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神の頬に触れるような気持ち  年代記第六章  作者: ヌメリウス ネギディウス


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五章 老人と死神 4 Be careful what you wish for

 二日目。

 翌朝あたりはまだ暗かったが二人はすでに起きて出発の準備を整えていた。ドゥラは変な姿勢で寝たために体中の節々が痛んでいたが何度かストレッチをすると幾分マシになった。環境が変わるとなかなか寝付けない質なのだ。地面も平らではなくて土の上で寝ると思っている以上に体温が奪われるらしい。今後気をつけることにしよう。昨日はなかなか寝付けずにずっと半覚醒のような状態でかなりの寝不足だった。タパはよく眠れたようで羨ましい限りだ。シェルターの外は緑の匂いがした。ドゥラはこの緑の匂いが大好きだった。特に早朝にこの匂いを嗅ぐのが好きだった。近くの沢で顔を洗う。水は顔が切れるのではないかと思うほど冷たく、眠気が吹き飛んだ。雨は小康状態で、降ったりやんだりを繰り返していたがどうやら完全にはやみそうにはない。ぐずぐずとはっきりしない天気がここ最近続いている。タパの父親の葬式の日も雨の合間だった。

 あたりはやっと白んできてかろうじて見える程度だ。朝靄がでていて視界は悪い。


 昨日と同じく緩斜面を進んで行く。藪に比べれば歩きやすい。これを歩きやすいなんて言えるならおまえも立派な山行者(マスター)だな、とタパに言われた。名前の知らない様々な樹木が立ち並ぶ緩斜面を登ったり降りたりを繰り返し進んで行くのだが地面がぬかるんでいてよく滑った。登る時より下る時の方が足への負担は大きかった。前を行くタパはまるで平地を行くようなペースですぐに置いていかれる。しだいに傾斜がきつく、そして距離が長くなってきた。昨日右前方に見えていたポロシリ岳の峰に近づいているのだろう。タパの残した踏み跡を辿りながら峰を登り切る。一足先に到達していたタパは石に座って休憩をしていた。ドゥラはすっかり息が上がっていた。

「目的地はあと半日ってところだな」

 タパは何かもぐもぐと食べながらそう言った。何を食べているんだ、ときいたら「草だ」と言われた。口の中が乾燥すると喉をやられるそうだ。なかなか繊細なんだな、と思う。

頂上は雨が降っていなければ存外素晴らしい景色だったろうが、ガスのせいで何も見えなかった。ここはいつもガスに覆われていて反対側に降りれば湿原があり、そこまでずっと何も見えないのだとタパは言った。

 立ち木もほとんどない斜面を降りて行くと丘のような場所に出た。

「ここからがポロシリ川だ」

 とタパは言ったが、どこが川なんだ? とドゥラは思った。

「こういう場所は扇状地というんだ」

 タパはそう言ったが父親に聞いたんだけれどな、と小さい声で言った。

 一見見通しのよい丘状の場所だったが、北側を見ると確かに川なのがわかる。左右は進むにつれて切り立った崖になっていくようだ。太古の昔から何十年も川の流れが木の枝や倒木などを上流から押し流され折り重なり、その上に左右の斜面が風雨により土砂が崩れ、流出し堆積したためにこのような丘状の土地が出来上がったらしい。ここは見た目以上の難所だとタパは言う。川の詰めは同じような状況になっている場所が結構あるらしい。ポロシリ川もイザルガ川も中流には流れがあるそうなので、枯れて見えるが地中深くには流れがあるのかもしれない。左側の川の下流を見ると同じような地形が続いているのが見える。

 扇状地をドゥラは甘く見ていたことを痛感した。砂礫の丘はかなり歩きやすいように見えたが、一歩進むごとに埋もれてしまう。足を引き上げてまた埋まる。どうにかして楽な方法はないかと考えるのだが、何も思いつかずただ何も考えずに足を出し続けることが最良だとわかってからはただ足を前に運ぶことを繰り返した。

 どれだけ進んだのか、どれだけ時間が経過したのかドゥラにはもうわからなくなっていた。全身は泥だらけでもうくたくただった。なんだか無性に腹が立ってきた。なんでこんなことをしなくてはならないのだ。そのまま倒れ込んでズブズブと泥の中で眠ってしまいたい。足を前に踏み出しそのまま倒れこもうとした。すると目の前に手が差し伸べられ、無意識にその手を掴む。ドゥラはその手を取って引き上げてもらった。

「もうすぐシェルターにつくよ、頑張ってくれ」

 タパの言葉通り、砂の地獄はいつのまにかしっかりとした地面になっていった。

 足元には硬い石の大地だ。ドゥラはそこに寝転んだ。タパも同様に疲れたらしく二人でしばらく寝転んでいた。

「学校をサボって、こうやってよく寝転んだっけな」

 ドゥラが言った。タパは笑った。

 これ以上の難所は先にはなく、タパは安全なルートを選んでいるようで比較的苦労することなく先に進むことができた。泥と砂礫はいつしか大きな岩にかわり、その下に流れを見ることができるようになっていた。

 「本来はこの辺りは水の流れはないはずなんだけれどな、長い雨季のせいで川の流れが復活したのかもな」

 タパは言った。流れに沿って右岸を歩いて行く。河原はかなり広く歩きやすい。左右は相変わらずの高い崖で、深い渓谷なのは変わらないが広い河原があるだけで閉塞感はあまり感じなかった。しばらく歩くと沢が開けて明るい場所に出た。

「着いたな、ここが火葬場だ」

 そこはまるで天国のようで、ここを神聖な場所として火葬場としたのもうなずけるほど美しい場所であった。人がこの世から旅立つのを見送るにはここ以上にふさわしい場所はないだろう。いつの間にか雨は上がっていた。

「どうやらここで間違いないらしいな」    

 一度しか来たことがないためタパはあまり自信がないようだった。タパによると森の景色は同じ場所でも季節によってガラリとかわるそうだ。二人で少し辺りを調べてみると崖の近くがえぐれていて下の石が全体的に黒くなっている。そこが火葬場のようだ。脇に祭壇のようなものがあるが残骸となっており、劣化によるもので故意に壊されたものではないようだ。旋風(つむじかぜ)のようなものにさらわれたのかもしれないな、とタパは誰に言うでもなく言った。

「じゃあ、始めようか」

 タパは幾分畏まってそう言った。流木はまわりにいくらでもあったのでドゥラが集めて回った。どれも雨に濡れてはいたが中はカラカラに乾いている。森を歩きながら集めた焚き付けにタパが火をつけるとすぐに盛大な炎になった。火が安定してくるとタパは父親の遺体の一部が入った袋を荷物から取り出すと無造作に火の中に放り入れた。すぐに引火し袋は炎に飲み込まれた。袋は一際熱く赤く燃え、バチバチと音を立てて爆ぜた。数十分で燃やし切ったのでそのまま炎がおさまるのを待った。灰が温かい空気に煽られて空中を舞う。まるで魂のようだな、とドゥラは思った。燃え滓から炭になった薪をどけて灰をどかしていく。まだ火種が残っていて時折蛍のように赤く瞬いた。まだ熱いので棒を使って骨を拾う。丸い腸骨が確認できる。腰椎や仙骨、尾骨など焦げた木片にも見える骨をタパと一緒に集めて平らな石の上に並べていく。熱々なので触れることはできない。少し冷たい風が吹いた。空は依然として曇っていて高い空をトンビがゆっくりと舞っている。こちらの様子を伺っているのだろうか。タパと二人、河原にしゃがみ込んでしばらくトンビを見ていた。どこまでも静かだ。

「それで、どうするんだ? これから」  

 ドゥラが聞いた。

「とりあえず腹が減ったろ」

 そう言えば何も食べていない。

「シェルターに案内するよ」

 タパは言った。

「骨はそのままにしてて大丈夫なのか?」

「誰も取りゃしないよ」

 とタパは言った。

 

 まだ日暮れには少し時間があったが、タパは歩みを止めた。

「ここら辺だと思うんだけどな」

 シェルターは河原から少し離れた一段高くなった崖の近くに作られていた。大雨が降ったとしてもシェルターまで浸水しては来ないだろう。簡易的だったが、立派なシェルターだった。

「こういうシェルターが森の中にいくつもあるんだよ」

 タパは言った。中はしばらく使っていなかったので埃っぽかった。タパはつっかえ棒を噛ませて小さな明かり取りの窓を開けた。一条の光が差し込み埃がキラキラと光った。シェルターの中は人が二人で過ごすのに十分なスペースが確保されていた。なにより床があることがドゥラは嬉しかった。壁にはいろいろな罠や道具がつるされていてどれも使い込まれている。

「こうやって靴と靴下を脱いだ瞬間が一番好きなんだよ」

 タパはそういって竃の上に作られた火棚に靴と靴下を置いた。火棚は本来魚を干す場所らしい。小屋には燻された魚の匂いが染み付いているようだ。タパに倣いドゥラも靴と靴下を脱いだ。タパの言う通りかなりの快感だった。干す前に靴下を絞ると水がぼたぼたと落ちた。シェルターは中で火を焚いても煙を逃がすように作られていて煙たくなく前のシェルターと比べると何倍も過ごしやすかった。

「いろいろ備蓄してあるんだ。新鮮なものはないから野菜類は取ってこなくちゃいけないけどな、贅沢言わなければ結構立派なものが食べられるんだぜ」

 さっそく夕食の準備に取り掛かったタパは言った。ドゥラが何か手伝うよ、と言ったらお客は座ってな、と言われたのでその言葉に甘えることにする。体はかなり疲れていた。

 夜ご飯は山菜三種のスープだった。あとは魚の干物を鍋に入れて戻したもの。デザートもあるそうだ。出来上がった料理からはいい匂いがする。

 山菜はねっとりとした舌触りで、ネギのような食感でほんのりと甘く疲れた体に染み渡るようだった。

「なんて山菜なんだ?」

 ドゥラが聞いた。タパは道すがら山菜を集めていたが、この料理に使うためだったらしい。

「なんだったかな、名前は忘れたがうまいだろ?」

 魚料理も絶品だった。干物からはいい出汁がでていたし、とろみがあって深い味がした。水で戻しただけだったが身は意外に柔らかくてうまかった。

「調味料は塩しか入れていないけど、結構イケるだろ」

 ドゥラは満足して大きく頷いた。

 デザートには芋虫を焼いたものが出てきた。タパが昨日雨の中、倒木の皮を剥いていた時に見つけたそうだ。成長すればでかい蛾になるそうだが、それは聞かなかったことにしよう。芋虫でも見た目はかなりグロテスクな代物だが、タパが言うにはクリーミーなピーナッツバターだと言う。騙されたと思って食べてみろとやたらに推すので食べてみたが、味は表現できないほど不味く(一番近いのは鼻水かもしれない)すぐさま吐き出した。それをみてケラケラタパは笑っている。

「お前、どこがピーナッツバターだ! お前の味覚は死んでるんじゃないか? どれだけ飢えててもこんなものは俺は食べないからな」

 ドゥラは吠えた。


 食後はタパの入れてくれたお茶を飲みながらぼんやりと話をする。お茶はルイボスのような爽やかで少し薬のような味がしたが悪くはなかった。何事も芋虫に比べれば。

 森の中にはいろいろな場所にシェルターがあり、各地にあるシェルターもタパの父親が建てたものだそうだ。村にいない間は森のどこにシェルターがあるかその場所をタパに教え、また備蓄食糧の補充も二人で行って森中を歩き回っていたらしい。

「シェルターは出合いに作ることが多かったみたいだ。森の奥への中継基地みたいなもんなんだろうな。あとはコルと呼ばれる鞍部にも多い。なかなか平地が森にはないからどこもかなり狭いスペースに作られていることが多いんだ。親父には森の地形なんかも教えてもらった。ここ数ヶ月は楽しかったよ。俺はいい息子ではなかっただろうとは思う。もっと親孝行しておけばなとは思うが今更どうしようもないね」

 タパはそう言った。タパは父親の死後、この森に入ってから考え込むことが多くなった。なんだか自分との関係性が変わっていくようで少し寂しいなとドゥラは思う。時々二人で笑い合っていてもこの瞬間はすぐに過ぎ去ってもう二度と戻ってはこないんだな、という気持ちにしばしば襲われる。そしてそれは真実なのだ。

「なあ、もう用事は終わったけどさ、もう少しここにいないか?」

 ドゥラがそう言ったのはタパが変わって何処かへ行ってしまうような寂しさからだったのかもしれない。まだ二人で馬鹿なことをやっていたかった。

「さすがドゥラだな。俺もそう思ってたよ。骨を集めて川に流したら目的は達成だしな。ここより先は俺も行った事がないし、狩りとかするのもいいかもしれないな。俺の狩りスキルをみせてやるよ」

 決まりだな、二人はそういうとフィストバンプを交わした。

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