リハビリ生活
目が覚めてからの日々は大変だった。特に移動と食事関係が。あ、シャワールーム(椅子付き)とトイレは併設されていたよ。
まず、重量軽減の魔法を己の体に掛けなければ歩いて移動出来ない。杖を使って移動しても、五歩も歩かない内に転ぶ始末だ。車椅子(電動)は使い方を一通り覚えたが、殆ど乗っていない。
食事も胃腸どころか消化器官系全体が弱まっているのか、固形物は食べられず、お粥みたいな軟らかい料理(薄味)しか食べられない。唯一の救いは、『飲み』薬が無い事か。一日に一度、約一時間で終わる点滴による投薬を受けている。飲み物も、ジュースはおろかお茶まで刺激物扱いされ禁止となった。その為、ここ一ヶ月間は水しか飲んでいない。
元の日常生活に戻るまでの道のりは長い。
もう魔法を使って治しちゃえよと、心の中の横着心が何度も囁いた。シャワーとトイレは魔法を使って利用しているんだから良いじゃないか、とも囁き声が聞こえた。
確かに治せなくはないが、今回行っているリハビリは体の機能を『元に戻す』と言うよりも、体の機能を『直しながら成長させる』と言った具合にやっている。忘れていた訳では無いが、自分の体はまだ『成長期』なのだ。
横着して魔法で治す(治療速度の促進を含む)と骨格レベルで体に影響が出かねないと判断して、魔法による治療を断念した。
毎日地道にリハビリ(車椅子を補助機代わりに使った歩行訓練)を続けて、一ヶ月後。遂に、杖を使えば転ばずに歩けるようになった。一ヶ月も経過すれば、少量だけだけど固形物も食べられるようになった。
でもね。
リハビリも点滴による投薬も全て『部屋から一歩も出ず』に行っている。
伸びた前髪も――鋏を借りてシャワールームで適当に切る予定だった。ここに来る看護師に『前髪を切りたいから鋏を借りたい』と言ったら、後日看護師がシャワールームで切ってくれた。
何が駄目なのか、外の様子を教えて貰う事すら出来ない。
魔法で室外を調べると、病院とは全く無縁の建物の地下室だった。一階から上の階層には『スーツを着た人間』しかおらんのだが、どうなってんの?
隔離病棟の方がまだマシだったな。窓越しでも外が見られるし。いい加減密室の外が見たい。看護師とリハビリ担当医以外に誰も来ない。
テレビを見て時間を潰そうにも限界がある。バラエティー番組が見れれば良かったんだが、ニュース番組しか視聴出来ないので三日もすると飽きてしまった。
リハビリ運動で時間を潰すにしても、限界がある。
仕方が無く最終手段として、過去の人生で入手した本を読む事にした。何かの暇潰しで読もうと思い、本棚ごと宝物庫に仕舞い込んだままの本だ。宝物庫内の整理を兼ねて、目録でも作るか。日中は誰が来るか分からないから、作業を行うのなら夜が最適だな。
こんな感じで、目を覚ましてから三日目には夜更かしまでしていた。日中のリハビリは手を抜かずにやっていたお陰で怪しまれる事も無かった。
仮に、寝不足で日中に眠気に襲われても、『体力が戻っていない』と判断されて、医者からは何も言われなかった。リハビリで動き回っているお陰だな。人間の体の筋肉の半分以上は下半身に集中している。つまり、筋肉を限界まで使い倒した疲労と見られている。アレだ。幼児が遊び疲れて眠ってしまうのと同じと思われている。真実は違うが、訂正する必要は無い。勘違いしてくれていた方が都合が良い。
けれども、一ヶ月が経過したところで、誤算が発生した。
本の冊数が思っていた以上に少なかった。目録を作るついでに本の内容を改めて読み返したが、有益なものは無かった。本に関しては目録を作って終わりになった。
次の暇潰しは武器の修理だ。今更になって思い出したが、あの時の戦いで駄目にした剣の存在を思い出した。剣の修理に時間は掛からなかった。また暇になった。
本音を言うと、新しい上着を作りたいんだよね。何時も羽織っていた黒コートには、簡易障壁を始めとした幾つもの機能を付与していた。その愛用の黒コートは手元に無い。あの時に無くしてしまった。予備は無い。新しく作るのならば、予備も作りたい。でも、基礎にする上着が無い。
新規装備の設計図を描くしか無いのか。
「……どうしよう」
一日に一度の点滴の時間。昨日までは横になってぼんやりとしていれば眠くなっていたんだけど、暇潰しのやる事が無くなり、昨日から夜更かしは止めていた。久し振りに消灯時間に眠りに就いたからか、リハビリで動き回ったのに眠気が来ない。
体力と筋肉が戻りつつあるのは良い事なんだけどね。
どうやって暇を潰すか。やっぱりテレビを見るしか選択肢は無いのか。
ぼんやりとしていた間に点滴の時間は終了した。起き上がったまま、点滴一式を手に去って行く看護師の女性を見送り、リモコンを手に取ってテレビを起動させる。
タイミング悪く、テレビ番組の内容はニュースですら無く、天気予報だった。外の季節はもうすぐ夏に突入するらしい。外に出られないから、夏を感じる事は無い。
この大陸にも、地球と同じ四季が存在する。
でも、地球の日本とは違い、気温の変化が乏しい。夏と言っても最高気温は『摂氏三十度』を超える程度にしか上昇しない。冬は寒くても『摂氏十度』を下回らない。一年を通して湿度は変わらず、カラッとした暑さ寒さが二ヶ月半程度続くだけだ。春と秋の気温は摂氏二十度前後を行き来する。
なお、日本のように花粉症患者を生み出す樹木は存在しないので、花粉症と呼ばれる病状そのものが存在しない。そもそも、花粉症はアレルギーの一種(簡易検査方法がアレルギー検査と同じやり方)に分類される。この大陸にも『花粉性のアレルギー』と呼ばれるものは存在するので、『花粉症』と言う単語が無いだけかな?
テレビのチャンネルをそのままにしておくと、天気予報から今月末に行われる予定の慰霊祭についてのニュースに変わった。
この大陸では戦争が何度も起きている。最後の戦争が終わったのは十六年前らしい。だが、番組で取り上げられている慰霊祭は一年前に起きたテロ事件のものだった。
慰霊祭に参加するテロ事件の被害者遺族女性が記者に向かって、一年前のテロ事件がどれ程恐ろしかったか涙ながらに語っている。
女性が語ったテロ事件を簡潔に纏めると、『刻印機を背負った獰猛な肉食動物が人の多い場所で暴れ回った』こんな感じか?
「それにしても、刻印機か」
刻印機を背負った肉食動物が暴れ回った。刻印機が絡んでいると言う事は、十中八九、その肉食獣は『刻印獣』と見て間違いない。刻印獣が暴れたのなら、どこかの犯罪組織が放ったとも取れる。極左テロ事件と報じられていないから、犯罪組織が何かの実験として行ったのか?
「判らないな」
情報が少ないから判らない。でも、判ったらどうするつもりなのか?
関与してどうする。碌に動けないこの体で、何をするつもりだ? 関与しても、意味は無いのに。
「あたしは何を考えているんだ」
自嘲してから、ベッドに身を倒した。
今の自分に出来る事も、やる事も無い。リハビリ以外で、考える事とやる事は何も無いっ。
「いや待て。あたしは何を喜んでいるんだ?」
考える事とやる事が無い。それを再認識しただけなのに、何で喜んだんだ?
「――ん?」
遠くから地響きが聞こえて来た。地響きと一緒に振動が何度も伝わった。
地震とは違うこの不規則な振動は、爆弾かしら?
何故か爆弾を思い浮かべた自分はベッドから降りた。出来る事ならシャワールームかトイレに行きたかったけど、移動時間を考えると、ここしかない。振動にふら付きながらもベッドに下へ移動して隠れる。
そのまま待ち続けていると、ドアの開閉音が聞こえて来た。ベッドの下から誰が来たのか確認する。
「リリーヴァー! って、あれ?」
やって来たのはフルード教官だった。自分がベッド上にいない事を確認して、室内を見回している。独りで来たのか、後続の入室者はいない。
「教官、ここです」
声を上げてからベッドの下より這い出て立ち上がる。フルード教官は慌てて自分に駆け寄り、ベッドの傍の壁面収納から一枚の毛布を取り出した。
壁面収納は青い某猫型ロボットのポケットか。内心でそんな突っ込みを入れていたら、フルード教官は毛布で棒立ちの自分を瞬く間に包んだ。それも、自分をキャンディー包みにするような包み方だった。視界を塞がれた自分が反応するよりも先に、フルード教官の肩に担がれた。
「走るから喋るな。状況の説明は移動しながら行う」
自分の返事は聞かんと言わんばかりに、フルード教官はその言葉を言い終えると同時に移動を始めた。走るにしても全力疾走しているのか、上下の揺れが激しい。
揺れが激しい中で、フルード教官から状況説明を受ける。
何でも、建物が自爆テロ紛いの襲撃を受けたそうだ。自分は自爆テロ紛いの襲撃を受ける建物の地下にいたのか。と言う事は、地上は州庁の建物なのか? 舌を噛むから何一つ、質問出来ない現状が残念だ。
地上が襲撃を受けて、どうして地下にいる自分が移動する事になったのかと言うと、簡単に言うと自分の安全確保の為だった。
現在、地下の避難所へ移動中です。地下室にいるのに、地下へ移動ってどうなの? やっぱり、『部屋を出るまで地上のどこかの建物に居た』と誤認させる為か。キャンディー包みも、移動経路を見られないようにする為かしら。
頭の中で現状について考えたけど、今の自分が能動的に動いても、良い結果は得られないだろう。今は大人しく運ばれよう。
暫くの間、フルード教官(他の呼び名を知らない)に担がれて移動した。移動途中、何度か爆発音と振動音を聞いた。地上での襲撃はまだ続いているようだ。
自分はどこをどう通っているのか分からないし、質問しようと思う気も起きなかった。
長い時間運ばれていたが、不意に降ろされた。相変わらず何も見えない。
「ここで待機していろ。何が起きても、ドアは開けるな」
「合言葉でも決めますか?」
「……古典的だが、有効そうだな」
開けるなと、念押しを受けたので、フルード教官に対して何となく提案したら受け入れられた。なお、合言葉は隣のクラスの元副担任の名前『アーチボルト・ギレット』で決まった。現在の副担任は違う人物に変更されている。その上、質問内容を『隣のクラスの副担任の担当者の名前』にしたので、確実に間違えるだろう。
合言葉が決まると、フルード教官は自分に杖を押し付けると、外からドアを閉めて去った。
自分は黙って見送ったが、魔法で周囲の様子を調べて時間を潰す事にした。