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両親から終電で帰ると連絡があり、先に二人で就寝することにした。玄関がロックされていることを確認し、未知留は二階の暦が待つ二人の部屋に向かった。
「じゃあ、暦、お休み」
「お休みお姉ちゃん――今日も――」
「ん? 何?」
「ううん、何でもない、お休みなさい」
「うん――お休み」
未知留は電気を消す直前に時刻を確認した、十時半、今日はゆっくり寝よう、そう思ったが、敦美と話したことが走馬灯のように思い返され一気に恐くなり、それと同時に彼女のある言葉を思い出した。
「――もっとちゃんと妹ちゃんの寝言を聞ければ良いんだけど――」
咄嗟にスマホを手に取ってボイスアプリを起動させて暦の方に向けて、目を閉じると牛の首の画像が瞼の裏に映し出されるのが恐くてなかなか寝付けなかった。
「こわいよ」
どうやら今日もまた始まったようだ。暦の声で目を覚ました未知留は、真っ暗闇の世界で時刻に眼を向ければ、またしても丁度四時になったばかりだった。
「こわいよ、暦、こっちだよ」
「あれ? 今日は……暦?」
昨日とは打って変わり、暦自身が自分のことを見ているようだ。オカ同の人達の第一の推論が正しければ、未来の出来事をラジオのように受信しているのだというが――
「暦、来いよ、
何処にいる、
暦、来いよ、
なんだ、
黙ってこっち見てる
解らなかった
お前か、
お前なのか、
なんだ来いって
うん、うん、来いよ、
お前の頭なんだ、
あ、あ、なんだ、なんなんだ」
「頭?」
オカ同の第二の推論が正しければっと少し思った瞬間だった、ふと脳内で検索した牛の首が思い浮かんできて胃の中の物が逆流しようと迫るのを感じた。かろうじて堪えることができたが、発信されている怪電波の受信はまだ止まらない。
「暦、
取れよ、
取るよ」
“取る”という言葉に厭な予感がした未知留は、ベッドから飛び出して暦の身体を揺すりながら叫んだ。
「暦っ! 起きてっ! 取っちゃダメっ! 暦っ! 起きてっ! 暦っ!」
必死に暦を起こそうと身体を揺すっているが、起きる気配はない。本当にラジオにでもなってしまったかのように、ただ話し続けるだけだった。
「暦、
こっちだよ、
取れよ、
取るよ」
「ダメェェェェェェェェェ――」
腹の奥から出したその声にドタバタとした足音が耳に入り、次の瞬間、勢いよく部屋の扉が開いて、母が焦燥した顔で駆け寄った。
「どうしたの未知留っ!」
「お母さんっ! 暦がっ! 暦がっ! “取っちゃう”! このままじゃ取っちゃうっ!」
「何がどうなってるの!? 取るって何を? 暦は?? 暦がどうかしたの!?」
「暦がっ! 牛のく――」
「もうぉぉぉー、うるさいなぁー、どうしたのぉ?」
「えっ?」
切迫していた状況から一気に拍子抜けしてしまう暦の声を聞いて、未知留は膝から崩れ落ちてしまった。まあ、敦美の話から自分が勝手に作りだした危機的状況ではあったが――
「ん? お母さん? お姉ちゃん? どうしたのぉ?」
「あ、あははは――」
張り詰めた緊張の糸が切れるとはこういうことなのだろう、そして、それがとても大事な人が無事でいることが解った時ほど、涙が溢れてしまうことを未知留は知ったのだった。
それから未知留と暦は母の尋問で眠ることはできなかったが、それでも、これで良かったのだと未知留は思った。もしものことがあったら、自分は、自分がどうなってしまうのか想像もできない。大切な妹を、暦を失うことになっていたとしたら――
結局、寝言でうなされていたから心配になって叫んでしまった、で、決着してもらい暦にも誠意を込めて謝ったのだが――
「もうっお姉ちゃんだからって何でも許されると思ってるのっ! 迷惑なんですけどっ! 解る? こんな時間に起こされて気分いいと思ってるの?」
「暦、ごめん、お姉ちゃん――」
「こんな時だけお姉ちゃん面しないでっ! うざいっ!」
起きた時には普段と変わりない暦だったのに、いつの間にか不機嫌になっていた。こんなに怒った暦を見たのは恐らく初めてで、母もかなり驚いているのがぽかんと顎が外れてしまっているので解った。
そうこうしている内に鳥のさえずりが聞こえ、母は尋問をやめて朝食の準備を始めたのでお詫びも兼ねて手伝ったが、暦はしかめっ面のまま動こうとはしなかった。
何か、変だ。昨日も未知留自身がそんな状態になっていた。今では嘘のように晴れやかというか、どうしてそんな気持ちに陥っていたのか全く理解できないほどだった。
部屋で制服に着替えている時、充電していたスマホを手に取るとボイスアプリの録音は、まだ切られていない状態だった――