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そして、俺は猫になった。

作者: 礼三

他、長編を書いていると

時々無性に書きたくなる新しい話…。

昨日その衝動に駆られて短編書いてみました。

お目汚しをお許しください。


 由樹さんは俺の女だ。

 少し傲慢な言い方になるかもしれないが、仕方ない…。俺の女なのだから…。


 由樹さんは世間一般でいう美人ではない。周囲の客観的意見だ。本人もそう言っている。

 だけど、可愛い…。

 笑ったときの目尻の下がり方とか…。悩んでいる時に「むむっ」っていうひとりごとやら…。

 美味しそうにご飯を咀嚼する仕草とか…。ビールを飲むときに爽快に鳴らす喉の音も…。

 あれのときにちょと上擦る声や…。柔らかな二の腕の内側…。ちょいと肉づきの良いぷよぷよとしたお腹もな…。挙げるとキリがない…。

 堪らなくいい…。

 俺にとって由樹さんはこの世界で唯一無二の存在だ。


 俺は由樹さんに会うまで色んな女性と身体を重ねてきた。皆んな、可愛かったし、俺を癒してくれたいい女たちだ。彼女たちのことは大好きだったし、愛していた。

 だけど、皆んな、俺の一人だけの女性になりたがった…。俺は由樹さんに会うまで、その気持ちが理解できなかった。

 由樹さんに会ってから、それがどれだけ切実な願いだったかを知ることができたんだ。



「別れたいんだけどいい?」


 ある日、俺は由樹さんの耳元で呟いた。

 由樹さんの背中から腕を回して、彼女のお腹の肉を揉み揉みと掴んでは遊ぶ。由樹さんは先ほどまでの俺との情事に疲れ果ててたようで抵抗するともなく、俺に身体を預けていた。


「あぁ…。そうか、やっと私は捨てられるんだな?」


 淡々と返事をする由樹さんは俺を振り向きもしなかった。由樹さんらしいなと俺は納得する。


「ごめんね…。好きな子が出来た。その子と暮らしたい」


 由樹さんの肩へおでこを傾ける。触れた肌が冷んやりとして心地いい…。これが最後になるのが、名残惜しかった。


「分かった…」


 由樹さんが短く答える。俺はこの返答を予想していた。

 挨拶の如く、由樹さんは「まだ別れる気はないのか?他に可愛い子はたくさんいるのに」と俺に尋ねる。俺は由樹さんとの交際を真剣に考えていたのだが、由樹さんは俺に遊ばれていると思っていたようだ。


 出会ったときも仕切りに疑っていた。


「今流行りのロマンス詐欺?」

「いやいや、違う…。本気だって…」


 由樹さんとは身体の関係へ発展するまでに一年もかかった。

「お前が時間をかけて、女性と関係を構築しようと試みるなんて、天変地異の前触れか?」と、友人に揶揄われるほどに…。

 確かに、昨今、異常気象が多かったけど…。それは偶然で…。いやきっと、温暖化のせいだ。


 さて、どうして、俺がこんなに愛してやまない由樹さんと別れたかというと、俺は不治の病とやらに侵されていた。

 由樹さんに別れを告げる一ヶ月前だ。

 医者にはもって一年だろうと…。

 今まで、女の子を泣かせてきた報いがやって来たようだ。人生はきっとそんなもんなんだろう…。


 宣告されても、日々は巡る。忙しいときは考えずに済んだが…。ふと立ち止まると、この日常が途切れることへの恐怖で身動きがとれなくなる。

 そして何より、由樹さんをおいて死ぬのが怖くなった…。俺が死んだら、由樹さんは別の誰かと付きあい始めるかもしれない…。


 気持ち悪い…。想像するだけでも吐きそうだ…。由樹さんは俺だけの女なのに…。


 どす黒く歪んだ嫉妬に気づかれなくて、由樹さんと早めに距離を置く方がお互いのためだと思った。

 自分の欲望とは裏腹に、これかも生きていく由樹さんには、俺なんぞに囚われず幸せになってほしい…。そんな願いもあった…。


 それに、由樹さんが俺のために泣くのも嫌だったし…。病気になった俺を最後まで見届けさせるのも嫌だった。

 由樹さんは面倒臭がりな性分で看病には向いてないと思うし、もしかしたら、病気のせいで俺を嫌ってしまうかもしれない…。



 点滴の管に繋がれた腕は日に日に痩せこけていく。それでも、医者は優しかったし、看護師は親切だった。

 担当看護師は由樹さんよりもずっと若い子で俺へ時折秋波を送ってくる。俺は基本、女に優しいし…。それなりに、美丈夫イケメンだと自負している。惚れるのも無理はない…。

 余命幾許もない儚げな俺は女を惑わすようだ。迫ったわけでも、ねだったわけでもないが、彼女は「特別ですよ」とたまに頬へキスをしてくれた。三十半ばを過ぎたおじさんの冥土の土産にしては贅沢な話だろう…。


 けど、本音は…。最後に俺の眼差しに映っているのが由樹さんであってほしかった。


 ああ、俺は後悔している。


 いつでも俺の近くで見つめてほしかった。俺だけを愛してほしい…。例え、嫌われても、由樹さんに側にいてほしい。

 あなたに寄り添えるなら、あなたを少しでも長く見守れるなら…。


「猫でもいい…。由樹さんと一緒にいれたらなぁ…。でも、あの人、猫嫌いなんだよね…」


 いよいよってときに、友達が病院へ見舞いに来てくれ、オレがふと漏らした言葉だ。奴は何も言わず呆れたように笑った。

 そりゃ、そうだ…。自分から別れを告げたんだから…。


 その日の夜、容体が悪化して俺は還らぬ人となった…。





 その子猫はある日…。


 家の前で格子戸を爪で引っ掻いていた。

 まだ小さな子猫の爪は柔らかそうで扉がというより、爪が傷つきはしないか私は心配になった。

 私の家は郊外の一軒家だ。両親は他界しており、残された一人娘の私は十年ほどの月日を一人で暮らしていた。いや、正確には八年と半年ぐらいか…。

 恋人…。恋人と呼んで良いものだろうか?物好きな男がふらりと転がりこんで一年と半年、一緒にいただけだ。


 猫のようにすぐ消えてしまったが…。


 私のような地味な人間に愛を囁いてくれたその男のことは恨んではいない。寧ろ、ひと時だけでも、寂しさを埋めてくれた優しい男だと思っている。

 だが、彼の幸せを考えれば、私と別れるのが最善だと思う…。私は何も持っていない…。


 まぁ、この雨漏りのする古い持ち家はあるけれど…。


 子猫は私の好きなアネモネを口に咥えたまま、無心に目の前の木材を削っている。

 仕事から戻ってきた私を見つけると、私の目の前にそっと花を置いた。貧相な花だった。今まで猫が居た場所に無数の青い花びらが散っている。

 庇護欲をそそる無邪気な大きな瞳で私を見上げる子猫…。


 そういえば、忘れていたが、今日は私の誕生日だ。傷心の私へお祝いに来てくれたのだろうか?


 私がアネモネ好きだと知っていたのは、両親以外は同棲していたあの男だけだ。

 友人にも、今まで付き合った恋人にも教えた記憶がない。あの男は何でも私の好きなものを知りたがった。

 

 ふむっ、傷心ともいえないか…。


 彼と別れてから2年目の春を迎える。


 いやいや、おとぎ話でもあるまいし…。


 子猫は私を見据えたまま目を離さない。私が戸惑っていると、足元までやってきて擦り寄る。

 私は動物に好かれた試しはない。


 これは…。


「飼って欲しいのか?」


「みぃぁ…」


 子猫は首をいじらしく傾げて、私を懐柔しようと腹を見せた。何ともまぁ…。小賢しい子猫だろう…。

 猫なんて飼えば手間はかかるし責任も伴う。自身でも自覚しているものぐさな性格…。

 それにペットを飼うと婚期を逃すと聞く。


「確実に結婚できないなぁ…。いや、とっくの昔に婚期は逃してるか…」


 私はしゃがみこんで猫を撫でる。


「みぃーーー」


 気持ちよさそうに私に身を任せる姿が愛らしい。それでいて、玄関へと猫は視線を投げる。


「入りたいのか?」

「にゅぅーーー」

「はぁ…。猫は嫌いなんだ。諦めてくれないか?」


 昔、母が猫を飼っていたのだが、部屋に毛玉があちらこちらに落ちるし、床は爪で傷つく。そして、可愛がっていたにも関わらず、不意にいなくなる。


 子猫は指に顔を擦りつけて、私へアピールしてきた。子猫の顔がぐにゃりと揺らぐ。私の視界がぼやけた。


「ふふ…。あれ?なんで涙が出るんだ…」


 この日から、子猫は我が家の一員となった。





 古い一軒家…。

 男が玄関の軒先で叫ぶ。


「こんにちは…。誰かいらっしゃいますか?」


 黒い上下のスーツで身を包んだ優男だ。

 カラカラと玄関が開き、恐る恐る家の中から住人が顔を覗かせた。腰まである長い髪を一つに束ねた女性だった。


「こんにちは…。こちらに朔夜くんが住んでるって聞いて…」


 男をセールスマンと勘違いしていたのだろう…。訝しげな表情だった女は少し安堵したように頷いて答える。朔夜という名に聞き覚えがあったようだ。


「あぁ…。以前は住んでいましたけど?もう、居ませんよ…」

「はぁ…。前に本を貸してて…。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」ってやつなんですけど…。お気に入りなのに…」


 男は全身全霊で困ったを表現しながら、誰ともなしに愚痴る。


「あぁ…。それなら…」


 女が目尻に皺を軽く刻む。美人ではないが、可愛らしく愛嬌のある顔立ちだと男は思った。左に浮いているえくぼが好ましい。


「どうかしましたか?」

「あると思います…。置いていった中に…」


 どこでも売ってそうな、文学に関心のない自分でさえも知っているそんな小説をわざわざ探しにきた男…。女は少し不思議に思った。


「ちょっと、背表紙に青色鉛筆で模様を書いた…」


 男がそう告げたので、女は思い入れのある本なのだろうと考えた。


「猫のですよね?…待っててください。取ってきますよ」

「良いんですか?」

「私は本に興味がないので、いつかは処分しようと思ってましたし…。その前に来てくれて良かったです。押入れの段ボールの中へ仕舞っているので、ちょっと時間いただけますか?」

「もちろんです…。お手数をおかけしますね…」


 申し訳なさそうに佇む男を残したまま、女はいそいそと奥の部屋へ入っていた。しばらく、本を探しにいった住人をのんびり日向ぼっこしながら男は待った。

 そこへ毛並みに艶のある猫が散歩から戻ってきた。女が半年前から飼い始めた猫だった。


「にゃああああっ⁉︎」


 男と視線が交差した猫が驚いたように鳴き声をあげる。踏みこむのを忘れて、前足は宙で静止していた。


「あっ、おかえり…。お前、無事に猫に生まれ変われたんだな…」


 発する言葉を猫が理解しているというように、迷いもなく男は話しかける。


「にゃあああああっ!にゃーーーー⁉︎」


 猫が草の上で身体を左右に転がす。千切れた葉っぱが肢体へ絡まった。男はまるで馴染みのある友人と会話をしているようだった。


「いやぁ…。彼女もお前が死んでしまったことを知る権利があるんじゃないかと思って…。位牌を持ってきた…」


 男は持っていた紙袋の中から何かを取り出して、自慢げに猫へ見せる。白布に包まれているそれは位牌の形をしていた。


「にゃぁにぃ!」

「お前…。話せてるぞ?」


 意地悪そうに眉を顰める男へ、猫は毛を逆撫で唸った。


「うぅぅっっぐぅーーっるぅっ‼︎」

「うーーーーん。分かったよ。死んだことは伝えない…」


 可笑しそうに猫の様子を観察している顔へ猫パンチでも見舞おうと、猫はポストを足がかりに飛びかかるも男に軽く抱き抱えられた。


「ぎゃおぅにゃにゃあっ!」


 やはり、男には猫の言葉が通じているようだ。


「あぁ…。私は魔導師なんだ…。だから、友人であるお前の最後の望みを叶えてやったろう?」

「にゃあにゃ‼︎」


 不適な笑みを浮かべた男の周りに蝶が飛びかう。青白く光る幻想的な蝶はすぐに消えた。


「驚いたか?本当はお前を蘇生させたかったんだけどさ。蘇らせるだけの力を現代では使えないんだ。悪いな…。これぐらいしか出来なくて…」


 足掻いていた猫の動きが止まった。


「幸せか?」


 猫の目を覗きこみ男は尋ねた。


「にゃあ…」


「ならいい…。由樹さんとまた一緒に過ごせて良かったな」


 猫の返答に機嫌が良くなった男はそっと猫を地面に下ろすと片方の手を翳してその場を立ち去った。猫は彼が見えなくなるまで見送っていた。



「あれ?お前…。ここにお客様居なかったか?」

「にゃ」


 猫は左右に首を振る。女は猫の仕草が面白くて笑った。


「時間がかかったから帰ったのかな?まぁ、いっか…。必要ならまた来るだろう…」


 宮沢賢治の本を脇に置いて、女は玄関框へ腰を下ろす。背表紙には三毛猫のイラストが青色鉛筆で描かれていた。


 人好きそうで優しげな男だった…。どうしてだろう?先ほど、会ったばかりなのに…。


 女は再び訪れるかもしれない客の顔を思い起こそうとしたのだが、靄がかかって思い出せない…。


「にゃあ…。にぁみゅう?」


 鳴き声をあげて、猫が足首に纏わりつく。主人の憂いた面持ちが気になったからだが、猫の気持ちは女へ届かなかった。


「お腹空いているのか?」


 また、左右に猫は首を振る。女の膝へと飛び乗り、定位置で丸くなった。猫の首元を指先で軽く触れ上下に動かすと女は言った。


「お前は私の膝で寛ぐのが好きだなぁ…」

「ごぉぉぅるにゃぅ」


 猫は左右交互の肉球で女の腹部を押す。側から見れば、猫が腹部をマッサージしているようだ。


「こらこら、お腹を押すなよ…。太っ腹って言いたいのか?まぁ、最近、ビールを飲み過ぎたからなぁ…」

「にゃあ…」


 開けたままの玄関から爽やかな風がそよ吹く。

 遠くに広がる青い空を眺めながら、女は猫の毛を解きほぐす。

 今日も猫は彼女の膝で、愛するものの温もりを感じながら欠伸をするのだった。


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