一つ目の、終わったトキの夢から覚めて
――夢を見る。
――私が終わる瞬間を見た。
――そして、絶叫が聞こえた。
「私の時間を返して! 私の夢を返して! 私の時間を返して! 返してよぉ!!」
声を上げているのは自分だ。
泣き叫んで、溜め込んでいたものを全て吐き出す。
「私の我慢を踏みにじらないでぇっ!!」
泣いて七年間に及ぶ親から受けた虐待と幼少期から続いた冷遇を、弟や使用人から受けた嫌がらせを、妹と婚約者から受けた蔑みと裏切りを、全て吐き出した。
「私は道具なの!? 都合の良い捨て駒なの!?」
我慢の限界だった。
周囲が騒然としているがもういい。周りの声など耳に入らない。
「私が人間じゃないって、道具って言うなら、もう生きていたくない!」
心が壊れた叫び。
聞こえる声は自分の声だけど、叫んでいるのは菊理じゃない。
「自由に生きろって、無責任に言うなら、私はここで死ぬ!!」
魔法で作った氷の刃を、己の胸に突き立てた。
激痛が走り、指先から体が冷たくなって行く。
だが、満足感がある。
もう、生きなくてもいい。
もう、我慢しなくてもいい。
そう思うと、心が軽くなった。
目を開くと、知らない天井が広がっている。
お約束と言うか、テンプレな光景に、先の光景が夢と言う名の過去で、今が現実だと思考が回り始める。
首を動かして左右を見ると、窓から青い空が見え、壁側に上品な調度品が見えた。ついでに枕の端も見えた。ここベッドの上か。
全身に怠さが残っているが、起き上がる事は出来た。体を動かした際、胸の辺りが痛んだが、我慢出来る程度だ。
改めて状況の確認を行うとしますか。
転生先の名前は『シュルヴィア・ヴァルタリ』で、公爵家の長女。十歳の時に王家からの指名で王太子と婚約していた。
……詰んでる。
さっき見た夢と現状から考えると『王家指名の婚約が原因で、夢を潰され、虐待紛いの妃教育を受けた。でも、相手は妹を選んで婚約破棄を言い渡して来た。無責任な婚約者と両親の台詞から、生きる理由がなくなったので死を選んだ』と言ったところか。
部屋を見回す。広いが、調度品は最低限だ。『シュルヴィアの記憶』から、ここが自室ではない事が分かる。
シュルヴィアの自室はもっと狭く、粗末な机とベッドしかなかった。加えて、家族からの妬みで扱いは非常に悪い。下手をすると使用人の方がマシなレベルで悪い。未来の妃にそんな事をしていいのかよ、って思う事間違い無しの扱いだ。
シュルヴィアが自殺敢行前に、言いたい事とこれまでの扱いを全てぶちまけたから、今頃捜査されているだろう。どうでも良いが。
頭を振って思考を追い払う。
次に服装を見る。
寝巻と言うか、ネグリジェっぽいな。これもシュルヴィアのものではない。ここまで上品な服は持っていない。実家にいた時は、傷んで生地が薄くなった服しかなかった。
これは貸し出し用の服だな。少し寝汗を吸っているが、返却時に魔法をかけて新品に戻せば問題無いな。時間が有ったらだけど。
シュルヴィアの記憶を幾つか思い出すが、良いものはなかったので、知識以外を思い出すのは止めよう。頭痛がするので。
喉が渇いて来たのでベッドの周囲を見回して探すと、サイドチェストの上にコップと水差しが有った。
ベッドから少し離れている。しかもこのベッド、自室のベッドよりも二倍近く大きい。使用している、枕、敷布団、シーツはどれも手触りがいい。高級品だろう。
床に足が着くと、ここはどこ何だろうと、疑問が今になって湧いて来る。暢気と言うよりも、頭がようやく回って来たのだろう。
窓からは青空と木立の先端が少し見えるだけ。だが、木よりも高い場所=二階以上である事は確かだろう。
膝に手をついて立ち上がるが、途中、何故か力が抜けてベッドに、ぽすんと、座り込んだと言うよりも尻餅を着いた。
「……何事?」
先程まで、膝に小刻みな震えはなかった。
何が起きた? と首を傾げるも、どうなっているのか分からない。調べる方法はないか?
「あ、鑑定」
調べるという単語で、スキル魔法の一つ鑑定を思い出す。
鑑定のスキル魔法はその名の通り『生物、植物、鉱石、液体、空気の成分や状態等』を知る為のスキル魔法だ。魔力を消費するから『スキル魔法』と呼んでいるが、単にスキルと呼ぶ時も有る。
目を閉じ、その鑑定を使って自分の体を調べ、小さく呻いた。
「心的外傷、裂傷、打ち身、打撲、心的衰弱、成長障害……って、状態異常多くない?」
自分で全て治してしまおうかと考え、『この世界の治癒魔法事情』について思い出す。
世界によっては、魔法による『治療』が出来なかったりするので、急に使用可能と判明すると王宮に連れて行かれるのだ。拉致っぽく。
この世界はどうだったっけ?
シュルヴィアの記憶を辿ると、治癒術自体は存在する。術者の数は少ないが、使えても目立たない。もちろんシュルヴィアも使える。
菊理となった今なら、他者の手を借りずに、自力で完全に治せる。
魔法の慣らしとして自分で治してしまおう――そう思い、鑑定結果を見直していると、ドアがノックされ、開いた。
入って来たのは、王城勤めの女官だった。こちらを見ると、驚愕に目を見開いて、どう言う訳か目を潤ませた。
「え? お、お目覚めになられたのですか!」
……何この反応。思わず眉を顰めた。
女官をよく見て思い出す。王太子付きの女官だ。王太子と一緒に、自分いや、シュルヴィアを見下していた一人が、何でこんな反応をするのだろうか?
女官の声を聞きつけて、追加で幾人かがやって来た。どいつもこいつも、女官の同類――つまり、王太子の婚約者を見下すような奴ら。そんな奴らの反応を見て、凄く、嫌な予感がした。
そして、その予感は的中した。
ちょっとした騒ぎになり、新しくやって来た女官(王族付ではない女官)が野次馬を追い払い、状況の説明を行ってくれた。
内容は呆れるものだったが。
箇条書きに纏めるとこんな感じか。
・エルノ王太子の有責で、シュルヴィアとの婚約解消。
・王太子業務をシュルヴィアに押し付けていた事が発覚。王太子として婚約者への義務も果たさなかった。王太子の資格無しとして廃嫡、男爵に臣籍降下予定。サンドラと共に辺境で十年の奉仕活動。後に、跡継ぎのいない男爵に養子入りする。
・王太子付きの側近や女官、近衛騎士も王太子妃に対して不敬を働いていた為、全員に処罰が下る。
・ヴァルタリ公爵家は、使用人と共にシュルヴィアへの冷遇と虐待を確認。更に、次女サンドラの魔術位階認定試験合格に不正を働いていた事が発覚。不正関与者は解雇。領地四割没収、ヴァルタリ家は爵位を侯爵に下げた。
・次女サンドラは己の失態を長女シュルヴィアのものとして報告し、長女シュルヴィアの功績をヴァルタリ家の権力を行使して己のものとしていた事が発覚。不正関与者は解雇。サンドラは位階剥奪、及び、位階認定試験の再受験資格永久剥奪、エルノ王子と辺境にて十年間の奉仕活動。
・新たな王太子は決まっていない。王子が二人いるが、第二王子が側室、第三王子が正室であり、派閥争いが激化する恐れが有る為一年間の試験期間を設ける。シュルヴィアは試験官の一人として起用。一年間王城の貴賓室に滞在決定。
婚約は王室の有責で解消か。解消ならどうでもいいか。廃嫡は自業自得である。日頃から『シュルヴィアと婚姻出来なければ廃嫡』と言われていたにも拘らず、破棄を宣言したのは向こうだ。浮気相手の次女共々、視界から消えるのならばどうなろうが知らん。取り巻きも知らぬ。
実家のヴァルタリ公爵家、いや、侯爵家か。家もどうでもいい。何も言わずに罰を受けろ。
爵位降格は、当然だろう。
位階認定試験は、『万国通用資格』みたいなものでどこの国でも、不正合格は重罰だ。厳しい国だとお家取り潰しである。この国はまだ優しい方だ。領地没収は、妹の不正協力が原因か。
その妹は、『我が国最年少合格者』と持て囃されていたんだよなぁ。それが不正合格って恥だな。死ぬまで陰口を叩かれるがいい。姉に失態を押し付けて、姉の功績を奪うとか、馬鹿じゃないの? 再受験資格の剥奪は『永久』が付いている。これは他国に『受験資格が無い』と通知が行ったのだろう。今後どこに行っても受験資格は得られない状況だな。それよりも、十年間の奉仕活動――妹が使える術から考えると内容は医師不足地域で医者代行だろう――をこなさなくてはならんのだ。受験は出来ないな。ついでに婚期も逃すだろうが、シュルヴィアの婚約者を寝取っていたから大丈夫か。袖にされているか、愛想を尽かされている可能性も有るがな。
ここまでは何が起きたか推測出来るが、最後の試験期間を設けないと王太子が決められないってどうよ?
流石、日和見国王。実家はどちらも公爵家で、共に見栄っ張りな王妃と側妃。王太子の座を虎視眈々と狙っていた弟王子達。
改めて王室面々の性格を思い出すと、本当に関わりたくもないな。
にしても、試験官ねぇ。
まぁ、やらせるとしたら、執務業務を三ヶ月間毎日山のように振って、不眠不休の激務に耐えられるか、どんな時でも冷静な判断が下せるかのチェックでいいか。ついでに色んな部署の仕事を手伝わせて、全体の把握と繋がり、仕事の割り振り方、部署同士の調整の仕方を実体験で教えればいいし。
状況の説明を終えた女官は一旦退出後、カートに着替えと軽食と飲料物を乗せて運んで来た。
十日近く眠り続けていたが体調関係で何か問題はないかと尋ねられたが、女官がいない隙に魔法で完全に治し終えたので、問題はないと返す。
軽食を摘まむ前に着替えとなったが、一人では着脱が難しい簡素なドレスが着替えだった。仕方が無く着替えを手伝ってもらう。
貴族令嬢の場合、服の着脱は手伝ってもらうのが当たり前だが、シュルヴィアの場合はそうではない。侍女一人つけてもらえなかったが故に、大抵の事は一人で何でもこなせる。
記憶が戻った今、ほぼ何でもこなせる状態だ。着替え程度一人で出来る……のだが、何故こんなドレス(と言っても簡素だが)がやって来たのか? 謎だと内心ため息を吐き、侍女云々でそう言えばと今更過ぎる疑問が湧いて来たので、着替え途中に見たものが原因で眉を顰めている女官に尋ねる。
疑問の内容は、ヴァルタリ家の面々の『現在』についてだ。両親に妹や弟、使用人は処罰を受けて現在どうしているのだろう。
自分が目覚めたと知ったら、絶対に縋って来る展開が有りそう――と言うか、縋るだろう。
ここで実家について語ろう。
ヴァルタリ家の三代前の当主が幾つかの偉業を成し遂げた為、爵位が一つ上がり公爵家となった。それまでは伯爵に降格寸前の侯爵家だった。この当主が王国史上初となる事を幾つか行った事により、悪評を全て打ち払ってどうにか返り咲き、爵位も上がったのだ。
この当主はシュルヴィアと同じく、虹の位階の保持者だ。成しえた偉業から『王国史上最も偉大とされる魔術師』と呼ばれている。
その子孫となれば、栄華は約束されていると誰もが思うだろうが、現実はそう甘くはなかった。むしろ非情一択である。
事ある毎に無茶振りされ、出来なければ嘲笑わられる。出来なければならないと、強大なプレッシャーが掛かり、周囲も陰口を叩き、嫌がらせでプレッシャーを掛けて来る。
偉人の子孫は苦労する、その典型例だ。
ヴァルタリ家夫妻も常に気を張っており、子供達――特にシュルヴィアに秀才であれと言い続けていた。でもね、何をこなしても『出来て当然だから誉める価値がない』と手を上げるのはどうかと思う。何を成功しても折檻するって馬鹿だろう。
そのシュルヴィアを愚行の果てに潰したのは、ヴァルタリ一家だ。同情はせん。記憶が戻った時点でシュルヴィアの人格は消えている。
縋り付かれたら、突っぱねよう。
情がないのかと言われたら、情を与える行動を取った記憶が有りますかと、尋ねよう。冷遇と虐待が家族の情と言う阿呆はそういないだろうし。
さて、実家だが、女官が言うには全員王都の屋敷にいるらしい。一歩たりとも屋敷から出るなと、使用人にまで厳命されているんだとさ。事実上の蟄居だな。助ける気はないが。
女官に尋ねた理由を聞かれるが『会いたくないから、王城で遭遇したくない』と答えると納得された。シュルヴィアの最期を考えれば納得するだろうとも。自分の人生を潰した面々に会いたがる奴がいるとも思えない。
ローテーブルに飲食物を並べ、脱いだ寝巻を持って女官は退出した。当分来ないだろう。
押しかけてくる馬鹿が来ない事を祈りつつ、テーブル前のソファーに移動して食事にありつくのだった。
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