三章 消えゆく生命の灯火 1 the dying of the light
バンダーエッシュとオドゥンゼの二人は海にできた道を全速力で走っていた。持ち物、装備とも最小限である。王立騎士団時代から使いこんだ防護服に身を包み、目だけが見えるマスクを着用している。全速力にもかかわらず息はひとつも乱れてはいない。二人はクラニオが派遣した斥候である。オドゥンゼはご機嫌で鼻歌を歌っている。
「またその曲か」
バンダーが走りながら言った。オドゥンゼは肋骨レコードの蒐集家であり、造詣が深い。
王は人々が団結し反逆することを怖れ肋骨王が起こした武装蜂起であるプライス事変以降肋骨レコードは所持することを禁止されている。しかし禁止されればされる程欲しいという欲求は膨らむもの。蒐集家たちはまだ多数存在し、裏でネットワークを構築して取り引きを行っている。都市伝説の域は出ないが地下施設で集まって音楽を楽しむ倶楽部が存在するらしい。
「ほんとかよ、その倶楽部とやらの話、おまえからしか聞いたことないんだがな。だいたい肋骨レコードを再生する機械とやらがこの世には存在しないのだろ?」
オドゥンゼがまた秘密の倶楽部の話をし、バンダーは眉根を寄せた。
「肋骨レコードを再生して聞いたのは一度だけだが、俺は忘れられないんだ。もう一度聞けるなら俺はいくら払っても惜しくはないね」
オドゥンゼは言った。肋骨レコードはかつてサミスダードという今は失われたアーティファクトより作り出されたコレクターズアイテムの一種である。人間のあばらや頭蓋骨、肋骨などが映った丸く切り抜かれた薄いフィルムに浅い溝が彫り込まれ音声の波形が刻まれている。非常に脆弱なため温度や湿度など保存環境も難しくフィルムに描かれている骨によっても価値が変わる。発見当初は芸術性の高さから絵画などと同じくコレクターズアイテムとして裕福な好事家の間で出回った。北の僻地、プライスの西の遺跡で多く見つかり蒐集家達はより珍しい、より状態の良いものを求めた。羨望の眼差しを向けられる垂涎の一枚を手に入れたいと所有欲を掻き立てられ蒐集家達は躍起になった。オークションは過熱し希少盤は高騰しフィルム一枚に対し全財産をつぎ込むものも現れた。フィルムをめぐり殺人が横行し複製品が出回るなどその中毒性、また盤には根拠は皆無だったが自由や闘争心を掻き立てる作用があるとして所有をプライスが規制、禁止したことによりさらに熱が高まった。所有者はすべてプライスにより没収され、所有しているだけで強制労働施設であるグラグへ送られる重罪が課せられた。規制後、黄金の犬というレーベルがクレー商会により作られ闇で取引されるようになった。闇取引は主にフィルムを丸め袖に巻いて秘密裏に受け渡した。最も多くの盤を所有するのは通称肋骨王と呼ばれる人物でその生涯の全てを肋骨レコード収集に捧げたといわれている。彼はクレーカルテルに所属し、黄金の犬を作った人物でありオドゥンゼとバンダーはかつて王立騎士団に入る前は同じクレーカルテルに属し、黄金の犬でフィルムを主に扱っていた。
「お前の歌うその歌は何百回と聞かされているんだけれどな。もう覚えちまったよ。オドゥンゼ、その曲の肋骨レコードは何枚持っているんだ?」
オドゥンゼは空で数を数えながら
「この前、百の大台に乗ったからな百五枚だ。この曲だけなら世界中探しても俺より持っている奴はいないだろうな」
オドゥンゼは自慢げに言った。
「同じものばかり集めて何が楽しいんだ? しかも聴けやしないものを」
「同じものなんて一つもないさ。たとえ同じ盤でもより状態の良いものが欲しいと思うのはサガだろう? 聴ける聴けないなんて関係ないさ。溝を見ながら音を感じるんだ。俺はフィルムを見ているだけで音楽が頭の中で流れ出して俺の心を常に揺さぶり温かいもので満たしてくれる」
フィルムは現在の技術では作ることができない。それが何でできているかさえわかってはいない。それを再生する機械もまた同じで失われてしまった技術である。
「死んじまったらどうするんだ? あの世にまで持っていけやしないだろう」
「それは俺が最も危惧するところだ。散逸してしまったら二度と元には戻らない。バンダー、もし俺が死んだら全てお前が引き取ってくれ。遺言だ。だがそうは言ってもまだ死ぬ予定はないけどな。まだ眠っているはずのフィルムが俺を待っているからな」
オドゥンゼは胸ポケットをたたく。
「まだ見つけていないヴァージョンのフィルムを書いたリストだ。あるとは言われているがまだ誰も見つけちゃいない。これをコンプリートするまでは死んでも死にきれないからな。それに今日はいい予感がするんだ」
オドゥンゼが言った。
「俺は古傷の首が痛むんだ。よくない兆候だ」
そう言ってバンダーは首を押さえている。
「何年も前にレアなフィルムを見つけた時もちょうどこんなシチュエーションだったろ、海の近くで宗教施設で王立騎士団の斥候だった」
あれは高く売れたな、とオドゥンゼの言葉を受けてバンダーは言った。オドゥンゼは『the dying of the light』以外のフィルムは売却する方針である。
「宗教施設はめぼしいものはなかったんじゃないのか?」
バンダーは言った。
「それはそうなんだが、今やもう出尽くしている感があるな。誰か持っているやつが死んで何にも知らない奴が売って出てくるか、あるいは隠したまま死んでしまってそのまま誰も知らない状態になっているとかじゃないと見つからない。今回はある予感がするんだ」
「大聖堂は荒らされ尽くしているだろ、塵ひとつ残ってないんじゃないか?」
「ないと決めつけるのは早計だと思うぜ。手付かずのデッドストックが俺たちを待っている。可能性を捨てちゃいけない」
「誰の受け売りだ?」
「ロームオドゥンゼ様のありがたいお言葉だよ」
「夢みたいなこと言わないで急ぐぞ、先客を待たせるのも悪いからな」
二人は泥濘の道をすでに先に渡っている痕跡を見逃してはいなかった。正確には三人と一匹だ。潮が引く前に海の中を騎獣で進み、最後は徒歩で渡ったのだろう。そんなことができるのは王立騎士団しかいない。
三章は14までです。月に一度30日に更新しています。次回は9月30日。




