彼女が死ぬまでの2500文字
伯爵令嬢ロゼッタの人生はさんざんなものであった。
実の母は産後の肥立ちが悪く、ロゼッタを産んですぐに亡くなった。
父の愛人が後妻になり、すぐに妹が産まれた。家族はみな可愛らしい妹に夢中になり、ロゼッタのことなど構わなくなった。
ロゼッタは一人の乳母だけつけられて、敷地内の森に佇む古い小屋に追いやられた。
我が子を病気でなくしている乳母はありったけの愛情を注いでくれたが、ある厳しい冬に、本宅へ薪を取りに行った彼女は翌朝雪の中から見つかった。寒さで心臓発作を起こしたのだろうと、医師はろくに診察もせずに言い捨てた。
十歳にしてロゼッタは小屋にひとりで暮らすことになった。
こっそり食べ物を差し入れてくれる親切なメイドはいない。遊びに来てくれる森の動物もいるはずがなかった。
畑を耕すため手のひらは豆だらけになった。
雨の日も風の日も川に洗濯に行き、指はあかぎれだらけになった。
勝手に決まった婚約は、相手の顔を一度も見ることもなく、いつの間にか破棄されていた。
妹に与えられるものはロゼッタには何一つ与えられない。美しいドレスも、温かい寝床も、一日三度の食事でさえ、ロゼッタは享受することができなかった。
時間だけがどんどんと流れていく。
三十になってもロゼッタはひとりぼっちだった。
本宅の庭では妹が産んだ三人の子供の笑い声が響き渡る。小屋から出て控えめに庭に近づき、その明るい声を聞くことがロゼッタの唯一の楽しみだった。
しかしそれも気味が悪いと誹られた。彼女の小屋と本宅の間には高い高い壁が作られた。
ロゼッタは四十になってもひとりぼっちだった。
あるとき森で怪我をして倒れていた若い男性を助けた。その者は隣国の貴族であり、ロゼッタを恩人としてもてなしたいと申し出たが、彼女はそれを断った。
ロゼッタは気がついていた。自分は病に侵されていて、もう長くないことを。
そして自分が何歳になったかも分からなくなったころ、ロゼッタは長年暮らした小屋で静かに息を引き取った。
彼女は死ぬまでひとりぼっちだった。
◇◇◇
「ここは天界ね! ようやく輪廻から抜け出せたのだわ!」
天使ロゼットは光に溢れた雲の上で目を覚まし、歓喜した。
大天使になるためには百回輪廻転生し精神を鍛えなければならない。夏に七日間しか生きられない虫になったこともあったし、弱肉強食の地で動物になったこともあった。途方もなく長い月日だった。
生意気でわがままなロゼットに手を焼いていた天上神も、彼女が無事に輪廻を終えたことに安堵していた。
「未熟者だったおぬしがよく耐えた。目を見張る成長ぶりだ」
「聞いていた以上に過酷だったわ。特に最後の人生は最悪だったわね。あんな汚い小屋に追い出された時点でぶちギレてやろうと思ったもの。性根の汚い義母と義妹にいびられて、ロゼッタはほんとうに可哀相だったわ」
汚い言葉遣いに天上神は顔をしかめたが、ロゼットは無事に輪廻から解脱した。大天使として天使たちを取りまとめる位につくことができる。
「終盤で現れた貴族令息は素敵だったわね。もうちょっと若かったら一緒になってもよか――」
「ゴホン! とにかくロゼットよ。おぬしに大天使の位を授けよう。長らくの修行、ご苦労であったな」
勢いづくと話が止まらないのは修行前と変わっていないようだと天上神は心の中でため息をつく。
とにもかくにもロゼットは永遠とも思える輪廻の修行を終えた。これからは大天使として天上で生活することになるのだが――。
「いいえ。主上、わたくしは大天使にはなりません」
予想外のことを凛として言い切ったロゼット。天上神は発言の意図を掴むことができず、眉間に深く皺を寄せる。
「……いったいどういうつもりだ?」
「わたくしの最後の人生はあまりに可哀相でしたわ。途中で幾度も命を絶とうと縄を手に取りましたもの」
自殺をしてしまうとその人生は輪廻に計上されない。修行を放棄したとみなされるため禁忌とされている。
けれど、と彼女は続ける。
「わたくしを唯一可愛がってくださった乳母のおかげで生を全うできたのですわ。メアリがわたくしのために生きてくれたのだから、わたくしはメアリのために生きねばと思ったのです」
本宅を放り出されたロゼッタはメアリのことを母のように慕って育ち、メアリもまたロゼッタを我が子のように愛情を注いだ。寒い日はメアリの胸に包まれて眠り、暑い日はメアリが縫ってくれた風通しの良い寝間着を来て心地よく眠った。お揃いの生地で作ったその寝間着は、ロゼッタが息を引き取ったときも枕元に置いてあった。
生涯、いいや、百回の輪廻のなかでも決して忘れることのできない優しい乳母だった。
「わたくしは下界に戻ります。主上、わたくしに雷を」
「ロゼットよ。なにを言っているのか分かっているのか。堕天すれば二度と戻っては来られない。人間として死に、生はそれで絶えるのだぞ」
「もちろんです。百回輪廻して気がついたのですわ。大天使になるよりも、わたくしは心から自分を愛してくれた者に仕えたく存じます」
ロゼットは覚悟を決めた表情で自分の背中に手を伸ばす。そして、天上神が制止する前に自らの真っ白な羽を引き抜いてしまった。
激痛に表情を歪めながら天使ロゼットは頭を下げた。
強い覚悟が感じられたが、しかし天上神は決断をためらっていた。彼にとってもまたロゼットは大切な弟子のひとりであったから。
長い沈黙が流れ、しびれを切らしたロゼットが顔を上げる。
「……もうっ、早くしてよハゲ主上! 早くしないとメアリの魂が追えなくなってしまうわ!」
「!! おぬしッッ!! 悔い改めよ!!」
天上神がもっとも気にしていることを突いたロゼットは無事に雷を受け、まっさかさまに下界へと堕ちていった。
◇
乳母メアリの魂はとある心優しい奴隷に生まれ変わっていた。
ロゼットはその息子ロゼアとして転生した。勉学を修めて成り上がり、母を身分から解放する。やがて気立てのいい奥さんをもらい、たくさんの子をもうけて母を生涯笑顔にし続けた。
ロゼットは人間ロゼアとして死に、決まり通り天使に戻ることはなかった。けれども、愛に生きたその高潔な魂は、子孫のなかでいつまでも生き続けているという。
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他には医療ファンタジーやゴミ屋敷令嬢という作品を書いています。もしご興味が湧きましたらご覧になってみて下さい。




