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学校に着いたら敦美にすぐ録音を聞いてもらわなければと思っていたが、自分の方が先に登校していたので、そわそわと落ち着かず、足を揺するのが止まらなかった。
「おはよう、みっちゃん、昨日は妹ちゃんどう――」
「あっちゃん、おはようっ! あのねっ! これ聞いて欲しいのっ!」
夜から朝までの出来事を敦美に覚えているだけ詳細に話し、未知留はスマホのボイスアプリを起動させた。録音時間は九時間を超えているのを見て敦美は呆然とした表情になっていた。
「いや、九時間もあるんだけど、えっとね、十時半頃に録音を始めたから、暦がラジオになったのが四時、だから、五時間半くらい早送りして聞いてっ!」
それから敦美は朝のホームルームが始まったのに、片耳にワイヤレスイヤホンを付けて録音を聞いていた。一時限目が始まってもお構いなしにずっと真剣に聞いていた。
二時限目終了のチャイムの時にようやく聞き終わったようだ。何度も聞き直したのだろうかと思ったが、見たことの無い強張った表情から未知留は何かを察した。
「ねぇ、これ――寝る直前から録音したって云ったよね?」
「そうだけど? 他にも音入ってた?」
敦美はカバンからもう片方のイヤホンを取り出して未知留に渡した。すぐに耳に付けて聞き始めたが――
〈未知留、来い、
未知留、いるか、
未知留、いないのか、
未知留、いるか、
未知留、来い、
未知留、何処だ〉
それは明らかに自分の声だった。録音時間を見ると五時間になろうとしている所だった。
「あっちゃん……これって……」
「ねぇ、みっちゃん、このボイス送ってくれない? オカ同の二人にも聞いてもらわないと」
「解った……ねぇあっちゃん……あたしも受信してたってこと?」
「ちょっと……今は考えが纏まらないから……言えないけど……多分……」
録音を送ってからの授業は全く耳に入ってくることなかった。お昼休みにじっくりと話をしたいと思っていた敦美は、オカ同のみんなと話し合いをすると云って午後の授業直前まで戻ってこなかったので話せなかった。
もやもやとした不安な気持ちは動悸を激しくさせ、少し過呼吸のようになってしまった。それを見た敦美が先生に、上河辺さんの体調が悪いようなので、保健室へ連れていきますと云ってくれた。
そのおかげで今は保健室のベッドで横になっている。すぐ傍らには敦美が手を握ってくれていたので少し気持ちが落ち着いてきた。
「みっちゃん、ここでしばらく休んでて」
「うん、解った」
「きっと――もう時間がない――」
敦美はそう云うと握ってくれていた温かい手を解き、すぐ踵を返して保健室を出て行った。保険医も敦美の後すぐに保健室から出て行ってしまったので、とうとう未知留一人になった。
すると、横になっているせいのか、先ほどまで体調が優れなかったせいなのか、急な眠気に襲われてしまった。そして、眠りに落ちてしまう寸でのところで、未知留は保健室のベッドを見て、あることを思い出した。
白のシーツで揃えられたこのベッドはまるで、夢で見た真っ白い世界、何処までも拡がる雪原に似ているのだと――
この場所に来たことがある、見間違えるはずがない、草も木も山も降り積もった雪以外には何もないこの世界を見間違えるなどありえない。
ここは何処なのだろうか、いや、それよりも、寒さを肌で痛いほど感じる。
「痛いよ」
自分で発した言葉に未知留は恐ろしくなった。暦も、自分も寝言で口にしていた言葉だ。これはきっと自分達が発した言葉なのだ。“痛いよ”や“怖いよ”は自分達が云ったのなら、あの印象的な他の言葉は――
「未知留、いるか」
突然耳を貫くほどの籠った声に驚いた未知留は短い悲鳴を上げたが、咄嗟に両手で口を塞いだ。
「未知留、いるか」
答えてはいけない、本能が、心の奥底から、この問いに答えてはいけない、危険だと教えてくれている。
「未知留、いるか」
逃げなければ、離れなければ、ここではないところへ、“あれ”に見つかってはいけない――
「みっちゃんっ!」
木霊のような敦美の声が雪原に響き渡ったが、その姿は何処にも見当たらない。返事を出すべきだろうが、声を出したら“あいつ”に見つかってしまう、それを感じる、身体のすべての細胞が危険信号を出している――
「みっちゃんっ! 起きてっ! 起きるのっ! そこは夢の中っ! 起きてっ! 起きたいと強く念じてっ!」
敦美の言葉を聞いてもすぐには理解できなかったが、起きなきゃいけないっ、起きなきゃっ、起きなきゃっ、起きなきゃっ、起きなきゃっ、起きなきゃっ、起きなきゃっ、起きなきゃっ、
「起きろっ!」
消魂しい大声と共にズキズキする頬の痛みで未知留は目を覚ました。ぼんやりと見える世界で敦美が必死の形相で叫んでいることだけ解った。