脱出したけど、更に一難待っていた
容器の群れを観察しながら歩く。結構な距離を歩いているが、延々と代わり映えの無い光景が続くので、時間と方向感覚が狂う。時々、透視と千里眼を併用して出入り口の方角を確認しながら歩く。
ひたひたと、己の足音だけが聞こえる静寂な空間だったが、容器に変化が訪れた。
容器が一気に巨大化した。巨大と言っても全高が見上げる程に大きいから、そう見えるだけかもしれない。念の為に調べると、自分が入れられていた容器と変わりないが、ネームプレートだけが付けられていた。ネームプレートには『刻印獣・獅子型』と刻まれている。
刻まれている文字を見て自分は眉根を寄せた。
授業内容が正しいのならば、戦時下で作られ、現在違法となっているキメラだった筈。何故それがこんなところに存在するのか。いや、この容器全てがそうなのか。
もしかしてだけど、ここは犯罪組織が抱えている研究施設なのか?
そこまで思考を回したが、未だに反応が無い一点だけが気になる。容器を破壊した時点で、警報が鳴っても不思議では無いのだが、巡回用のロボットはおろか、誰も来ない。何かトラブルが起きたのか、それともここは保管用の無人施設なのか。
……いや、今はどちらでも良いか。
自分をここへ連れて来た連中の思惑はどうでも良い。今はここから脱出する事だけを考えよう。
行動の方針を決めて、出入り口を目指して移動を始めた。だが、出入り口だと思っていた場所は、緊急時用の装備の保管部屋のドアだった。見事に空ぶったが、ドアを開けて保管部屋に入り、置いて在るものを物色する。
保管庫内は思っていた以上に広かった。長期保管用の水と食料だけでなく、何故か浴場やトイレにカプセルホテルのような就寝場所までもが設置されていた。それ以外にも換気扇や酸素ボンベ空調管理機に通信設備と、まるで『ここでの生活を前提とした』かのような設備が存在する。
設備の意味を考えて、保管庫の外を思い出し、慌ててドアを閉めてロックを掛ける。
どう考えても、刻印獣が暴れた時に籠城する為のものだ。籠城と言う単語を連想し、保管庫の向こう側を透視で恐る恐る見る。そして、壁の向こう側を見て絶句した。
分厚い壁の向こうは、光の柱が揺らめき、魚の泳ぐ光景が広がっていた。上方を見ると、波で揺らめく水面――いや、魚がいるから海か。授業で聞いた限りになるが、養殖に使える湖や池は全滅したと聞いた。下方を見ると白い砂が見える。海で確定だな。
「水深何十メートルだ? いや、水中に光が差しているって事は、そこまで深くは無いか」
透視を解除して、現時点での良い事を口にする。不幸中の幸いを己に言い聞かせる事で、まだ大丈夫だと希望を持つ。
「さて、どうするか」
希望を持ったところで次の行動を決める。最終的には脱出するになるが、その前にどうするかを決める。
ぶっちゃけるとね。水深が浅いのなら、魔法を駆使すれば脱出は可能だ。それは断言出来る。人間用の通路を利用しなくても、魔法を使えばどうにでもなる。つまり、保管庫に辿り着いた時点で、自力で脱出可能となったのだ。これが自分以外だったら困り果てる状況だろう。
改めて保管庫内を物色する。
水と食料以外の日用品を、主に衣類を探す。衣類が無いのなら、シーツを使えば良い。せめて下着が置いて在ればと探す。宝物庫内のクローゼットにも下着類は入っている。肌触りの良いものを大量に購入出来る時に購入して、宝物庫内に保管していた。下着以外に衣類や靴も存在する。
この世界の衣類に不満は無い。肌触りは良いし、機能性も高い。でも、軍属の学校に十年もいたので、制服と下着以外は保有していない。必要となる場面も無かったしね。そんな残念な事情でこの世界の衣類は何一つとして保有していない。成長期である事を理由に、購入しなかった事が裏目に出た。出発前に予備として、幾つか購入すれば良かったんだけど、腑抜けが原因でそこまで思い至らなかった。痛恨の極みだ。
ここまで衣類を探しているのには理由が在る。脱出後に顔見知りと会い、『何でそんな服を着ているのか』と聞かれたら面倒なんだよ。
忘れ気味だけど、自分は攫われてここにいる。
攫われて無一文の奴が、見慣れない衣装を着ていたらどう思われるよ? 説明に困る。『別の世界の衣装です』と素直に言っても信じて貰えない。攫われた奴にそんな恰好をしている余裕なんて有る筈が無いのだ。普通ならね。
そんな訳で衣類を探す。下着は衣類とは全く関係の無い、女性用品の中で見つけた。防水シート付だけと他には存在しない。サイズの合うものを何枚か頂戴し、宝物庫に仕舞う。別に下着ぐらいと、思いそうになるが、救助に来るのは間違いなく軍関係者だ。身体検査を受けた際に『これは何?』と聞かれるのが嫌なんです。肌着は無い。大判タオルと包帯を代わりに使えばいいか。結局、衣服は見つからなかった。仕方が無い。シーツを利用しよう。ちなみに靴も無く、代わりになるものも見つからなかった。
物色したら、次は浴場へ向い、シャワーを浴びて肌に残る、容器内で浸っていた液体を洗い流す。時間が経過するにつれて、臭いを放つようになった。暢気な選択ではない。臭い消しとして行うのだ。外にはリアルな猛獣がいるからね。容器から出てご対面になる可能性も高い。それに、臭いを探知する機械を使用されたら見つかる可能性も在る。もしもの可能性は、可能な限り減らす。
体を洗うついでに、体のあちこちについている機械を外す。苦労したけど、全て外した。バスタオルで体を拭き、髪を魔法で乾かす。下着を身に着け、大判タオルと包帯で胸が揺れないように固定。シーツを縦半分に折り、左肩から背中に回し巻き付けて、細長いタオルを帯代わりに使う。
古代ローマ人のような服装(トーガだったか?)になったが、しょうがない。右肩が剥き出しなので、半脱ぎの丈の短い着物っぽくもある。
こんな事をしていないで、転生の術を使えば良いんじゃないかと思わなくも無いけど、何となく脱出を選んだ。
水と食料を口にして空腹を満たし、保管庫内をもう一度探して回る。
包帯を切る用のものだけど、鋏は見つかった。でも、奇妙な事に護身用の武器が見つからない。透視を使って室内を探していると、ドアの向こうが視界に入った。
「げっ、動き回っている」
保管区のドアの向こうでは、容器内にいた筈の刻印獣が出て動き回っていた。それも複数。仮に容器から脱出出来たとしても、刻印獣に襲われたら、ひとたまりも無い。
「あった!」
床下収納(と言うには大きい)を見つけて、やたらと重い蓋を持ち上げる。そこには拳銃やナイフに、これらの装備と弾倉を持ち歩く為のベルト類が置いて在った。ベルトに手を伸ばすと同時に、爪でドアを引っ掻くような耳障りな音が聞こえて来た。
ここにいるのがバレている。匂いを辿って来たのか。思い出すと、ドアの前の消臭をしなかったな。これでは何時ドアが破られるか分からない。ドアの前に魔法障壁を展開し、ベルト類を装着する。次に、空いているベルトのポケットやスリットにナイフと弾倉を入れて行く。身に着けた分だけ重くなるが、そこは魔法で軽くする事で解消する。手荷物として持って行けそうにない銃火器や弾倉は宝物庫に入れる。懐から取り出せば誤魔化せるだろう。太腿にナイフを包帯で括り付ける。
最後に地球の拳銃に似たオートマチック銃を手に取る。地球産の銃と似ているだけでなく、安全装置の解除法も同じだ。拳銃に弾倉を込めて、撃鉄を起こし何時でも使えるようにする。
最初にやる事は、保管庫の外にいる刻印獣の撃退だ。撃退と言っても、馬鹿正直にドアを開けたりはしない。卑怯臭いが、魔法で保管区内と外を繋ぐ小窓を作り出す。
小窓を作った位置は天井付近だ。これで、天井から下を見下ろす形になる。ドアの前にいた虎型の刻印獣に向かって発砲する。けれども、毛皮が思っていた以上部分厚いのか、何故か防がれた。銃弾を弾く毛皮って何?
仕方が無いので、雷系の付与魔法を拳銃に纏わせてから発砲する。即席レールガンと化した銃弾は、一発で刻印獣を絶命させた。ただし、威力が強過ぎたのか、頭部が破裂した。周辺に頭部だったものが撒き散らされる。思っていた以上にグロい光景だ。また即席レールガンは、音が大き過ぎた。密室だと言う事を差し引いても、発砲音は大きく反響した。流石にこれは、警報音が鳴ると思ったが、何も起きない。刻印獣に任せっきりなのか?
考えても答えは出て来ない。眼下の刻印獣を全滅させる事を優先しよう。発砲時の音量を、魔法で軽減してから何度も発砲する。見える範囲の刻印獣を撃破し、透視と気配探知を使って討ち漏らしが無いか確認する。
全て撃破し終えたと判断して、障壁を解除してからドアのロックを解除しドアを開けた。だが、離れたところから液体が流れる音が響いたので素早く閉めてロックする。
何事かと、透視と千里眼を併用して音源を探していると、新たな刻印獣の姿を見つけた。エンドレスで出て来るのか? だとしたら最悪だな。厄介な事に、刻印獣の総数が解らない。
銃弾は有限。根競べは不利。魔法を使えば一掃は可能だ。終わった頃にやって来る面倒な説明が無ければ使いたい。いや、既に即席レールガンを使っているんだけどね。
ここは、予定を変更するしかないか。空間転移で移動し、天井近くを飛行しながら出入り口を探しても良い。何なら、海の中を移動しても良い。
考えを纏める為に最後保管区内を調べて回る。海の中だから、脱出艇一つぐらいは置いて在っても良いと思うんだけど。他に床下収納は無いか探し回っていると、ノイズ音を聞いた。ノイズ音を聞いて通信設備の存在を思い出した。通信設備の許へ向かい、簡単に調べる。
設置されていた通信設備は、授業で見たものとほぼ同じだった。軍用っぽい通信機だが、今は気にしている場合ではない。
授業と同じ手順で起動させると、多分どこかに繋がるんだろう。でもそれは、新たな増援を呼ぶ結果になりかねない。片耳ヘッドホンを装着して慎重に音を拾う。ノイズ音が煩いが、それでも情報を拾う事は出来た。そして、ここに巡回要員や警備要員も来ない理由も知った。
自分がここでのんびりと準備していた間に、地上の方にどこぞの軍隊が攻め込んで来ていたらしい。攻め込んで来た軍隊の対応に追われて、水中保管施設のこちらの異変に気づく事が出来ないらしい。
タイミングが良過ぎると疑ってしまうが、ある意味チャンスだ。
更に通信設備周辺を調べていると、緊急脱出経路地図(の表示端末)を見つけた。脱出経路の入り口は、銃火器が置いて在った床下収納だった。道理で大きい訳だった。床下収納を調べると、側面にスライドドアを見つける。重いドアを動かすと、狭い通路を見つけた。縦横の一メートル程度だが、自分は小柄なので十分通れる。大型の刻印獣は通れないだろうが、地図を手に通路に入り、蓋を閉める。
非常灯で照らされた、縦横一メートルの広さの通路を重力魔法による疑似飛翔で進む。通路と言っても、脱出用の通路だからかほぼ一本道だ。途中、タラップらしい梯子を使い上へ移動するところが在ったけど、飛翔中なのでそのまま飛んで移動した。横移動が縦移動になっただけである。ものの数秒でかなりの高さまで移動し終えるが、上へ向かうに従い、爆音と銃声が聞こえて来るようになった。
もう少し上へ飛翔していると、追加で断末魔の叫びっぽい声も聞こえて来た。魔法を解除してタラップに手足を乗せる。ここまで自力で登って来たかのように見せる為だ。ついでに拳銃を取り出し、今度は一段ずつ登って行く。慎重に登って行き、何も起きる事無く、出口に辿り着いた。
出口に当たる重いドアのロックを解除する前に、地図でここが最終地点である事を確認し、透視でドアの向こう側を調べる。
「……グロいな」
ドアの向こう側、白い電灯で照らされた廊下は数多の死体で埋め尽くされていた。しかも、火炎放射器でも使用したのか、どの死体も黒く焦げている。
「ん? げっ」
左右を見回したら、のっそりとした動きで一頭の狼っぽい大型肉食獣が現れた。こんなところにいる大型獣の正体は一つしかない。
下で見た刻印獣がこんなところにもいたのだ。
銃弾を弾く毛皮を持った獣がいる。一頭居たって事は――例えが悪いが――ゴキブリのように三十頭ぐらい居そうだな。反射的に周辺を探すも、いないので胸を撫で下ろす。一頭だけなら良いかと、魔法で消音を施し、下の保管施設と同じように刻印獣を斃す。
今度は音を可能な限り抑える事に成功した。
ドアのロックを解除してから開けて、廊下に出る。硝煙と死体の焦げた臭いが鼻を突き、思わず顔を顰める。顔を隠すタオルを持って来れば良かったなと後悔しつつ廊下の表示を探した。地図はここまでしか表示されない。故に、建物の外に出るとするのなら、自分の足で探すしかない。
残念ながら表示は見つからなかった。仕方が無く、焦げた死体を調べる。この死体がどこの所属なのかだけでも知りたかったが、全て壊れていた。死体が倒れている方向もバラバラで、どこに向かって対応をしていたのかすら判別出来ない。
もう少し調べたいが、このまま何時までも廊下に居たら絶対に見つかる。少し悩んだが、どこかの部屋に入って情報を集めるなり、通気口のような隠れながら移動可能な通路を探さないと危険だ。爆音と銃声、怒声と悲鳴が聞こえ、建物そのものが揺れる最中、一先ず隠れる為に、適当にドアが開く部屋を求めて走って移動し探す。幸いにも、床にガラス片のようなものは落ちていない。裸足のまま走っても、足を切る事は無いだろう。
「っ!?」
走っていたら、前方から銃声が響いた。慌てて急ブレーキを掛けて、周囲を見回す。ドアは無い。慌てて道を引き返す。幻術を使いながら移動すれば良かったと、後悔する暇も無く、驚愕の声が聞こえて来た。
「おい、アレは!?」「くっそ、こんな時に」「止まれ!」
背後から悪態と一緒に銃声が鳴り響いた。
止まれと言われて止まる奴はいないいぞと、思いながら全力疾走する。足元で銃弾が跳ねる。足を狙っている事から、捕獲が目的だと判った。捕まったらどうなるか分からないし、今度は拘束された状態で、あの容器の中に戻されるかもしれない。
……それは嫌だなぁ。
過去を見たくないから、出て来たのだ。あそこに逆戻りだけは嫌だ。
「うわっ!?」
銃弾が左耳を掠めたが、血は出ていない。すれすれだった。耳を澄ますと、銃声に紛れて足音が聞こえる。本格的に追われている。どこかの空き部屋に入りたいが、これでは探す事は出来ない。
舌打ちをしてから、背後に向かって一発銃弾を放つ。一瞬だけ銃声が止んだが、連射されないと理解するなり再度発砲された。走っていると十字路が見えて来た。走る速度を上げて、十字路の右通路の奥の壁へ跳び、体を半回転させながら壁に着地する。体が数秒だけ床と平行になっている間に、頭上に銃を構えて背後の連中に向かって連続で三度発砲。結果を確認せずに、壁を蹴って床に着地。再び廊下を走る。弾倉を見ると、残り一発で弾が尽きる。勿体無いが、使う時に弾倉の入れ替えを行う時間を無くす為に、今の内に弾倉を入れ替える。勿体無く感じるけど、隙は作らない方が良い。
廊下を走っていると、半開きのドアを見つけた。ドアを蹴り開けて室内に入る。やや暗い室内はトイレだった。無人で当然としか言いようのない部屋だったが、自分の身長よりも高い場所に、採光用の小さい窓が付いていた。窓から見える向こう側は白いけど、確かに陽光を取り込んでいる。窓に近づいて大きさを確認すると、ギリギリ通れそうだ。唯一の問題は填め込み式だった事。
爪先立ちになって窓を銃底で叩くが割れなかった。強化ガラスっぽいな。これでは一発撃っても罅すら入らない。
「探せっ!」
どうするか考えていると、怒声が聞こえた。慌てて個室のドアを開けると同時に銃声が響いた。だが、誰もトイレに入って来る気配は無い。でも、個室に入って隠れる。息を潜めて静かになるのを待った。
暫くの間、銃声と爆音が響き続けた。