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神の頬に触れるような気持ち  年代記第六章  作者: ヌメリウス ネギディウス


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六章 排泄するだけの猿じゃないといえるかい 7

✳︎ 解体作業 三

 

 血の回収を行っている間に次の作業工程の準備を進める。掃除や雑用は主に新入りが行い、ヤニックが解体、ヴィタが指示をするというのが基本的な役割分担だ。皮を剥いだ後は本格的な解体が始まる。

「次は口だ。その後は眼球だ。準備を頼む」

 ヴィタが言った。ヤニックは立ち上がりケースが積んである場所から道具を運んでくる。簡易テーブルを出し道具を並べていると思ったよりも早くペニックスは戻って来た。どうやら血液の回収は大人数で行われたようだ。ペニックスは防護スーツが血にまみれひどい状態だ。

「おまえ、向こうへ行って〈去勢豚〉に洗ってもらえ、血が固まるとスーツがダメになるぞ」

 ペニックスはせっかく戻って来たが、また走って行った。ペニックスに対してもこうすればいいとかこうしない方がいいとか思うところはある。けれどヤニックは最小限しか言うつもりはない。勝手に自分で考えて身につけてもらいたい。誰かに教えられて身につくことなんてほとんどないのではないだろうか。自分の中で咀嚼して消化することで自分のものになるのだろう。若い奴には若い奴なりの考えがあるしそいつの人生だ。自分が口を出す必要はない。辞めたければ辞めればいいし、むしろ早く辞めた方が得策だとさえ思う。ここには長くいちゃいけない、自分みたいになるぞ、とヤニックはペニックスの背中に語りかけた。

 自分は年齢的にも他の仕事をまた一から始める気は起きない。考えてみるとこの仕事は自分に合っていると思う。初めて現場に入ったとき、解体する男たちに魅了された。エネルギッシュで美しく無駄のない動きに神々しいとさえ思ったものだ。チームとしての団結力がありヤニックはそこに加わることで初めて居場所を得た。とんでもなくひどい仕事だが続いているのは意外にもこの仕事が好きだからかもしれない。もちろんクソのような仕事であることには変わりはないが。消去法でいくと自分にできる仕事なんてたかが知れている。

 誰も自分に対して関心を寄せて来ないところも気に入っている要因の一つだった。解体業の成り手は少ないので他の会社に移っても必ず見知った者がいてその微妙な距離感がヤニックは好きだった。素性の怪しい者ばかりだが、噂話はするが踏み込んでくることはなく詮索されることもなかった。皆、自分に跳ね返り腹を探られると困るからであろう。


 胴体部の解体も順調に進んでいるようだ。〈去勢豚〉の放水にうっすら虹が見える。一方こちらは口と眼球の取り出しには多くの道具を用いるため準備はまだ途中だった。

 口の方は最終的には顎舌骨筋、咬筋、頬筋、頬骨筋、顎二腹筋、口輪筋、ひげ袋、犬歯筋を取り除き、下顎骨、上顎骨を外して解体するのだが、今は舌を外し、歯を取るだけなので比較的すぐに終わる。口の中の解体には眼球と違って繊細な道具は必要ない。どれも大型で耐久力のあるヘビーデューティーな物ばかりである。

 道具の準備を終え、戻ってきたペニックスを従えるとスダリアスと再び対峙する。ペニックスが下顎を、ヤニックが上顎を持ち、思い切り引っ張り口をこじ開ける。閉じている口を開くのは一苦労だ。なんとか開けることに成功するがすぐに強い意志があるかのように再び閉じてしまった。筋肉が固まってしまっていて、人間の力では開いた状態を維持するのは難しい。

「こいつらはな、常に口を閉じようとする力が働くんだよ、たとえ死んでいてもな。作業中に挟まれると、わかるだろ? それで〈去勢豚〉みたいになっちまうんだよ。あいつは挟まれて死にかけたんだが何とか一命を取り留めてな、記憶もなくなってもまだ解体業をしているんだ。能無しだけどな」 

 〈去勢豚〉は相変わらず水を撒いている。

「ペニックス、梨を持ってきてくれ」

 ヤニックが言った。

「梨ってなんですか」

「ああ、口が閉じないようにする器具だよ。そこのケースに入っている。でかいから気をつけろ、落とすと足の骨が砕けるぞ」

 ペニックスが指示されたケースを開き、大きなイチヂクのような形をしたものを取り出す」

「そう、それだ。正式名称は知らんが苦悩の梨に似ているから梨って呼んでいるんだ」

 ペニックスは注意深く抱えてやって来るとヤニックが受け取り、ペニックスにスダリアスの口を開かせその一瞬の隙に開口部にそれをかませた。上部の持ち手を回すと、中の螺旋状態の軸が回転し洋梨本体が縦に分割して展開する。本体が拡張することで閉じていた口が徐々に開き、その状態を維持することができるようになった。

「こんなの人間に使ったら最悪ですね」

 ペニックスが言った。

「人間用の拷問器具を大きくしただけだぞ。他の道具も拷問器具からヒントを得たものも多い」

 口の中は大きな犬歯が上下で四本、門歯、裂肉歯の前歯、奥の平らな臼歯の三種類からなり臼歯以外はどれも鋸歯の形状をしており鋭く尖っている。つねに伸び続け髪のように生え変わるようだ。

 歯の先端部分が摩耗したり折れたりすると後ろにある新しい歯が前に進んで来て置き換えられる。先頭の歯は大きく人の拳大はあるが、新しい成長過程のものは小さい。奥歯の臼歯は主に物をすりつぶすためのもので、平らになっている。歯を見たところ摩耗やたゆみ、酸などによる物理的要因で何本かはダメになっている。後ろからの歯の充填が間に合っていないようだ。

「犬歯には触るなよ、分厚い手袋でも裂けて穴が開くからな」

 歯肉を切開して歯を取り出していく。歯肉も炎症を起こして腫れている部分も多い。外した歯をペニックスに渡し、〈去勢豚〉を呼んでくると歯の洗浄をしてもらう。

「ペニックス、洗い終わったら一旦乾かしてから袋に入れてくれ、黴が生えるからな」

 ペニックスはうなずくと両手に歯を抱えて乾いた草の上に並べている。

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