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神の頬に触れるような気持ち  年代記第六章  作者: ヌメリウス ネギディウス


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六章 排泄するだけの猿じゃないといえるかい 2

✳︎ 北門前


「何か言ったか?」

 ヤニックははっと我に返り、傍らに立つ新人にきいた。テントの中は二人だけだ。ヤニックは昔のことを思い出していた。悔恨、いや別に悔いているわけではない。どちらかといえば達観だ。ああしていればよかったなどと考えがちだが、そんなことをしても何の意味もない。

「タバコを吸っていいですか、ってきいたんですよ、先輩」

「ああ、好きにしろ」

 ペニックスはタバコを取り出すと、表で篝火から火をつけテント内に戻ってくる。紫の煙がテント内に広がった。

「うう、寒い…」

 ペニックスが肩をすくめた。

「タバコでは暖は取れませんね。寒さが骨まで滲み入ります」

「今日は冷えるからな…」

 北門前に集合したグッケンハイムのメンバーたちは各々建てられた簡易テントの中で待機していた。そこにヴィタがテント内に入ってくる。ヴィタは荷物を下ろすと準備してあった防護スーツを着始める。

「手伝ってもらえると助かる」

 ヴィタがそう言ったのでヤニックは駆け寄ろうとするペニックスを手で制するとヴィタの着替えを手伝う。ヴィタは頭部解体班のリーダーでありベテランだ。本名はヴィタ・ベア・テビータ・トゥリアキオノ・トゥィプロトゥ…まだまだ続く長い名前だ。ある特定の地域の人たちの名前だ。その土地はかつて英雄ヴァトレニも輩出したことでも知られている。ヴィタはかなりの巨漢で、腕はヤニックの胴ぐらいあるのではないかと思える。 その上かなり素速く動くことができ体の柔軟性もあり、まさにその姿は野¬獣というのがふさわしい。それゆえ、長年王立騎士団で最前線をつとめてきたが、怪我が絶えず古傷を常に持ちながら戦うことができず、前線を退き現在はグッケンハ¬イムに所属している。

 テントの中は狭く三人入っただけで息苦しい。ヴィタは脳まで筋肉でできているんじゃないか? と影では言われていたが、ヤニックは尊敬していた。実際に彼の上役は彼のことを〈脳筋〉と呼び、それは渾名となり周りのみんなも陰では〈脳筋〉呼んでいる。面と向かって〈脳筋〉と呼べる者はいなかったが本人は何と呼ばれようが全く気にもしない様子で、文句ひとつ言わず黙々と働いている。それゆえ低く見られる傾向がある。頭部担当という厄介な役目を押し付けられているのもそのせいだろう。とてつもなく寡黙な人物であり、ヤニックが最も気に入っているのはその点だった。必要最低限の話しかしない。ノコギリを取れ、だとか明日は何時に集合だ、とか。そういう人物にありがちな必要なことも言わない、という事もないではなかったがあることないこと言いふらす人間が多い中粛々と作業をこなす姿は好感が持てた。

 解体はチームで行われる。受け持つ場所によって人数は異なるが、頭部を担当するヤニック達は三人で一つのチームとなっている。ヴィタがリーダーをつとめ、ヤニックと新人のペニックスが助手として捕助を行う。ペニックスは現場に出るのは今回が初めてのことだが研修などという立派なものはなく、採用すればすぐに現場に回される。常に人手不足なのだ。

 ヴィタはその巨体ゆえ、防護スーツも特注品で一人では着脱ができず着るのを手伝うのも助手二人の役目である。 防護スーツは身体にぴったりと吸い着くような素材でできており、重量もかなりある。隙間から瘴気が入らないようにするためにツナギになっており、頭まですっぽりとおおう一体型のため、かなり窮屈で身動きも取りにくい。ヤニックはいつも着脱時には、爬虫類の脱皮を連想する。ヴィタは背後のファスナーを上げてもらい、頭をすっぽりと覆うマスクをつけ着替えを終える。

「おまえたちも着替え終わったら集合だ。もうじき散布も終わるからな」

 ヴィタはそう言うとテントを出て行った。ペニックスはタバコを丁寧に消すと立ち上がった。残った二人も着替えを始める。

「全身を少し濡らした方が着やすいぞ」

 ペニックスはスーツを着るのに四苦八苦しているので、ヤニックはペニックスに助言してやる。ペニックスは顔は幼いが精悍な体をしており、何より目を引くのは全身に施された刺青だった。刺青が入っていないのは顔ぐらいのものだろう。

「見事なもんだな」

 ヤニックは言った。他人の身体的特徴を指摘しない、と手引書には書かれていたがそんなものは糞食らえだ。

「俺の出身地では、僻地なんですが生まれてすぐに刺青を入れるんです。イカしてるでしょ?」

 ペニックスはそう言うとにっこりと笑った。

 新人なのでヤニックは教育係をまかされている。ヤニックにとって都合何人目かわからない新人だ。最近では仕事が続くように指導することはやめてしまった。ものになりそうな奴は総じて頭が良い。そういう奴はおそろしく低い待遇に疑問を持ちすぐにやめてしまうのだ。それゆえ使い物にならないポンコツが残るという具合だ。

「ヤニック先輩、なんでみんなスキンヘッドか極端に髪が短いんですか? こんな寒いのに」

 ペニックスが言った。

「お前みたいに髪が長いやつなんていないな。鼻当てをしている奴も多いだろ」

 中には眉毛まで剃り落としているものもいる。スダリアスに限らずクリーチャーはシラミやノミが寄生していることが多いのでそれが作業中に感染することを避けるために皆、初めは剃っていた。その名残だ。防護スーツを着るようになってからもスーツの着脱を早くできるように全身を剃毛しているものも多い。また解体業を営む人間のほとんどが嗅覚をやられ、鼻が腐り落ちてしまう病気に罹患することが多い。鼻が腐り落ちる病気は瘴気病の一種であるといわれているが、詳しいことは判明していない。まずは嗅覚を失い、膿が溜まり鼻が紫色に変色し、やがて根元から腐り落ちる。鼻の穴がぽっかり二つ空いた様はかなり間抜けなため鼻当てをして隠している者も多い。解体屋をしているならほぼ防ぎようがないため、すぐに職業がわかる。まぁ嗅覚がある者にこの職業が務まるとは思えないが。ヤニックも今は何の匂いも感じない。匂いは慣れるというが、クリーチャーには当てはまらない。この仕事を始めた当初は一週間ほど何も食べることができない状況だった。

「罪人だからスキンヘッドなんじゃないんですか?」

「あまりデカイ声でそれは言わないほうがいいぞ。元罪人ってのも多い。だが皆が皆、罪人ってわけじゃない。ヴィタなんて罪人面だけどな」

 二人は少し笑った。

「昔はこんな防護服もなかったんだ」

 ペニックスに防護服を着せた後にヤニックはスーツに足を突っ込み、言った。

「それじゃ死人がでるでしょう? 瘴気にやられて」

「あぁ、だから罪人がやるんだよ。罪人なんて使い捨てだからな。昔はそれが許されていたんだ。だが、罪人でもこの仕事に就いて真面目に二年働いたら王から恩赦を受けることができるんだ。続けば自由になれたんだよ。じゃなきゃこんな仕事、とんでもない物好き以外はやるやつなんていないだろ。たとえ罪人でも死ぬとわかっていてやるわけがないさ。なにかしら餌がないとな」

「自由になった罪人はいたんですか?」

 ヤニックは首を振る。

「そこまで長生きだった奴はいなかったみたいだな。今は環境が改善されたから死人は減ったけどな。でも昔といってもそれほど前じゃない」

 職業に貴賎はないというのは完全なる嘘だ。解体業より劣悪な環境があるだろうか、いやないだろう。しかし世相を反映してか労働組合的なものができ、搾取されるだけだったこの解体業も仕事として認められるようになった。以前はこんなひどい仕事があるということで、世間一般の人からすれば自分はこの人たちより幾分マシであるという下を見て生きるということへのスケープゴート的な意味合いもあったのだが、労働組合により危険な作業の軽減や長時間労働の是正などが行われた。しかし、根本的な部分では何も変わっていない。しかもその労働組合の創始者は会社側からすればかなり目障りな存在だったようで逆に会社側に取り込むことで封じ込めることに成功した。今ではその人物は査察官となっている。労働組合はただ存在するだけで機能していない。

「聞きましたよ、先輩は元王立騎士団なんですよね?」

 口さがない連中の口を閉じておくことは容易なことではないらしい。

「遠い昔の話だ。皆の憧れの王立騎士団からこんな解体屋にまで落ちぶれて笑えるだろ?」

 皮肉を込めてヤニックは言った。

「人間てのはな、どんなに落ちぶれても腹が減るんだよ。まぁ俺が偉そうに言える立場じゃないけどな、こうなったのは全て自分がやってきたことの積み重ねだからな」

 今更自らを省みても遅い。もう自分が日の目を見ることはないだろう。日陰の仕事が自分にはあっている。もしもう一度人生をやり直したとしても同じような境遇になるのではないかと思う。それよりもう一度やるなんてことはまっぴらなのだが。

「だからおまえのような若い奴には失敗して欲しくないんだよ」

 ペニックスは何と言っていいのかわからず黙ってしまった。ペニックスとてこんな場所にいるのだ。まともな人生を歩んで来たわけではないのだろう。

「おまえはなぜこの仕事を選んだんだ? 俺と違ってまだ若いんだ、他になんだってできるだろ。ここへくるには早すぎるんじゃないか。いや、別に詮索しているわけじゃない。答えたくなければいいんだが」

 ヤニックは聞いた。今まで他人にあまり興味を持てなかったし、あまり詮索しないのが(されないのが)この職業の良心なのだがヤニックはペニックスに少し興味を持ったのだった。おせっかい、あるいは老婆心ともいえるかもしれない。

「先輩、これは秘密にしておいて欲しいんですが…」

 ペニックスは身を乗り出し小声で言った。ペニックスは話し出す。

「俺はミツクリの出身なんですよ」

 ヤニックは初めて聞く名で、なんと発音しているかわからなかったので聞き返した。

「知らないのも無理はありませんね。極東の誰も来れないような山々に囲まれた峻険な場所にある小さな村です。あたりは雪以外に何もありません。ペニックスというのもあだ名のようなもので本名は別にあるんです」

 ペニックスは自分の名前を言ったが聞き取れても発音はできそうになかった。いちいちたずねられるのが面倒だというのはよくわかる。

「ミツクリは世界でも珍しい狩猟民族なんです。クリーチャーミツクリを討伐して売却することで生計を立てています。ミツクリ猟は特殊でうちの村でしか獲ることができないんで、一匹獲れれば村人全員が数年は過ごすことができると言われています。けれど近年はほとんどその姿さえ見ることはできません。不安定極まりない斜陽な産業です。ミツクリなんてめったなことでは獲れないんで村は年中貧困にあえいでいるんです」

 ヤニックはミツクリ自体は聞いたことがある。本の中での話だが。生態さえ何もわかっていないほとんど発見例のないクリーチャーだ。発音が難しいため通称で呼ばれていた。確か『悪魔』と。流通しているという話は解体業をしている自分でも知らないので、かなり密かに売買されているのだろう。

「ミツクリは捨てる部分がないと言われています。研究目的だけではなく、その素材もかなり高価で、良質な油はもちろんのこと髭や歯は駒や櫛などの細工物に、毛は網に、皮は油に、筋は弓弦などの武具に、骨は肥料に、血は薬用に、糞さえも香料に用いられます。そのすべてがかなり良質みたいですね。村でそれらを使うことはまずないのですけど…」

 ペニックスは言った。

「それだけレアなクリーチャーを始末できるなら貧困になることはないんじゃないのか?」

 ヤニックは疑問を口にした。

「我々はミツクリしか狩ることができません。しかもその猟の仕方は門外不出で、本当はこの話をしてもいけないのですが。まぁ話したところで真似なんてできやしませんが。多くの人たちが責務を果たして組織的に動く、統率のとれた共同作業なんです。少しのミスで命を落とします。各自いろいろな役割があるんですが、それもすべて世襲制なんです。討伐したミツクリは国にのみ卸しているのですが猟をしていること、その方法を明らかにしない、ということを条件としています」

 ペニックスは続ける。 

「けれどもう猟も終焉の時が近いのかもしれません。村には定期的に収入を得る方法がありません。なので俺が出稼ぎのような感じで他所へ出て働いて稼いで帰るんです。広い世界を見たかったし、新しい生計を立てる方法があるかもしれないと思ったので。皆は自分たちはミツクリと共に生きて共に死すなどといって反対しましたが。考え方が古いんですよね。俺は村を出ていろんな場所を見て回ってなんとかグッケンハイムに入り、初めはクリーチャーの討伐を希望しましたがここでは討伐はやっていないということなので解体ならなんの資格もない俺でもできると思ってここへきたわけです」

「ここは思っている場所ではなかったろ、帰りたいとは思わないか?」

 ヤニックは聞いた。ペニックスは少し考えている。

「正直言うと、啖呵を切って出てきた手前帰りづらいのですが、帰りたいのは確かですね。でもしばらくはいるつもりです。まだなにもしていないわけですし」

「こっちでの生活は辛いか?」

 ヤニックが聞いた。

「うまく言えないんですが、こっちの生活は息苦しいですね。村での生活は生きるために生活しているというか極めて不便ですが人間本来の生き方な気がします。村には何もないですが逆に全てが揃っているように思います。本当に美しい村なんですよ。村の外へ出るとよくわかります。自然は厳しくてまったく自由にはなりませんが、それゆえ美しいんです。少しホームシックなのかもしれません。あんなに出たかったのに」

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