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未知留にとって午後の授業こそが最大の正念場だった。満たされた食欲にASMRのような先生のお話。瞼が重くなり何度も暗闇になって何度も首を縦に振った。
しかし、その悪あがきも結局は報われることなく、またしても眠りに落ちてしまった。先ほどの真っ黒な世界とは程遠い真っ白な世界、いや、これは雪景色だ。何処までも拡がる広大な雪原。雪以外、草も木も石も山も何もない、灰色の空にまっ平らな雪原に未知留はただ一人立っていた。
「未知留、いるか」
またこの声だ。籠ってよく聞こえない、でも、脳の奥まで聞こえてくるその声は、前より近くで発せられている。そんな気がした。
「こっちだよ」
声に導かれて未知留は雪を踏みしめながら進んだ。しかし、当てもなくではない、何処に行けば良いのか解っている。どうしてか、それは解っていた。
そうして歩いている内に、ポツンと雪の上に何かが置いてあるのが見えた。それが何のかまだ確認することはできないが、何か茶色っぽい、いや、黒っぽい何かがある。
一歩、また一歩近づくと、鼻の奥まで届く強烈な厭な匂いに吐きそうになった。これは遠足や家族で行った動物園で嗅いだことのある匂いだ、これは獣の匂いだ。
それでも彼女は歩を進めた。何か解らないものを知ろうとする好奇心ではない、怖いもの見たさでもない、これは自分の意志でない、そう思ったのだ。
頬に冷たい物が当たった、雪だ。小さな結晶はポツリポツリと一つずつ丁寧に雪の上に降り積もっていたが、何かに近づくにつれて突風を伴って荒れ狂い始めた。
何故だろう、それでも進まなければならない、そして、手に取らなければならない、彼女はその考えに縛り付けられた。
そして、あともう少し、それが何なのか解る、でも、吹雪で前が見えないし、スカートで寒い中を歩いて来たから足が悴んでもう歩くことがままならない。
「未知留、いるか」
返事をしなければ、きっと答えれば、それは自分の元まで来てくれる、彼女が口を開こうとした、その刹那。
「上河辺さんっ!」
「はっ! はいっ! お母さんっ、ごめんなさいっ!」
教室中が大きな笑いに包まれた。最初は朦朧としていたが、未知留は背筋を伸ばして立っていて、すぐ傍には先生が呆れた表情をしながら苦笑していた。
「座って上河辺さん、寝不足なら保健室に行きますか?」
クラスのみんなに笑われて恥ずかしくて溜まらなかったが、ここは気丈に振舞わなければいけないと意固地になった。
「いえ、大丈夫です、すみません」
未知留が云い終わった瞬間を狙って敦美が、お母さんっとクラスのみんなに聞こえる声を出したので、また教室が沸き立った。
「種崎さん、人をおちょくるのはやめなさい、ふっ、うふふっ」
敦美を嗜めつつ先生もお母さん呼びに吹き出してしまった。顔面がキャンプファイヤーの最前列に居るみたいに熱い。こんなことになったのも全部暦のせいだ。