一章 行軍 3
「いい加減にしてください」
ヘルペチクが怒りを露わにする。
「なんだ、少年。そう怒るなよ、私は親切心で言っているんだ」
カルザイが軽くいなす。
「フォイヤーラントさんを見下したような発言をする人など信用できると思いますか?」
ヘルペチクは思う。この男が無能であれば話は単純なのだが何か魂胆があるにせよ有能なことはわかっている。無能な人間が王の側近になり、このような場所に派遣されてくるわけはないのだ。オムロープ戦役で見た時の印象はかなり鮮烈で記憶を鮮明に思い出すことができる。素晴らしい身体能力を持ち素早く音も立てずに走る姿はまるで獰猛なネコ科の肉食獣のようであり、カルザイの能力は群を抜いていた。闇夜の中でもまるで普段と変わらない様に行動した。肌が黒いから闇に紛れて有利だろう、と冗談を飛ばす余裕さえあった。
「見下してなどいないさ。君は高い能力を秘めている。勿体無いと思っただけだ」
「なぜそんなことがわかるんです? なにも知らないでしょう。いい加減なことを言う人はますます信用できません」
「私は人を見る目はあるんだよ、長く生きているからね。クラニオにいる限り君はそのまま腐っていくだろうって話だ。環境っていうのは意識しない間に毒のように体を蝕んでいくんだ。長くいればいるほど身動きが取れなくなって気が付いたときにはもう手遅れになる。生活のため、家族のため、他よりはマシ、慣れていて楽だから、そんな言い訳を作ってクソみたいな理由でクソ仕事をやるなんて自分を殺しているようなものだ。お前たちの装備を見てみろ、鹵獲品なんだろうな、てんでばらばらでまるで小さな村の農民みたいだろ。戦い方も場当たり的でてんで組織立っていない。人数という物量で押し切る古いやり方じゃ今は良くてもジリ貧だ」
ヘルペチクも実は同じように思っていた。
「おまえらは顎でゾッホを狩った時の原始的なやり方から今までなんら進歩していないだろう。あれから何年経っていると思っているんだ? 未だに崖の上から大きな石を落としてクリーチャーを殺せるとでも思っているのか? あんなものは戦略とは言わない。小さな組織では人員も装備も限界があり、潤沢な資金があるわけでもない、それなりの成果しか上げることはできないんだ。あげく便利屋のように扱われ最前線の危険な場所に送り込まれて最後はゴミのように死ぬ。私はそんな若い奴らを嫌という程見て来た」
遠く、目的地である大聖堂がある高台を望むリンブルフの入り口に差しかかろうとしていた。海から街への入り口にはかつて存在した巨人像の倒壊した残骸が放置されており、その辺りでクラニオは立ち止まりこちらが到着するのを待っているようだ。
「傭兵はどこも皆似たようなものでクラニオが特別悪いってわけじゃないとは思うけどな。フォイヤーラントは命を預けるに値する人間だが、フォイヤーラントについていってもお前はあの人にはなれない。別の道を行くべきだ。フォイヤーラントが死んだらお前らは崩壊する。王立騎士団は違う。私を失ってもさほど影響はない。なんなら私から君をアカデミーに推薦してやってもいい」
「裏があるんでしょう?」
「勘ぐりすぎだ。私は有能な人間はほっとけない質なんだ。もしかしたらレヴェル様のような英雄になれるかもしれないのにここでみすみす失ってしまうのは世の中にとっても大きな損失だろ。違うかい、少年?」
「買いかぶりすぎです。アカデミーで学ぶような温室育ちの優等生なんかじゃないので」
カルザイは少し笑って言った。
「ここに連れてきた王立騎士団の連中をみてみろ、温室育ちなんて一人もいやしないぞ。私が選りすぐったからな。私より優秀な人間が揃っているよ。どんなクリーチャーでも瞬殺だろうな。あいつらもみんなお前と同じような者ばかりだ」
勧誘するほど王立騎士団は人員不足なのか、そうヘルペチクは思ったが黙っていた。信用はできないが心惹かれることは認めざるを得ない。英雄になることには興味はなかったが、自分の能力を最大限に生かすことができる環境に移ることができるのならそれは悪い話ではない。クラニオは居心地は良いがここしか知らないのでいつかは出るべきではないかとは思っている。
「少年はどこの出身だ?」
「わかりません。隊商がクリーチャーに襲われて皆殺しにあったところをクラニオの隊に助けられたって話です。まだ物心がついていない赤ん坊の頃なので憶えていませんし、他の人から聞いた話です。父親も母親も記憶にありません。それをクラニオが拾ってくれたってどこにでも転がっているよくある話です。自分には名前さえなかったけれどフォイヤーラントさんがつけてくれたんです。フォイヤーラントさんは親であり命の恩人でもあるんです」
「もしかしてシルキュイ・フランコ・ベルジュ戦役の生き残りなのか。少年も私と同じ蛮族の出身だろ」
「少年じゃありません、私には名前があります」
「私はカルザイだ。名乗るのが遅れて申し訳ないね」
「あなたを知らない人間なんてこの世にいませんよ。ヴァトレニ様」
「やめてくれ、その名前は私には重荷すぎる。待て、これは大事な話だ。もしかしてお前の名前はカルザイか?」
「ええ、あなたと同じ」
私と同じ名前を持つ少年か。2R博士の言った通りなのが癪に触るが符合する事柄がなければ大きな決断をする際、言い訳を作って逃げてしまうからそれでいいのかもしれないな、とカルザイは独り言ちた。
私はここで今日死ぬのだ。少しばかり感傷的になっていることは否定できない。前から決まっていたいわば運命なのだとカルザイ自身確信していた。少年と会ったことは偶然とはいえこれは必然なのだろう。
カルザイは声のトーンを落としヘルペチクにだけ聞こえる音量で話した。
「いいか、よく聞け。そしてこのことは誰にも言うな。お前は私が死ぬ時、他に大量にまわりに死体があったとしても迷わず私の首を手にしろ。たとえフォイヤーラントが一緒に死んでいたとしても、私の方を必ず手にしろ」
あまりにも突拍子も無い話でヘルペチクは驚いたが、カルザイの顔は真剣だった。それは反論を挟む余地を与えない話であった。
「それは比喩的なことですか?」
「いや、違う…」
そこでカルザイは話を辞め、急に話題を変えた。先行していたフォイヤーラントが音もなく前方から現れたためだ。ヘルペチクはカルザイとの会話に夢中で全く気がつかなかった。
「前途有望な青年をそそのかすのはそれぐらいにしておいてくれ」
フォイヤーラントは二人に声をかける。
「フォイヤーラント、来ていたのか。有望な人材はいつでも大歓迎だ。アカデミーの門戸はつねに開かれている」
いくらか芝居掛かった物言いでカルザイは言った。
「いつから勧誘員になったんだ。お前に人を見る目なんてないだろう」
「私が最も評価しているのはあなただからね。見る目はある方だと思うけれどな。それに私と同じ名前の有能な少年を見逃すはずはないとは思わないか?」
フォイヤーラントは鼻で笑う。
「あの時、シルキュイ・ベルジュがお前の出身地だったな、というただの思いつきでその子に名前をつけただけだ。深い意味はない。なんだってよかったんだ」
「私のことを少しでも気に留めてくれていたのならこんなに嬉しいことはないんだけど」
「やめてくれ、俺にそんな趣味はない」
どうやら先ほどの首云々(うんぬん)の話はフォイヤーラントさんには話す気はないらしい。二人の会話を聞きながらヘルペチクは先ほどカルザイが話したことの意味をずっと考えていた。
「けれどこの少年はいずれお前より有能になるだろうな」
フォイヤーラントはその大きな手でヘルペチクの頭を撫でた。
「俺がクラニオのリーダーになったらさらに規模を拡大して王立騎士団並みの組織にするつもりだ。今はまだ理想でしかないけれどな。俺たちの中で戦闘訓練を受けた者などほとんどいないだろう。文字を読んだり、計算ができる者もいるか怪しいところだ。作戦を計画して実行する統率力のある者など皆無だ。だがこいつは違う。いずれはクラニオのリーダーとなるだろう。クラニオを王立騎士団並みの組織にするそのためにはこいつが必要だ」
ヘルペチクは自分がそれほど期待されているとは思ってもみなかったので驚愕していた。
「今の王立騎士団は英雄に頼り、未知なる危険なアーティファクトに依存している。違うか? 英雄たちは超人のように脚光を浴びているが本当のところはわからない。所詮は同じ人間だ、昔のような絶対的な強さはないだろう。世間はうまく欺けてはいるようだけどな。アーティファクトに頼っている現状もそう長くは続くとは思えない。いくら楽観的なお前でもそう思っているはずだ。あんなどういう成り立ちで動いているのかわからない誰も制御できないような代物に頼らざるを得ない状況はかなり危険だと思わないのが俺は不思議だ」
アーティファクトは歴史的遺物とも呼ばれ太古より遺跡などで発見されてきた。現在の人間には作ることはおろかその効果さえわからないものも多く、使い方が研究され判明したものもごくわずかである。アーティファクトは人間にはオーバーテクノロジーでありとてつもない力を与えてきた。しかし使用に際し、相応の代償を支払わなければならず、その代償があまりにも大きいため使用が禁止されてきた経緯がある。かつてはアーティファクト師と呼ばれるアーティファクトを作ることができた人物がいたが───これもまたなぜか同じ時代に集まる傾向があった───現在はいない。例えばアイゼルネ・ユングフラウやヨハン・ニコラウス・フォン・ドライセなどがおり、もちろん彼らのアーティファクトにも代償が必要である。禁止されていてもクリーチャーを倒すにはフォイヤーラントが言ったように人間の力を凌駕するアーティファクトを使うしか方法がないのが現状である。かつての英雄たちも、例えばマーク・ドゥ・バインは魔銃、相手の痛みを知れを用い、英雄とアーティファクトは切っても切れない関係と言えるだろう。それは現代でも変わらない。
「アーティファクトの権化のようなランスロット侯に仕える身としては何も言えないけれど、あんたの言っていることは概ね正しいだろうな。分不相応な力を何も考えずに使い続けていたら大きなしっぺ返しがくる、それは当然の報いだろう。それが今日か明日かわからないが、人間っていうのは今が良ければそれでいいと思うからね、何か問題が起こるまではなんの対策もとりはしないだろうな」
カルザイとフォイヤーラントの二人の間にはいつしか昔のアカデミーの頃のような空気感に戻っているように感じられた。人と人というものは会わない年月があっても関係は基本的には変わらない。再会すればすぐに元の関係に戻ることができる。ヘルペチクは詳しいことは知らないがフォイヤーラントの態度からおそらく二人の間には深い確執があったはずで、お互いに所属する組織は違って主張はしているが向かうところは同じで似た者同士なのかも知れないな、と思った。
「ではその少年は諦めよう。その代わりといってはなんだが、オシュテルとフランク・ヘーレンを返してくれないか。オシュテルとフランクもうちに来れば即戦力だ。クラニオに置いておくには宝の持ち腐れだろう。うちのイケム・イクアヌに匹敵する凄腕だ」
カルザイの言葉にフォイヤーラントは呆れた表情を浮かべる。しかしそれほど嫌がってはいないようにヘルペチクには思える。このようなフォイヤーラントを見たのは初めてだった。
「相変わらずふざけた野郎だな、お前は。いつの間にかお前のペースになってしまう。昔からそうだった。大体元はと言えば二人とも王立騎士団をお払い箱にしたのはお前たちだろう?」
「私が直接クビにしたわけじゃない。どこかのバカが規律を保つために処罰したんだ。私はもう一度チャンスを与えたいと思っている。私は自分に対しても他者に対しても間違いは認める方だからな」
オシュテルとフランク・ヘーレンの二人は元王立騎士団出身である。二人ともアカデミーは出ていない外部から登用された蛮族の荒くれ者であり最前線で戦う猛者であった。二人は百戦錬磨の王立騎士団の一員であり戦斧兄弟として名を馳せていた。だがブークル・ド・ロルヌ戦役において、彼らが命令を無視し、分断されたことによって大敗を期し多くの団員を失うこととなった。彼らは処罰を受けることとなり始めは処刑であったがその功績により追放という形で手が打たれた。確かに彼らの油断が招いた大敗ではあったが、処罰が下されたのは彼らがどれだけ高い能力があっても規律を乱したものは処罰されるのだという見せしめの意味もあったのだろう。また、二人がアカデミー出身でないことも関係しているとカルザイは思っている。
オシュテルはその戦役で大怪我を負い、追放されたオシュテルにフランク・ヘーレンは当然ついて行った。彼らは本当の兄弟ではなかったが義兄弟の誓いをかわしていたからだ。その後二人は各地を転々としながら傭兵として参加し糊口をしのいでいた。世は戦乱の中、彼らを雇う者はひっきりなしで二人は常に戦いの中に身を投じた。二人は疲弊し、歳をとり人生の終わりの地を求め、いつ死んでも構わないとさえ思い、死を望み死ぬために戦い続けていた。そんな中で瀕死の二人を救ったのはフォイヤーラントだった。フォイヤーラントは死ぬことを許さなかった。死ぬときは自分が命じる。それまでは死ぬことは許さないと言った。二人は彼に従ううちにいつしか殺伐としていた気持ちは消え家族としてクラニオで過ごすことに安心感を得るようになっていった。
「はいそうですかと俺が簡単に二人を渡すわけはないだろう。言えば戻ってくると考えるあたりが傲慢だな。ヴァトレニ様が言えば誰だって従うと思っているんだろ」
「欲しければあんたにその名前はあげるよ、フォイヤーラント」
「いらんよ、そんなもの。お前の拝命式に呼んだのもあれだけ俺が憧れていたヴァトレニの名を受けるお前が…」
カルザイは話を遮った。
「私が勝ち誇る姿をまざまざとあんたに見せつけるために招待したとでも思っているのか? 心外だな。私のことは誰よりも知っていると思っていたのだけれど。私はあんたこそがヴァトレニに相応しいと今でも思っている。何度も固辞していたのに私が引き継いだのは訳がある。拝命式に招待したのは私がその場で辞退しその名をあんたに譲るためだったんだ。もらったものをどうしようが私の勝手だから。しかしすぐに思い直した。きっと式典に来てもあんたがすんなり名を引き継ぐとは思えないし、王も許さないだろう。なのであんたが本当にヴァトレニの名に相応しいことを世間に分からせ認めさせるまで私が所有しておくことにしたんだ。私はこの名誉ある名前を引き継いだ。いわば他の人に渡さないためのつなぎとして。この戦いであんたが生き残ってこの名を継いでくれ」
「まるで遺言だな」
「そうかもしれないな」
「天下のカルザイが弱気だな。いままで待ってくれていて申し訳ないが俺はもうヴァトレニという名になんの未練もないよ」
それは本音だった。その名を継いだカルザイに対してずっと嫉妬していただけなのだ。二度と会わないと誓っていたが、こうして再会してそれがよくわかった。二つ名などただの記号だ。なんの意味もない。フォイヤーラントはアーク・ノヴァと呼ばれてどこか背筋のあたりがこそばいのも自分が誰かから憧れられるようなそんな人間ではないのがわかっているからかもしれない。
「ヴァトレニ様、そろそろ先を急がなければ。いかがなさいますか」
傍らに立つカルザイの部下が慇懃に言った。
「カルザイでいい、バンノイ、何度言えばわかる」
「規則です。あなたはヴァトレニ様、英雄の名を軽々と口にすることなどできません。それに私たちは名乗ることは許されておりません」
「誰も見てなどいない。私が良いと言っているのだから好きに名乗ればいい。文句を言う奴は私が黙らせてやる。その伝統になんの意味がある? 守れば生き残れるのか?」
「規律を守ってこそ組織は機能するのです。機能しない組織に存在する意味はありません。規律を守らない者は隊全体が窮地に陥ります」
「わかった、バンノイ。もし私が死んだらおまえが指揮をとれ。副隊長はガシキだ。わかったか」
カルザイはバンノイの耳元で小声で伝えた。バンノイもガシキもともに蛮族と呼ばれるフォーン=アルデシュ出身である。バンノイは驚き、目を見開くと勢い込んで言った。
「ヴァトレニ様、それはお受けできません。冗談にもほどがあります」
「冗談など言っていない。私は冗談はあまり好きではないからね。私の命令は王の命令と同意だからな。あと、ヴァトレニの名はお前が継げ」
「やめてください。他のものの耳に入ることさえあまりよろしくないかと」
偉大すぎる名前は今や誰にとっても重荷らしい。カルザイは一人笑った。ヴァトレニの名は自分の代で途絶えることになるな、と思った。
潮が引いた街の入り口にはそこかしこに倒壊した巨像の残骸が落ちている。そのほとんどが海にさらわれてしまっていたが重い頭部などはそのまま転がり放置されている。巨像はちょうど港口を跨ぐような造形であったため、目的地である高台へはまだ少し距離があるようだ。フォイヤーラントは潮で脆くなっている像の鼻の部分を足先で小突いている。剥離した破片がバラバラと足元に落ちている。
「ライフェンの件では世話になったな。借りができた」
カルザイは言った。オムロープの件には一言も触れようとはしなかった。フォイヤーラントとしても今更蒸し返す気もないようだ。オムロープの件もそうだがライフェンの件もトップシークレットであり世間ではほとんど伝わってはいない。
「あんなものは借りでもなんでもない。忘れてくれ。元々護衛を依頼されたのは俺たちだったからな、CLFに嵌められた俺たちの失態だ。俺たちは何もしていない。お前たちが自分で尻拭いをしただけだ」
「そう言ってもらうと助かるよ。CLFは何がクリーチャーにも権利があり解放されるべき、だ。あいつらライフェンの近くでスダリアスを逃した時にほとんど喰われたらしいし。私は思わず笑っちまったよ」
カルザイはそういうと本当に笑った。白い美しい歯が口元に覗く。ヘルペチクはその場にいたのでとても笑えるような状況ではなかったのだが。あの場にいなかったからそんなことが言えるのだとヘルペチクは思った。あの雨の日の数日間は今でも夢に見る。生きた心地がしなかった、あれはまさに地獄だった。
「まさか本物の建設王を寄越してくるとはな。本当に実在したのか」
建設王、彼は謎多き人物である。狙撃手で絶えず仮面を被り、その人物の素顔を見たものはおろかその姿さえ見たものはほとんどいないという。王立騎士団でもかなり異質な存在である。建設王というが彼の師が建設で貢献したため二つ名を持ち、彼の死後そのまま引き継いだためである。彼は執拗にクリーチャースダリアスを狩りその数は百を超えているとも言われている。世間にはその素性は一切明かされていない。
「彼こそ本当に国によるプロパガンダの象徴だろう。ライフェン出身らしいがそれすら怪しいものだ。ライフェンでは学校の教科書に載っているらしいが素性がわからない人間の生い立ちが教科書で紹介されているなんてとんだ笑い話だな。まぁ功績なんかが大げさに書かれているんだろうが」
「いや、今日実際来ているんだ」
カルザイの言葉にフォイヤーラントは辺りを見回した。それらしい人物は見当たらないのでフォイヤーラントは眉根を寄せた。
「ここにはいないけどな、来てるんだよ」
「いつからそんなくだらない嘘を言うようになったんだ、カルザイ。俺はお前が建設王だと言っても信じるよ」
「いや本当だ。そこの少年も建設王と一緒にいたから知っているだろ?」
カルザイはヘルペチクに助けを求めるように視線よこした。
「ええ、でもここにはいないようですね。先ほどおっしゃっていたヘントヴェヘルヘム戦役で一緒だったので、でもなんというか建設王は英雄というよりはクリーチャーに近い人だと思いましたが」
カルザイは笑う。
「英雄というよりクリーチャーに近いか。言い得て妙だな。彼は英雄として持ち上げられるのを極端に嫌うどこにでもいるシャイな人間なんだよ」
「今日は別働隊なんですか?」
「ああ、ドゥラムリアも一緒にいる」
ドゥラムリアはヘルペチクより年上だったが数日間一緒に行動を共にしたので多少は気心も知れていた。
「ドゥラムリアとはもう一度会いたいとは思いますね。会えないのは少し残念です」
像の額の上に足をかけると素早い身のこなしでフォイヤーラントは倒れた頭部の上に登った。
「カルザイ、ここにクリーチャーなんていると思っているのか?」
「フォイヤーラント、感じないのか?」
「何も感じないね。アオステンプクトゥなんて伝説の生き物はこの世に存在しない」
「フォイヤーラント、神の名を軽々しく口にするな。アオス様は実在する。お前も目の当たりにするはずだ」
「カルザイ、お前は頭がおかしくなったのか? 状況を悪く捉えすぎてはいないか? 最近はクリーチャーの襲撃もほとんどない。どのみち倒すなんてことは不可能に近い。仮にそんな伝説上の生き物がいたとしてもだ、我々が倒す必要なんてないし、ここに巣食っているのも小物だろう。噂に尾鰭がついてこんな場所に俺もお前も駆り出されているわけだ。誰も見た人間なんていやしないんだ。それが全てだろ。いたとしても俺は似たようなしょうもないクリーチャーだと思っている」
フォイヤーラントはそう言った。カルザイは首を振る。それは楽観にすぎない。今日何もなかったからといって明日何もない保証はないのだ、と。
その時高台の方から轟音が轟き地鳴りの様な重低音が響きわたる。すぐに皆がそちらの方へ目を凝らしたが霧のせいで何も見えない。
「見えるか?」
フォイヤーラントが聞く。目の良いヘルペチクは高台の方を見上げる。大聖堂は見えるが距離が相当あるのと霧のせいで何が起こっているかまでは見えない。朝霧は濃く風が吹いても流されることはない。その時、派手な色合いの狼煙が上がった。霧に紛れる狼煙の色は鉄錆のような赤。異質で目立つその色はあたかも血が立ち昇っているようであった。液体である赤煙硝酸を狼煙として使った場合、赤い煙を発生させる。緊急事態でありクリーチャーとの遭遇を意味する。
皆、一斉に高台へ向けて走り出した。




