四章 彼女は私に空の飛び方を教えてくれた 4 She Taught Me How To Fly
「それは図書館の本か?」
ビジャンが無意識に持っていた本を見て取って建設王はいったのだろう。
「はい、『建設王の最期』です」
ビジャンは本を手渡した。建設王は受け取りパラパラとページを繰った。
「私も読んだよ。本はいいな。過去の叡智が詰まっている。なかなかいい本だが、私について書かれている部分はほぼ嘘だけれどな」
建設王は言った。
「そうなんですか?」
ビジャンは驚いて少し声が大きくなった。
「初めて遭遇したとき臆せずスダリアスを倒したって」
首を振る建設王。
「十歳やそこらで丸腰でどうやって倒すんだ? そのとき私はあまりの怖さで気を失ったんだよ。今でもその怖さは残っている。書いてあることを全て本当だと思っちゃいけない。自分の目で見て自分で真実かどうか確かめろってことだ」
「一つ聞いて良いですか?」
ビジャンは言った。
「ああ、いくつでもいいぞ」
建設王は言った。
「タパをご存知なんですか? あなたのことを昔からよく知っているといつも自慢してくるんです」
声を出して笑う建設王。
「タパのことは小さな頃から知っているよ。あいつの父親もな。君も自慢すればいいよ」
ずっと嘘だと思っていたが本当だったんだ。今こうして英雄と話をしている。それはかなり不思議で自分の人生において重要な場面な気がする。
「僕は、きっと誰にも言わないと思います。言う人もいないし。自分の中の宝物にします」
ビジャンは言った。
「君のことを教えてくれよ。君は成績が良いそうじゃないか、大きくなったらどうしたい? 君は英雄になりたいか?」
なぜこんなに自分のことをこの人は知っているのだろう。
「憧れてはいますが、それは物語の中の話だと思います。自分がなりたいなんておこがましいです。そこに賭けるなんて勝算がなさすぎます。こんな田舎で成績が良くてもなんの意味もありません。アカデミーに入るには僕は目が悪いんで、試験に通るとは思えないです。だいたいこの村から一度も出たことはありませんし…」
ビジャンは言った。ビジャンは他人を下に見ているが同時に自分が何者でもないこともよく理解している。建設王は手を仮面の下の顎に当てて何事か考えている。
「ビビ、父親は?」
「父親は戦争で死んだと祖父に聞かされています」
仮面をしているので本当のところはわからないのだがどこか寂しそうな建設王だった。
「友人はいるのか?」
建設王の言葉に首を振るビジャン。
「いないです、そんなの、必要もないです」
「タパなんてどうだ?」
「タパですか? それはちょっと…」
あいつはとびきりのバカだからとはさすがに建設王に言うのははばかられた。
「勝算なんてこの世に存在しないと思うがな」
建設王は言った。
「でも建設王は勝算があるから戦えるのでしょう? 死ぬかもしれないのに戦えるはずはないと思います」
「どうかな、そんな風に考えて戦ったことはないんだがな。世の中、自分以外はバカしかいない。私もそう思っていた時期があったよ。自分の境遇を呪ってね。わけもなく毎日イライラしていたもんさ。誰もわかっちゃくれないって、まぁ当たり前だな、そんな常にイライラしたしょうもない奴に話しかけてくれる人なんているはずないだろ? 一人でできることなんてたかが知れているぞ、ビビ。私も何もしなきゃ何者でもなく終わってた可能性が高い。勝算なんてこれっぽっちもなかったさ」
「建設王はなんの心配事もないんだと思っていました」
建設王は少し笑った。
「私は神でもなんでもないただの人間だよ。過去を振り返り、ああしていれば、ああ言っていればって後悔ばかりしている」
建設王はこれを君にやるよ、と無造作に荷物から一冊の本を取り出す。ビジャンはタイトルを見て驚いた。
『She Taught Me How To Fly』
と書かれていたからだ。「ハンス先生が言ってたやつだ」ビジャンはおもわず口に出して言ってしまった。
「あいつが先生とはね」
建設王は笑っている。
「先生が建設王から聞いた言葉だって」
「確かに私が言った言葉だよ。実際その言葉で私は空を飛ぶことができたんだ。私が書いた本なんだが、まだ試作でね」
「こんな貴重な物、頂くわけにはいきません。この世の宝です」
ビジャンは慌てて言った。
「それはただの本だよ。価値がわからない人間が持っても無意味だろう? 誰にも読まれずに誰かがしまいこんでしまうならそれはあまりにも悲しい。その本が君の未来の指針となるのなら君が持つ意味はあるし私も書いた意味があるってもんだろ」
ビジャンは直立不動のまま半ば押し付けられるようにその本を受け取った。
夢心地のまま図書館へ向かった。ふわふわとした気分でその後の記憶は曖昧だった。なんと木箱を積んだ荷車をそのまま放置してきてしまった。しばらく行ってから取りに戻った。建設王の姿はすでになく人の気配はなく静かなものだった。荷車を引き火薬塔についた頃にはもう日が暮れかかっていた。木箱は重かったので塔の入り口に積んでおいた。雨が降ったらまずいので軒下に入れたが、後は司書がやってくれるだろう。上階に上がったがやはり司書はいなかった。今日は姿をあらわすことはないだろう。
この壁に囲まれた小さな村ライフェンは大昔に巨大な森に隕石が落ち、クレーターによる平地ができたと言われている。今でもその名残からか他では取れない鉱石を採取することができる。大きな川が流れ、芳醇な大地を求め森に住む人々が集まりいつしか村が形成された。穀物、家畜、織物、毛皮、革なめしなどが主な産業だが、最も盛んなのは林業であった。
王都から遠く離れ、他の主要な都市と違い僻地にありながらも村が重要視されているのは黒玉と呼ばれるアーティファクトを森の奥で採取できるからである。かつては外壁もなく、人々は広範囲で点在して暮らしていたが何度もクリーチャーの襲撃を受け被害を被るため国の支援を受け外壁を建造した。壁の建造を指揮したのが初代建設王である。初めは小さな村だったが、壁は人が増えるたびに増築され現在のような形になったと言われている。村は居住区、商業区、農業区に分かれ、中央に
宿題は途中だったが、ビジャンは鉛筆を置いた。村の来歴をまとめるという課題だったが、続きをする気にはならなかった。それよりももらった本のことで頭はいっぱいだった。読みたいのにじっと我慢してわざと学校の宿題をしてみたが、全く頭に入ってこない。集中できるはずはないだろう。
問題は本をどこに隠しておくかだ。家に持って帰るのは論外だ。祖父に説明しなくてはならないし、おそらく没収されてしまうだろう。どこかに寄贈されてしまう。木を隠すなら森へ隠せ、と先人は言うが一つだけ心当たりがある。この今いる塔の一階に蔵書庫と呼ばれる部屋がある。普段は施錠され入ることはできないのだが、上階に入りきらない本やまだ未分類のもの、持ち出し禁止の本や古くボロボロの本などが無造作に納められた倉庫だ。開かずの間、あるいは魔窟とビジャンと司書は言っている。図書館の上の階に管理室があり、そこへビジャンは鍵を取りに行った。管理人とは顔見知りなので何も疑われることはなかった。
蔵書庫へはビジャンは今まで数えるほどしか足を踏み入れたことはない。上階だけで読む本は十分なので入る必要性がなかったのだ。一目見てその乱雑さは上階の比ではなかった。片付けることを放棄した状態である。蔵書庫内はカビ臭く埃っぽい。薄暗いので窓を開けると風が吹き抜けた。光で埃がキラキラと輝いている。風でカーテンがふわりと揺れた。空気が動いたせいか鼻がムズムズしてくしゃみが止まらなくなった。足の踏み場もないとはこのことだろう。床まで本が置かれ、書架は本が押し込まれていた。息苦しく、埃まみれになる。司書はよくこんな場所に入れるものだと思った。比較的奥まで進み、足元の目が届かない場所に建設王にもらった本を押し込み隠した。しかし安心することはできない。司書の存在だ。よく持ち出し禁止の本が上階にあるので、興味のある本を抜き取り蔵書庫から持って来ているのだろう。見つかってしまったらおしまいだ。ビジャンは次の日、そのことばかり考えて何も手につかなかった。ずっとあの場所に置いておくわけにはいかなかったし、司書のテリトリーなのでいつかは見つかってしまうかもしれない。学校が終わると走って図書館へ向かった。司書はカウンターに突っ伏し眠っていた。木箱が四箱片隅に置かれている。司書はやせ細りセムシのような体型で、背だけがひょろ長く高い。まるでもやしのような男だとビジャンはいつも思っている。それで力尽きたのだろう。蔵書庫に隠した本は昨日隠したそのままの状態でビジャンを待っていた。
九月分です。毎月三十日に一章更新。




