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 久しぶりの休暇がわたしに訪れていた。休暇と行っても、依然とそんなに変わらない。午前中が暇になったくらいだろうか。午後の買い出しは変わらず行う。今日も例外なく、スクルプトゥーラと街に来ていた。


 わたしが入隊してから、スクルプトゥーラが毎日午後の買い出しをしてくれていたようで、母はとても彼に感謝していた。スクルプトゥーラは感謝されることはしていない、自分がしたいからしている、そう言いたげな様子であった。


 買い物を終え、市場を後にする。照りつける日光が屋台を覆う布から透けている。気づけば夏真っ盛りだ。かといって、わたしの日常に変わりはない。きっとこのまま季節が巡って、雪が降り出したとしてもそれは変わらないのだろう。その頃スクルプトゥーラは隣に居るだろうか。できれば、居て欲しい。わたしは月並みにそう願っていた。


 街並みを抜けた頃、スクルプトゥーラは唐突に口を開いた。


「まだ歩いていたいな」


 ぼそっと呟く彼はすぐ次の言葉を私に向けた。


「よし! じゃあ、君がまだ僕の行ったことのない場所に案内してよ。余分な散歩もたまにはいいよね? 」


 わたしに良いとも嫌だとも言う隙を与えないまま、スクルプトゥーラは目を輝かせる。スクルプトゥーラの決定は誰にも覆すことができない。それはずいぶん前から分かっていることであった。


「ついてきて」


 わたしは台車を押しながら、いつもとは違うルートを歩き出した。街並みを抜け、草が生い茂る日向の道を進んでいく。日光が首の後ろをジリジリと焦がす。



 森に入った途端に清涼な風が木々の隙間から流れてきた。視界からは目を刺す眩しさが消え、代わりに木漏れ日が落ちている。道は補整されていないが、人が通る道はその積み重ねにより台車をも押せるようになっていた。スクルプトゥーラは一言も話さずにわたしの後をついてきている。森の囁きがわたしたちを影から見守っているようであった。


 森を抜けると下方にネクタリン畑が広がる。ここから見ただけでもそれはとても広く、そう遠くない位置には立派なお屋敷が鎮座していた。そして、更に遠くには海が顔を出している。わたしはスクルプトゥーラの方を振り向く。


「ここだ。ネクタリンとプラムはこの街の特産品なんだ。ただ私有地だから……」


 スクルプトゥーラは最後まで私の言うことを聞かずに坂道を駆けだしていった。あまりにも勢いよく駆けだしたせいで、最後の方はほぼ転がり落ちていた。髪の毛や母の作った服に草や土汚れがうっすら付いているのがここからでもよく分かる。


「はやく君もおいでよ! 」


 スクルプトゥーラの嬉々とした声に押される。自身の顔が赤らむのに気づいたが、それが暑さのせいなのか、この一瞬の麗しさのせいか私は判別できなかった。わたしは台車を日陰に置き、彼と同じように転がり落ちていった。



 綺麗に整えられた生け垣をわたしたちは跨いでいく。生け垣と反した雑な所作が非日常を加速させているようでわたしは久々に心を躍らせた。


 ネクタリンの木々は几帳面に列を成している。生い茂る濃い緑の葉はわたしたちの姿を見張りから隠すようでまるでわたしたちを歓迎しているように思われた。


 というよりも、わたしが今の状況を歓迎している。街でも一番に大きいネクタリン畑に忍び入ることなど、生まれて初めてのことであった。今まで優等生を意識して行動してきたのが、誰の迷惑にもならないように行動してきたのが、まるで嘘のようであった。何故だろう。ひとりでは絶対に拒否することもふたりならば、進んで経験してみようという心持ちになる。ふたりでなら、この先叱られようが、何が待ち受けていようが突き進める気がするのだ。



「えい」


 スクルプトゥーラは一足先にネクタリンの木のもとへよると、ひとつのネクタリンをもぎ取った。


「え、ちょっと」


 わたしは呆気にとられて、言葉に詰まる。今なら何でも出来る気がするとは思ったが、ここまでは予想していなかった。スクルプトゥーラが勢いよくもぎ取ったせいで枝が大きく揺れている。濃い茶色の幹はそれでも動じず、ずっしりと構えていた。スクルプトゥーラはいたずらに片眉をあげる。


「どうせなら、やっちゃいなよ」

「……」

「それもそうだな」


 わたしは一度スクルプトゥーラのように笑ってみせ、そのまま目線上に実るネクタリンの果実へと手を伸ばした。


 片手で掴んだそれは少し柔らかい。ポキと音を立てもぎとり、手のひらにすっと収まる。驚くほどに真っ赤であった。最近はどこでも見かけるのに、木漏れ日の下に透かしたネクタリンははっとするほど真っ赤で、生きている者の証のように少し黄色がかったところもあり、とても瑞々しい。


 隣をちらりと見ると、スクルプトゥーラは既に一口目を頬張っている。わたしも皮のまま頬張ってみた。ツンと舌を刺す甘酸っぱい、多幸感溢れる味が口いっぱいに広がっていく。自身が頬張ったあとに目をやると、黄色い果肉が歯形によってえぐれ、真っ赤な種が顔を出していた。種の周辺には黄色の果実に赤が染み出している。


 ふと、白い尺取り虫のようなものが果肉から顔を出したので、指で掴んで放った。虫の類いは平気だが、それを食する趣味はない。


「どうしたんだい? 」


 スクルプトゥーラはネクタリンに夢中になりながらも、今の動作を横目で捉えていたのだろう。


「あぁ、ちょっと虫がいたんだ」

「へぇ」


 スクルプトゥーラはそれっきり、またネクタリンを頬張る。その言動が少し心に引っかかった。


「醜いって言わないんだな」

「何故? 」


 スクルプトゥーラは新しいネクタリンに手を伸ばす。こちらのことなど歯牙にもかけない様子であった。


「だって、お前はものにおける欠点を醜いとはっきりいうじゃないか」


「虫がいることは欠点になり得るのか? おばさんなら『より美味しい証よ』って言いそうだけどね」


 スクルプトゥーラはそう言うと、ネクタリンを口元から離し、わたしの瞳を覗いた。


「美しいとは完璧であることなのか? 」


「……わからな――」


「完璧でなくても、その欠点が新たに特徴を生んで更なる美しさを生んだりするかもしれない」




「おい、そこの二人! 何してんだ! 」


 見張りだ。わたしはスクルプトゥーラの手首を掴んで逃げ出した。持っていた食べかけのネクタリンが地面に転がる。


 ネクタリンの木が作る木陰はずっと涼しいものだったと思い知る。降り注ぐ日光が再びわたしたちを焦がし、熱を帯びた風がわたしたちに触れていく。見張りの視界から逃れるよう、あちこち曲がって進んでいく。そして、わたしたちは生け垣をジャンプで跨ぎ、身を低くして隠れることにした。低い姿勢のまま互いに目が合い、笑いを忍ばせる。スクルプトゥーラなんて、今にも吹き出しそうだ。必死に息を殺している。


「君はとても可愛らしいよ」


 スクルプトゥーラは囁き声でそう言うと、わたしの頬に触れた。熱気が渦巻くなか、とても冷たい手のひらであった。


「跳ねた髪の毛も、そのそばかすも、流れる汗も、全て愛らしい」


 最近気づいたことがある。スクルプトゥーラは柔く笑うようになった。


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