三章 消えゆく生命の灯火 4 the dying of the light
「この建物には何かあると思うんだ。俺の鼻が臭いを感じ取っている」
オドゥンゼは言った。
二階の閲覧室にバンダーとオドゥンゼの二人はもう一度足を運んだ。閲覧室の奥は小部屋になっていたが本の保管庫のようになっており入り口の扉には立ち入り禁止とあり木が打ち付けられている。オドゥンゼは足で思い切り蹴り開ける。扉も打ち付けられた木も腐っていて紙のように脆かった。扉は造作無く開いた。
「扉にはノブってものがある、そんなことも知らないのか?」
はいはい、とオドゥンゼはおどけてみせた。
中は書庫になっており奥に明かり取りの窓がついていたが窓ガラスは割れ、色あせたカーテンが吹き込む風で揺れていた。ここもなんだかわからない緑の蔦が茂っており蜘蛛の巣状に根だか茎だかわからないが辺りの書架を覆っている。窓からの湿気のせいか雨が吹き込んだのだろう、保存状態が良ければ多少は値がついたかもしれないが、ここの本もほとんど潮でやられてしまっている。足元に大量に本が落ちている。オドゥンゼは口笛を吹きながら背表紙に指を滑らせ書架から書架へと渡っていく。窓の外からは波が打ち寄せる音が聞こえてくる。途中でオドゥンゼは立ち止まり書架を調べる。下に落ちている本をどかし、床を調べている。
「ここは臭うな、ビンビンきてるぜ、バンダー」
オドゥンゼはそういうと書架ごと力任せに前方へ倒した。本が地面に落ちて埃が濛々と上がり、二人は咳き込んだ。
「ビンゴ!」
奥に隠し扉が現れた。
「こういうのは本がスイッチになっていて自動で書架が動くとかじゃないのか?」
バンダーは一応悪態をついたがオドゥンゼは全く聞いていないようだ。
扉の向こうは隠し部屋のようになっていて、周りには窓もなく部屋は薄暗く埃っぽい。元いた部屋から薄く光が入り込み、しばらく待つと目も慣れてきて辺りの様子がわかるようになった。何十年も人が入っていないのだろう、机などには埃が積もり、荒らされた形跡もなく誰もこの部屋に長い間足を踏み入れてはいないことがわかる。当然、何を隠していたのかと気になるところだが、書架には見慣れない円筒の筒が所狭しと押し込められている。何かを記された巻物や絵画かと思われたがそうではなく、円筒には溝が掘られ何に使うものかはわからない。蝋が塗り込まれ、一部には錫でできたものもあるが形状は同じだ。
「バンダー、これはどらいものを見つけたようだぜ」
オドゥンゼが壁際に置かれた鉄製の奇妙な機械を見ている。バンダーは近づいて機械を覗き込んだ。
「何て読むんだ? グラ…」
「グラモフォン、フォノグラフともいうな。ティン・フォイル一号機だ。そこに筒があるだろ、一つとってくれ」
バンダーは書架にある筒を一つ取り出す。直径は二十センチはあり長さは肩幅ぐらい、かなりずしりとくる重さだ。
「この筒に巻いた錫箔に音による空気の振動を刻み込んで、その凹凸を針先で拾って再生するんだ。針で拾う音はものすごく小さいからな、人間の耳じゃほとんど聞こえない。それをこの機械で何十倍にも増幅する。ささやき声を耳元で怒鳴る声に変えるってわけだ」
「原理はわかったが、よく知ってるな」
「俺も中がどうなっているかとか何も知らないさ。昔同じものを一度だけ見たことがある。オークションでだ。おそらく、これなんじゃないかと思うんだけれどな」
「なるほどな。それをここの持ち主が落札したってわけだ」
機械に筒を設置し、スイッチを入れる。プツプツとノイズが聞こえる。囁き声のようなくぐもった声が遠くから聞こえる。何を言っているかははっきりとはわからない。雑音がブツブツと続き音が消えた。
「これは状態が悪いな。錫のはダメになっている劣化しているみたいだ」
「俺は芸術的な価値はわからない」
「そう言うな、バンダー。肋骨レコードを再生する機械とは少し違うが、原型なのは間違いないだろう。そっちのはいけるんじゃないか?」
記憶媒体に蝋を染み込ませたボール紙の円筒を使ったものをオドゥンゼは取り出し、再び機械に設置する。先ほどよりもはっきりと音が聞こえる。どうやら信者たちの信仰についての体験談の録音のようだ。音楽とは違い二人にとってはつまらないものだったが、そんなことはどうでもよく録音された音を聞くという体験に二人は魅了されていた。
「これ、どうするんだ? 全部運ぶのか? ダルイソたちを呼ぶのか?」
バンダーが聞くがオドゥンゼは思案顔をしている。
「持ち出すと蝋が溶けてダメになってしまうだろうな。かなり価値のある宝の山だがここから持ち出した瞬間使い物にならなくなるだろう。奇跡的な保存状態だからな、外の空気に触れた瞬間酸化してダメになってしまう。ほら、俺たちがこの部屋に入っただけで均衡が崩れたのか、いくつかはもう使えなくなっている」
先ほどのシリンダーも音が消えてブツブツというノイズだけが部屋を満たす。
「なぁバンダー、ものすごくいいことを思いついたんだが」
オドゥンゼが目をキラキラと輝かせながら言った。
「おまえのいいことってのはロクでもないことの間違いだろ?」
「ここに再生機があるんだ。どうやって動いているのかはわからないが、この筒の方は作れるんじゃないかと思うんだ。慎重に持って帰ればいくつかは状態を損なわずに持って帰れるはずだ。もし作れるのなら俺たちで新生黄金の犬レーベルを立ち上げようじゃないか。レーベル名は『the dying of the light』だ。地下倶楽部を作るのもいいな。週末にみんな集まって音楽を聴くんだ」
「悪くない考えだがこれをどうやって持って行く? こっそりとは無理だろう。ダルイソたちを丸め込んであいつらも仲間にするしかないだろうな」
「ああ、俺が取り敢えずダルイソに話して見るよ」
オドゥンゼは部屋から出てダルイソの下に向かう。バンダーは急に一人になりなんとなく所在ない。それから待っていたがいつまでたってもオドゥンゼは帰ってこない。その時、外からドンっと凄まじい音がなり地面が地震のように振動した。天井から埃が落ちてくる。窓から外を見たかったがこの部屋には窓がなかった。バンダーは意を決し、外へ出る。
It's alright, if you dance with me tonight
We'll fight the dying of the light, and we'll catch the sun
それは確かに聞こえた。いつもあいつが歌っている歌の一節だった。二階の奥の方から聞こえてくるようだ。
It's alright, if you dance with me tonight
We'll fight the dying of the light, and we'll catch the sun
同じところばかり歌っている。それはまるで覚えたての歌詞のようで知っているところばかり繰り返している。二階の奥はまだ屋根が落ちておらず、潮による侵食はそれ程進んではいない。太陽の光は届かないのでバンダーは荷物から松明を取り出し、手早く火をつけた。布に染み込んだ油の匂いが鼻につく。まわりが明るく照らし出されたが却って見えない闇が濃くなった気がした。立ち昇る煤が黒い雪の様に舞った。床には本が敷き詰められ水分で膨らみブヨブヨになっていて歩きづらい。
歌が止み、代わりにゴボゴボという水が吹き出るような音が聞こえて来る。口笛を吹こうとして上手く吹けないような音だった。
「いい加減に…」
下手な口笛はやめやがれ、という言葉は言う前に消えた。二階の奥、柱にもたれて座っているオドゥンゼを発見した。死にかけているのは明らかだった。
歌が聞こえていたと思っていた音は、蹴爪の尖った部分が喉を貫きごぼごぼと口から血を吐き出しているその音だった。
喉だけでなく腹も何か鋭いもので突き刺され、えぐり取られたような状態だった。人間の所業ではなかったが交戦した跡はなくオドゥンゼは果たして何があったのか理解していなかったのかもしれない。バンダーは彼の防護スーツのファスナーを下ろす。内臓のあたりを一突されているため途中でファスナーは壊れてしまっている。服は流れ出した血でぴったりと張り付いていた。もう助からないだろう。内ポケットに入っている手紙を取り出す。「たしかに遺言は受け取ったぜ」バンダーは呟いた。一緒に丸いカードが数枚出て来た。熊の絵が面に描かれ裏は薔薇の絵と髑髏の絵が描かれている。彼の好きだったゲームのカードだ。なんでこんなものが、と思ったがお守りがわりにしていたのかもしれない。バンダーも同じものをかつては持っていたが無くしてしまった。ぐずぐずしていたらバンダーも同じ目に遭う可能性が高かった。オドゥンゼをこんなところに置き去りにするのは忍びなかったが仕方がないだろう。
しゃがんだまま振り返ると向こうから松明の明かりが近づいてくる。
「おい、それはオドゥンゼか?」
ダルイソは声をなくし立ちすくんでいる。
「あいつ、まだこんなものを持ってやがった」
ダルイソに髑髏と薔薇のカードを見せた。ダルイソは首を振っている。
「バンダー、こっちもDKがやられた! フェフコと騎獣もだ。応援を頼む」
手紙とカードをポケットにしまうとバンダーは立ち上がった。
二人は広場へは向かわず尖塔の螺旋階段を駆け上がる。部屋に入ると窓を探し打ち付けられた板を蹴り破る。日差しが部屋に入り込んだ。広場では騎獣を食う大型のクリーチャーが目に入る。
「なんだあれは、もしかしてアオスか?」
バンダーが言った。
「らしい。地下にいやがった」
「ダルイソ、狼煙をあげるぞ」
二人は塔の窓から身を乗り出し大聖堂の屋根に降りる。屋根もいつ崩れるかわからないほど痛んでいる。ダルイソは荷物から入れ子状になった筒を取り出し手際よく組み立てる。煙突状の筒をバンダーが持ち倒れないように固定する。中に射出用の火薬を仕込み、狼煙弾を設置し火を投げ入れる。小型射出機を使うやり方もあるがそれはDKが持っていたらしい。ダルイソは旧式のこの狼煙しか持っていないらしい。贅沢は言っていられない。
射出用の火薬に火がつき弾が空高く打ち上げられる。導火線にも同時に点火し赤い閃光が空を切り裂き上がっていく。頂上付近でひときわ赤く燃え爆ぜた。生命の灯火が燃えつき消えようとしていることを暗示しているかのようであった。
✳︎
赤い閃光が森の奥で空に上がった。スダリアスに予定通り遭遇したようだ。目を凝らして閃光が上がったあたりを見る。背の高い木が揺れているが、誘導する六人の姿はもちろんスダリアスも肉眼では確認することはできない。時計塔の上からビジャンは鏡を使い塔の下へ合図を送る。リレー方式でアルバーン通りを抜け北門の近くに待機している橋塔守の三人に準備をするように伝える。数分後、再び閃光が上がる。より村へ近づいている。作戦は順調に進んでいるようだ。狭い機械室の壁を背にして建設王は目をつぶり冥想し集中力を高めている。橋塔守の三人は閂を外すと北門を開け放った。世紀のショウの幕が開ける。村に着いてから一ヶ月、準備は万端だ。ビジャンも気合を入れ直した。
三章は14まで。月に一度30日に更新しています。次回は9月30日です。




