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神の頬に触れるような気持ち  年代記第六章  作者: ヌメリウス ネギディウス


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六章 排泄するだけの猿じゃないといえるかい 16

「ごめんごめん、脅かす気はなかったんだ。あんまり気持ちよさそうに寝ているからさ、起こすのも悪いと思ってね、待ってたんだよ」

 それはタパだった。

「まさかこんな場所に人がいるのかって驚いたよ」

 タパは言った。

「それはこっちの台詞だよ。ここで人と会うなんてね。しかも顔見知りと」

 ドゥラは言った。

「こっちも驚いたさ。こんな場所にわざわざ来るような物好きはいないからね」

 タパはそう言ったが、現にここにいるドゥラが物好きな変人だと言っているようなものなので、自分の失言に気がつきバツの悪い顔をした。なぜこんなところに? とタパが聞きたがっているのはその表情でわかる。

「お前こそなんでこんな場所に?」

 ドゥラは起き上がり逆にタパに聞いた。

「家の手伝いだよ。数ヶ月に一度、ここの掃除をするように言われていてね。まぁ誰も来やしないから掃除なんてしなくてもバレやしないけどさ、建設王の功績への敬意と、亡くなった者への哀悼を忘れないためにね」

 タパがそんな先人に敬意を払うことに驚いたが、それ以上にドゥラは驚かされる。タパは途中で手折って来たであろう花を慰霊碑の前に置いた。紫の綺麗な花だ。虹の花とも言われていてその名は神話の虹の女神イーリスに由来する。その花は村で見つけることができる場所がかなり限られる。近くの用水路で間に合わせで採った物ではないことがわかる。

 花には希望またはよい便りという意味合いもあり、そのことを伝えようと口にでかかったが気持ち悪がられるのでやめておいた。

「それをみせてもらえないか」

 タパはドゥラの傍らに置かれたスケッチブックを指差した。

 ドゥラは無言でスケッチブックを手渡した。タパは仰々しく受け取ると、希少な本を開くように最初のページをめくった。ドゥラは最後の審判を待つかのようにそわそわと心がざわついた。

「まだわからないところだらけでさ」

 なぜか言い訳をするように早口で言った。声も裏返っていたかもしれない。タパは真剣な表情を崩さずに無言で一枚ずつ丁寧に見ていった。

「素晴らしいね。これだけ草や花に詳しい人間はこの村にはいやしないだろうね。一枚目が特にいいね、色鮮やかでさ」

「その花を見て図鑑を描こうと思ったんだよ。きっかけなんだ」

 少し食い気味にドゥラは再び早口で言った。初めての理解者にドゥラは舞い上がった。

「タパがそれを摘んで来たから驚いたんだよ。その花はこの村では生えているところは限られるからね」

「そうだね。外ではよく見るんだけど…」

 しまったという表情を浮かべるタパ、

「もしかしてタパ、壁の外に出たことがあるのか?」

「ああ、誰にも言わないでくれよ。まぁ言ったって誰も信じやしないけどさ」

 ドゥラは疑う様子を見せない。これはチャンスだと思った。まさによい便りだ。

「俺は信じるよ」

「おまえ、疑わないんだな。普通は疑うもんだぜ。誰も外へなんて出たいなんて発想すら浮かばないだろ?」

 タパは言った。ドゥラはスケッチブックを急いでめくり該当のページを見つけるとそれをタパに見せた。

「これ、なんの木かわかるか?」

「多分だが好堅樹だろ?」

「もしや本物を見たことがあるのか? この絵はいろんな文献からよせ集めて想像で描いたんだけど」

 好堅樹とは瘴気を生む伝説上の木で地中で百年かけて育ち、一日で生え高さ三百メートルに及ぶというものだ。

「みんなはおとぎ話とか伝説とかの類だと思っているみたいだけど森の奥にあるって話はおそらく本当だ。だがさすがに見たことはないよ。数年に一度王立騎士団がやって来て北門が開けられるだろ、あれは好堅樹の調査だそうだ。その時の話を父親が酔っていた時、話してくれたことがあるんだ。調査の手伝いのために村の有志を募って森の奥へ行くんだけれど、父親もそれに同行したって。皆、物珍しさでこぞって志願するんだけど帰って来たら誰一人二度と森には入りたくないって言うそうなんだ。なんでかは誰も言わないけど、十六になったら参加できるらしいから俺も立候補する…」

 ドゥラはタパの話を遮る。

「それで、おまえの親父さんは好堅樹を見たのか? いや、見たんだな。場所はわかるのか?」

 ドゥラが息急き切ってたずねた。

「父親はあまりおしゃべりなタイプじゃないから具体的な場所はわからないんだけれど、おそらくサキダルの丘の方だと思う。実は俺も一度行こうとしたことがあったんだ。でもたどり着けなかった。サキダルの丘までも行き着くことはできなかった。けどどうしてそんなとこに行きたいんだ? 正気の沙汰じゃないぜ」

 タパはきいた。

「俺は…見たいものがあるんだ。その絵を描きたくて森の奥へ行きたいんだ。それよりお前が森の奥へ行った話を聞かせてくれないか」

 タパは思い出すように少し虚空を見ると話し出した。

「行ったのは一度だけなんだ。今思うと夢だったのかと思うんだけど、なんだか辻褄の合わないことばかりだし。好堅樹までの最短ルートと思しき道を自分なりに考えてね。王立騎士団はかなり遠回りで森の奥まで行くようだったんで、まぁ大集団だから小回りがきかないんだろうね。こっちは一人だから強行軍でいけるからまだ真っ暗なうちに村を出て森に入ったんだ。月明かりが木々で遮られて何も見えやしない中、道を覚えていなけりゃ危なかっただろうね。そのままひたすら北上して休まず歩き通して川の中を遡上したんだよ。滝を巻いて進んで初めて行く場所だし無我夢中だったんだ。頭は朦朧とするし川から離れてしまって道なんてないし、飲まず食わずでさ、いつの間にか霧が立ち込めて来て完全に道に迷ってしまってどっちに進んでいるかさえわからなくなってしまったんだ。これは死ぬかもしれないなって覚悟したんだよ。そのとき霧がぱっとはれてね。目の前に一面花畑が広がっていたんだ。見たこともない花でそれは本当に美しくてさ。それこそ何万、いやもっとかもしれない。どこまでも花畑が続いていてね、あ、俺死んだんだなって思ったんだよ。天国へ続く道ってこういうものなんだなって」

「それで?」

 ドゥラは話の先を促した。

「その後、どこをどう通ったか覚えていないんだけど、いつの間にか見慣れた景色の場所に出てあの高い塔が見えたんだ」

 この村の南からでも見える背の高い塔をタパは指差した。

「不思議な体験でさ、夢だったのかもしれないし、今初めて話すんだけどさ。さすがに信じられないだろ?」

「それはきっと現実の話だよ。俺は信じるさ。根拠もあるし、よく似た話を本で読んだ記憶があるんだ。瘴気の濃い場所の近くに咲く花があって数十年に一度咲き乱れるって言い伝えで、パタ・デ・スプロッタースペレンっていう名前らしいんだけど、クリーチャーのスプロッタースペレンの足によく似た花が咲くらしいんだ。伝説は各地にあって異常気象の大雨の後に咲くとか、パタ・デ・グアナコって名前が違ったり諸説あるんだけど、今のタパの話と似ているからさ。きっと本当なんだろうって。そりゃ見つけれる可能性は低いかもしれないけどさ、俺はその花を見て見たいんだよ」

 ドゥラは興奮して言った。


「森にはどうやって入ってるんだ、北の門からか?」

 ドゥラがきいた。

「いや、あそこは見張りがいるからさ、無理なんだよ。見つからないとは思うけれどリスクは回避したいしね。自分しか知らない秘密の抜け道があるんだ」

 当然、村では森へ行くことは禁止されている。特に北門から森へ入ることは固く禁じられていて、もし発覚すれば厳重な処罰が下されるが、そもそも森へ入ろうなどという発想自体が村の人間にはないので今まで興味本位で森に入ったものはいないのではないかと思われる。ましてや子供で入った者などタパ以外では今まで誰一人いないだろう。

「改めて俺を森に連れて行ってもらえないか?」

 タパは少しだけ逡巡するそぶりを見せる。けれどドゥラを信用できると判断したようで「わかった」と答えた。

「なあドゥラ、一つ聞きたいんだが、森に入るのは怖くないのか?」

 タパは言った。

「ほんと言うとな、かなり怖いんだよ。一人じゃとても無理だろうな、お前がいてくれるから大丈夫だと思える。禁忌を破るわけだしな」

「禁忌って?」

 タパが聞き返した。

「タブーだよ、タブー。森に入ることは許されないってこと」

「ああ、昔から親からも先生からもなんども言われてたしな。でもお前はそれを破ってでも行くだけの価値があるってことだろ。じゃあ行くしかないよな。怖いって気持ちは大事だからさ、忘れないでくれ。好堅樹まではさすがにいけないけどさ、森には他の珍しい草花や生き物なんかも見れるかもしれないしね。森の奥へ行く手段は今後考えるとしてお前になら見せてもいいすごいものもあるんだよ」

「いつ行ける?」

 ドゥラの心は(はや)った。今すぐにでも行きたい。

「じゃあちょうど明日は学校が休みだし、明日の早朝、墓場の門の前で待ち合わせっていうのはどう?」

 ドゥラに断ることができるはずもない。

「ほんと、待ちきれないよ」

 そう口まで出かかったが、ドゥラはその言葉を飲み込んだ。少し恥ずかしいので口には出さなかった。

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