五章 老人と死神 9 Be careful what you wish for
翌朝目覚めるとまだ辺りは薄暗く、夜明けまでにはまだ猶予があるようだ。ドゥラはいつの間にか眠ってしまっていたらしい。焚き火は熾火になっていた。タパの姿は見えず、辺りはかなり冷え込んでいる。いつのまにか毛布がかけられていたので、低体温症にならずに済んだ。タパは気になることがあると言っていたので、あたりをみてまわっているのかもしれない。山に入るようになってからタパはやたらと勘がよくなっている気がする。自然を観察し先を読む力のようなものを身に付けたのかもしれない、とドゥラは思った。ドゥラは立ち上がると全身に血液を行き渡らせることをイメージしてながら軽くストレッチを行う。今日はかなり歩かなくてはいけないだろう。
シェルターの中に入るとカイミとギュンドアンの二人はすでに起きていて出発の準備を進めていた。といっても荷物もなにもないのだが。一晩休息をとったのでだいぶ顔色は良くなっている。
「昨日の残りで申し訳ないけれど、朝ご飯にしましょう」
ドゥラはシェルターの床下にある貯蔵庫をさらえる。塩漬けにしたトカゲ脂の塊を脇にどけると、残っているめぼしいものを引っ張り出した。芽が生えたじゃがいも数個と同じく芽が生えた小さな玉ねぎ、カビの生えたチーズと干し飯がでてきた。十分すぎるぐらい豪華な朝ご飯ができそうだ。
ストーブの役目をはたしていた竃の火も消え、薪も燃え尽きていたがを灰を集めて息を何度か吹きかけると赤く炎が生き返った。薪をくべ火勢を大きくした。炎が安定したら鍋をかけ、汁がもうほとんどないので水を継ぎ足し、魚の骨を砕いで作った粉を目分量で入れた。芽を取り除き、芋と玉ねぎをナイフで乱雑に切り鍋に投入し、しばらく煮込んだ後に干し飯(炊いた米を干して乾燥させた携帯食)を入れ出汁で戻していく。仕上げにチーズを取り出しカビた部分を外しこそげ取って鍋に入れた。卵があれば完璧なのだがそれは難しいだろう。タパに言えばどこからか調達してきてくれそうだが。昨日の夜のデザートの件があったので二人は少し用心しているようだったが、美味しそうな匂いに逆らえなかったらしく皿の中身を夢中で口に運んでいる。残り物のわりにはかなり好評なようだ。タパの分は残りそうにないが、彼は自給自足で森に入るとほとんど食べないようで構わないだろう。ナッツ類で十分らしい。肉類は力になるがすぐに消費してしまうので、ナッツ類の方が良いことを教えてくれたのもタパだ。
そこでタパが戻ってきた。ドゥラに耳打ちする。カイミとギュンドアンの二人は連れ立ってシェルターを出て行った。いてもらっても一向に構わないのだが気を利かせたつもりだろう。
「やはり俺の予想は当たってたよ」
「距離はどれぐらいだ?」
「わからん、だがまだかなり離れてはいるとは思う。近くまで来た痕跡があった。けれど姿を見せずに再び引き返している。今は近くにいるわけではなさそうだ。方角はサキダルの丘の向こうで間違いない。風下だがそれほど臭いが届いていないから実際には一日以上の猶予はありそうだ」
「おそらくだが、巣で瘴気を溜め込んでいるんじゃないか?」
ドゥラは言った。貯蔵型なので普段は自分の縄張りから外へは出ないのだが、もしこちらを狙っているのなら一度斥候した後に体内に瘴気を溜め込み行動を起こす準備をしているのだろう。爬虫類が日光浴をして体内の熱を溜めているイメージに近い。
「こちらのことは気がついているのか、タパはどう思う?」
「おそらくな。分かっていながら泳がされているのかもしれない」
ドゥラは背筋が凍る思いだった。おそらくカイミとギュンドアンはわざと逃したのではないかということだ。
「最短ルートで村へ戻るとして、どこで出くわす?」
ドゥラはタパに質問する。
「川の出合いあたりか、こちらのペースが遅ければピラタスの尾根の手前で遭遇するか。あそこは馬の背になっているからそこで当たるのはまずいな」
タパは地形を想像しながら言った。
「せいぜい一日稼ぐ程度か。どうせ当たるなら安全なルートを取っても逃げきれないだろ。ルートを変えるか?」
「いや、最短でいく。イザルガ川の方から南下しようと考えていたが、イザルガ川はサキダルの丘からほど近いので、遭遇するのを早めてしまう。わざわざ敵の近くに向かうことはないだろう」
「夜通し歩くのか?」
「そうせざるを得ないな。相手は昼行性だから夜通し歩けば最短で行った方がまだ生き残れる可能性はある。いや、どうせ逃げ切れやしないなら俺に考えがある、あのヤセ尾根の先にある湿原でなんとかしよう」
「なんとかなるのか?」
「いやなんともならないのはわかっているが無駄とわかっていても抵抗しないのは悔いが残るだろ。あの世で父親にできるだけのことはやったって言えるぐらいはしとかないとな」
死ぬ前提なのが悲しいところだが、タパの言いたいことはわかる。
「だが、とりあえず相手の位置がわからないと対策の立てようがないな。まさかくくり罠で仕留めるわけにはいかないからな」
「わかる方法があるかもしれない」
ドゥラは言った。
英雄が現れるとは思えない。死神と老人の話を思い出す。目先の利益を優先するととんでもない結果を招いてしまうことになる。それでもドゥラはこの状況が良くなることを願わずにはいられなかった。
シェルターに戻って来た二人にドゥラは説明をする。タパは後ろで黙って聞いている。タパは頭に血がのぼると言わないでいいことを言ってしまうタイプなので、自制するようにしているのだ。冷静なドゥラにいつもこういう時に任せているのはそのためだ。
「今から今日の行程を説明します。相棒と相談したのですが、今いる川を南下して最短ルートで村まで戻ろうと思っています。ペースはかなり速いと思います。まずはピラタスの尾根の手前にある鞍部コルを目指します。かなりの強行軍になると思いますが想定内の時間にシェルターにたどり着けない場合は野宿となります」
なんとしてでも早く湿原までたどり着かなくてはならない。そのためには早く動いてもらう必要があった。
ドゥラの説明の途中でカイミが口を挟む。
「こちらは怪我人もいるのでそれほど速くは歩けないと思うのですが」
「そこは考慮しますが、お約束はできません」
ドゥラは毅然とした態度でそう答えた。
「この川を南下しても村へは行けないのでは?」
カイミが質問を返してくる。
「難所なのでたどり着けないというだけで時間的には最短のルートです。川の難所である滝は回避する予定です。南下し、さらに東にあるピラタスの尾根を超えてヌカビラ湿原を突っ切ることで東側から村を目指すルートを取ります」
「わかりましたが、そんな危険な場所を抜けてまで急ぐ必要があるのでしょうか?」
カイミは何か感づいている様子だ。
「急ぐ必要はあります。それも関係するのですが…」
そこで、ドゥラは息を吸った。
「聞きたいことがあります。あなたたちは針は使いましたか?」
ドゥラが真剣な眼差しでギュンドアンたちに聞いた。ギュンドアンらは目を丸くしている。
「針を使って、失敗したんだな。それですぐに退却すれば死人もでなかったものを。欲をかくから全滅するんだよ」
タパが我慢できなくなったのか立ち上がり口を挟む。
「生き残ったのはあんたらだけか?」
二人は目を伏せて答えない。
「まぁ言いたくなければ別にいいけど、事の重大さがあんたら分かってないみたいだけど、今その化け物スダリアスがついてきてるみたいなんだ。なんでついてくるのか理由はわからないけど」
ドゥラが目配せするとタパは肩をすくめ(すまないというジェスチャーだろう)その場に座った。スダリアスという言葉にカイミとギュンドアンはビクリと反応を示した。
ギュンドアンは頭を抱えている。
「我々は調査隊です。スダリアスの位置を特定するために森に入りました。けれど全滅してしまい、もう逃げるだけで精一杯だったんです。どうやって逃げたかも覚えていません。他に生き残った隊員がいるかもわかりません」
カイミが言った。
「私たちに言ってもしかたがないですよ、対抗するための武器とかはないんですか?」
ドゥラは丁寧に言った。
「無理だ。戦ってどうこうできる相手じゃない」
ギュンドアンは歯ぎしりしながら言った。恐怖を思い出しているのだろう。
「逃げるにしても相手の位置がわからなければ話になりません。針を持っているのなら出してもらえないでしょうか?」
ドゥラは言った。
カイミは胸元から小さなケースを取り出した。ギュンドアンは制止したがカイミは聞かなかった。ギュンドアンは舌打ちする。ドゥラがそのケースを受け取った。
「これはアーティファクトです。対象に刺せばその現在地を地図上で把握できます。どこにいるかわかればアドバンテージになるし対策を立てることもできると思います」
カイミが言った。ドゥラは針を見つめている。細い針を想像していたが、かなり太く、両方の先端が鋭く尖っている。ケースの中には数本残されている。実物を見るのは初めてだったが、こんなに小さくてもアーティファクトだ、人を魅せる不思議な力を感じる。ドゥラは我に返る。
「そんな都合よく相手に刺せるものなのでしょうか? 現にあなたたちはこの針を使いこなせなかったわけですし、近づくことさえ困難なのでしょう?」
ドゥラの言うことはもっともだった。タパが手を上げる。
「俺に考えがある。俺が行くよ。無理ならすぐ戻るさ」
タパは言った。
「針には一つ難点がありまして…」
言いにくそうにカイミがいった。
「代償だろ、等価交換か?まぁそんなのどっちでもいいけど。死ぬわけじゃないんだろ?」
「でも記憶がなくなるそうで…」
「まぁ死ぬよりはマシだろ」
タパはカイミに遭遇した場所を聞き、すぐに一人で出発の準備に取り掛かる。
「死ぬよりマシといったが、行けば死ぬぞ」
ギュンドアンが暗く沈んだ声で言った。
「心配してくれてるのか? まぁ誰か行かなきゃならないんだからこの中で動けるのは俺だけだろう。あんたらの荷物も必要だろうしな」
「時間的に間に合うのか?」
ドゥラは言った。自分たちは南下してピラタスの尾根に向かう間にタパはサキダルの丘の先の森の深奥へ行き、さらにスダリアスに何らかの方法で針を打ち込み、カイミたちの荷物を回収し、ピラタスの尾根まで行き合流するのだ。
「スダリアスがいる森の奥で野宿なんて正気の沙汰じゃないだろう? スダリアスと添い寝なんてまっぴらごめんさ、そんなとこで寝れるほど俺は肝が座っちゃいないよ」
タパは言った。
「自らスダリアスの懐に飛び込んで行くなんてバカげてる」
ギュンドアンは言った。タパは少し笑った。
じゃああんたたちが行けばいいだろ、喉元まで出かかった言葉をドゥラは飲み込んだ。タパは一度決めたことは何があってもやり遂げる男である。ドゥラはタパの性格をよく知っている。
「ドゥラ、あとは任せるよ。今夜もし来なかったら待たないでいい。先に行ってくれ」
タパはギュンドアンの言葉には返事をせずドゥラにそう言うと、針の入ったケースをポケットにしまい荷物の準備を整えて「そろそろ行くわ」と言い、ドゥラとフィストバンプをかわした。死ぬなよ、などと言うと今生の別れのようになってしまうので、ドゥラは言わなかった。
「鞍部のシェルターで待ってるよ」
ドゥラはそれだけ伝えた。タパが行ってしまうとシェルターの中はしんと静まり返った。
「我々も出発しましょう」
ドゥラはそう言って立ち上がった。




