五章 老人と死神 14 Be careful what you wish for
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河原へ降りるとギュンドアンの傷口に巻きつけていたタオルは血が染み込み重くなっていた。張り付いていてなかなか取れない。血がとめどなく流れ続けている。
「まったく、なんてことだ」
ドゥラが呟いた。ドゥラは腰をかがめ、水筒の口をギュンドアンの口に当てがった。
「飲んでください」
ギュンドアンは一口飲むが後は吐き出してしまい、激しくむせた。
とりあえず血を止めなければ失血死してしまう。鼠蹊部そけいぶに木の棒をかませて新しいタオルを巻きつけると木を捻っていく。
一捻りごとにギュンドアンが絶叫する。額に汗が噴き出る。口から泡と血を吐いている。舌を噛んだか、とドゥラは顎を掴み口を開けさせると歯が二本折れていた。
ギュンドアンは長く唸り声を上げたが、すぐに黙り込み、荒い息を繰り返していたがやがて大きく息を吸うと静かになってしまった。おこりのように体を震わせる。ドゥラはギュンドアンの頬を張る。
「こら寝るな、目を開けてろ。死ぬぞ」
太い血管から出血しているのか出血が止まらない。
「くそっ、やばい、やばい」
ドゥラは毒づき呪詛した。
「…なんでもする、助けてくれ」
ギュンドアンは涙を浮かべて懇願した。
「私があなたをいじめてるみたいじゃないですか? これでも最善を尽くしてはいるんです」
もう後、思いつく方法は一つだけだ。
「焼くしかないですね」
焼灼止血法といい出血面を焼くことでタンパク質の熱凝固作用によって止血する方法だが、もちろんドゥラは医療に詳しいわけではなく知識だけで実際にやったことはない。
火を起こし、ナイフを熱する。
「いきますよ、その前に約束してください」
ドゥラは言った。
「無事に村に戻れたら僕たち二人をアカデミーに推薦して、あなたが後見人になって下さい。あと、カイミさんの遺体を回収する部隊を派遣して下さい、わかりますか?」
フーフーと荒い息を繰り返すギュンドアン、聞いているとは思わないがドゥラは了承とみなし、ナイフを傷口にあてた。凄まじい絶叫後、ギュンドアンは気を失った。
処置は効果があったようでやっと出血は止まったようだ。傷跡を洗い流すとガーゼを当て包帯を巻いた。ギュンドアンはそのまま気を失ってしまっていたが死んではいないらしい。
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河原から無我夢中でギュンドアンを背負って朝に出発した鞍部のシェルターに引き返した。逃げたであろうスダリアスに出くわすのではないかと内心ヒヤヒヤしたが、遭遇することなく湿原に戻ってきた。湿原にスダリアスの姿はすでになく、あたりはまだ所々草がぶすぶすと燃えてはいたが、しんと静まり返っていた。大半はもう燃え尽きており宴の後のようにひどい有様だった。草がなぎ倒され、土がえぐれている。生き残った羽虫がドゥラのまわりを飛び回る。両手が塞がっているのでドゥラは飛び回るにまかせていた。火が延焼し山火事になると大変なことだったが、それもどうやら大丈夫なようだ。
「タパ、いるか?」
なぜか少し小声で呼びかけたが返事はない。どうやらタパも無事に離脱したらしい。彼の持つスダリアスの場所がわかる地図が欲しかったが、いないなら仕方がない。湿原にスダリアスがいないならどこかへ逃げてしまったのだろう。仕留めることはできなかったが、武器も乏しく、人数も十分でない中では十分な成果だ。少人数のゲリラ戦だからこそうまくいったのだろう。辺りには焦げ臭い煙の匂いとスダリアスの残り香が色濃く残っていた。
カイミの亡骸は凄惨でドゥラの胸が痛んだ。そのまま弔わずに放置することに後ろめたさを感じるが今はどうしようもない。
シェルターが遠目に見えた。煙がのぼり、たなびいていたのでタパが一足先に戻ってきているようだ。カイミを失ってギュンドアンが大怪我を負ってしまったことが想定外だったが計画は悪くなかったと思う。
シェルターに入るとタパが抱きついてきた。ギュンドアンを背負っていたので取り落としそうになる。二人で無事に生き残ったことを称えあう。
「話は後だ、ギュンドアンの手当てを頼む」
どうらは座り込むと荒い息をついた。タパがドゥラの代わりに手当てをおこなう。タパは太腿部分に巻き付けていた包帯を外した。最低限の止血はできていたが、傷は大きく深いため縫合する必要がありそうだ。
「焼いたのか?」
「ああ、それしか方法がなかった」
血は止まっているようだな。とタパは言った。だが、まわりの肉が焼いたために盛り上がっており、傷も膿んでひどい状態なので縫合できそうにない。不潔な環境だし、瘴気も体内に少なからず入っているだろう。これ以上の処置は施しようがないため、気休めに消毒するとガーゼを当て包帯を再び巻いた。最悪、左足は切断しなくてはいけないかもしれないな、とタパは思った。
「助かると思うか?」
ドゥラはタパに聞いた。タパは無言で首を振った。
「でも置いていくわけにはいかないからな」
傷口が疼くのだろう。ギュンドアンは定期的に低い唸り声をあげている。生存確認ができてこちらとしては安心するが、それもいつまでもつかわからない。額に触ると酷く熱い。静かになると心配なのでタパかドゥラのどちらかがギュンドアンの顔をのぞきこむ。ギュンドアンはうすく目を開き、かすかにうなずいてみせた。
明日の朝一番にシェルターをたつことを二人できめた。スダリアスは地図によると湿原の奥にある渓谷に逃げ込んだらしい。赤い点は留まっている。タパによるとそこはかなり深い溪で、近づくのも困難な場所だそうだ。わざわざこちらから出向く必要もないので放置してかまわないだろうが、いつまた襲ってくるかわからないので気が気でない。
ドゥラはある種の興奮状態で、身体は疲れていても頭は冴えていて眠れやしない。腹も空かない。何度も寝返りを打つ。
「無理にでも寝た方がいい、まぁ気持ちはわかるけどな」
タパがドゥラに言った。タパも同様に眠れないらしい。ギュンドアンは静かだが衰弱は激しい。かなり切迫した状況だ。一刻も早く村に戻るべきだ。
外は闇に包まれていて進むことは不可能だった。夜が開けるのを一睡もせずにまんじりと待った。
まだ夜があけるかあけないかという時間にもう我慢できずに二人は出発することにする。
「ギュンドアンを背負わなくちゃいけない。荷物は最低限だけ持って行こう。必要なものは俺に渡してくれ」
胸ポケットにしまった手紙にドゥラは上着の上から手を当てた。必要なものは手紙ぐらいなのでドゥラは首を振った。荷物をまとめるとタパはドゥラに手渡した。
「交代で行こう」
ドゥラは地図を広げスダリアスの位置を確認しながらタパを先導する。川で遭遇したらひとたまりもないが、村へ戻るにはゼルブ川を行くのが最も最短でかつ比較的歩きやすいのでそのルートを採ることにした。
赤い点は依然として渓谷に留まり動かない。このまま動かないでいてくれとドゥラは願ったがその願いは虚しく、点が、再び動き出す。赤い点はリアルタイムで反映しているわけではなく、数分おきに動くので急に点が大きく動き驚かされる。だが見ないわけにはいかないのでドゥラは頻繁に地図をひらいた。タパはスダリアスが近づいてきたら臭いでわかるからそんなもの見なくてもいい、と言ったが追われている恐怖からか地図をみないと安心できない、だいたいの場所を把握していればいいのだと頭ではわかっているのだがドゥラは地図を確認することをやめられなかった。タパは首を振ったがそれ以上は何も言わなかった。
ざざっ、ざざっ、と一歩ごとに足が沈み滑る。上り坂がきつい。直登できないので蛇行するためなかなか頂上にたどり着かない。ギュンドアンは思った以上に重く、一歩進むごとに手が痺れ汗が吹き出す。
頂上に着く頃にようやく日が昇り始める。モノクロの世界が日に照らされる事で色彩を取り戻していく。こんなひどい状況でも関係なく世界はやはり美しいとドゥラは感じた。
ゼルブ川までは尾根伝いに歩いていく。
「なあ、タパ、どう思う?」
ドゥラが聞いた。スダリアスはついてきているのか? と。
「あぁ、ついてきているな。あれでくたばるとは思ってはいなかったが、振り切る方法はないしどうしようもないな。俺たちだけなら森の中に潜んでやりすごすなど、まだ選択肢はあるが早くこのおっさんをつれていかなきゃならないからな」
ギュンドアンは応急処置によりなんとかもってはいるけれど早く適切な処置を受けなければ感染症にかかる可能性は大だった。
「なぁドゥラ、荷物に狼煙が入ってるから打ち上げてくれないか? 村の人に知らせたいからな。色は赤だ」
タパはギュンドアンを背負っていたのでドゥラが荷物を持っていた。中を探して機械式の狼煙射出機をみつける。ちょうど食いつきアンカーを小型にしたような物だ。収納してある四本の脚を伸ばし地面に打ち込む。円筒状の筒に玉を入れ、下部に火をつけ狼煙が空高く打ち上がる。しばらくは色のついた煙が空にたなびく。
ギュンドアンは今頃目を覚ましたのか、一歩歩く度にうめき声をあげる。特にきついのが斜面だった。登りよりも下りの方が神経が削られた。タパと交代で歩いたが後半はほとんどタパが背負ってくれた。それに加えて背後から異常なまでの圧迫感と恐怖が襲いかかり、地図で確認するとまだ離れているとわかっていてもドゥラは後ろを何度も振り返らないわけにはいかなかった。
スダリアスは戦った例の湿原を通り、川を南下して留まっているらしい。川はちょうどドゥラがギュンドアンの手当てをした所だ。狼煙に村の人が気がついてくれればいいが。スダリアスを村に近づけるだけで危険だったし、村の場所を知られるのもまずい。
「タパ、おまえ針の代償でなんの記憶を失ったかわかるか?」
ドゥラがずっと気になっていたことをたずねた。タパはそんなことはすっかり忘れていたようだが少しの間考えると、
「親父が死んで村で葬式をしてから何故ここにいるのか、その間がすっぽり抜けてるみたいだな」
と言った。わりに重要なことかとドゥラは思ったがタパはそれほど気にはしていないようだ。
「小さい頃の事を忘れるよりずっといいだろ、まあ昨日何を食べたかもすぐ忘れる俺だからな」
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