choice1:適当に、それとなく。
二千二十年四月一日(水)午前七時四十八分
少し遠くからでも見上げなければ頂点を見ることができないほどに堂々とそびえ立っている建物が三つある私立未来学園の前に、僕こと狡兎剛一は立っていた。
五年前に設立された新しい学園で、広大な土地と充実した設備が備え付けられており、倍率が高いことで有名な学園だ。
僕は新品の未来学園の制服がきちんと着れているかをもう一度目視で確認し、学園に足を踏み込んだ。学園の入り口には検問所があり、学校指定のカバンの中を荷物検査が行われた。
「はい、どうぞ」
「どうも」
最初から何も持っていないためすぐに検問所を通され、両脇に桜が植えられている大きな一本道を進んでいると、僕と同じように新品の制服を着た新入生たちが俺と同じように指定された場所へと歩いている。ほとんどの新入生たちは緊張した面持ちだ。
一本道を進んだ先に、学園の外からでも見えていた圧巻の大きさの本校舎があった。そして本校舎の手前にある掲示板に生徒たちが集まっていた。
僕もそれに倣って掲示板に集まる生徒に紛れて、掲示板を見る。掲示板には生徒のクラス分けが張り出されており、自身の名前を探すところから始まる。
「・・・・・・三組か」
「おや、あなたも三組っすか?」
僕のつぶやきに隣の見ず知らずの誰かが答えた。隣に視線を移すと、眼鏡をかけたショートヘアの気怠けそうな雰囲気を持った女性が僕を見ていた。僕は即座に女性の質問に返答した。
「そうですよ。そういうあなたも三組ですか?」
「いやぁ、こんなところで友達一号候補が現れるとは思ってもみなかったっすよ」
気怠げな雰囲気とは違い、言葉の節々から生き生きとした力を感じる。
「同じクラスですから、友達になっておいても問題ないでしょう」
「何だか、打算的な考えを感じるっすね」
「冗談です。ここでは何ですから、教室に向かいながら話しましょう」
周りが混雑しているため、ここに留まっておくことは邪魔でしかならないため、彼女にそう提案した。
「良いっすよ、じゃあ教室に向かいましょ」
彼女の承諾も取れ、僕と気だるげな女性は生徒の集まりから抜け出して、あちこちに張られている一年三組の道順通りに進んで行く。
「僕は狡兎剛一です。あなたは?」
歩きながら僕から名乗り彼女の名前を聞くと、彼女はすぐに反応してくれた。
「よくぞ聞いてくれました! 私はこれまでに友達が一人もいないボッチ女子にして、小学校中学校では先生以外に会話したことがないボッチ女子の加茂歩果っす! 高校では目標を高く持って友達十人作る気なので、友達一号さん、仲良くしましょ!」
意気揚々と名乗ってくれたものの、その内容が意気揚々と言うものではなかった。僕は特段動じなかったが、空気を読んで黙っておくことにした。
「・・・・・・あの、何か反応してくれないと恥ずかしいっす」
僕が黙っていることで、しばらくの沈黙の後、加茂さんが顔を少し赤らめて口を開いた。
「そうですね・・・・・・、加茂さんは可愛いと思うので、友達が十人できるのはすぐだと思いますよ?」
「か、可愛い⁉ そんなことを初対面の人に言うなんて、どんなコミュ力をしているんっすか⁉」
顔立ちが良く、スタイルも良い加茂さんの見た目の総合値を測り、世間一般的な男子高校生の好みと照らし合わせた結果を言ったが、そこで反応されるとは思わなかった。
「コミュ力の方で言えば、加茂さんも見ず知らずの僕に話しかけれたのですから、高い方ではないのですか?」
「いやいやいやいやいやいや、そんなこと絶対にないっす。私って、自慢じゃないですけどこれまでに話しかけようとしたことは数知れず、話しかけたことはない女っすよ? クラスメイトに話しかけようとしても、言葉に詰まっちゃう無口に女ですからコミュ力はゼロっすよ」
「ですが、それなら僕に話しかけることができたのはどうしてですか?」
「どうして・・・・・・本当にどうしてっすかね?」
僕が矛盾の指摘を行ったことで、加茂さんは自分自身でも分からないように見える。
加茂さんが考えている最中、建物と建物の間から人の気配を感じてそちらに目を向けると、僕と同じ制服を着て地面にひれ伏している二人の男子生徒と二人の前に立っている長い黒髪の女性がいたが、僕はそれを無視して加茂さんの方を向く。
「狡兎くんが話しやすいからっすかね?」
「そんなに話しやすかったですか?」
「・・・・・・うーん、そうだと思うっすけど」
加茂さんは考えても分かる様子がないが、仕掛けた張本人である僕はどうしてか分かっているため、深く指摘せずに別の話題に変えることにした。
「加茂さんは、なぜこの学園に来たのですか?」
「なぜ、すか?」
「言い方を変えましょう。どうして学園の全貌をすべて明らかにしていないこの学園を選んだのですか?」
「やっぱり、学費がないというところが一番ではないっすか? 変な誓約書を書かされて不安なのは確かっすけど」
僕は加茂さんのその言葉を聞いて、加茂さんが普通の生徒ではないことが分かった。学園に来た動機を聞いた時の心臓の動きと理由を言う時の言動、これらで何か普通ではない目的があることは明確だ。
「狡兎くんは? やっぱり学費っすか?」
「いいえ、違います」
「じゃあ、充実した設備や、一人一人に合わせたカリキュラムを組んでくれたり、徹底した教育方針だからっすか?」
「それも違います」
学園の全貌が分からず、まだ三期生までしか卒業生を出していないこの未来学園だが、学費が無料であるのと生活費の工面、そして三期生までの卒業生だけであるが入学前とは比べ物にならないくらいの高い能力値を叩き出した学園の教育。前二つだけで学園が人気であることは明白だ。
「・・・・・・お手上げっす。理由を聞いても良いっすか?」
「はい。僕がこの学園に来た理由は、都合が良かったからです」
「都合?」
「この学園の入学条件は、入学時点で十五歳かつ三年間この学園に在籍していられることだけ、だからです」
「・・・・・・よく分からないっすけど、そういう理由の人もいるんっすね」
僕が言った理由だけでは、加茂さんは分かってくれなかった。だが、僕が言葉足らずにしたのも確か。ここで僕の情報を流すことはデメリットでしかないと考えたからだ。
「うわ、やばいっすよ、あの人」
加茂さんが止まりながら僕の肩を掴んで、僕にだけ聞こえる声で、とある人の方を指さした。僕もそちらを見ると、身長は二メートルを優に超えており、身体もデカいが猫背になりながら歩いている男子生徒がいた。
「どうしたらあんなに大きくなれるんっすかね?」
「さぁ。本人に聞いてみればいいのでは?」
「またまたぁ、普通の人にも話しかけられないのに、あんなに身体が大きい人に声をかけられるわけがないっすよぉ」
「そうですか」
あの身体の大きさだけで、加茂さんの反応のように見るものを威圧している。しかし、それに反して歩き方と視線などから気が弱そうに見える。
「聞く気がないのなら、行きますよ」
「そうっすね」
僕と加茂さんは彼を視界から外して歩き始めた。この学園は巨大な校舎が三角形の頂点に位置しながら三つあり、それぞれ一年生から三年生に分けられている。一年生の校舎は学園の外から見えていた一番手前の校舎であった。
色々と学園の中を加茂さんと見ながら道順を進み、エレベーターに乗り六十階まである校舎の二十一階が指定されているため二十一階のボタンを押して二十一階へと到着した。そこから長い廊下を歩いた先に一年三組の室名札がある教室の前に立った。
「・・・・・・結構、長かったっすね」
「外見から考えれば予想できていました。加茂さんは運動不足ですか?」
「フゥ、甘く見てもらっちゃ困るっすよ。これでも友達がいたことがないっすから、学校以外はすべて家にいたんすよ? 体力があるわけがないっす」
「そうですか」
その言葉が嘘偽りのある言葉であることを理解して僕は聞き流した。少し汗ばんでいる加茂さんを尻目に、僕が教室の前に立つと自動で扉が開いた。扉の先には三十一台の机が規則正しく並べられ、十三人の生徒が席に座ったり、会話をしている。
僕が扉を開けると、全員が一斉にこちらを見たがすぐに視線を戻した。
「ちょっと、待ってっす。少し心の準備が・・・・・・」
「そんなものは学園に来る前に済ませてくるものですよ」
加茂さんが顔色を悪くしながら訴えてくるが、一瞥しただけで教室に入る。取り残されたくなかったのか、僕の後に続いて教室に入ってきた。教室の中は三十一人のクラスとは思えないくらいの広さで、机と机の間隔は広すぎず、近すぎずの程よい距離だ。
「あっ、席は自由らしいっすよ」
「そうみたいですね」
教室の前には教壇と黒板ではなく液晶板があり、液晶には自由席であることが書かれている。僕は迷わず教室の後方に向かい、廊下側の端の一番後ろに荷物を置いた。
「迷わずそことは、やるっすね」
「何がですか?」
僕の左隣に荷物を置いた加茂さんが意味ありげな表情をしている。
「一番後ろの一番端って、すごく魅力的な席じゃないっすか?」
「他の席とは違い、教諭の目が行き届きにくい、と言いたいのですか?」
「そうっす! しかも後ろからの人の視線を気にしなくても良い、最高の席っす!」
加茂さんのこの席に対する熱意は、これまでの学園生活に起因するのだろうと推測しながら、僕は僕の思惑を伝える。
「そんなくだらない理由ではありません」
「く、くだらないッ・・・・・・何がくだらないんっすか⁉」
僕の言葉に突っかかってきた加茂さんは、僕に口づけができそうな距離まで顔を近づけて反論してきた。
「第一に、教諭は一番後ろの席をよく見ています。一番後ろであるからこそ見やすい位置にあり、生徒のそのような邪な考えは見抜いています。教諭の目から逃れたいのなら、別の席をお勧めします」
「えっ・・・・・・じゃあ、私が、後ろの席でニヤニヤしていたことは、教師には分かって、いた?」
「その可能性は高いと思います」
僕が現実を突きつけると、加茂さんは自分の机に顔を突っ伏した。僕はそんな彼女の様子を無視して、理由を話し始める。
「僕がこの席にしたのは教室の中を二番目に見渡せるからです」
「・・・・・・一番目はどこっすか?」
加茂さんは机に顔を突っ伏しながら顔を横に向けて僕に問いかけてきた。
「それは窓際で唯一六番目の席です。あそこが一番後ろの席ですから」
「でも、どうして見渡せる必要がある席にしたんっすか?」
「さぁ、どうしてでしょうね」
僕は教室を見渡せる席にした理由をはぐらかして加茂さんに教えなかった。
「どうしてでしょうねって、何で教えてくれないんっすか?」
「そんなことはどうでもいいでしょう。適当な理由を考えて加茂さんの中で納得しておいてください」
「そう言われると、ますます気になるっすね」
加茂さんのその言葉を受け流し、次々と教室に入ってくる生徒たちを確認する。現在の時刻は、八時十八分。始業時間は八時三十分。もうほとんどの生徒が集まっても良い時間で、二十九名が集まっていた。
自由席であるから、即座に座っている生徒や、どこに座るのか迷っている生徒の二パターンにわかれている。会話のきっかけを手に入れるために、近くの席に座り会話している生徒も見受けられる。
その中で、僕のことをじっと見ている女子生徒が一人いた。背が低く、肌が白い前髪で顔の右半分が隠れている薄ピンク色のショートヘアの女子生徒であった。
僕は彼女にじっと見られる覚えはないため、彼女の視線を知りながらも他の生徒の観察を始めた。加茂さんと会話しながらも、生徒の身体つきや、喋り方、動き方、視線の動かし方を事細かく瞬時に観察していると、僕の前に僕のことを見ていた女子生徒が立っていた。
「僕に何か用ですか?」
目の前に立たれているため、僕は女子生徒に質問した。すると女子生徒は僕の言葉に驚いて言葉を何かひねり出そうとしている。
「あ、ああああああ、あの、そ、その、その、じ、じじじじ、じ」
ひねり出そうとしているが、全く言葉にできていない。僕はそのことに彼女のことを少しばかり理解して言葉をかけた。
「大丈夫ですよ。僕はここから離れませんから、落ち着いてあなたのペースで話してください」
「う、うん・・・・・・」
僕の言葉に薄ピンク色の髪の女子生徒は深呼吸をして、しばらくして話し始めた。
「あ、あの、前の席に座っても、良い?」
「はい、構いませんよ」
「え、えへへへへ、あ、ありがとう・・・・・・」
暗い雰囲気の喋り方をする彼女は、空いていた僕の前の席に座った。この女子生徒も、人と会話するのが苦手であることは理解した。しかも、それは加茂さんの比ではないことは明らかだ。親族でも人と話したことがないというレベルと思える。
「僕は狡兎剛一です。あなたの名前は?」
「・・・・・・こ、小橋、璃緒。こ、これから、よ、よ、よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
小橋さんは自身が言った、否、言えた言葉に驚いている様子だ。ふと視界の端でこちらを見ている存在に気が付き、加茂さんを見ると、ジト目でこちらを見ていた。
「どうしましたか?」
「いやぁ、何でもないっすよぉ」
「そうですか」
大方、コミュ障を拗らした加茂さんは、僕が加茂さんだけの友達だと思っていたが、それは間違いだったということに気が付いたところだと推測した。