三章 消えゆく生命の灯火 9 the dying of the light
北門を抜け森に入った途端に空は雨雲で覆われ、最初の雫が落ちてくる。すぐに雨は勢いを増し防御スーツにしみ込み始める。
ビジャンがかつて住んでいた集落のさらに奥、川を渡り奥深くに分け入る。もはや獣道もないような原生林の中を七人は進んでいく。時おり建設王の指示に従いアーティファクトを使い瘴気を帯びた杭を地面や木などに打ち込んで行く。ビジャンもこの辺りは数える程しか入ったことはない。人が管理していないため木が変形し曲がりくねっており、建材として加工するには不向きである。そのため大人たちもめったなことでは集落の北側には足を踏み入れなかった。村では尾根を越えたさらに先にあるサキダルの丘へは決して近づくなと言われてきた。ビジャンは根拠のない村のしきたりだと思っていたがスダリアスがいるのならそのしきたりは正しかったといえる。
「スダリアスは他のクリーチャーと大きく異なる点がある、何かわかるか、ケイレブ?」
「はい、貯蔵型だということですか?」
「グッド!」
クリーチャーは通常首の後ろあたりに瘴気を自ら生成する器官を有している。これがクリーチャーか否かを判断する大きな論拠であり、よりどころとなっているのだが、スダリアスはその器官を持っていない。だがクリーチャーは瘴気を取り込まないと活動することができないのでそれはスダリアスも同様であり、体内に瘴気を貯蔵し血の中に混ぜ体内を循環させていると考えられている。そのため森の奥にあるといわれている瘴気を発生させる好堅樹のまわりから離れることができないと思われてきた。現在では一回の瘴気貯蔵で数ヶ月は活動できるとの見識もあるが本当のところは解明されていない。まだ一度も討伐できていないのでサンプルがなく憶測でしかないのである。
建設王は道中、スダリアスの生態についてレクチャーを行った。
「スダリアスは半球睡眠という特殊な睡眠をとるといわれている。脳の半分を眠らせ十秒で反対側、さらに十秒で反対側を繰り返す。完全に眠るのは一日四十分程度だと言われている。そんな中、ここ何年も姿を見せなかった。私はおそらく冬眠していたのではないかと思っている。何年も眠るので冬眠というのは語弊があるかもしれないがな。今、活動期に入ったと思われる。冬眠後だ、おそろしく腹が減っているだろう。危険を賭してまで村まで来るのなら何か大きな目的がないと来ないだろう。誘えば餌を求めて村へ来るはずだ。
一日目は安全策をとってサキダルまではいかず、程よい場所を見つけ野営をする。ビジャンの集落へ寄るかと建設王は聞いたがビジャンは首を振った。もう六年も経っている、集落は森に飲み込まれているだろう。他の五人は簡素な食事を終えるとさっさと寝てしまった。すでに寝息を立てている者もいる。王立騎士団でいたいならどこでもすぐに寝れるようになれ、というのは本当らしい。ビジャンはうまく寝ることができずシェルターを出ると表へ出る。岩場を背に建設王が焚き火をしている。ビジャンは横に座った。
「建設王はドノスティア・サンセバスティアンの出身でしたよね、どんなところなんですか?」
ビジャンは焚き火に薪をくべ建設王に聞いた。建設王は少し考え口を開く。
「湾に面していて、海が暖かいせいか北に面している割に気温は高く過ごしやすいな。年間通してほとんど曇っているが、美しい街さ。穏やかな海と緑豊かな土地、それ以上に何が必要だ? 私があの街にいたのは小さい時だけだった。だから良い場所だったという記憶は後天的なものかもしれない。思い出で補正されているわけだ」
建設王はそう言うと物思いにふけった。薪を投げ入れる。
「オースティン卿に聞けばいい。卿の出身地らしいからな、私より詳しいはずだ。卿の娘さんがそこに避難していると聞く。おまえも卿とは積もる話もあるだろう」
建設王はそういったが、ビジャンは黙っている。
「ありませんよそんなもの。嫌われてるから会ってもくれませんよ」
「お前の後見人だろ?」
建設王は聞いた。
「一応はそうですけどね。色々あって。卿には僕の姿は見えないみたいなんで」
ビジャンは言った。
「僕を見てって仮面に書いておけばどうだ?」
「つまらないですよ、建設王」
先ほど雨が降ったせいだろう、薪に水分が残っていたのかバチっと爆ぜ火の粉が散った。
この任務が終わったらヴィオを迎えに行こう。ビジャンはそう決心していた。
絶対に声を出すな、建設王はハンドサインを出す。スダリアスの縄張りに入らない限りは襲われないそうだ。事前に決して遭遇しても手を出すな、こちらのことを気取らせるな、と建設王には言われている。スダリアスとの距離は十分に取られていたがそれでも体が硬直し迂闊には動けない。
スダリアスは好堅樹の根元にじっとうずくまっている。瘴気を溜め込んでいるのだろう。ケイレブの発する気配を感じたのか、スダリアスの耳がぴくっと反応した。建設王がケイレブの頭を押さえ地面に伏せさせる。
「頭を上げるな、気づかれるぞ」
建設王は小声で言った。これ以上近づくと気取られてしまうようだ。さらに用心のため後退する。
スダリアスの体長は五メートル以上あるだろうか、四足歩行の獣だ。口部分が前に出ており、全身が毛で覆われているので犬や狼を思わせるがどこか違う印象を受ける。あるいは熊に近いかもしれない。
「こちらも物見遊山できたわけじゃない。今からアーティファクトを使う。針だ」
針を取り出す建設王。
「俺にやらせてください」
ケイレブが言った。
「記憶がなくなるんだぞ、いいのか?」
建設王が言った。
「爪や歯を要求されるアーティファクトがあると聞きました。それよりマシですよね。俺は大した記憶はないから構いやしませんよ。クソの仕方を忘れたらちょっと困りますけどね」
誰も笑わない。
針は十センチほどの長さでかなり太い。両方とも先端は尖っている。クリーチャー・マテルの体を覆っている針だということだ。
ケイレブは針を受け取り二つに折りながら建設王から使い方のレクチャーを受けている。
針の片方を地図に刺し、もう片方を持って立ち上がった。
バンダーはバラバラにしていた長弓を組み立てる。体重をかけ蔓をしならせ弦を張った。とてつもなくでかい長弓だが、大柄のバンダーが持つと子供の玩具のようだった。鏃のついていない矢を取り出し代わりにケイレブが針を結びつける。弓を渡されたケイレブは矢をつがえスダリアスめがけて矢を放った。矢は放物線を描きスダリアスに命中する。一瞬反応したように見えたが細い針だ、スダリアスは何事もなかったかのように再び眠りについた。その瞬間ケイレブが後方にひっくり返り意識を失った。
「おい、ケイレブ、目を覚ませ」
ビジャンはケイレブの頬を強く叩いた。肩を揺するが焦点が合っていない。何度も頬を叩く。ようやく目を覚ましたケイレブが、
「大丈夫です、問題ないです」
と、言い立ち上がるが膝に手を当て荒い呼吸を繰り返している。頭を振った。そしてそのまま後方に尻餅をついた。
建設王は地図に記された赤い点を確認すると「さぁ、戻るぞ」と言った。嫌がるケイレブをビジャンはおぶり帰路の道についた。




