始まった社会人生活?
正式に内部調査室の所属となってから一ヶ月が経過した。毎日書類仕事をしている。
本当は、基本的な事を覚える為に『最初の一週間』だけ、書類仕事を行う予定だった。
だが、未整理の書類が想像以上に存在した。
その結果、スウィフト大尉が『書類整理の即戦力を取らないで』とヒース大佐に泣き付いた事もあり、自分は一ヶ月が経過しても書類仕事を行っている。
椅子に座ったまま、ただひたすら書類を捌く作業を何時間も行うのは慣れているから別に良いんだけど、別の仕事を覚える時間が無い。
代わりに、自分の隣の席で仕事をしているスウィフト大尉は非常にご機嫌だ。顔合わせ初日の終わり頃には、スウィフト大尉に抱き着かれて顔に頬擦りされた。
夕刻になり、再び生えて来たスウィフト大尉の頬髭が自分の頬に刺さり、正直に言うと痛かった。遠回しに『髭が刺さって痛い』とスウィフト大尉に言ったが、中々放してくれなかった。見かねたヒース大佐がスウィフト大尉を引き剥がしてくれたから良かったけど、翌日、髭が刺さった場所にニキビが出来てしまった。
刺激を受けるとニキビが出来やすいとは聞いたが、本当だったのか。
翌日の仕事帰りの途中で、ニキビ用の医薬化粧品を購入した。治るのに時間が掛かったよ。魔法を使って治さなかったのは、スウィフト大尉に『ニキビが出来るから頬擦りは止めて』と言う為だ。
実際にスウィフト大尉に面と向かって言ったら、ガーンって言う効果音付きで、もの凄いショックを受けていた。ヒース大佐もフルード大尉も、こればかりは自業自得だと、フォローしなかった。
そうそう。リリーヴァーの家名は目立つと言う事で、自分の呼び名は『リア』で固定になった。
そんな感じで鬱陶しい事が起きたりもしたが、現在は何事もなく平穏な日々を過ごしている。書類を捌く日々だけどね。
どれだけ書類整理を放置していたのか、スウィフト大尉と二人掛かりで整理をしているのに、一ヶ月が経過しても終わりが全く見えない。
遠方にいる人から送られて来る報告書の処理作業で、ヒース大佐とフルード大尉は他の作業が出来ない状況なので、自分とスウィフト大尉の二人でやるしかない。
現場の人数は足りているけど、事務員の手が足りていない、サービス業の零細企業みたいな状況だな。
お昼は食堂への移動時間を惜しんで、庁舎内で内部調査室に割り振られている部屋にまで送って貰っている。ここ一ヶ月――と言うか、正式に配属となってから、一度も食堂へ行っていない。
食堂のメニューは庁舎内のネット回線(?)を経由して選ぶ事が出来るのが、せめてもの救いだ。届く料理は出来立てで、食器類も回収してくれる。しかも、毎月一定の金額(給料から天引きされる)を支払えば、その都度の支払いが発生しない。
そして何より、昼食時間以外でも飲み物(当たり前だがお酒以外)と軽食類を届けてくれるのだ!
ほんっとうに、ありがたい。
下手をすると、朝食すらもこの部屋で取らなければ、日々の業務に影響が出る。
こんな仕事漬けの日々を送っていると、何日が経過したのか分からなくなる。
最初の一ヶ月は分かったけど、ふとカレンダーを見たら――すでに半年以上の月日が経過していた。
この調子だと、気づいたら一年が経過していそうだな。十日に一度の頻度でしか、休みを取っていないし。
しかし、報告書が大量に上がって来るのに、処理をする人間がたったの四人。
自分が配属される前はヒース大佐とスウィフト大尉の二人で処理をしていたらしい。
フルード大尉が処理の手伝いをするようになったのは、意外な事に割と最近だった。何年か前まで、自分がいた軍属の学校で教鞭を取っていたから、確かにここで仕事をするのは難しいな。
そして本当に、あっと言う間に一年が過ぎてしまった。
十日に一度の頻度で取得していた休暇は、気づけば一ヶ月に一度になった。
半年が経過した頃には、上から『労働基準法を守れ。残業を減らせ。五日に一度の頻度で休暇を取れ。有給休暇を消化しろ』と、注意勧告を受けるようになった。
この注意勧告に対して、ヒース大佐は『人員が増えない限り不可能だな。追加で二十人ぐらい欲しい』と真顔で言い放ち、その言葉を注意勧告への回答として上に提出した。それから半年が経過するが、一切の注意勧告を受けなくなった。
この環境に馴染んだ自分だが、最初の一ヶ月が過ぎた頃には服装にも無頓着となり、ヒース大佐から許可を取って『オフィスカジュアル』と言える服装――白いブラウスと黒い膝丈スカートにダークカラーのカーディガンを羽織り、パンプスを履いている――で毎日登庁している。
表に出るような職場では無い事を理由に、化粧はしていない。そんな時間があったら寝たいわ。
朝から晩まで十二時間も、椅子に座って書類と格闘している。
毎日これだけ仕事をやっても、書類が無くならない。どうなっているんだ?
スウィフト大尉が言うには、泊まり込みにならないだけマシらしい。
人員を増やしたくても、他のところに取られてしまうとかで、自分の配属は実に十年振りらしい。
「あ゛~、書類が、書類が消えない……」
日が完全に落ち星が瞬き始めるも、まだ宵の口と言える時間に、スウィフト大尉の嘆きが室内に響いた。その嘆きに対応するのは、ため息を吐いたヒース大佐だ。フルード大尉は耳栓をしている。
「はぁ……、トミー、嘆いていないで手を動かせ。寮に帰れるだけマシだろ」
「そうですけど、他の奴らは、一体何時になったら、報告書の書式を守るんですかね」
「そいつは本人に聞いても一生分らない究極の謎だな」
社会人として致命的な会話が聞こえた気がする。
書類仕事が難航している最大の原因が『書式が提出者によって違う』点なのだ。
こちらで書き直して提出者に確認を取る二度手間が発生している。この二度手間が無くなれば、仕事はもう少し楽だろう。ふと沸いた疑問をヒース大佐にぶつけてみる。
「ヒース大佐、学校で報告書の書式について教えないんですか?」
「教えているぞ。こいつらだけが散文を纏めた奴を報告書扱いしているだけだ」
「散文を報告書扱いしている人が、潜入調査を行っているのですか? 別の意味で問題有りません?」
「……何度言っても、直らないんだ。逆に、散文の方が報告書だと思われないと言い出す始末だ」
「そんな『痛恨の極み』みたいに言わなくても良いでしょう? そろそろ夕食の注文を行います。一緒に注文する方はいますか?」
夕食の注文すると言って、大人三人にも尋ねて纏めて注文する。
注文した夕食が届くまでの間に、目頭を揉んで新規で開発した刻印機(見た目はアイマスク)を使い短時間で眼精疲労を癒やす。大人三人にも配っているので、とやかく言われる心配は無い。
「本当に、便利な刻印機だな」
「俺、これが無いと目が死にます」
「あははは。大袈裟だなぁ」
三者三様にそんな事を言った大人三人は、アイマスクを付けて椅子の上で伸びている。夕食が届くまで、三人はそのまま伸びていた。