六章 排泄するだけの猿じゃないといえるかい 11
ワイルドハントの項を丸々載せるのをミスって抜かしていましたのでこの章の後に付け足しました。
ヤニックはできるだけ陰に隠れている。平穏で穏便な日々を送ることがヤニックの信条であった。欲望むき出しで下品な人間にはなりたくない。この仕事は気の合った者同士が寄り集まった訳ではなく、結局の所強制的に一緒にいさせられている面がある。どこにも嫌な奴はいるし、あわない奴がいる。きっとどこへ行っても現状はかわらず似たようなものだろう。まさにその嫌な奴が目の前にいる。査察官の中でもヤニックはこのボルゴンジという男が嫌いだった。
自分はこんな暑苦しいつなぎを着て臭い現場で汚物と血にまみれて作業している。出世欲など特にないし自分の意見を言うのも億劫だ。文句は人一倍言うがでも自分が思ったことを言って何かが改善して良くなった試しはない。ならばなぜそれを言う必要があるのか、それならいっそ自分の中で処¬理してしまった方が良い。ヤニックはいつもそう思っていた。けれど言わずにはいられなかった。ヤニックは一歩前に出る。
「僭越ながら申し上げます、調査団の力イミ・フェアバーンが今だに帰還していません。森へ誰かを派遣して捜索しては頂けないでしょうか?」
ヤニックは査察官に言った。
「おまえ、誰に向かって話しかけている?」
査察官はゴミでも見るような目付きでヤニックを一瞥する。査察官はヤニックを無視するとその場を立ち去ろうとする。
「誰かに話しかけるのに許可などいるはずはないだろ、あんたこそ何様だ!」
ヤニックではなくペニックスが査察官の背中に向かって言った。査察官は振り返る。
「何だその態度は? ここにはゴミが混ざっているみたいだな」
ペニックスがヤニックの後ろから一歩前に出ると今にも飛びかかりそうな勢いだ。すぐさま取り巻きのガタイのいい者が査察官に危害が及ばないように盾となった。
「俺たちは上の言う事に従っていればいい、何も考えるなペニックス」
ヴィタが言う。ペニックスはヴィタの制止を振り切り、言い返す。
「ヤニック先輩は何も悪くありません。仲間の安否が気になるのはあたり前でしょう」
「俺たちは目の前の肉のかたまりを小さく切り刻むのが仕事だ、それ以上でも以下でもない。黙ってろ!」
いつもは物静かなヴィタが珍¬しく大きな声で言った。圧倒されペニックスはひるんだ。しかしペニックスは臆することなくヴィタに言う。
「何が人類の発展に寄与するだ、俺はバカじゃない、ゴミのように使い捨てにされてたまるか。俺にはプライドがある。ゴミ扱いしたやつを許せるか」
ヤニックが止めに入る。
「ペニックス、言い過ぎだ。いちいちカッカするな。ヴィタは悪くない。さぁ眼の解体に戻ろう」
ヤニックはまだ何か言いたげなペニックスを引きずっていく。ヴィタも何も言わずに解体現場に戻る。
「くだらないことに時間をとらせるな、さっさと行け」
査察官の言葉にヤニックはふり返った。マスク越しにでもこちらの殺気が伝わったのか、査察官は踵を返すとその場から逃げ出した。
「助かったよ、ペニックス」
ヤニックは言った。
「何がですか?」
「お前が行かなきゃ俺があいつに殴りかかっていたところだよ」
ヤニックはペニックスの肩を叩いた。ペニックスもまんざらでもない様子だった。
解体作業はえらく杓子定規で融通の利かない仕事である。柔軟性はなく、決まった考えや形式にこだわり工程は忠実に守られ自由度は少ない。一挙手一投足、手順は全て決まっている。査察官によると会社のマニュアル通りの手順で解体するのは単なる技術や効率化のためではない。然るべき敬意を表するための儀式だ、ということらしい。
「君たちは人類の進歩に寄与している! それを自覚して誇りを持って仕事に当たって欲しい」
毎回決まったように言うセリフだ。
査察官は作業手順が守られているか違法なことが行われていないか目を光らせている。すごくどうでもいいことをわざわざこちらの手を止めさせて指摘してくる。それでかなり時間を取られ効率が悪くなるので、来ないうちにできるだけ作業を進めるのだ。よくそんな細かいところを見つけるものだと、ヤニックは腹がたつのを通り越して逆に感心させられる。わざわざ何もないのに無理やり難癖をつけてくるのだ。例えば純水は不純物を含まないようにきちんと煮沸したものが使われているかどうかとか、消毒で使う脱フロギストン海塩酸の濃度はきちんと基準値に達しているかとか、器具は各工程ごとに洗浄し最後は消毒を行っているかとか、防護スーツはきちんと作業中は脱ぐことはなく着たままになっているかとか。そう言う彼らは防護スーツを決して着ないのだ。───当たり前だろう、天鵞絨のマントが羽織れないではないか───なのでかなり遠巻きに作業を見ている。気になることがあると取り巻きに耳打ちし、遠くから走って伝えにくる。そしてこちらの返答を取り巻きが伝えに戻る。まるで伝言ゲームのようだ。
「事故のないように集中して作業しろ」
遠くから査察官が大きな声を出した。再び毎回おきまりのセリフである。その後、作業の工程を見守る役を取り巻きに任せると、遠くで見守っていた背の高い仮面の女性の元へ歩いていく。ヴィタの報告書はあくまで解体に関してのものなので、討伐者などの情報は空欄となっている。そこを埋めるために事情聴取を行うようだ。 では彼が建設王なのか。
ヤニックはスダリアスの傍らに立つ仮面の女性を見ていた。そこだけ空気が違うように見える。到着した際にスダリアスの近くにいたのは件の女性と王立騎士団の制服を着た者が二人、地元の人間だろうか、少年が二人と臥せっているので顔までは見えなかったがグッケンハイム調査団が一人、少年と仮面をつけた弱々しそうな者が負傷していたように思う。建設王があの中にいたのか? いるとすれば長身の屈強そうな男───ヴィタと並んでも体格は同等かそれ以上で日常的に鍛え上げられており、彼が建設王なのかもしれないな、とヤニックは思った。誰も素顔を知らないのでなんとも言えないが。村の少年がもし戦闘に参加したのならなんらかの事情を知っているはずだ。ヤニックは興味があったが、聞きに行くわけにもいかず、遠目に成り行きを見守っていた。ヤニックは仮面の女性が気になったが二度と会うことはなかった。
✳︎ ワイルドハント
粛々と別の一団が北門を通りやってくる。少人数のためか初めは誰も気がついていなかったが、先頭を行く男を見た瞬間誰もが凍りつき、動きを止めて直立不動の姿勢をとり敬礼を始めた。太陽を雲がおおい、風が強くなる。テント脇に建てられた旗が揺れ、篝火が火の粉を飛ばした。解体現場近くにいたグッケンハイムの連中も何事かと北門近くを振り返る。
「モルデカイ様だ…」
小声のささやきはやがて津波のように皆に打ち寄せる。
「ワイルドハントだ」
ヤニックが囁くように小声で言った。隣でペニックスが目を輝かせる。
「もしかして本物ですか?」
ヤニックはそこで興味津々なペニックスの足を踏み黙らせた。皆が一斉にひざまずく。ヤニックはペニックスの頭を押さえて強制的にひざまずかせた。ペニックスは地面に這いつくばるようにこうべを垂れている。
「静かにしてろ、目を合わすんじゃない、黙って下を向いてろ」
「先輩、これじゃ見…」
彼を見ることさえ許されない。
「しっ、黙ってろ」
モルデカイが立ち止まる。静かにざわついていた皆の声は一瞬で水を打ったように静まり返る。査察官も同じくひざまずいて下を向いている。
「そうかしこまるな。皆顔を上げてくれ。ここへ来たのは別件だ。君たちの仕事を邪魔するつもりはない」
モルデカイはよく通る声で言った。威厳、存在感にその場の空気は一変し緊張感が走った。
「同業者じゃないんですか?」
ひそひそ声でペニックスはヤニックに聞いた。
「おまえワイルドハントを知らないのか?」
「知ってますよ、伝承でしょう? 子供が早く寝ないときにモルデカイがやってくるぞ、みたいなやつですよね」
うつむき地面に顔をつけたままヤニックの方を見るとペニックスは言った。
「同業者だが格が違う。ワットのハイエナたちはよくバッティングするが、モルデカイは別物だ。すべて譲りわたす。そういう決まりだ」
鞭のような痩身、髪は真っ白で背は高く、背筋がピンと伸びているのは騎士団の特徴だろう。その眼光は鋭く、こちらの内面まで見られているようで落ち着かない。何も疚しいことをしていないのに責められているようだ。
顔にはひどい火傷を負い、顔はひきつり寝るときも完全には瞼を閉じることができないらしい。クリーチャー・モルデカイとの戦闘で負った傷だ。子供の頃に負った傷だが、つい最近に受けたもののように生々しい。
モルデカイはヤニックとは幼馴染だ。モルデカイは他人を懐柔するのがとにかくうまい。陽の光を浴びて花の蕾が開くように心を開かせるのだ。それはもはや洗脳に近い。彼には人を引き寄せる魅力があった。リーダーシップもあり、誰もが彼に好感を持った。モルデカイはこちらをちらと一瞥したが、ヤニックとは気がつかず先へ行ってしまった。
防護スーツを着てうつむいていれば誰だかわかるはずもないだろう。ヤニックもあえて声をかけようとは思わなかった。ヤニックのことなど覚えてはいるはずもない。モルデカイはほとんど従者を従えていない。先に来ただけで本体はまだ到着していないのかもしれない。このまま森へ入る気だろうか。しかし一体こんな場所に何の用だろうか。
モルデカイが連れている連中は眷属と言われ、不気味な連中だ。一説には死者たちだと言われているがそれを納得できるほど禍々しさを持っていて薄気味悪い連中だ。恰好はワットサルポーグと似ているがあきらかに雰囲気が異なる。
モルデカイ商会はクリーチャー解体を専門に扱う業者の中では最古参の企業であり最大手である。解体業のほぼ半分のシェアを占めている。元々は異なる業種の企業であったがモルデカイが買収し解体業者になった。その頃は解体業者自体がおらず、王の勅許状を受けて設立され王立騎士団に順ずる役割を担うが正式には私的な団体だ。クリーチャーを討伐した際に依頼を受けると所属している解体屋を派遣し、その場で解体し毒腺を取り除くなど瘴気を抑える処理がなされ、素材を運び専門家が加工する。素材は国や研究機関などに売却される。解体屋の技術や素材加工の職人の技術などかなりのスキルが必要であるが、外部に発注したり、下請けに下ろしたりすることなく自社の中で全て処理するのが特徴である。ワットサルポーグとはまったく真逆である。この会社に入るのはかなり難しく、募集は一切していない。
英雄となった幼馴染はそれでもどこか昔の雰囲気を残しており、無性に懐かしかった。先ほどのユールの回想も一役買っていたかもしれない。
モルデカイは少し離れたところで王立騎士団の長身の男と話し込んでいた。ヤニックは気になって聞き耳を立てたがほとんど何も聞こえない。もっと近づきたかったが眷属たちが目を光らせていて近づくことができない。モルデカイは会話を終えると倒れたスダリアスへと───つまりヤニック達のいる方───近づいて来た。
「キマニ」
ヤニックが呼びかける。モルデカイ様と崇めて奉られる事に慣れていたキマニは久しぶりに名前を呼ばれ振り返り鋭く反応した。
「誰だ、いや待て…」
動きが止まる。
「ヤニックか」
キマニは近づいてくるといきなり強くハグをした。キマニの目には涙が流れている。そこには英雄もいなければ、解体班のヤニックもいなかった。ヘントヴェヘルヘムでともに過ごした幼馴染に戻っていた。
モルデカイが何かを言おうとした瞬間、呼応するかのようにスダリアスの死骸の胴体部分が静かに立ち上がった。




