悪役令嬢としての『バッドエンド』を回避したら、『百合ルート』が開拓するなんて聞いてない!
「お嬢様……私、お嬢様のことが好きです。愛しています」
潤んだ瞳で真っ直ぐ見つめられ、私はその言葉に動揺した。
私に告白をしたのは、メイシャ・リグルト――幼い頃から『今の』私の侍女をしてくれている少女で、私とは同い年だ。
自室のベッドに押し倒されて、日が沈んだ部屋には灯りなどなく、このまま勢いに流されてしまうと、一体どうなってしまのか私にも検討がつかない。
長年一緒にいて、そんな素振りを全く感じなかったので動揺しているのだけれど、それ以上に私には驚く理由がいくつもある。
――私には前世の記憶があって、少なくとも、メイシャという『キャラクター』はそういう百合な要素が一切感じられないキャラであったからだ。
今の私――アレイネ・ファルメータに前世の記憶が蘇ったのは、もう五年も前の話だ。
『魔法』というものに触れて、私に最初に起こった衝撃は『閃き』、と言えばいいのだろうか。
まるで走馬灯のように、私にはアレイネとは別人の記憶が流れ込んできた。
それはこの世界とは全く異なる知識であったが、それが不思議と前世の記憶であるということは、すぐに理解できた。
その記憶の中に、私自身――つまり、アレイネについてのこともあったために、違和感はすごかったけれど。
この世界は、私の前世においては『ゲーム世界』の中の出来事であり、思い出した当時――十歳前後のところはさすがにゲームにおいて描写のないシーンであったが、私はアレイネという少女の『末路』を知っている。
十五歳を過ぎた頃、アレイネはこの世界の主人公に対して執拗な嫌がらせを始める。
同じ学園に通う彼女が、『聖女』と呼ばれる常人とは比べ物にならない能力を持ち、その能力に興味を持った王子が、主人公に惹かれていくためだ。
アレイネは王子と婚約関係にあるために、やがて嫉妬心が膨れ上がり暴走していく――どうやら、幼い頃からわがままな気質があったのは間違いないようで、私が前世の記憶を思い出してから、『いい子』を演じるようになって周囲の者達は少し動揺していた。
けれど、ゲーム通りの性格でいけば、私に待つのは最悪の場合、『死』という結末のみ。
もう何年もこの世界で暮らしているのだから、すでにここがゲームの世界とは異なる、ということは分かっている。
でも、今のところはしっかりとゲームになぞらえて物語は進んでいた。
実際に、私は魔法学園に入学することになるし、貴族の娘として魔法の才に優れているために、学年でも常にトップの成績――『前世の私』に比べると物覚えもよく、ある意味チートなのでは? と考えてしまうくらいだ。
私は『いい子』を演じていたために、物語として大きな変化はなくても、物語通りに事進んでいる。
王子と主人公は惹かれ合い、私と王子の関係性は徐々に薄れていく――他にも主人公にとってのヒーローがいて、彼らは全員、主人公に惹かれていくのだ。
対する私は、『悪役令嬢』という立場をこなすことがなくなった、ただの『良い子の貴族』である。
いい子、と言っても、自分が生き延びるためにすることをしているだけで、そこに打算的な気持ちが含まれていることは、何も否定できない。
生き延びるために他人の言うことには従い、生き延びるためにイケメンの王子がすでに『悪役』ではなくなった私と疎遠になったとしても、特に何も言うことはない。
私に対する断罪イベントが回避できた事実は、先ほど確認できた。婚約を解消してほしい、と王子から直接言い渡されたのだ。
私は迷うことなく、それを了承した。
そこにわだかまりなどなく、『私よりも彼女の方が、あなたに相応しい』――そう、取り繕うような言葉を口にして。嫉妬の気持ちはなく、ただ達成感と、生き延びた事実に安堵した。
そして今、私が自室に戻ってようやく手に入れた『自由』を満喫しようとした時のことだった。
不意にベッドに押し倒されて、侍女のメイシャに告白されたのは。
私は貴族の令嬢であり、彼女は私と常に一緒に行動をする付き人――立場は違うけれど当然、私は彼女のことを信頼している。
仕事は常に完璧にこなしてくれるし、私の命令も全て聞いてくれる。
もちろん、変な命令などしたりはしない。
『善人令嬢』を演じる私に対して、ただ彼女は絶対の忠誠を見せてくれていた――はずだった。
だから、彼女が私のことを押し倒すなんて予想もしていなかったし、私を求めるような表情で、懇願するように告白をするなど、考えもしなかったのだ。
「えっと……と、とりあえず落ち着いて?」
「私は、冷静です」
冷静――そう言いながらも、ベッドに押し倒した後に、私が起き上がれないようにしっかり両腕を掴んで離さない。
元々、私の身に何かあった時の『護衛』としての役割もあると聞いていたけれど、確かに押し倒す時の身のこなしや、今の押さえつけのパワーは明らかに私を遥かに上回っていた。
「いつから、私がこんな気持ちになったのか――正直言って、あまり記憶にありません。けれど、お嬢様はずっと、他人に気を遣って生きていらっしゃるように思えました」
「!」
メイシャの指摘は正しい。
私はいつだって、他人を気にして生きている。前世だってそうだし、今も生き延びるために必死だった。
「そんなお嬢様が、私に対してだけは、裏表のない笑顔を見せてくださいました。それは、私の思い違いですか?」
「それは……うん、間違いではないわ」
私はメイシャのことを、誰よりも信頼している。
本来、ゲームにおいて断罪された『私』が、私の傍にずっと一緒にいることはない。
けれど、断罪されるまでは、メイシャは健気に私に従ってくれているのだ。
なんとなく、彼女が私に対しては忠義を尽くしてくれている、という感覚がずっとあって、だから私は彼女のことを信じている。きっと、それが態度にも出ていたのだろう。
「今日、お嬢様は婚約を解消されたというのに、とても晴れやかな表情をされていました。本来であれば、泣き崩れてもおかしくはないというのに。そんな貴女の姿を見て、私は気付いたのです。この人を、幸せにしなければならない――と」
少し誤解がある。
私が婚約を解消されて泣き崩れることはない。何故なら、平和的に解消されることを望んでいたからだ。
初めてゲームの物語から外れて、私は今日から――『悪役令嬢にならなかったアレイネ』の新しい人生をスタートさせる予定だったのだから。
そのはずなのに、メイシャに押し倒されるなんていう状況は、何よりも想定していなかったことなのだ。
「えっと、その……わ、私は平気よ? 別に、この婚約だって私が望んでいたわけではないし。むしろ……」
「分かっています。私に告白される方が、迷惑ですよね」
「っ!」
メイシャが視線を逸らして言う。暗く陰りのある表情を見て、私はすぐに彼女をフォローする。
「そ、そんなことはないわ! メイシャは女性の私から見ても魅力的だし、あなたに告白されて嫌なんてことは……」
「本当ですか!? つまり、お嬢様は『私に告白されても嫌ではない』、と仰っているのですか!?」
物凄く食い気味に言われ、私は思わず気圧される。
こくりと、頷くだけで精いっぱいだった。
すると、メイシャはとても嬉しそうな表情で、
「お嬢様……私は、告白すればきっと、貴女の侍女でいられなくなるのではないかと、ずっと迷っていました。けれど、今日――私は意を決し、貴女に告白することを決めたのです、あなたにはもう、婚約相手がいない。そんな隙を狙うような真似をした、卑怯な私を許してください」
「それは構わないけれど……た、ただね」
「……ただ?」
「私、その……女性同士の恋愛? というのかしら。あまり詳しくないというか、あなたのことが嫌いではないのだけれど、えっと……いきなりこう、告白されても困ってしまう、と言えばいいのかしら」
「なるほど。確かに、いきなりこんなことを言われれば、怖がるのも無理はありません」
メイシャは納得しながらも、私の手を離してくれることはなかった。
むしろ、少しだけ私の手を握る力が強くなり、ゆっくりと私の耳元に口を近づけて、囁くように言う。
「けれど、心配はございません。私なら、きっとお嬢様を満足させられますから」
「……え、え? ま、待って。私、あなたのことは好きだけれど、いきなりそういう関係には――」
「大丈夫です。私に全てを任せてください」
いつの間にか、メイシャの方が完全に『その気』になってしまっていた。
ベッドに押し倒されたまま、私は彼女に唇を奪われて――そのまま夜が明けるまで『彼女の愛』を受け止めることになる。
悪役令嬢としての『バッドエンド』を回避したら、『百合ルート』が開拓するなんて聞いてない!
開幕から「悪役令嬢が侍女に押し倒されている百合」が書きたいと思って書きました。