうか。防御に集中しているようだが、攻撃手段は確保しているのか?」
「攻撃手段は確保済みです。どこまで通用するか不明ですが」
自分がヒース大佐に明かした攻撃手段と言うのは、過去の人生で譲り受けたり、引き取りをお願いされた剣だ。誕生過程にグーフォと同じ審判者が関わっているか剣だ。流石に一撃で折れると言う事は無いだろう。
この剣の最大の問題は『使用済みと未使用の二つ』が存在する事か。
使用済みの剣の存在を思い出し、すっかり忘れていた『導きの石』の存在も思い出した。この石は魔法具の強化に使ったので、既に手元には無い。
幾ら道具が沢山あっても、存在を忘れてしまっては意味が無い。
定期的に宝物庫と道具入れの中身を整理しても、使用頻度の高いものと、低いものに分かれてしまう。
「攻撃手段が有るなら良いが、無茶はするなよ。死んでは元も子もないからな」
昼食を食べ終えたヒース大佐は最後にそう付け足し、二人分の昼食ケースを手に部屋から去った。
「申し訳ありませんが、その確約は不可能です」
ヒース大佐の背中を見送ってから、自分はそう呟いた。
無茶はせざるを得ない。無茶をせずに生き残る事は不可能だ。
前回は横やりが入り、グーフォの優先順位が変わったから生き延びただけなのだ。次は無い。
さて、ヒース大佐が去ったので、再び鎧の展開方法について考えた。
思い切って鎧に限定せずに、魔法少女アニメ作品で服装が短時間か一瞬で切り替わるものを片っ端から思い出していたら、とある作品の衣装交換描写を思い出した。棺桶みたいな箱から布が出て来る衣装交換描写だ。魔法少女アニメとは違うラノベ原作のアニメで、百合魔女の変身シーンだ。
これまで、包帯を巻き付けると言うか、帯を巻き付けるように、鎧を展開をした事は無い。一度で、鎧を重ねるようにやっていた。
鎧を『魔力で編む』と言う工程を挟んでいるのに、何故、『編んだ鎧を帯のように巻き付けるように展開する』と言う手段を思い付かなかったのか。
何度か失敗はしたけど、どうにか鎧の展開を習得する事が出来た。
それにしても、まさかプリンセスラインのドレスをイメージしながら、鎧を着る日が来るとは思わなかった。自分も、着用予定の鎧の腰周辺のラインが似ている事によく気づいたな。
プリンセスラインのドレスは、上半身はフィットして、スカート部分が大きく広がっている。パニエを穿いたフレア型のスカートをイメージしても良かった。だが、一体化をしている衣装として、プリンセスラインのドレスが真っ先に思い浮かんだ。
勝負服として、真っ先にドレスを連想してしまう辺り、貴族としての生活が長いんだろうなぁ。
思うところはあるが、鎧が安定して展開出来るようになった。
鎧の下に着る服は普通のものだが、簡易障壁が展開できる様に加工したコートを上下に二分割して羽織る事にした。
防具の準備は整った。
あとは――こちらから打って出るだけか。
実を言うと、既にグーフォと戦う場所は決めている。
この大陸には、自分が孤児となった戦争で人が住めなくなった『死の土地』が幾つか存在する。
そこならば、周辺を気にせず戦える。
勝つか死ぬか判らない状況だ。この際、人がいないのならば、無人島でも良いが、都合よくそんな島は存在しない。
脳内で大陸絵図を思い浮かべる。
この大陸の形は縦の長い長方形に近い。けれど、大陸を横断するような、標高二千メートル級の山々が連なる山脈が存在する。この山脈の向こう側には、大陸の四分の一に相当する広大な土地が存在する。
自分が孤児となった原因の戦争でこの山脈から北は、大陸の四分の一に相当する土地が住めなくなっている。
今更だが、現在位置は南州の庁省地下だ。
現時点で戦闘に適している場所は、人が住めなくなって放棄された山脈の向こう側のみとなる。人が住めなくなっている最大の理由は『除染作業が行われていない』からだ。汚染範囲が広大過ぎて、自然に任せるしかなくなったとも言う。
けれども、逆を言うと『自力で除染が出来る』のならば、被爆の危険があっても土地が使いたい放題なのだ。
完全無人で大陸共通の法律適用外の為、北州から北には犯罪組織が数多く存在する。ここに北州が含まれるのは、『犯罪組織と上手く付き合っているから』らしいんだが、詳しい事は知らない。
その代わりか知らないけど、大陸で唯一海に面していない北州の治安は大陸で最も悪い。ちなみに治安が最も良いのは西州だ。北から離れれば治安が良いと言う訳でも無い。
戦う場所を決めた時点で、被爆対策用の刻印機は作った。戦う場所を真っ先に決めた――と言うか、ここ以外に場所が思い付かなかった。
周囲に人はいない。仮にいたとしても、犯罪組織絡みの人間しかいない。拉致被害に遭った人がいる可能性はほぼ無い。
輸送に掛かるコストと、標高二千メートル級の山脈を超える飛行艇の監視網を掻い潜って移動する手間を考えると、拉致した人間を山脈の向こう側に送る事は少ない。自分が拉致被害に遭った時も、山脈の向こう側に送られた可能性は真っ先に否定されたらしい。実際に輸送された先は南州の沿岸だった。
グーフォとの戦闘で考えられる戦闘の被害を考えると、巻き添えになっても気に病まない連中がいるところしか選択肢が無い。
場所を先に教えたら、ヒース大佐に場所を変えろと言われそうだ。でも、グーフォが建物をどう破壊したのかを目の当たりにしているから、最終的には受け入れてくれるだろう。
でも、グーフォをどうにかすれば、抱えている問題の全てが片付く訳では無い。
それでも今は、グーフォへの対応を優先するしかない。
負ける可能性が高いし、いざとなったら転生の術を使ってでも、どこか別の世界に逃亡する事を検討しなくてはならない。
こんな時こそ、未来を視る魔法を使えって話なんだけど、……いざ魔法を行使すると、術に不具合は無いのにノイズしか見えない。簡単に言うと『不発』に終わったのだ。
未来が確定していないから不発に終わったのか。それとも、不確定要素が多過ぎてハッキリと見えないのか。あるいは、他の要因が存在するのか。それでも突き刺される映像だけは見えたので、鎧の研究を行っていた。
詳しい事を調べる為には、更に魔法を使うしかないのだが、そんな事をしたらバカみたいな量の魔力を消費し、おまけに脳を酷使するので高熱を出してぶっ倒れる。そしたら、ヒース大佐に怒られる。次は拳骨では済まないだろうね。
なお、グーフォが何時ここにやって来るかも、魔法を使えば調べる事は可能だ。ただ、三日が経過してもやって来る気配が無いので、『ここから動かなければ来ない』と推測した。
五日が経過した事で、この推測が正しいと確信出来たので、鎧の研究を始めたのだ。
それでも、流石に二週間も放置されるとは思わなかったけどね。向こうもここまでの期間、動かないとは思っていなかっただろう。でも、自分が動かないから、グーフォは破壊活動を優先した。
優先するものが無くなったのならば、、時間的にそろそろやって来る頃合いだろう。
今朝、ヒース大佐から『それらしい施設が全滅した』と聞かされた。
今日か明日か判らないが、グーフォがやって来る。
やって来るのならば、こちらから迎え撃つべきだ。庁省が崩壊する事態だけは避けなくてはならない。
ギリギリだけど、鎧の展開が出来るようになった。
使用する武器は保有している。問題はどちらを使うかだけど、片方を使えば自ずと答えは得られる。少し考えて使用済みの方を選んだ。
使用済みならば、破損しても気にならない。何より、未使用品の存在を隠す事も出来る。使用済みが破壊されてから出せば、不意を衝く事も可能だ。流石に同じものを二振りも持っているとは思わないだろう。
グーフォに関する情報は欲しいけど、前々回に遭遇した時、万刃五剣に亀裂が入り危うく破壊されそうになった。運良く、亀裂は修理可能だったが、同じ幸運が二度も起きるとは限らない。魔喰いの大鎌『リッデル』もどこまで通用するか判らないから使わない。何気なく、壊れたら困るものだし。
故に、今回使う武器は『鍵の神剣』のみだ。
武器を決め、深呼吸を行い、集中力を高めてから未来視の魔法を発動させた。
今から四十八時間以内に、この部屋にいる事でグーフォが襲撃に来るのか確認する。
……四十八時間後は無い。何時、遭遇する?
前回、この魔法を使用した時は『遭遇時に起きる出来事を視る』事に集中していた。
今回のように、何時来るのかを調べる為に使っていない。
二度手間だけど、調べる条件を一つに絞らないと『色々と視え過ぎてしまう』のだ。可能性は無限大につき、ありとあらゆる可能性を視てしまう。
そうなっては情報の整理が大変だし、何より、高熱を出した状態で詳細を覚えるのは難しい。
七十二時間先まで視て、そこで止めた。
三日間の休息が得られるのならば、それで良い。
夕食時にやって来たヒース大佐に戦闘を行う場所を告げた。色々と言われると思ったが、被爆対策をしているのならば良いと許可が下りた。その代わりに、戦闘で海岸線が変形する可能性を考慮して、海沿いは避けるようにと言われた。
そして、三日間の休息を取った。
三日後の夜明け前。
自分は暗色のブラウスと膝丈のスカートに着替えて、こげ茶色のショートブーツを履き、上下に分割した黒いコートを羽織って庁省の屋上へ移動した。ヒース大佐とフルード大尉とスウィフト大尉の見送りは断った。
新しく作った回復用品と被爆対策用品の刻印機を身に付け、同じく新品の魔法具の金属製の銀色の簪で髪をお団子状に纏めて、自分は魔法を使って大陸北部へ向かった。