美原野高雄様が視察に来られます
国府より久我根様に通知があり、二日後に国守様の二の殿の美原野高雄様が久我根館をご訪問なさるそうだ。
那加国が攻めて来る時に備えて前線の視察が目的だと、刀自様はあたしに説明する。
武者の大将の此春大熊様と栗山様が二の殿様を案内し、防御の柵や国境の関を巡り、久我根館の馬場で馬駆けも視察された後で久我根館で夕食を摂って泊まられるのだ。
今回も中央の寝殿を片付け、周りを整えて二の殿様をお迎えする。
お館様が高雄様を案内されて寝殿の母屋に入ってくる。
高至様の時と違っているのは、大熊様や栗山様もご一緒だということだ。
母屋の中央に立てた立派な屏風の前に竹籠が置かれ、その上に熊の敷物が広げて掛けられ、横に弓も数えきれないくらい並べられている。
部屋に入って熊の敷物の前に座られたのは、此春大熊様よりも口髭の濃い大柄な男性だ。
頬から顎の辺りは髭を剃っているが、剃り跡が青々として顔の下半分が青黒い。
後から入ってきた大熊様は早速熊の敷物に気がつく。
「おお、これは素晴らしき熊の敷物かな。この大きなる手足を見られよ。ここまで大きな熊は日見国には見られぬ。それにこの弓の見事さはどうか!鷲の矢羽根もここまで揃いたるは珍しき」
大熊様は涎を垂らさんばかりに熊の敷物を撫で回す。
大熊様も熊の敷物も、二の殿様も、揃ってとっても暑苦しい。
二の殿様は公家の化粧をしていないので、年齢は三十歳ぐらいに見えるが、実際はもっと若いのだろう。
声も大きいが、挨拶が短めなのだけは好ましい。
「早く、早くと気が急きながら、漸く久我根館に来ることが叶いたる」
刀自様が畏まって答える。
「美原野高雄様には久我根館にお越しいただき、誠に恐縮致しております」
二の殿様はどっしりと座って、鷹揚に構えている。
「かぐや様にはご挨拶に弓を百張り、大磐国で捕れたる鷲の羽根千枚、鳥兜の毒を一壺お持ち致しました」
姫様への贈り物に弓と矢羽根と毒ですか。
つい最近刀自様が毒の矢で襲撃されましたが、何かの嫌がらせでしょうか。
「これはこれは、今は国境に不穏な気配もありますれば、時宜を得た贈り物でございますな。
先日お文と共に頂きましたこの熊の敷物も、大磐国にて作られし物と存じますが、大層勇ましき贈り物で、さぞかしかぐや様もお喜びになられるでしょう」
刀自様、ちょっと言葉に嫌みが入っていますよね。
二の殿様は全然気付かないのか、機嫌良く話す。
「那加国の脅威が迫っておる時に、尊き姫様が前線に近き久我根館におられるのは危ういではないか。
なるべく早く国府へお移り頂くのが宜しかろう」
「いや、二の殿様、この此春大熊がここにある限り、危うき事などありもうさぬ。本日は万全の備えをご覧いただいたではありませぬか」
大熊様が横から口を出す。
大熊様も空気が読めない方だった。
刀自様が合図を出すと、夕食の膳が運ばれてきて、お酒も注がれる。
あかね様とあたしは、侍女を連れてそっと退出する。
廊下を通って東の対に渡ると、巽様が妻戸の前で控えている。
巽様を見かけたのは、あの時以来だけど、あたしの方は全く見ない。
今日は東の対の妻戸は開いていて、御簾が下がっている。
格子も上げたままで、これから琴の演奏をしなければならないのだ。
毎日毎日琴の練習をしているので、あたしも一部分だったら上手に弾けるようになってきた。
母屋では誰かが琴に合わせて横笛を吹いてくれているようだ。
短く琴を弾いた後は、いつもよりも豪華な夕食を食べて、塗籠に入る。
刀自様の指示で、今夜はここで眠るのだ。
今夜の宴は大熊様も参加しているせいか、いつもよりも賑やかだ。
大きな笑い声が塗籠の中まで響いて来る。
あたしは何もすることが無いので、すずちゃんとお話をしている。
「かぐや様は一の殿様と縁を結ばれて、いずれ国母様におなりになると皆が話しておりますが、かぐや様もそうお思いですか?」
「う~ん、そうなるのかなぁ。この国じゃ姫様は自分で結婚相手を選べないんだよね」
「そうでございますね。物語の中では幸薄き姫が位高き殿様に見初められて、幸せになる話もございますが」
「もし国府に行くことになっても、すずちゃんは付いてきてね」
「はい、必ず付いて参ります」
夕食が塩辛くてやたらと喉が乾くので、すずちゃんに水を持ってきてもらう。
すずちゃんはお盆に水の入った瓶子と大きめの杯を持ってすぐ戻ってきた。
中央の寝殿もちょっと覗いて来たそうで、様子を話してくれる。
母屋ではきちんと並べてあった席は崩れて、何人か集まって激論したり歌を歌ったり、大騒ぎになっているそうだ。
大熊様は二の殿様の横にぴったりと座って、大声を上げて戦術や武器の話で盛り上がっているという。
暑苦しそうだ。
見なくても、その状況は解る。
今回は戦いに備えての視察が主であり、二の殿様に随行してきた武者も多いのだ。
血の気の多い武者が酒を飲んで盛り上がったら、大騒ぎにもなるだろう。
東の対にまで大声や笑い声が響いて来る。
そのうち酔っ払いの乱入者が、東の対にもやって来たのか、妻戸の辺りで叫ぶ声が聞こえる。
「かぐや様、いましばし琴の音を聞かせられよ、かぐや様!」
どうやら大熊様がやって来たらしい。
一緒について来た何人もの足音もする。
制止する刀自様の声も聞こえる。
俄に雨も降って来たようで、遠くで雷の音も聞こえる。
またいつかの宴会の時のように、部屋の中まで入ってくる人がいるのだろうか。
その時、バリバリと雷の落ちるものすごい音がして、辺りがパッと明るくなった。
廊下を走る従者の足音がする。
「火事でございます!早く水を!水を!」
「すずちゃん、火事だって!ちょっと様子を見てきて!」
すずちゃんは慌てて塗籠を出て行ったけれど、思ったより早く戻って来た。
「お庭の木に雷が落ちて庭木は焦げましたが、それだけでございます。直ぐに収まりました」
落雷の後は激しい雨になったので、慌てて格子を下ろしたり、雨に濡れた廊下を拭いたり、バタバタと侍女も片付けに走る。
落雷騒ぎがあって、それまで飲んで騒いでいた人達も気が削がれたのか、それから間もなく宴は終わった。
雨も降っていたので、大熊様もお泊りになったそうだ。
大熊様は、今朝早くから二の殿様に弓場での視察をお願いしたらしいが、二の殿様は用事があるからとお断りされてお帰りになった。
美原野高雄様は、かぐや様のお顔を見たかったのですが、大熊様に張り付かれて目的が達成できず、ガッカリしてお帰りになりました。




