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台車が押しやすくなった。石畳の道が始まったせいだろう。もうここは街だ。
わたしは目線を上げた。白い煉瓦の壁と赤い屋根の建物が続いている。前方には野良猫が日陰で気持ちの良さげに寝そべっている。スクルプトゥーラは辺りを見回しながら、目的地へ迷わず、着実に向かっていた。
反射する日光がさらにスクルプトゥーラを煌めかせる。まるで一種の神聖さまで纏っているようだ。これから彼を初めて垣間見る人が羨ましい。例え通りすがりであっても、肉眼で捉えられるぎりぎりの距離からであっても、彼の神秘性はそれらにとって揺るがすことのない確かなものであるのだろう。
スクルプトゥーラは曲がり角を右に進み、その先の手芸用品店の扉を開けた。そう、ここがまず一番にわたしが訪れる場所である。ここで、母から聞いた必要なものを購入し、その後で市場に向かい食料を購入し、且つ母への注文をとり、商品を受け渡す。市場は朝に比べるとどうしても活気は落ちるが、それでも人は充分なほどに集っている。
「あら、スクルちゃんにエバ!」
店の奥からデボラおばさんが陽気にわたしたちをもてなす。ふくよかな体型に顎にある大きなほくろが特徴的で、毛量の多い黒髪を後ろで結っている。今日は紫色のドレスを着ていた。
買う物は決まっているというのに、十分以内にこの店を出られたことは今まで一度も無い。
わたしたちは挨拶をし、家族写真が並ぶ狭い店内の中、カウンターへと直行する。
「これを……」
「そういえば、また優秀訓練生だってねぇ、流石だねぇ!」
ありがとうございます、とわたしは控えめに返す。
「家族も誇らしいだろうに! そうだそうだ、許嫁のニコルさんもそりゃ嬉しいだろうねぇ。ちゃんと会ってやってるのかい?せっかくの令嬢なのに、逃したら惜しいからねぇ! 」
デボラおばさんはガハハと豪快に口を開けて笑う。わたしはなぁなぁに返事をしながらも、どこか居心地の悪い気分になっていた。スクルプトゥーラの前で「あの」件を話題にしたことがないからである。
横目で彼を見ると、彼は何とも思って居なさげな空虚な表情をしていた。デボラおばさんのお喋りに慣れたかのようで、光のない目でじっと時が過ぎるのを待っている、ように見える。その様子にわたしはなんだか可笑しくなってしまって、誰にも気づかれないように、デボラおばさんが屈んだタイミングで片方の口角をあげた。
デボラおばさんはまたカウンターの影から顔を出すとこう言った。
「そういえば、かごの修理をお願いできるかい?」
どうやら、客と店側の立場がデボラおばさんの屈んでいる間にすり替わっていたようだ。注文は大歓迎だが、そのタイミングがまたわたしは面白く感じ、ふふと声に出して笑ってしまった。
きっとわたしとスクルプトゥーラの間で共通点があるとするならば、人と関わるのが苦手ということだろう。しかし、それも細分化すればわたしたちの共通点はなくなってしまう。
わたしはただ単に、人と関わるそのものが苦手だ。聞き手に回るだけでも、一瞬が悠久のように感じられる。勿論、自分から進んで話すことなどない。単に必要事項以外、話題が思いつかないのだ。
デボラおばさんは誰にでも陽気で気さくだ。きっと彼女のことが好きな人がほとんどだろう。しかし、わたしは彼女のペースについていけず、いつも会話そのものがおっくうに感じてしまうのだ。――早く終われば良いのに、と。
スクルプトゥーラもデボラおばさんを苦手としているようだった。でも彼はわたしとは違う。会話を楽しもうと思えば、幾らでも楽しめる。ただ面倒なのだ。それがスクルプトゥーラであった。妹のクララとだって、母とだって、街に住むメグおばさんとだって、何の問題も無く会話を楽しんでいるように見える。器用な彼は当たり障りのない会話などお手の物だろう。
ただそれは見せかけの楽しさのようにわたしは感じるのだ。現にデボラおばさんとも積極的に話そうとしない。わたしの前にいる意地悪なスクルプトゥーラの方がよっぽど自然体であるとわたしは直感していた。
「はい、丁度。また明日もくるんだろ? 気をつけて帰んなね」
「はい、ありがとうございました」
デボラおばさんのお喋りをくぐり抜け、布や糸を手に入れたわたしたちは扉へと踵を返した。
「聞いてよ! デボさん! うちのミシェルが……」
勢いよく扉を開けて店内に入ってきたのはメグおばさんであった。走ってきたのか、くせ毛の赤毛がふわふわと浮いている。
「あら、スクルちゃんにエバ! 気をつけて帰るのよ」
扉のすぐ近くにいたせいか、メグおばさんはこちらをおまけ程度に見、わたしたちに挨拶を返す余裕も与えずに、デボラおばさんの方へと駆けていった。あの焦りようから、街での大きな噂話が生まれたのだろう。二人の話す勢いは一瞬にして増す。わたしたちは水を差さないようにそのまま店を後にした。
「昨日は大喧嘩してたというのに」
店を出た直後、ぼそっとスクルプトゥーラは呟いた。昨日、デボラおばさんとメグおばさんは店内でお互いに罵り合っていたのだ。理由は知らないが、とても間に入りにくかった。スクルプトゥーラは呆れているのか、不思議がっているのか、その無の表情からは何も感じられない。
「ここの人たちは忙しない人ばかりだね」
それだけ言って、スクルプトゥーラは正確に市場の方へと向かい始めた。わたしにはかける言葉も猶予もなく、ただ更に重くなった台車を押し始めた。