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 スクルプトゥーラが買い出しから帰ると、おばさんはいつものように空っぽの暖炉の前でかごを編んでいた。


 おかえりなさい、と温かい笑顔でスクルプトゥーラを迎える。

 ただいまです、とスクルプトゥーラは返し、早速荷物の整理に取りかかった。


「スクルちゃん」


 おばさんに呼ばれ、スクルプトゥーラは動きを止める。何か間違ったものを買ってしまっただろうか、と咄嗟に思考がよぎる。


「スクルちゃん、あのね、話があるの」


 おばさんは陽だまりのように穏やかであった。


「これからは一緒にご飯を食べましょう? 私たちに遠慮をしてよそで食べているのだろうけど、もうその必要はないわ」

「スクルちゃん、あなたは私たちの家族よ」


 スクルプトゥーラはただ「ありがとうございます」と返し、抱えていたミルクをキッチンへと持って行った。決して関心がなかったからではない。スクルプトゥーラはじんわりと温かいものを胸に、脳に感じていた。しかし、言葉が見当たらなかったのである。こんなことは初めてであった。こんなに幸福感溢れる温かい気持ちになったことも、言葉がつまることも初めてであった。おばさんはそれをすべて理解しているかのように、微笑みで全てを包み込んでいた。



 とんとん、と家の扉を外から叩く音がした。スクルプトゥーラは「もうクララが帰ってきたのか」と思い、かんぬきを外す。しかし、扉の外にはクララではない、別の若い着飾った女性が立っていた。


「あら、ニコルさん」


 おばさんが首を伸ばしてそう言う。その女性はおばさんに向けて「こんにちは」と人の良い笑顔を見せる。


 小さい目の割に口は大きくて全体的にあまり整ってはいないが、小さくて丸い鼻が可愛らしい。短い首をこちらに回して彼女はこう言った。


「貴方がスクルプトゥーラさんですね、貴方にお話があります。少し席を離せますか? 」

「もちろん」


 スクルプトゥーラは彼女の目を見つめてそう返すと、「いってきます」と扉の外へでた。ニコルという人物は踵を返し、道を歩き始める。スクルプトゥーラは何も言わず彼女の後をついていった。確かこの人物はエバの許嫁である。名前に聞き覚えがあったことを思い出す。


 スクルプトゥーラは前をゆくニコルの小綺麗に纏められた金髪を眺めていた。ウェーブのかかった髪がまるで薔薇のように見える。この人もくせ毛なんだな、とスクルプトゥーラはぼんやり考えていた。




 傾きかけている太陽は存在感が薄い。早く傾き始めてしまえばいいものを。何故こんなにも僕らを焦らすのだろう。


 スクルプトゥーラはまだ青い空を眺めながら歩いていた。


 ニコルは湖を通り過ぎる。辿りついた先は並木道の木陰であった。彼女は足を止め、くるっとこちらを向く。眉毛は傾き、目つきが険しい。口だけはずっと一文字を貫いていた。


「単刀直入に言います。エバさんと距離をとってください」

「何故? 」


 怒りに包まれているニコルを冷めた目で見つめるスクルプトゥーラは心のままに答えていく。


「何故ですって? 先日、私の畑を荒らしたのは貴方でしょう? 彼にとってあなたは悪影響なのです。」


「あれは僕とエバ、ふたりの意思でやったことだ」


「関係ありません! エバさんはそのようなことをする方ではありません。あなたが彼を巻き込んだんです! 」


 スクルプトゥーラはこれ以上話しても無駄だと直感した。なら、もう決着をつけた方が良い。時間の無駄だ。


「君がエバの許嫁であろうと、僕はエバから離れるつもりはないよ」


 ニコルは一瞬目をかっと見開いた。しかしすぐにそれを落ち着かせ、ひと息ついた後でこう言う。


「そうですか、迷惑な人ですね」


 それからスクルプトゥーラを頭のてっぺんからつま先の頂点まで順に眺めていく。嫌な目つきである。初めて彼女を見たときに感じた、お世辞並の可愛らしさがもう彼女には残っていない。スクルプトゥーラはまたひとつ地上の人間について学びを得たのであった。


「貴方、女じゃないでしょう? 」

「は? 」


 何故そんなことを聞くのか分からない。そんな困惑した様子でいるスクルプトゥーラを見、ニコルは満足げに嫌な笑みをこぼす。


「まったく女の子らしさがないわ。がさつで素朴。顔がキレイなだけで、そこらへんにいる少年みたい。きっとエバさんも貴方のことそう思っているのよ」


「……女じゃないと困るのか? 」


 スクルプトゥーラが固く拳を握るのをニコルはしっかりと目の端で捉えていた。


「あら、図星? 可哀想に。だからそんな女の子らしい格好をしているのね」


「何故、形にこだわるのか? そんなつまらないものに、ここの人間はこだわるのか? 」


「かたち? 一体何のこと? 」


 スクルプトゥーラはずっと、心のままに答えていく。


「形のないものにこそ、目に見えないものにこそ、価値があるのではないか? 」


 ただ、その口調はだんだんと力あるものになっていった。


「目にとれるもの全てが正しく美しいとは限らないだろう? 」


「勝手に持論を並べるのはやめてちょうだい」


 瞬時に変貌したスクルプトゥーラにニコルはすっかり怯えている。


「相手を想う心こそが重要なのではないか」


「何故そんなにむきになるのよ。ほら、貴方の顔、獣そのものよ」


 ニコルはどこから出したのか、手鏡を手にし、スクルプトゥーラの方へ掲げた。そこに映るスクルプトゥーラはニコルの言う通り、獣そのものであった。眉毛はつり上がり、気迫を感じる剥き出しの目。眉間には今まで存在しなかった皺がはっきりと刻まれている。だらしなく口角は下がり、頬は紅潮している。 


 スクルプトゥーラは愕然とした。ニコルヘ向けた感情が自分に向けられる日が来るとは思いもしなかった。しかも、こんなにもすぐに。膝が震え出す。何故かは分からない。スクルプトゥーラは鏡に映る自分を眺めたまま、口をぽっかりと開けていた。


 ニコルはそんなスクルプトゥーラを唯々気味悪く感じていた。先程まで澄まし顔でいたくせに刹那に怒りに絆されるさまに圧倒され、後ずさる。


「そういうことよ、今日の話忘れないでくださいね」


 スクルプトゥーラの目線から鏡を奪うと、そそくさとその場を離れていく。


 太陽は傾きかけたのか、刺すような赤をスクルプトゥーラに注ぎ始めていた。スクルプトゥーラはただその場に両足を置いたまま、何もすることはなかった。


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