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呼んでいないのに来る男は無視

 軽食のおよそ半分ほどを食べ、鑑定(鑑定プレート無しで使用出来るようにしておいて良かった)で体調を確認しながら一息吐いていると、ドタトタと廊下から騒がしい音が聞こえて来た。音が部屋の前で収まると、ドアがノックもされずに開いた。

 やって来た人物に思わず眉を顰める。

 ドアを開け放ったまま立つのは、紺色の髪に緑色の瞳の青年。この髪と瞳の色彩は王家特有だ。この色を持たないと王位継承権が得られないとかそう言う事は無い。継承権を持つのは男子だけだ。降嫁した王女が嫁ぎ先で子供を成してもこの色は受け継がれないので、妙に神聖視されている。そのせいで、稀に先祖返りでこの色彩を持った子供が生まれると王家に引き取られる事も暫しあった。

 それはともかく。

 走って来たのか、肩で息をする青年を眺める。男爵に臣籍降下予定の、エルノ・ニスカヴァーラ元王太子が一体何用でやって来たのか。

 まさかだが、一方的に婚約破棄を宣言しておきながら、王太子でありたいと言う理由でやり直したいと迫って来ないよね? 

 そんな身勝手な事を吐きに来たのなら追い返すか。いや、戯言を聞く前に追い返そう。

 立ち上がって一礼する。嫌味に聞こえないように言葉を選ぶ。

「お久しぶりです。ノックもせずに婚約破棄した女の部屋に入るとは、いかがなさいましたか、男爵」

 肩をギクリと動かし、元王太子は息を飲んだ。反応を見るに、こっちが何も知らないと思ってやって来たか。バカ? 馬鹿? いや、莫迦か。まだ男爵になっていないのに『男爵呼び』したにも拘らず無反応だった。

 返事はない。思わず冷めた目で見てしまう。

 ……そう言えば、シュルヴィアもこの男をこうやって眺めていたね。

 シュルヴィアはこの男を好いていなかった。それはこの男も同じだった。好かない女が婚約者である事が苦痛だったのか、『公爵家の威光を使って婚約者の座に納まった』、『位階を理由に婚約者になりたいと我が儘を言った』などとこちらに非が有るような言動が多かった。

 婚約に関しては、位階を理由に王家からの命令で決まったものだ。それはしつこく聞かされた筈なのに、よくこんな事が言えるな。余りのしつこさに、実際は逆と思い込んだのかもしれないが。

 と言うか、シュルヴィアはこいつとの婚約を嫌がったんだよね。嫌だと両親に縋り付いたら、罰として手足を縛られて鞭で全身を叩かれた。服で隠れているが、未だに全身に折檻などの傷跡が大量に残っている。着替えを手伝ってくれた女官も眉を顰めていた。傷跡は時間が有る時に魔法で消すか。

 何を思い出しても良い事が一つも無い。互いに好いていない相手との婚約の果てに、こんな状況になった。

 息が整ったにも拘らず、男は何も喋らない。無駄に時間が過ぎる。いい加減、追い出すか。

 わざとらしくため息を吐くと、やや俯いて男が漸く喋った。

「シュルヴィア嬢」

 おや? 記憶ではいつも『ヴァルタリ嬢』と呼んでいた。一度も名前で呼んでもらった事はない。何が起きた? まさか、本当にやり直したいとかほざきに来たのか?

「君は、私との婚約をどう思っていた?」

「嫌でした。両親に泣いて嫌と縋り付きました。その後罰として、手足を縛られて、足腰立たなくなるまで、鞭で顔まで叩かれました」

 馬鹿げた質問に即答すれば、男は唇を噛んだ。拳を握って、再び黙り込んだ。

 何をしに来たんだろう? 腹が立って来た。シュルヴィアはもういないのだ。代わりに思いを言う程度はやっておこう。

「嫌っていた相手に、今更、何用で来られたのですか? 貴方との婚約のせいで、私は数多のものを捨てさせられた。何を成しても、褒める価値がないと貶されて、暴力を振るわれた。家族は私を道具として扱った。一度も家族として扱われた事も、情も向けられなかった。家の為だと毎日暴力を振るわれて、貴方に身勝手な理由で捨てられた。王太子の責務よりも、嫌っていた婚約者よりも、甘やかされた妹を選びましたよね?」

 シュルヴィアの過去を思い出す。苦痛に満ちた思い出ばかりで、喜びと言った思い出はない。男の縋るような視線を無視して、言葉を紡ぐ。

「私との婚約を破棄したら廃嫡になると、七年前に共に説明を受けましたよね? それを忘れて、婚約破棄を宣言したのはそちらでしょう。今更縋り付かないで下さい。私は貴方とはもう無関係です。一度も私は婚約者として扱われなかったのですから」

 今後も扱わないでしょうねと、暗に復縁はないと言えば、口を引き結んだ。やっぱり復縁狙いだったか。何が何でも阻止しないと。

「用がないならお引き取り下さい」

 帰れと言って、顔を背ける。しかし、男が聞き取れない程に小さく何かを呟いたので、再び見たくもない顔を見る。

「サンドラの……」

 寝取り女の妹がどうした? 首を傾げて続きの言葉を待つ。血の気が徐々になくなって行く青い顔で男は絞り出すように続きの言葉を吐いた。

「サンドラの身元調査で、君と異父妹で有る事が判明した。弟君も同じらしい」

「……」

 絶句し、同時に、二人に『姉のせいで、父に似ていないと陰口を叩かれた』と意味不明な事で責め立てられた過去を思い出した。これ、事実だったんだね。

 シュルヴィアが原因ではないと判明したのは良い事だ。だが、この場合原因は、母親になるだろう。

 シュルヴィアの父親はヴァルタリ侯爵だと、言ってから続ける。

「侯爵は怒り狂い、夫人を問い詰めて全て白状させたあとに離縁を申し出た」

 それはそうだろう。血の繋がってない子供を気にかける程、甘い父ではない。母と一緒に放逐して、母の実家であるホスティラ家に賠償金の請求とかやりそうだ。何せ、爵位が下がった原因は『そもそも血の繋がりすらなかった娘』サンドラの不正にあるのだ。

 ホスティラ家の現当主である、母の兄は厳しく、爵位にも妙な拘りを持っていた。両親の結婚もホスティラ侯爵が無理を言って押し通したもの。やっぱり賠賞金問題になりそう。でも、押し切られた原因は父の散財で借金が増えたからだよな。あれ? 自業自得か。

 いや、母は術の才がない事から『婚姻の駒以外に価値がない』と親兄弟から蔑まれていた――これが母からの冷遇の元だったな。

「夫人は、婚姻してから五年経つにもかかわらず子供が出来ない事について悩み、離縁まで匂わされて、とある男性に相談していたらしい。君が生まれた時も『男じゃないのか』と侯爵に落胆された事から、出産後もその男性に相談を続けたそうだ。気晴らしにと差し出された酒を飲んで酔っ払い、意識が曖昧のまま一夜を共にし身籠った。焦った夫人は腹の子を侯爵の子と認識させる為、酒を飲ませて状況を仕立て上げた。これが上手く行った為、その数年後、別の男性の子を身籠った時も同じ手口で、侯爵を納得させた。男子が生まれたから侯爵はどうでもよくなったのかもしれないが」

 ……父が原因じゃねーか。

 そもそも何で、今になってこんな事を説明に来たんだ?

 思わずまじまじと男の顔を見つめ――何となく解かった。

 知ろうともしなかった事を知って、身勝手な行動を取った事を後悔しているんだな。復縁は無いが。

「今になって私にそのような事を言って、どうするおつもりだったのですか? まさか、サンドラと別れたとでも?」

「……その通りだ」

 やや沈黙の後に、肯定が返って来た。

 呆れる。やり直せると本気で思っているのだろうが、何故、無意識にこっちを見下すような奴に譲歩せねばならん。

 そもそも、こいつと婚約者らしい事なんてした事がない。何も始まっていない。始まっていないのだからやり直しは出来ないし、こんな男ともう一度始めるとか論外だ。

 男の背後に、同じ色の髪と瞳を持った男を四歳ほど幼くした少年がやって来た。音も無く男の後ろに立ち、こちらを見て邪悪な笑みを浮かべている。一応だが、この少年とシュルヴィアは既知の間柄だ。

 頭痛がして来る。軽く息を吐いてから、拒絶の言葉を告げる。

「随分と身勝手ですね。……身勝手な理由で捨てられた人間は、身勝手な理由で捨てた人間を許しませんよ」

「そうだろうね。どうして兄上はそんな事が分からないんだい?」

「っ!?」

 自分の言葉を肯定するように、少年は口を挟んで来た。男は驚いて後ろに振り返る。どうやら気づいていなかったらしい。

「レイノ……」

 少年――レイノ第三王子は、人好きのする笑顔を浮かべて、反論は許さないという妙な気迫を持って、兄に問いかける。

「やぁ、兄上。この部屋には行くなと母上から言い渡されていたのに、どうしているのですか?」

「それ、は」

「シュルヴィア嬢の迷惑だからさ、別の部屋に行こうよ。お茶の準備は済ませてあるから大丈夫だよ。騒がせてごめんね、シュルヴィア嬢。お詫びに責任を持って回収するよ。――行こう、兄上。母上も話が聞きたいってさ」

 こちらの応えを聞かずに、第三王子は兄を回収して行った。ドアが閉まる直前、数名の近衛騎士が兄を取り囲んだところが見えた。

 王妃直々のお叱りか。しっかり受けろ。二度と来なくていいから。

 それだけ思うと、ソファーに腰を下ろした。



 軽食と一緒に出された飲料――柑橘の果実水をコップに注いで飲み干すと少し落ち着いた。現状の整理、と言うか確認をしよう。紙に書き出したい程に、大量の情報がやって来てちょっと頭痛がする。

 紙と筆記用具はないかと探したがなかった。仕方なく、宝物庫から道具入れを取り出し、道具入れ内にある紙とペンとインクを取り出し、テーブルの空きスペースに並べる。

 まずは、シュルヴィアとしての自分の状況。

 次に、実家の状況。

 その次に、王家との関係状況。

 最後に今後について。

 この順で良いだろう。

「さて、書くか」

 シュルヴィアとしての自分について、箇条書きにする。


 ・王太子からの婚約破棄後、自殺を敢行。シュルヴィアとしての人格消失。菊理の人格目覚める。

 ・王室有責として、正式に婚約解消。

 ・次期王太子を決める為の試験官に起用、王城滞在決定。


 次は、実家であるヴァルタリ家の状況。


 ・夫妻妹弟の四名と使用人による、長女冷遇と虐待を確認。全員王都の屋敷に蟄居。

 ・サンドラの不正に関与していた為、爵位降格済み、領地没収。

 ・サンドラ本人の処遇は、位階剝奪、再受験資格の永久剥奪、辺境にて十年間の奉仕活動。

 ・身元調査で次女と長男の父親が、ヴァルタリ侯爵でない事が判明。

 ・夫人の浮気が判明。離縁を言い渡される。


 そして、王家との関係状況か。


 ・王太子廃嫡。臣籍降下決定。十年間の奉仕活動後に、跡継ぎの不在の男爵家に養子入り。

 ・王太子付き側近、女官、近衛騎士は王太子妃への不敬罪で処罰が下る。

 ・派閥争い激化を防ぐ為、一年間の試験期間を設けて、次期王太子を決める。

 ・シュルヴィアは試験官の一人に起用。


 最後に、今後。


 ・一年間、試験官を務める。その間王城に滞在。

 ・出題予定課題。

  執務業務を三ヶ月間毎日山のように振り、不眠不休の激務に耐えられるか、どんな時でも冷静な判断が下せるかのチェック。

  ついでに色んな部署の仕事を手伝わせて、全体の把握と繋がり、仕事の割り振り方、部署同士の調整の仕方を実体験で教える。

 ・最終目標は出国。


 筆記用具を道具入れに仕舞い、書きだした項目に漏れが無いか確認する。最後の一文は忘れる事のない目標だが、書いた方が気合が入る。

「こんなところか」

 書き出してみると結構な情報量だと、残りの軽食を口に運びながら思い、一年後にどうなるかと考えてしまう。

 心配の種は尽きない。

 王太子の婚約者が王城で執務を行う程に執務が滞っている状況で、この国から離れる事が出来るのだろうか。

 実家は黙っているのだろうか。今になって縋り付いて来ないか。

 王家は今後、自分に干渉してこないか。

「はぁ……」

 いかんいかん。

 悪い展開ばかり思いついてしまう。悪い癖だと思うが、現実味が強い。

 軽食の最後の一口を口に運び、果実水を飲む。

 あれこれ悪い想像をしても、所詮は『あり得るかもしれない』と言う仮定の話だ。

 明日の事は明日にならなければ分からないのと同じで、今悩んでも仕方がない。

 思考を遮るように、ドアがノックされた。紙を道具入れに仕舞い、道具入れを宝物庫に仕舞ってから返事を返すと、先ほどの女官が入室して来た。やって来て早々、元婚約者の事について尋ねられたが、第三王子が引き取って行ったと言えば、何も聞いて来ない。

 もう少し経ったら宮廷医師が診察でやって来ると、女官は今後の予定を告げると軽食の皿を下げて退出した。

 再び一人になって思う。医師の診察か。何用で来るのか。シュルヴィアは最期に自分の胸に氷の剣を突き立てたから、傷の状態の確認だろう。

 一人納得していると、再びノック音が響く。もうやって来たのか。返事を返すと、女官が白衣を着た壮年の男を連れてやって来た。

 白衣の男には見覚えがある。国王専属の侍医だった筈だ。

 普通の宮廷医師で良いと思うのだが、正妃と側妃の間で何か有ったかもしれない。

 黙って診察を受け――ここまで回復したのならば問題はないと評価を貰う。

 医師は女官と共に去り一人になる。

 怒涛の展開が続いた数時間を思い出すと頭痛がして来た。窓を開けて換気をする。

 空を見ると日は既に沈み始めていた。空は暗くなり始め、空気も冷たくなっている。

 自分の感覚では日の沈みが早いように思える。しかし、シュルヴィアとしての感覚だと当然と判断する。

 この国の位置の緯度が高いのか、今の時期の日照時間は八時間程度だ。

 秋の日は釣瓶落とし、そんな言葉を連想するほどに日暮れは早く、暫し窓枠に頬杖をついて空を眺めていると、一番星が見えて来た。

 流石に冷えて来たので、窓とカーテンを閉め、部屋の明かりを点ける。

 不意に、今何時だろうと思い、部屋に時計がない事に気付き――思い出す。この国、と言うか、この世界に時計はない。三時間毎に時間塔の鐘が鳴るので、これで時刻を判断する。ただ、この国は朝と夜の気温差が激しいので窓ガラスが鐘の音を遮音する程に厚い。

 目覚めてから鐘の音は聞いていないので、現在時刻は不明だ。

 ソファーに腰を下ろしながら、菊理としての感覚とシュルヴィアとしての感覚の『ズレ』を確認し、自分はまた転生したんだなと実感が湧く。

 天井を仰いでため息を吐き、取り合えず、次の予定である夕食について考える事にした。


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