ニーハイの絶対領域に誘惑されたら彼女ができました
日曜の微睡の中。
無粋な双子の姉・静流の悲鳴で目が覚めた。
外出の準備をして、足首を捻ったらしい。
それだけならいい。
寝起きの俺におつかいを頼んできた。
「静夜、お願い!代わりに行ってきて!」
「やだよ。面倒くさい」
「先着でもらえるポストカードが欲しいのぉ!!おーねーがーい!おねーちゃんの言うこと聞いて!」
「1分違いの生まれで姉の権力が発生すると思うなよ!」
「ちゃんと映画チケット代渡すし、あと、えーと、ご飯代に1,000円出すからぁ!」
「ケンタの月見バーガーセット食えるな……」
「ね?お願いお願いお願い!!」
「……宿題終わってないんだよなぁ〜」
「代わりに解いておくから、写していいよ!」
「仕方ない。行ってやるか」
「あ、環と一緒だからよろしくね♡」
「はぁ?」
「ポストカードを譲ってくれるって。だから一緒に行ってね」
「おまえ、面倒なことを」
それはデートじゃないか!
一度も彼女ができたことはない。
なんなら女子たちと学校以外で一緒になったことがない。
そんな双子の俺になんつー試練を!
「環って、おまえと同じクラスの?」
「あったりまえじゃん。他にいないじゃん」
「マジかよ……」
鮎川環。
高校の同学年で一番の美人。
人によっては可愛い系だといわれるけれど。
遠くから見てもスタイル抜群。
何度か家に遊びに来た時に話したけど。
ほとんど静流が話していた。
その環といきなりのデート。
いや、デートじゃない。
姉の静流の代わりだ。
ただの代役だ。
ポストカードをもらえば解散だ。
落ち着け。
何を着ていけば分からないぞ。
落ち着け。
「この間買った古着のロンTとジーンズでいいんじゃない?普段からスニーカーにショルダーバッグだし」
「え、あ、ああ」
「長袖Tシャツだからねー。くっそダサい服で推しの映画を観に行くなんて、死刑だからね」
「……どんなドレスコードだよ」
静流のおかげで服装は決まった。
ほっと、ひと息ついたが。
「あ、環の家に迎えに行ってねー。待ち合わせは、えーと、あ、30分ないや。もう行ってよ」
「はぁあ?!」
「スマホに今地図送ったから。はい。チケットと、千円札と。お土産にポッキー買ってきて」
「てめえ」
「はいはい急いで〜」
チェシャ猫みたいな顔で笑う静流。
急なおつかいと環とのデート。
落ち着かない感情にまかせる衝動。
静流に湿布とクッションをぶん投げる。
「ちゃんと足首に貼っとけよ!痛くないようにクッション使え!」
俺は叫んでから玄関に向かった。
「ほんと世話焼きだなぁ〜」
のんびりとした静流の声。
ちくしょう。
足首が腫れないようにしておけよ!
早足でスマホ片手についた家。
その表札には、『鮎川』の文字。
インターホンを鳴らす。
「あ、いらっしゃい。中に入って」
すぐに環の声と鍵の開く音が聞こえた。
玄関に入って説明をしようとしたが、すでに連絡が入っていた。
「えーと、今、静流からのメール読んだんだけど……着替えるからソファで座って待ってて?」
「もう出かけられそうだけど?」
「すぐ終わるから、ね。静夜くん」
ふんわりとしたリボンがあしらわれた黒いトップスにジーンズ。
これで部屋着なのかな?
言われたとおりにリビングのソファに座る。
初めて来た女の子の家のリビング。
ちょっとそわそわする。
テレビをつけて待っていること、3分。
出かけるまでが長いのは静流で慣れている。
部屋のドアが開く音を聞いて、早いなと思った。
振り返ると、トップスは同じ。
しかし、ジーンズではない。
膝上のプリーツスカート姿の環。
「え?」
制服より丈が短くない?
「あ、ちょっと待って」
固まる俺。
それに構うことなく、俺と反対側のソファに座る環。
そして、真っ白な足を伸ばして、ゆっくりと靴下を履き始めた。
つま先を伸ばしたまっすぐな膝下。
それを覆うように、するすると伸びていく布。
少しだけプリーツスカートが太ももに影を作る。
その影のところよりわずかに下。
靴下が止まる。
ニーハイ
「………!」
突然現れた絶対領域。
俺は文字通りに、息が止まった。
綺麗なふくらはぎから膝、そして柔らかさを感じさせる太ももまでを覆う布。
その上にわずかに見える白い肌。
プリーツスカートのでこぼこな影。
完璧なまでの絶対領域。
息ができないままに、環の足を見つめる。
環はもう片方の綺麗な足をすっと伸ばし、なめらかに靴下を履き始めた。
するすると上がる布。
止まると、太ももの柔らかさを示すようにほんの少しの柔らかい肉のへこみ。
え、俺は今、奇跡が出現する場に立ち会ったのか?
動揺を隠しきれないまま、俺は環の足を見ていた。
環はその視線を気にすることもなく、立ち上がる。
「じゃあ、映画館に行こうか」
視線を合わせて、にっこりと笑った。
駅まで並んで歩く。
階段では、環の後ろについて歩く。
もちろん、距離はとらない。
離れると、絶対領域が目に入る。
電車に乗る。
空いた席に環を座らせる。
見下ろすと絶対領域。
俺はショルダーバッグを環に渡す。
「ごめん、ちょっと持ってて」
これで環の絶対領域は隠せた。
映画館に着くまでの試練が多すぎる。
静流の話を思いつくままに話す。
話している間に気になるのは、環の髪の匂い。
何を使ってるんだよ!
市販のシャンプーだろ?!
なんでこんなにいい匂いなんだよ!
「あー、たしかに静流っぽい」
「そうなんだよ。子どもの時から肉マンで」
ぜんっぜん、会話が頭に入ってません!
はい!
ちょっと見下ろすと、鎖骨がきれいとか。
思ってるだけです!
口には出してません!
学年1の美人とお出かけ。
なんて試練の多い依頼なんだ!
なんで、映画館前集合じゃないんだ!
思考回路はショート寸前だよ!
あー、でもいい匂い……
「いい匂い……」
「匂い?」
あぁ!口に出ていた!
えーとえーと、ごまかせ!
なんとかごまかせ!
社会的に死ぬぞ。
「……あー、たぶん、あのフレグランス? コーナーのかな?」
俺はとっさに目に入った店を指差した。
映画館の入った複合施設。
どんな店でも入っている。
ちょうど『大人気』と『フレグランス』の文字が見えた。
「へぇ、こういうの、好きなの?」
「え、う、うん」
「サンプルのこれとこれ、どっちが好き?」
環が差し出した2枚の紙に鼻を近づける。
ふんふん。
「こっち」
「じゃあ買ってくる」
「え?」
嬉しそうな顔で環がレジに向かう。
え?
なんで?
そんな話、してたっけ?
会話を思い出そうとした。
けれど、静流の脈絡の無い買い物を思い出した。
女の子の買い物って、みんなこんな感じか。
なんとなく腑に落ちた気分で、環を迎える。
「これ、つけてみるね」
早速、しゅしゅっと首元と手首に着ける環。
くりんとした瞳で俺を見上げると。
「どうかな?」
俺の鼻先に手首を掲げた。
「いい匂いです」
「なんで敬語なの?」
あははと笑う環。
俺は女性の肌と混ざった香水の香りにノックアウトされていた。
顔が赤い気がする。
腕時計を見て、急ぐふりをした。
映画館に入ると、少しだけ時間があった。
ポップコーンと飲み物を買う。
環は飲み物を持って、俺の隣の席に座った。
俺と環の間にポップコーン。
「2人で食べるくらいでちょうどいいよな」
「静流とはよく来るの?」
「あんまり。あ、来週一緒に観る予定」
「そうなんだ。ふぅん」
環の小さなカバンは、絶対領域を隠してくれない。
話しながら、何度か視線が下がる。
無意識に目がいってしまう。
恐るべし、絶対領域。
視線がバレていないことを祈る。
視線をどこに向けていいか分からなくなったころ、館内の照明が落ちる。
よかった。
明日からの学校生活が守られた。
ほっとしながら映画を見始めた。
しかし、試練は上映の1時間後に訪れた。
ポップコーンに伸ばした右手。
そこに環の指が触れる。
びくっと反射的に震える。
その俺の指を。
環の2本の指が挟み。
ゆっくりと撫でて、爪のところで止まる。
軽く力を込めてから、離された。
「………!」
なんだこれ、なんだこれ。
え?指、挟まれたよな?
ほっそい指が。
環の指が。
ええ?!
映画のストーリーも頭から飛ぶ。
急に心臓の音が早くなる。
スクリーンの光で少しだけ明るい。
その数秒間に。
環が俺に顔を近づける。
「ごめん、触っちゃったね」
すぐに離れたけれど。
そのわずかな風で届くのは。
さっきの香水と環の肌の匂いが混ざった香り。
「…………!」
上映中は静かに。
それを守れたことを俺は誇りたい。
喧しい音響の中、俺の心臓は大きな音をたてていた。
「面白かったね」
晴れ晴れとした顔の環。
映画館から出て、目的のポストカードをゲットする。
俺の心臓はもう悲鳴をあげている。
静流が言っていた通りに、ポストカードを俺に渡す環。
震えそうな手で、俺が受け取ろうとすると。
ひらっ
ポストカードが床に落ちた。
拾い上げようとしゃがむと、環も同じように床にしゃがんでいた。
そうなると。
目の前に見えるのは、少しだけ肌の領域が広がった絶対領域。
「……ポストカード、どうぞ」
「……ありがとう」
先に拾った環がポストカードを差し出す。
受け取ろうと掴むが、ポストカードがきゅっと音を立てる。
環がまだ端っこを持ったままだ。
「………静夜くん」
「………はい」
ポストカード1枚分の距離。
「……ここ、見てたよね?」
空いた手で示すのは、絶対領域。
「……はい」
素直に犯行を認める俺。
「……ここ、触りたい?」
「……はい」
「……彼氏じゃないと触らせないよ」
「……はい」
「……私の彼氏になる?」
「……はい!」
顔が赤い自覚はある。
それでも環に視線を合わせると。
環も真っ赤な顔をしていた。
真っ赤な顔の間で、ポストカードのひっぱり合い。
「……頑張って、誘惑してました」
「誘惑されました……」
「……来週の映画館は、静流じゃなくて、私と行こう?」
「……はい」
「来週、触ってもいいよ。さっきつかんだ指だけなら」
「……お願いします」
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
ぺこぺことお互いに頭を下げる。
顔を上げて、真っ赤な頬のまま、笑い合った。