選択の果て
ドンドンと、何かを叩く音を聞いて目を覚ました。そう言えば眠ってしまったんだっけ?
目を擦ってから立ち上がり、ドア横のパネルを操作する。
『誰かいるんだろ! 開けろ!』
「どちら様?」
『子供!? いや、ウィリアム・フルードはそこにいるのか!?』
大音量で響いた低い声は、声音を考えると男性のものだった。しかし、『ウィリアム・フルード』とは、誰の事だ?
「ウィリアム・フルード? ビル・フルードの身内の方ですか?」
『違う! 何で知らな……そうか。あの阿保、この一ヶ月会いに行かなかっただけでなく、本名すら教えていなかったのか。ビル・フルードと言うのは、ウィリアム・フルードが軍属の学校に教官として潜入する際に使った名だ。ウィリアムの短縮形に『ビル』と言う名が存在するから、厳密には偽名ですら無いんだが、今は関係無い』
フルード教官の正しい名を今ここで初めて知った。ここまで色々と知っているのならフルード教官の仲間だと思うが、一応確認しよう。
「すみません。ドアの鍵を開ける為の解除コードを教えて下さい」
『解除コード? そんなものは存在しな――あっ!? ウィリアムが言っていた合言葉の事か! それならば聞いている。アーチボルト・ギレットで合っている、よな?』
合っているよと、心の中で頷いてからドアを開けた。
開いたドアの先には、色の濃い赤髪を刈り上げ、フルード教官と同じ服装の上に防弾チョッキを着込んだ長身の男性がいた。銃火器で武装しているが、全てホルスターに収められていた。男性の後ろには誰もいなかったので、ちょっと安心した。
「……この状況は、どうなっている?」
赤毛の男性が部屋の状況を見た第一声はこれだった。呆れているのが一発で解るが何も言わん。つーか、言えん。
名前を尋ねると、新たにやって来た男性は驚いた事にフルード教官の上官で、名前は『ディラン・ヒース』で、階級は大佐だった。襲撃者の鎮圧がほぼ完了したにも拘らず、連絡が取れなくなったフルード教官を探しに来たそうだ。
「しかし、良く無事だったな。ウィリアムに関してはその限りじゃないんだが、おめぇが無事で良かった」
ヒース大佐はアイスグリーンの瞳を細めて、自分の頭をわしゃわしゃと豪快に撫でた。慣れていないのが丸判りで、自分の頭を掴んで回るような感じだった。ヒース大佐を迎え入れ三人になった室内は手狭に感じないが、部屋のど真ん中で未だにフルード教官が眠ったままなので、足場に困る。フルード教官の手当ては済んでいると教えたら、そのまま目を覚ますまで放置になった。
自分とヒース大佐はベンチに並んで座り、互いに状況の説明を行う。本来ならば要求してはいけない事なんだけど、再度拉致されそうになった点を考えて、ダメもとでお願いした。嫌な顔をされると思ったが、ヒース大佐は『知っておいた方が良い』と現状以外の事も教えてくれた。
自分が目を付けられた理由。大人だけが知る自分の情報。そして、今後起きる確率が高い事。
機密情報も含まれていただろうに、ヒース大佐は全部教えてくれた。
全てを知って、肩の力が抜けた。
この世界に魔法は存在しない。だが、代わりとなるものが存在する。すっかり忘れていたが、原始魔刻印術なんてものが存在する。でもこれは、機械文明と融合しているので、無意識に魔法では無いと思い込んでいた。
しかし、何事にも例外と呼ぶものが存在する。
原始魔刻印術の使用にも例外が存在した。原始魔刻印術は『刻印機が無ければ使えない』が、魔刻印適性を持つ人間だけはこの法則から逃れる事が出来る。
最初は意味不明な原理に首を傾げたが、可能としていた人間達の共通点を知り納得した。自分も当て嵌まる。
意味、と言うよりも正しくは理由と言うべきか。
法則から逃れていた理由は、単純に例外無く、『転生者』と言う特殊な存在で、記憶を取り戻した『覚醒者』だったのだ。しかもただの覚醒者では無く、魔法もしくは魔術が使える存在だった。
要するに、『前世で使用していた魔法・魔術』をこの世界に存在する超常の力の『原始魔刻印術だと言い張って』堂々と使用していた。原理もへったくれも無い、何とも言えない無情な事実だった。
現実はともかく、この世界で魔法を使っても問題は無い。先達者達と同じように『原始魔刻印術だ』と言い張ってしまえば良い。
ちょっと前の、散々悩み倒したあの時間を返して欲しい。
知り得た情報を基礎に、己の中で推測を確定させる。
そして、教えてくれたお礼として、ヒース大佐に今日にまで残っている謎の回答を教えた。
「……」
ヒース大佐は神妙な顔になって黙り込んだ。けれども、十秒程度の時間が経過すれば立ち直った。ヒース大佐は立ち直るなり、フルード教官を見た。
「今の話が事実だとするのなら、こいつの手当ては……」
「魔法と呼ばれるものを使いました。負傷に関しては完全に癒えました。ですが、フルード教官が目を覚まさない理由だけは判りません。過労か何かとしか言えません」
「最近忙しかったから過労の可能性が高いな。しゃーない」
強めに揺さ振っても、フルード教官は未だに起きない。これまで、状況確認などを行ってフルード教官が起きるのを待ってた。けれど、『これ以上は待てない移動する』と決めたヒース大佐がフルード教官を毛布で包み、肩に担いで運ぶ事になった。
自分も一緒に移動する事になった。ただし、自分は杖無しで歩けない事を申告すると、フルード教官と一緒にヒース大佐に運んで貰う事になった。持ち上げられる寸前に魔法で体重を少し軽くした。他意は無い。少しは軽い方が良いだろうと言う判断だ。
運ばれながら振り返る。
短時間に、人生を左右する選択を迫られたり、全てを失う覚悟をしたりと、独りで深く悩んだ。
けれど、蓋を開けて見ればこの通り、何も失わずに済んだ。失うどころか、多くを知った。
失わずに済んだ事が良い事に繋がるのか、それだけは分からない。それに、この世界に残る意味もまだ見つかっていない。
『目の前の事を終わらせ続けていれば、何時かもう一度、やりたい事が見つかるさ』
記憶に残っている言葉が、不意に思考に流れた。
……本当にその言葉通りならば、どれだけ良いんだろうね。
そんな言葉が喉にまで出て来た。言葉を飲み込んだ直後、ヒース大佐に運ばれて到着した部屋で降ろされた。自力で立ち上がろうとしたけど、用意されていた車椅子に座らされた。その方が移動が速いって事か。
近くでは、医療スタッフの手で担架に乗せられて、どこかへ運ばれるフルード教官が見えた。ヒース大佐はあちこちに指示を出して、時々、通信機を使ってどこかとやり取りを行っている。
ヒース大佐の様子を見て、襲撃が終わった事を実感した。
自分も医療スタッフに車椅子を押されて移動となった。
このあと、丸一日も元いた病室に放置されてから、ヒース大佐と復活したフルード教官から事情聴取を受けた。
ヒース大佐から事前に情報を貰ったので、これまで隠していた事とあの部屋での事を、ありのまま話した。流石二人とも険しい顔をしていたけど、それなりに階級が上の人相手に隠す必要は無いと判断した。勿論、何か言われるようなら、二人の記憶を消して別の世界へ移動する事も考えての行動だ。
結論を言うと、二人には受け入れられた。最終的に自分の扱いをどうするのかは決まっていないと言っていた。決まっていないと言われたが、リハビリ生活が終わるまでに最終的な事を決めると、ヒース大佐は断言した。
事情聴取を終えてリハビリ生活に戻った。一度だけフルード教官が謝罪に来たけど、それ以外には何もなかった。
そして、一ヶ月後。
杖が無くとも移動可能になったところで、退院が決まり別の部屋へ移動となった。
その新しい部屋で、自分はこの世界の一般教養を始めとした『義務教育』を受けている。軍属の学校にいたが、ヒース大佐から知識不足を指摘されて再勉強となった。教師役はフルード教官だ。
再勉強を始めて数ヶ月後。フルード教官から学力の実力試しを勧められて、どこかの学校の入学試験を受けた。結果は合格だった。ギリギリだと思ったけど受かった。
でもね。
本当にその学校に通う事になるなんて聞いてないよ!!
ヒース大佐から入学予定の学校の制服を渡され、拒否権も無い事を教えられて肩を落とした。