救助されて目を覚ますと
「ん、あー……あれ?」
再び意識を取り戻すと、今度は間接照明が淡く照らす天井が見えた。
知らない天井を見るシチュエーションは、これで三度目か?
それでも、三度目ともなればいい加減慣れるもので、慌てるよりも冷静に『ここはどこだ?』と疑問を抱く。
首を動かして左右を見れば、清潔そうな白いシーツが見えた。ゆっくりと身を起こせば、体には薄い掛布団が掛かっていた。着ていた服は白い服から、水色の入院患者用の服に変わっていた。自分が横になっていたベッドの左側には、点滴の懸下台が置いて在り、点滴袋が一つ吊り下げられていた。点滴の袋から伸びるチューブの先は自分の左二の腕の半ばに続いている。服の下を覗くと左肩を撃たれた時に出来た筈の傷痕が無くなっている。
続いて部屋を見回す。ベッドの右側にサイドチェストが在り、その上にはテレビのリモコンのようなものが置いて在った。その他は二つのスライドドアが在るだけなんだけど、元いた監禁部屋に比べると天井は低いものの、横と奥行きは二倍近くも広く感じる。
気を失ったあと、どうなったかは分からない。だが、点滴の袋に表記されている使用薬品を見て判る範囲だが、自分は眩暈関係の治療を受けている真っ最中だ。少なくとも、別のところへ『また攫われた』と言う事は無い筈。
サイドチェストの引き出しを上から順に開けて、何か入っていないか確認したが無かった。仕方が無く、リモコンを手に取り『電源』のボタンを押す。
すると、ベッドの右側では無く、正面に空中ディスプレイが投影された。投影されたディスプレイに映ったのはフルード教官だった。背景は加工されているのか、青一色だった。どこで撮影をしたのか『教えられない』って事か。リモコンをサイドチェストの上に戻して映像に集中する。
『この映像を撮影したのは、君を救助した翌日の夜だ。君が意識を失ったと聞いた時は吃驚したよ』
自分が意識を失ったのは、教官が再びどこかへ向かったあとの事だ。戻るなり意識があった救助者が倒れたと聞いたら驚くか。
『さて、リリーヴァ―。君が気絶した原因だけど、血液検査の結果、自己申告の投薬に混入していた違法薬物の後遺症と極度の疲労と診断された。暫くの間は、体内に残った違法薬物を体から排除を促す薬を投薬する事になった。完全排除に何日掛かるか分からないが、君が目を覚ますまでは点滴薬と一緒に投薬する。その後は様子を見ながらになる』
睡眠薬以外にも何か混ざっていそうだとは思っていたけど、違法薬物が入っていたのか。
この大陸の違法薬物と言うのは、地球で言うところの『麻薬』に近いが、大雑把に麻酔と睡眠薬以外の『人体に投薬すると異常を来たす薬物全般』とされている。無論、『合法麻薬』も存在するが、治療以外での使用は禁じられている。医者でも治療以外の目的で投薬すると罪に問われる。
『言い忘れていたが、この映像が再生されると私のところに再生通知が来るように設定した。その部屋に向かうのが私になるか分からないが、人が来るまでベッドから降りて室内を歩き回るな。ベッドの上で大人しくしていろ。この映像を撮影中の君は、集中治療用のカプセル内で治療を受けている真っ最中で、治療が終わるまで最低でも三日の時間を要すると聞いた。鈍った体では転倒する可能性が高い。大人しくしていなさい』
フルード教官はしつこく念押しをしてから映像の撮影を終わらせたのか、ディスプレイの投影も終了した。
それにしても、信じがたい事が幾つか在った。
知らない間に麻薬漬けにされていた。治療に何日掛かるか不明で、投薬は今後も続ける。しかも、集中治療用のカプセル――意識の無い人間の治療とお世話を機械で行うカプセルベッド型の医療機械の事だ――に最低でも三日はいた。そして、鈍った体で歩き回ると転倒の恐れがある?
「……マジかー」
言葉が出て来ない。状況変わり過ぎ。腕を組んで唸り、この状況を一言で纏めると何になるか考える。
「救助されたんだから、いっか」
思考を放棄しているようだけど、下手に悩んで深みに嵌まるよりは、マシだ。
救助された。監禁部屋から助け出された。それで良くない? そんな言葉がストンと落ちて来た。
「良いよね。それで」
己の言葉で上手く完結出来たからか、軽く眠気がやって来た。
体をベッドに横たえて、額に右腕を乗せたところで、今更になって手首に着いていたものが無くなっている事に気づく。白い痕が残っているけど、左腕にも着いていた枷が無くなっていた。横になったまま足を動かして確認すると、両足首にも無い。
胸に右手を当てて魔力の確認を行う。魔力の流れに異常は無いが、魔力量が大分減ったままだった。それでも、監禁部屋にいた頃に比べれば多少は回復している。
「完全回復するまで大人しくするか」
救助されたのならば、今は回復に専念しよう。幸いにも現状を教えてくれる誰かが来るみたいだし。聞きたい事はその人に聞けばいい。
当面の事を決めて、ウトウトしていたら、電子音が小さく鳴り響いた。眠気が飛ぶ程の音量ではないが、電子音に続いてスライドドアが静かに開き、一拍置いて聞こえて来た静かな足音に続いて荒々しい足音が聞こえて来たので、眠気が完全に飛んだ。
再び起き上がろうとしたが、看護師らしき女性を伴った、医者らしい白衣を羽織った男性に止められた。その二人の後ろには、肩で息をしているスーツ姿のフルード教官がいた。
サイドチェストの傍に歩み寄った男性は、リモコンを手に取りボタンを押した。同時にベッドが動いた。昇降機能付きのベッドだったのか。ベッドの半分が動き、自分が起き上がっているのと同じ体勢になる途中で、女性が点滴袋に近づいた。点滴袋を手に取り、薬液の残量とチューブに落ちる速度を確認している。遮光袋なのか、薬液の残量は自分の位置からは見えなかったが、女性が言うにはもうすぐ終わるそうだ。それを聞いた医者は点滴を外すように指示を出す。
……薬液が全てチューブに流れて、血管への流れが止まりそのままにすると、今度は血液がチューブに逆流するんだよね。点滴を初めて受けた時に、チューブに血液が逆流していたのを見て吃驚したっけ。
女性が自分の腕から点滴の針を外す様子を見ながらそんな事を思い出した。そして点滴用の針は細いのか。地球だったら、注射をしたら必ず小さいコットン付きの絆創膏のようなものを注射痕に貼り、『数分間、指で押さえて下さい』と言われるものだが、女性からは何も言われず絆創膏のようなものも貼らずに終わった。
点滴一式を持った女性が懸下台(車輪付きだった)を引いて退出した。
女性がいなくなったところで、ずっと無言だった男性からの診察が始まった。
手首で脈拍を取り異常が無い事を確認してから、問診と触診を受ける。これと言った体の異常は無いので、問診には正直に答えた。
診察結果は、数日前の血液検査では貧血と栄養失調(共に軽度)だったが、多少の改善の兆し『有り』だった。貧血具合は下瞼で大雑把に判るけど、栄養失調はどうやって判断したんだろう? 点滴薬に改善薬でも入れていたのか? 眩暈の症状が収まっているから良いんだけど。
診察の次は自分の体の状態についての説明だったが、男性はこれからの説明に関係無いのか、フルード教官が口を開く前に退出した。
フルード教官はベッドの端に腰を下ろし、自分が気絶した日から、今日に至るまでの説明を受けた。
自分が気絶し、色々と終わったあと。州が保有する軍病院に搬送された。通常の病院ではなく軍病院に搬送された理由は、自分が軍学校に所属していた事と、今回の事は『表沙汰に出来ない』からだそうだ。
銃撃を受けた左肩は止血をする前に銃弾を取り除いていた事も在り、集中治療カプセル内での治療で完治した。この時の治療中の流血は血液検査用に採取した。血液検査の結果、中度の貧血と軽度の栄養失調に加えて、数多の違法薬物が検出された。
検出された違法薬物の中には『材料が存在しない為、現在では生産不可能』とされていたものの名前まで在った事で、一時大騒ぎになったらしい。当然のように治療薬は存在せず、体外への排出を促す薬の投薬による治療を行う事になった。だが、この治療方法では完全排出には時間が掛かる。その為カプセルから出ても、最低でも二ヶ月はこの投薬を受け続ける。
ちなみに治療カプセル内にいた時間は、ある程度の違法薬物の体外排出が終わるまでとなった為、当初の予定よりも延びたらしい。延びた結果、二ヶ月も治療カプセル内で、治療を受ける事になった。
そして昨日の深夜、体内に残っている違法薬物の八割以上の排出が確認された為、この部屋に移動となった。
「アレから二ヶ月も経過しているんですか?」
違法薬物云々よりも、二ヶ月も経過していた事に驚く。『驚くのが逆だ』と突っ込みを受けかねないが、体内に残った違法薬物の八割以上の排出が終わっているのならば、残りは魔法でどうにかしてしまえる。
「そうだ。私が治療期間の延長の知らせを聞いたのは、ビデオメッセージの撮影を行った翌日だ。運び込まれた当初は三日程度だと聞いていたんだが、血液検査の結果、急遽延長となった。後始末に追われて、撮影をやり直す時間が取れないから、映像はそのまま残したんだ」
撮影のやり直しが出来ない程に、後始末に追われていたのか。二ヶ月も時間があれば、十分程度でも時間の確保は出来そうなのにそれすらも出来なかった、と。
思わず我が耳を疑って、フルード教官を二度見してしまった。
「悪いが事実だ。君が乗っていた車が爆破されたあの日から、既に一年近い時間が経過している」
「え゛!?」
一年? この大陸の一年間の日数は地球とほぼ同じだから――じゃなくて、二ヶ月間は治療を受けていたから、十ヶ月も行方不明状態だったのか!?
「覚えている範囲で良い。車が爆破された日から、何が起きたのか教えてくれ」
「分かりました」
自分の知らない情報が聞けるかもしれない。そう判断して、覚えている範囲なお且つ、誤魔化しが効く範囲で、あの日からの事を話す。説明の合間に何度も、質問と修正情報が入ったので、思っていた以上に長くなった。でも、自分が抱いた疑問も解消されたので良しとする。
長々と続いた説明はフルード教官と再会したところで終わりとなった。
フルード教官は自分の説明を聞き終えると、腕を組んで黙り込んだ。情報の咀嚼を行っているんだろうね。
自分も一気に大量の情報が齎されたので困っている。
知らない間に一年も経過していたのだ。睡眠薬で眠らされていた時間は思っていた以上に長かった、と言う事か。体感的には一ヶ月程度なんだけど。
一度、救助までの時系列を確認しよう。
車が爆破されてから二十日後、自分の居場所が判明した。本当はもう少し早くに見つける予定だったらしいが、ジャミング系の妨害に遭い、時間が掛かったとの事。
五日の準備期間を得て救助隊が出た。ここまでで二十五日が経過している。
救助隊は出たが、自分が自力で脱出を考えて動き回った為、確保に失敗。更に、目的地に別の犯罪組織が襲撃を仕掛けていたから、鎮圧に時間が掛かった。
ここから一ヶ月が経過しても見つからず、捜索は難航した。
ここまでで、二ヶ月近い時間が経過している。
ここから更に二ヶ月が経過し、幾つかの自分の居場所の候補が見つかった。
六ヶ月掛けてやたらと多い候補を絞りつつ、犯罪組織の拠点を潰して回り、救助隊が再び出動した。
救助後。軍病院に搬送され、二ヶ月間も治療カプセル内にいた。
昨日の深夜にこの個室に来た。
色々と突っ込みを入れたいんだけど、予定が狂った最大の原因は『自分が脱出を試みた』事だ。『勝手に動き回った結果、丸々一年が無為に流れた』って事になる。
途中、どこかで待っていれば良かったのだ。身を隠す場所は探したけど見つからず、脱出艇を見つけたけど、そこで顔見知りがやって来てしまった。顔見知りを無視して脱出すれば良かったのにと思わなくも無い。だがフルード教官の説明を聞くに、魚雷を搭載した船が海上で待機していたらしい。
行動が裏目に出過ぎぃ、と聞かされた時は内心で突っ込みを入れたが、結果的を見ると海の藻屑になる事だけは避けられた。『紙一重だ』と感想を抱いた。ならば、保管庫らしきあの部屋に籠城すれば良かったのかと思ったが、これまた駄目らしい。
建物を襲撃した連中の目的は、自分がいた水中保管施設だった。救助隊の到着も遅かったらしい。と言う事は、あのまま容器内に居ても駄目だったと言う事になる。どうしようもないなと、思ったところで気づいた。
……あれ? 予定が狂った原因、自分じゃなくね?
どう動いても詰んでいる。何で『自分が原因だ』と思ったんだ?
顎に右手を添えた時、右手首が視界に入った。拳を握ると感触を感じる事が出来る。そこで、一つだけ教えられていない事を思い出す。
「フルード教官。質問しても良いですか?」
「ん? 何が気になるんだい?」
「両手首と両足首に枷らしきものが着いていたのですが、どうやって外したんですか?」
「それか。君が気絶している間に、専用の器具を使って外した。痕は時間の経過と共に少しずつ薄くなる。心配はしなくても良い」
「痕は良いんですけど、あの枷が着いていた間、痛覚と触覚に異常が出ていましたが……」
「……ああ、そう言う事か。あの枷は特定の違法薬物の効果を増幅させる特殊な刻印機だ。二十年ぐらい前まで使われていた骨董品で、効果を増幅させる違法薬物の生産も同じ頃に止まっていた。どう言う訳か、それが使われていたんだ。治療薬も残っていない代物だったから、治療に随分と時間が掛かった」
刻印機。授業で習った記憶が確かなら『原始魔刻印を刻んだ機械』だった筈。
あの枷が大気中の魔素(もしくは装着者の魔力)で稼働する刻印機だったとするならば、自分の魔力の大半が無くなっていたのは『抜き取られていた』のではなく、あの枷の『動力源として使われていた』のか。燃費悪い。悪過ぎるが、何か引っかかるな。魔力回復速度も遅いし。二ヶ月も時間が有れば完全に回復するのに。
そもそも、どうして自分が囮にされたんだ?
気になった事を尋ねようと口を開いたところで、フルード教官が立ち上がった。
「色々と気になるだろうが、今はゆっくりと休め。明日から体の機能を回復させるリハビリが始まる予定だ」
予定だ、じゃないんだけど。つーかリハビリって、転倒の恐れがあるから動くなとか言っていなかった?
「あの、室内は動き回っても良いんですか?」
「転ばない自信が有るのなら構わないが、杖か車椅子を使え。それと、まだどうなるか分からないから、部屋からは絶対に出るな。一応テレビ番組が見れるから、暇は潰せるぞ」
そう言ってからフルード教官はリモコンを手に取りボタンを押して、実際に操作して見せた。ビデオメッセージと同じく、空中ディスプレイが正面に投影されてテレビ番組が映し出された。ただし、ニュース番組だった。空中ディスプレイの左上に『十七時二十七分』と時刻が表示されていた。
この世界に来てからテレビ番組を見る機会は無かったので、興味が有る。すぐに消されたが、あとでもう一度見よう。
続いて、フルード教官は壁面収納(一見するとただの壁)から手際よく杖(松葉杖に似ている)と座る部分が半分に折り畳まれた車椅子を取り出した。杖はサイドチェストの取っ掛かりに立て掛けられた。車椅子は畳まれていた座席部分を広げてベッドの傍に置かれた。
それにしても、ここは隔離病棟の一室なのか? フルード教官から何度も『部屋から出るな』と念を押すし。テレビ以外にも色々と注意事項を言い聞かされた。
フルード教官は自分に幾つかの注意事項を聞かせ終えると、自分にリモコンを手渡してから『仕事が残っている』と言って退室した。
静かに開閉するスライドドアの向こうへ消えたフルード教官を見送った。壁が分厚いのか、廊下からの音が一切聞こえない。
ま、ここが隔離病棟なのかどうかは調べれば判る事だから、気にする必要は無い。
リモコンを操作してベッドを元に戻して、天井を眺める。
「しかし、一年も経ったのか」
一年は長いようで短いと言うけど、眠らされてばかりだった自分からすると本当に短い。自分の捜索を行っていたフルード教官達からすると長かっただろう。
……これからどうしよう? 完全に回復するまでは大人しくするとして、そのあとは、どうする?
縛りプレイで脱出とか考えていたけど、状況が二転三転した今改めて考えた方が良い。
起き上がってベッドから降りた。だが、足の筋肉が衰えているのか、杖無しで歩くのが難しかった。大人しくベッドに戻る。
「……テレビを見るか」
テレビを見るのは色んな意味で久し振りだ。学校の寮にも無かった。どんな番組が放送されているのか知らないけど、ざっと見て、情報収集をしよう。
再びリモコンを手に取り、ボタンを押した。
ちなみにだけど、テレビは州営放送の番組しか見れなかった。無念。
点滴の逆流云々は、作者が一泊入院した際に体験しました。手術後だったのでギョッとしました。