六章 排泄するだけの猿じゃないといえるかい 20
✳︎ ジョー・ドゥラムリアの追憶 下
「ちょっとトイレへ」
催したのは本当だが気恥ずかしいのもあった。二人で将来の熱い話をしたのはドゥラは生まれて初めてだったためか顔が少し熱い。
「俺も一緒に行くよ。場所がわからないだろ」
タパが先に出て案内をしてくれる。秘密基地からほど近くにある河原へ降りる。トイレと決めた場所ではないそうだが、いつもこの河原へやってくるらしい。せせらぎの音に混じってあたりは日が翳り始めているせいか風が少し出てきたようだ。川の水は透き通って美しく、なんだかはばかられたので川から少し離れた大木の根本で二人で用を足した。
川の綺麗な水で手を洗う。
「お茶でも飲むか?」
いつも使っているのだろう、河原の平らなところが整地されていて石で竃が作られている。
「基地では火は使わないのか?」
「火事が怖いからね。基地の中で料理ができたら夢は広がるけどね。川の近くでなら焚き火や料理はするけどそれも最小限だよ。料理とは言えない代物さ。万が一煙が見つかったらコトだし」
竃の中に木の繊維と乾いた小枝を焚きつけとして入れ、荷物から油紙で包んだマッチ箱を取り出し火をつけた。火というものは原初から人の深いところと結びつくものなのだろうか、火を見るだけでどこか安心するし興奮する。タパは一緒に持ってきていた箱を開ける。
「さっきから気にはなっていたんだけど、その箱は何なんだ?」
ドゥラが聞いた。それは正方形で無機質なブリキでできた箱だった。密封されているのかタパは蓋の端にナイフの先を入れ、てこの原理でフタを開ける。
「防鼠のケースだよ。普段は基地の中に隠してあるんだけどね。備蓄の食料を入れてあるんだ。ここをちょっと見てくれよ」
箱の側面には剣と盾が合わさり、獅子と龍の紋章が描かれている。間違えようがない、王立騎士団のマークだ。
「すごいだろ、王立騎士団の払い下げなんだぜ。蚤の市で手に入れたんだよ。正真正銘の本物だって。高かったけどな」
にこにことタパは得意げに言った。箱の中には干し肉や乾物などの保存食やチーズの塊、油や生の米や粉類などが収められていた。
「市場みたいだな」
瓶や缶にはきちんとラベルが貼られ、湿気を防ぐためだろうか油紙で包んである。意外とタパは几帳面なんだな、とドゥラは思った。
「黴が怖いからね。基地の中は湿気がなかなか抜けないから」
そう言いながら箱の中からお茶の葉が入った袋を取り出した。お茶の葉は当初は辺りで生えている草をいろいろと試してみたそうだが、結局はあまりおいしいものはなく、家から失敬してきたそうだ。
ヤカンやフライパンなどは蚤の市で自¬分で買い揃えたものらしい。
「家のを持ってくるわけにはいかないからね」
とタパは言った。
「秘密基地は自由に使ってくれたらいい。絵を描くのに最適だろ」
「そりゃ嬉しいけどさ、どちらかと言えば俺はおまえの森に関する知識を教えてもらえると嬉しいんだけど」
なぜだか期待と恥ずかしさにドゥラは緊張していた。
「そんなのでよければいくらでも教えるよ」
タパはまんざらでもないという笑顔をみせた。
「少し早いが夕ご飯にするか? 何かリクエストはあるか?」
タパは道中、山菜やキノコなどいろいろなものを拾い集めていたらしく、持っていた荷物から取り出した。
「何でもいいのか?」
ドゥラが聞いた。
「そりゃ、限界はあるけどな。今から足りないものは二人で買い出しに行くか?」
ドゥラは笑った。
あるものだけで作ったためかなりワイルドな料理に仕上がった。味も野性味溢れていて山菜はねっとりとした舌触りだがねっとりしすぎて煮こごりのようになっていたし、キノコはどれだけ焼いても煮ても硬くて歯ごたえがありすぎて顎の感覚がなくなり飲み込むタイミングがわからなかったし、美味しいとはいいがたかったけれど、お腹は満たされた。それに無性に楽しかった。
「俺の靴底の方が幾分柔らかいかもな」
ドゥラが冗談を飛ばすと二人は笑いあった。
「森のいろんな場所に基地を作ってさ、食料を保存して自給自足しながら毎日森で過ごせたら最高だろうね」
タパはもぐもぐと噛みきれないキノコに苦戦しながらそう言った。
「そろそろ村へ戻らないか?」
タパが使った食器や道具を洗いながら言った。
「そうだな」
ドゥラはタパから食器を受け取りそれをタオルで拭きながら言った。
「次はいつ来れるかな?」
ドゥラがつぶやくように言った。
「なんなら明日でもいいんじゃないか? 学校も午前中だけだからさ、はけたら行こう!」
二人は明日も来ようと約束を交わす。しかしその約束は当分叶うことはなかった。
日が暮れ始めている。空気の質が変わったように感じた。川の近くは樅や唐檜など松科の濃い緑の木々が立ち並んでいる。ドゥラは陰影の濃い木々の向こうを見つめた。岩場はまだ夕暮れで映えていたがそれも熱を失うように色褪せた。帰り道はあまり会話は交わさず二人は黙々と歩いた。村からそう離れていないとはいえ戻る道を急いだ。行きとは違う道を進んでいるらしい。
「こちらの方が村へは近道なんだよ。少々険しいけれどな」
そう言いながらタパが先に立ち進んで行くが、ドゥラはもちろんどこをどう進んでいるのかわからない。一人で来ることもあろうかと初めはそのルートを覚えようと必死だったが川を迂回したり、渓にあたったり、森の中では真っ直ぐに進むということがなく、すぐに方向感覚を失い覚えることを諦めタパの後ろを黙ってついて行くしかなかった。辺りは暗く視野は狭い。薄ぼんやりとした中、ドゥラは左手に美しい花が視界に入る。なんだか闇の中で発光しているように薄ぼんやりと光って見えた。ヤコウタケという光るキノコは知っていたが光る花は初めてだ。もっとよく見ようと足を踏み出した瞬間だった。足元の土が崩れ落ち、バランスを崩したドゥラは滑落した。何かをつかもうと手を伸ばしたが虚空を掴んだだけだった。どのぐらい滑り落ちただろうか、着地する際にひどく足をひねった。落ちたところは涸れ沢だろうか、あたりは丈高い草が生い茂っている。しかし、立ち上がろうとした時に左足に激痛が走った。バランスを崩し闇雲に手を伸ばしつかんだ枝が極太のイバラの枝だった。棘が親指の爪ほどもあるやつだ。ドゥラはその場にうずくまりしばらく動けなかった。足は痛みとともにもう腫れ始めていて熱も持っている。それよりも利き腕を怪我してしまったことが不安に苛まれる。手のひらがパックリと開き血がとめどなく流れ続ける。反対の手で押さえて血を止めようとしたが無駄だった。
「おーい、生きてるか?」
タパが崖を滑り降りながら駆けつけてくれる。ドゥラがうずくまっているのを見て取ると血相を変えて飛んできた。
「ここは暗いな、仕方がない」
あたりの草を少し刈り取り、枯れ枝を拾い集めてくる。マッチで火をおこし枯れ枝をくべて火勢を強めた。火が安定するとタパは水筒を取り出し、手の平の傷口に水をかけた。血がドス黒い色からピンクに薄まった。傷口からは血が溢れて止まる気配はない。傷口を綺麗に洗い流し、棘が残っていないか確かめる。
「傷口から棘が入ると心臓まで流れていくらしいよ」
タパが不穏なことを言う。
「冗談だよ、ドゥラ。傷口が開かないように押さえてくれ」
ドゥラは左手で手首を掴み親指と中指で押して手を窄め傷口をぴたりとひっつけた。タパは荷物をゴソゴソしていたが、なにやら草を取り出し石の上でゴリゴリとすり潰すと躊躇なく傷口にその絞り汁を垂らした。さらに何か根のようなものを出すとそれも叩いて柔らかくした。傷口の上に根を置き、さらに先程の葉を揉んでその上に当て、マッチを包んでいた油紙で包み、手のひらを紐でぐるぐる巻きにした。ようやく血は止まり、心なしか痛みも和らいだ気もする。後で知ったがヨモギの葉と蕗の根は両方とも切り傷に効果があるらしい。




