序章 アオステンプクトゥの伝承
ファンタジー系群像劇。一ヶ月に一度30日に一章ごと更新予定。長さは毎回このぐらいです。長くなった場合は分割します。楽しんでもらえたら嬉しいです。
序 アオステンプクトゥの伝承
クレール・カーナボン 著 Es.Lowe出版より抜粋
私は長年レイテ地方の研究を行ってきたが、かつてその地に住んでいた民族はすでに絶滅し一切の痕跡は残されていない。レイテ川の上流をさらに進み、原生林を抜けた先にあるレイテの地には苔むし朽ち果てかけた女神像がぽつんと取り残されているのみである。私はレイテの民の生き残りを探すために各地を巡っていたが有力な手がかりを得ることは叶わなかった。そのような中でレイテの最後の民と会ったのはまさに偶然だったといえる。
「レイテの民は文字を持ちません。それは必要がないからです。私たちは歴史を残すために伝承を歌や踊りとして親から子、孫へと伝えます。私も母から子守唄として教わりました。私はそれを自然に記憶しました。血で記憶しているのです」
私はそれまで嫌という程偽物と出会ってきたので、彼女が本当にレイテの民の生き残りであるかその真偽のほどは当初疑わしいものだと思っていた。しかしながらいつのまにかこれは本物だと信じはじめている自分がいた。それは直感めいたものだ。非科学的だが運命といっても良いかもしれない。彼女との出会いから順を追って記述しよう。
王都から遥か南東、砂漠を越えた先にある海沿いの街フォルタ・リンブルフで、とある踊り子が評判となり王都へ招かれることとなった。踊り子の女性は歌いながらそれに合わせて舞を舞う。制約のない自由な舞により彼女はあらゆる情景を表現することができた。観る者の目の前に収穫前の小麦畑や、山の頂から見下ろす雲海や、汗をかいた額を打つ風さえ見せることができるという。招かれた踊り子は王の眼前で舞った。しかしながら王都が凶悪なクリーチャーにより陥落するという内容であったため王は激怒し彼女に死罪を言い渡した。それが発端となり踊り子や吟遊詩人、占い師や預言者は不穏をもたらすと拘束されただちに処刑された。事の発端となった処刑された踊り子には娘が存在しているという事が判明し、私は再びフォルタ・リンブルフへ派遣されることとなった。捜索にはかなりの日数を費やしたがなんの収穫もなく、王都への帰還命令がでており私は焦っていた。そんな最中に場末の酒場へ訪れ、私に僥倖が訪れた。流しとしてやってきた吟遊詩人がその女性であったのだ。誰も彼女へ関心は示していなかったが。母親である踊り子の青みがかった透き通るような瞳とそっくりであることに私だけが気づいていた。何より間違うはずもない、彼女の奏でる音楽が、そしてその歌が母親と同じように情景を再現した。母親の踊りでは誰もが快哉を叫んだが、酒場では誰一人耳を傾けるものはいなかった。酒場は夕飯時で食器やグラスが当たる音や、陽気な男たちは自分たちの話───仕事の話、女の話、狩りの話───などに夢中で誰一人彼女に注目するものはいなかった。私は身分を明かし話を聞きたいと申し出たが怪訝な目を向けられ断られた。私はあなたを拘束し王都へ連行するように言われてきたがそうするつもりはなく、私の興味本位から話を聞きたいだけで報告するつもりはないことを説明した。また彼女は母親が亡くなったことは知らず、私が告げると動揺し、しばし沈黙した。処刑されたことは伏せたが察したようで所謂魔女狩りの発端が自分の母親であることは知らなかったようだ。彼女は王都には近づかず、北のコールスカンプに潜伏していたらしい。現在は以前の日常に戻りつつあったので季節が変わるのに合わせて寒く厳しいコールスカンプから定期船でフォルタへ移ってきたらしい。
「なぜあなたの母親は王の眼前で王国が滅ぶような不吉な踊りを舞ったのだと思いますか?」
私は単刀直入に尋ねた。
「母がどのように踊ったのか私は知りませんが、その答えは明確です。あなたもその舞を見たのですよね、もしかして王と同じ風景を見てはいなかったのではないでしょうか?」
彼女の言う通りだった。私は王が激怒した理由が皆目わからなかったのだ。私は踊り子の舞を見て遠い昔にレイテへ行った過去がフラッシュバックした。私が見たものはレイテの女神像の下、得体の知れないクリーチャーに襲われ女性が一人果敢に戦い死す、そんな白昼夢のような物語だった。
「初め、あなたの母親の舞に私がかつて訪れた場所の記憶を勝手に当てはめて自らの脳が辻褄の合わない部分を補完しているのだろうと思っていました。あたかも本物のように見えたただの錯覚であろうと。しかし明らかに私の見たことのない情景が多く説明のつかない事が多かったのです。あまりにも現実的すぎて、そして物語の中で私が保護した子どもの名前と同じヴァロという女性がでてくるのですが、自分の思い込みによるものではなくその女性こそヴァロの母親ではないのかという疑問をもったからなのです。ヴァロという名はその女性が残した遺品からとったものなので…」
きっと目の前の女性にこんな説明をしても意味はわからないだろうと頭ではわかってはいたのだが私は止められず問い詰めるように話し続けた。女性は口を挟まず私の話を聞いてくれていた。
「母の踊りは受け取る側でいかようにも解釈でき、母はその人が今必要としている事柄を眼前に示すことができるのです。それは真実といっても良いでしょう。王にはその物語が必要であったはずなのにそこから何も得ることができなかったことは悲しく、とても愚かなことだと思いますが、いつの世も王という者はその程度だと決まっていますので私が嘆いてみても何も変わらないでしょう」
彼女の発言は即、反逆罪にあたる。私は周りを見回したが変わらず誰一人こちらに視線を向ける者はいなかった。処刑は王の決定であり、逆らえるはずもなく、まわりは誰も何も言い出せなかった。恥ずべきことだが私もその一人であった。王都の誰もが心にしこりを持ったまま今も過ごしているのだ。
「それがなぜ真実なのかご理解いただけるかはわかりませんがそのために私の一族の歴史を少しお話ししましょう」
そう言うと彼女はレイテの歴史を話し始めた。
「私たち一族はかつては王都に住んでいました。一族に名前はありませんでした。占いや踊り、歌を歌うことなどを生業にし人に真実を見せることができるその能力にいつしか預言者と称され人々は宣託を求めてやってくるようになりました。全ては私たちの先祖が見てきたものを伝えているに過ぎません。そのため私たちは相手にとって都合の良い予言をすることができないのです。人というものは真実より嘘でも幸せでその人に都合の良い未来を見せられた方が良く、そちらが真実として無条件に信じられるのです。私たちが見せる真実である不都合な未来を皆は認めずにいんちきだと糾弾するようになりました。次第に私たちは差別され迫害されるようになりました。王や権力者のお抱えになった者もおりましたが、ほとんどが処刑され一族は犯罪人として断罪され迫害を逃れるため王都を脱し、山の奥地へと逃げ込みました。その地は人が決して立ち入ることがないまさにそこがレイテの地でした。そこで暮らすようになりレイテの民となった一族はその後外部の血が入らなくなったためにより血が濃くなり能力はより強くなったといいます」
彼女は今レイテの民で生き残っているものは自分だけであると言った。彼女の母親はレイテの地で慎ましやかに暮らしていたがその後、クリーチャーである原初の悪魔により滅ぼされたそうだ。生き残った数名のレイテの民はまたもその地を捨て再び流浪の旅へと出ることとなったらしい。娘である女性はレイテの地へは一度も行ったことはないが、故郷であるレイテの地の情景は今でも瞼の裏に焼き付けられていると言う。
「私があなたに会いたかった理由はあなたの母親が踊った時の舞をもう一度見たいからなんです」
私は本音を言った。
「それは叶わないと思います。あなたの死後の出来事をあなたは知ることができないのと同じで私もまた必要な言葉を伝えるだけなので。レイテの民は滅びましたが伝承は滅びません、伝えゆく物語の中でレイテの民は生き続けます。それは宿命であり義務なのです。私は吟遊詩人です。母親の舞は再現できませんがあなたに今必要な歌を歌うことはできます」
彼女の歌は四行連句と呼ばれる四行で構成される詩節で連なり、韻を踏みリズムをとった。時には五行戯詩となり物語に加速度をつけた。周りのことなどもう何も気にならなくなり私はその歌に没入した。
フォルタ・リンブルフの歌を聴き私はその物語をまとめここに記すことにした。戦役の物語である。いつの世も戦争は人の生活を一変させ運命を変えるため歌に詩にされてきた。どう必要なのか私にはわからない。フォルタ・リンブルフは現在大変栄えている大都市であるが歌ではすでに人の住まない地となっているようでおそらくかなりの脚色がなされているものと思われる。しかし私はできるだけ忠実に再現した。脚色するのは素性を隠すためとリンブルフを中心に活動しているため住人に馴染みのある場所に変更しているものと思われる。記述する伝承は実際には存在せず、具体的な地名や人名も多数出てくるが該当する者はなく創作であろう。時とともに細部が変化し解釈ができず何について歌われているのかわからない部分も多くみられたが、できるだけそのまま記述する。また説明がないとわかりにくい部分には私なりの解釈で補足を行なった。