己について自覚する
――ゴポポッと、音を聞いて、意識が浮上する。
うっすらと目を開くが、視界に広がる光景は真っ暗だった。目を開いても意味が無いなと思い。再び目を閉じる。
ここはどこだと、思考を回すよりも先に、気を失う前に何が起きたのか思い出す。そして、多分攫われたんだろうと判断する。
攫われるなんて腑抜けたものだ。情けない。無様だ。何をやっているんだ。
あんなにあの男を殺す事を考えて、数多の経験を積み、必要そうな武具を作り、転生先の世界で心から欲したものが得られなくても、旅する理由の為に足掻いた。
でも結果、殺す事は叶わず、求めていたものは無いと言われた。
どうして、何でと、考えたが、答えは無い。考える時間は無くこの世界に転生した。気を失ったあとに『あの世界が滅んだ』からこの世界に転生したのだろう。そうでなければ、説明は不可能だ。
転生し、記憶を取り戻してからの行動が変わらなかったのは、単純にルーチンワークと化していたからだ。ぶっちゃけると、学校での行動も殆ど癖だ。『ああしておけば』、『こうしておけば』の『嫌な記憶と体験』が元になっている。
嫌な事を再び体験したくないから行っているのであって、どれ一つとして『己の意思』で進んで行っていない。周囲に溶け込む事を優先している。
情けない。
膝を抱えて丸くなりたいと思って、己の体勢に気づく。
状況は定かではないが、現在膝を抱えて丸くなっている。手指に意識を集中させると少しだけ動かせた。まるで、何日か動かしていないかのような感覚だ。
何が起きているのか気になり、再び目を開いた。だが、視界は真っ暗だ。再度目を閉じて透視を発動させた。
数多の水槽のような容器が並んでいる。
見える範囲で全ての容器の中に居るのは、身を丸めた自分と同い年ぐらいの全裸の少年少女達だ。皆例外無く、両手首足首、首、胸部、腰下の七ヶ所にケーブルが接続された機械を装着している。
本格的に現在状況について考え始める。ぼんやりとしていたが、本当の意味でヤバい状況だと気づいた。
容器にはカバーらしきものが付いていたお陰で、幸いにも自分が動いている事だけはバレていない。暗闇はこれが光を遮っていたからだった。
透視を解除して、どうするか考えたが、何も浮かばない。
情けない事に、どうでも良くなっている。この十年以上も惰性で生きていたからか、色んな事が『どうでもいい』と感じる。
本格的に腑抜けているのか。いや、腑抜けてしまっているのだろう。そうでなければ流されるように生きたりしない。転生先の世界で『あれをやろう』と決める思いが冷め切っている。
気力は湧かず、思いは冷め、どうしようかと途方に暮れて、漸く『自分の心は折れているんだな』と認識した。
心が折れる状況なんて沢山経験したのに。どうしてだ? 何時も捨てられたところから始まるのに。
今までは心が折れても、そのままで前に進むしかなかった。立ち直った? 開き直った? 受け入れた? どれも違う。
進まないと何も状況が変わらないから、折れた心をそのままに感情も思いも何もかも置き去りにして進んだ。それを何と言うのかは知らない。
助けて貰えないから、一人で進んだ。どんな結果になっても、失敗ばかりだった事も在り、それで納得するしかなかった。
今でこそ、膨大な経験を積んだお陰で色々と出来るようになったけど、経験を積まないと何も出来ない『無能』と現実を突き付けられた。
出来ないものは出来ないのに、それが許されなくて『死ね』と罵られて――って、何余計な事を思い出しているんだか。
でも余計な事だけど、気づいてしまった。
生きる目的が無い。転生の旅を続ける理由が無い。目的も指針も理由も、何もかも失っている。
――この状況をどうにかして、そのあとどうするの?
――やる事も、やりたい事も無いのに、この状況から脱出してどうするの?
答えは無い。
完全に行き詰っている。
新たな悩みについて考える時間も無く、強烈な眠気に襲われて意識を落とした。
夢を見る。
とても懐かしい人と会話していた夢だった。
顔は細部まで思い出せないが、相対したものを射貫くような金の瞳と、腰下まで伸びた菫色の髪に差し色のように赤毛が混じる変わった髪を持っていた女性。
この特徴を持つのは、自分にとって武芸の師匠だった人物だけだ。
数多の武器の基本的な扱い方を自分に叩き込み、毎日十回以上死に掛ける(最初の頃のみ)修行を課した人物。
最強を名乗るのならば闘いを挑み殺し、神を名乗るのならば殺す、非常に物騒な女性。
夢の場面は陽が沈む直前だった。空が師匠の髪色と同じ色になった頃。
修行期間終盤近くだったのか、自分は負傷し、血反吐を吐いて地面に転がっているものの死に掛けてはいない。腹部に空いた大穴を魔法で治療をしている途中だから、一日の修行が終わった頃かな?
腹部の治療が終わり、身を起こした。すると傍にやって来た師匠がにんまりと笑顔を浮かべる。
「ワシとやり合っても死ななくなる程度には成長したな」
「師匠。それは喜んでも良い成長ですか?」
「ああ。喜ぶべき成長だ。あとは生身でワシの攻撃に、もう少し耐え切れるようになれば問題無いな」
「師匠。昨日それやったら『持続時間を確かめるぞ』とか言って、マジで殺しに来たじゃないですか」
「ははは。忘れろ」
「忘れろって……心が折れそう」
思わずぼやいたら、師匠は大笑いした。
「はっはっはっ! 心が折れる? 一度では足りん。何度でも、『飽きるまで』折れろ。それこそが、お前に最も必要な経験だ!」
「どう言う意味ですか?」
あんまりな言いようだが、師匠は無意味な事を言わない。長くなった付き合いで、師匠に関して気づいた事の一つだった。
「自分で考えろと言いたいが、そうだな。今回だけは特別に教えてやろう」
再度笑ってから、師匠はその場に腰を下ろした。
「よいか。お前はワシよりも、遥かに長く生きる。今世の話ではない。数多の人生を重ねて、結果的にワシよりも長く生きる事になる。共に歩むものがいれば良いが、お前の場合は一人でいる時間の方が永そうだな」
真面目な話の中に、少し失礼な事が混じっていた。でも事実になりそうだから、黙ったまま続きを聞く。
「長く生きれば多くの事を経験する。成功も失敗も、喜びも悲しみも、数多の事を体験する。常に成功し続ける事は難しい。成功が在れば、必ず失敗する。そして、だ。成功せず失敗を重ねたら、お前の心は折れるかもしれないだろうな」
後半の、師匠の言う事は『もしも』の可能性の話だ。心配してくれているのは解るけど、今ここで改まって言う事かな?
「特に、その失敗が原因で、長年の望みが潰えたりしてみろ。もしもそうなったら、お前はどうなるんだろうな」
……師匠。喉の奥で低く笑いながら言う事じゃないよ。
でも、師匠が言っている事は理解出来るので、真剣に考える。
「もしもの話で、来るか来ないか分からない未来だから、何とも言えないです」
「素直だな。ま、未来がどうなるのか何ぞ、誰にも分らん。分らなくて当然だ。未来と言うあやふやで漠然としたものは、僅かな事を切っ掛けとしてコロコロと変わって行く。故に、誰にも分らない。僅かに先の未来を視て知る事が出来ても、遥か遠い未来については誰にも分らない。何が起きるか分からぬから、『未だに来ない』から未来なので在り、正確に言い当てる事など誰にも出来ぬ」
未だに来ないから『未来』か。含蓄有る言葉だ。
「誰も知らない、誰にも分らない。ワシらに出来るのは『備える事』だけよ」
そう言って、師匠は自分を射抜くように見据えた。
「お前の心はずっと昔から折れていた筈だ。心が折れたまま、彷徨い歩いているのが、お前だ。心がある程度回復しても、何かが起きれば容易く砕け、全てがどうでも良くなり、流されるままに生きる。だからお前は、目標も希望も、何も抱けないのだろう?」
師匠に言われて考える。
確かに自分は人生の迷子状態だが、心が折れているかと聞かれると、実感は無い。目標も希望も、何も抱けていないかと聞かれるても分からない。
「これはワシの勘だが、お前の心は折れたら直らない。そして心が折れた時に取る行動が、お前の本来の姿で、本性だ」
「心が折れた時に取る行動が、ですか?」
「ああ。心が折れるような状況に立たされても、本当の意味で強いものは自力で立つ。弱いものはそのまま死ぬ。だが、お前は弱いままではいられない。お前は『強くなるしか道が無い』のだ」
強くなるしか道が無い。そう言われて考え込む。
それは、往く道が一つしか存在しないと言う事だ。
意識が遠のき、無意識に手を伸ばそうとした。だが、体はピクリとも動かない。
そこで、夢だった事を思い出し嘆息する。
こんな状況でどうしてあんな夢を見たのか。思う事しかないけど、師匠に一言言いたくなった。
直勘、当たっていたよ。
そして、何も出来ずぼんやりしていると再び眠ってしまうけど、夢を見ては覚めるを繰り返した。
夢を見る。
世界を支える天樹の中で、その男は言った。
「君は、旅を楽しんだ事が有るかい?」
唐突な問いの意味が解らず、きょとんとする。
「旅は楽しむものだ。苦痛と荷物を背負うものではない。まして君は、多くの人生を歩めるんだろう? どうして楽しむと言う発想がないんだい?」
旅を楽しまなかった理由は有る。それを口にすると男は困ったような顔をした。
「知らなかったとは言え済まなかった。でも、一度は『人生を楽しみ追求してみる』って事を考えてみてはどうだい? 怒りと復讐心だけで生きていては、心が磨り切れるのも当然だよ。君の感情の磨り減りの原因は心を満たし続けるのが『怒りと復讐』だからだろう? それ以外のもので満たそうと考えた事はないのかい?」
言われて自分は考え込んだ。
「そっか、『ずっと独りでいようとした』からか。疎まれて、裏切られて、騙されて、色々と嫌になって独りでいようとしたから、余裕がなくなったのか」
気づいた事を口にする。
「生きる以上、他者との関わりは切っても切れない。こればっかりは仕方がないが、君は見落としがちだね」
「見落とすって何が?」
「まぁ、嫌な事の方が多くて鮮明に残っているから何だろうけど、君に優しくしてくれた人はいなかったのかい?」
「いたにはいたけど、別で問題が有る」
「いたのにどうして問題が有るんだい?」
「ずっと昔で、話したっけ? 色んな贈り物をくれた神様に会った世界で、掛けたのは多分後見みたいな女神だと思うんだけど『被守護の加護』って言う、呪い紛いな加護が有って……」
「加護ならありがたいんじゃないか?」
「それが、『加護を保有しているものを保護し、時にストッパー的な役割を果たす人間を因果を歪めて引き寄せる』ってもので、引き寄せられるのが有る程度の権力を持った奴ばっかり……」
「あー、それはある意味ありがたみも消えるね」
「しかも、やたらと執着されるし」
「ご愁傷様。でも、引き寄せるだけなんだろう? その後の執着は君と関わって得たものの筈。如何に加護とは言え『人の心』まで操作する事は出来ないよ」
「……そうだと良いね」
まただ。
何度も夢を見たけど、その全てが過去の出来事だ。
何故と思っていた矢先、名前を呼ばれた気がして顔を上げる。
顔を上げて視線が合った青年は――
「っ!?」
言葉にならない声を上げて、動かなかった腕を強引に動かした。無理矢理動かした腕は壁に当たり、痛みを訴える。感じた痛みが意識を覚醒させる。
駄目だ。あの夢は駄目だ。あの夢だけは駄目だ。
二度と思い出さないと決めたあの夢を見る訳にはいかない。
何故あの夢を見た? どうしてあの夢を見た?
それは、……ここにいるから。何時までもここでぼんやりとしているから、過去を夢で見る。
――出よう。
体験した事を夢で見るのは嫌だ。
――出ないと。
悪夢だったあの出来事を、夢としてもう一度見るのなら。
――目の前の悪夢の方がまだマシだ。
だって、通り過ぎた過去は変えられない。
でも、目の前の悪夢のような事は、変えられる。
覚醒した意識の中、ゆっくりと目を開く。視界は真っ暗。透視で外を見ても、容器以外に何も無い。
魔法で己の体を調べて癒し、動くようになった腕を伸ばす。
周囲に人影は無い。実行すれば誰かがやって来る。デメリットが脳裏を過ぎるが実行した。
魔法で身体強化をしてから、容器を外のカバーごと纏めて叩き割った。容器内を満たしていた液体が外に流れ出る。直後、胸に装着していた機械が作動し、肺を満たしていた液体が排出された。
ゲホゲホと、吐きながら思った。容器の中の液体は、LCLみたいな液体だった模様。つーか、液体の中に居たのね。顔に張り付いた髪を取り除き、体のあちこちについている機械のケーブルを引き千切る。
叩き割った容器の隙間を大きくしてから出た。容器の外は暗かったが、すぐに明かりが点いた。人感センサーで自動点灯するのか。
灯りはこの際どうでも良い。魔法を使って監視カメラの有無を調べたが、見つからなかった。これだけ広くて、壁や天井、床にすら存在しない。埋め込み式の監視カメラも存在しない。
周囲に存在するのは容器のみだから、監視する必要が無いのかもしれない。
状況は解らないが、周囲を歩いて調べる。容器以外に何も無い。透視と千里眼を併用して出入り口を探す。見つけたが思っていた以上に遠かった。この部屋どんだけ広いんだよ。まぁ、移動する方向は決まったから良しとしよう。自分が入れられていた容器を調べたが、維持装置だけが在った。
道具入れを宝物庫から取り出し、何時もの黒コートを取り出そうとしたが、出て来ない。思わず首を傾げたが、あの時に駄目にしちゃったんだっけと思い出す。不意打ちのように転生しちゃったけど、道具入れが無事で良かった。便利道具や武器を作り直さなくてはならないところだった。黒コートは作り直し確定だ。
道具入れを宝物庫に仕舞い、出入り口に向かって歩く。走りたいが、止めた。周囲の観察と、トラップを警戒して歩く。
等間隔に同じ大きさの容器が並ぶ。機械音は聞こえない。どこまで歩いても静かなので、墓標群の中を歩いている気分になる。
……墓標か。
何故墓標を連想したのか、それは解らない。先程まで過去を何度も夢で見たからか。
最後に見た、あの夢の先は覚えている。
『何時か、何時の日にかお前のやる事が無くなったとしても。目の前の事を終わらせ続けていれば、何時かもう一度、やりたい事が見つかるさ』
どうして今になって、あの言葉を思い出すんだろうね。
彼はトラウマの一つだ。約束が果たせず、独りにしてしまった。生き別れをして、亡くなった事を、彼の名が刻まれた墓を見て知った。
あの管理化身が馬鹿な事を思い付かなければ。あの妖精王が約定を破って行動しなければ。ささやかな望みが叶ったかもしれなかった。
「何を思い出しているんだか」
頭を振って思考を追いやる。目の前の事に集中しよう。