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義理の妹  作者: m8eht
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第一話 「眠りと夢」

 ことり、と。

 家のどこかで音がした。耳を澄ませてみる。何も聞こえない。静寂が戻っていた。静寂の中にかすかに吐息の音が混じる。私はまた視線を戻して、その無心な寝顔に見入った。ぷくっとした唇がよだれに濡れてつやつやと光る。まだ肉の余った四肢を投げ出して眠る赤ちゃん。私の生んだ、私の娘。

 あの痛みは何だったんだろうと思うほどに、今ではすべてが遠い昔のことのように思える。気だるい気持ちを引きずりながら、お腹の異物感に慣れようとしていた。いつまでも嘔吐感が去らなくて、最後の痛みの中で動物のように悶えて吼えた。そんなことにも今では無頓着になっている。思い出に感情が伴っていない。ただぼんやりと、自分の肉から分かれたものを見つめている。

 頬をつついてみたくなる。ぷくりと膨らんだ頬を。でも、私はそれをためらう。こんなに静かだと、この子に触れるのが怖い。部屋の中が繊細で壊れやすいもので満たされている、そんな気がするから。この子は誰に似たんだろう? まだ地肌の見える頭のところ、細い髪の毛が緩く巻いているのを、触れるか触れないかくらいにそっと撫でてみる。娘は――紫乃は深い眠りの中にいる。無心に眠りを食んでいる。

 空調は静かに温かい風を吐き出していた。その風に乗って、赤ちゃん特有の甘ったるいにおいが部屋の中にこもっていく。紫乃に添い寝をしながら、私も少しだけ眠くなる。紫乃と一緒に、眠りに落ちていきたい気がしてくる。

 ふっ、と。

 家の中の空気が緩んだ。誰かが玄関の扉を開けた気配。時計を見てみる。午後二時半を少し回ったところ。誰かが廊下を静かに滑るように歩く音がして。そろそろと開けられた居間の扉から人の顔がのぞく。そして私と目が合った。

碧衣あおいちゃん」

 私はほとんど口の動きだけで義妹の名前を呼んだ。碧衣ちゃんはそのまま居間に入ってくる。理知的な切れ長の瞳の少し冷たい印象と、ぽってりと色づいた唇のアンバランスさ。長い黒髪を結わず背中に垂らして、青い襟のセーラー服がスレンダーな体によく馴染んでいる。黒タイツのつま先でそっと歩きながら、彼女は私と紫乃のそばに来た。彼女の身体が纏う熱。きっと玄関のコート掛けには、彼女の紺色のコートがマフラーと一緒に掛かっている。

義姉ねえさん」

 私の顔色を窺いながら彼女は座ろうとした。どう座ろうか迷って、けっきょく彼女は正座をした。そして彼女には似合わない愛想笑いを浮かべようとする。その表情に私は戸惑う。学校はどうしたの? もう終わったの? そんな月並みなことが聞けなくなる。ふと視線を切って、彼女は紫乃を見た。分厚いカーペットの上に毛布を敷いて、お腹のところにだけタオルケットがかけられた紫乃。夢さえ見ずに、ただ眠りの中にある、ように見える。碧衣ちゃんは私とのあいだにある沈黙を埋めようとして、紫乃に手を伸ばした。人差し指の背で、そっと紫乃の頬に触れる。紫乃の頬が柔らかく沈みながら碧衣ちゃんの指の動きを追った。

「か、かわいいですね……」

「え、ええ。ありがとう……」

 ぎこちない言葉を交わす。義妹とこんなふうに面と向かい合って言葉を交わしたのは、これが初めてな気がする。この家に遊びに来るときはいつも義両親に連れられて、みんなが話しているときには二人の陰に隠れるようにしていたから。結婚式のとき、真白いウェディングドレスを着た私は、何度か親族席に座る彼女と目が合ったことがある。彼女の表情の中に取り立てて何かを見たわけではないけれど。でもなぜか私は、彼女は私を軽蔑してるんじゃないかと思ったりした。こんなふうに純白のドレスを着て、こんなどこにでもあるような平凡な結婚式で緊張して真っ青になっている私を。

「なにか、飲む?」

「あ、いえ……」

 彼女の遠慮を笑顔で押しとどめて、台所へ。突然の来訪に少しだけ落ち着く時間が欲しかった。緑茶か紅茶かコーヒーか。迷う。ダイニングキッチンから彼女の方を見遣る。碧衣ちゃんは紫乃の上に覆いかぶさるようにして、紫乃の寝顔を見つめていた。私は急須にお茶を淹れる。そして、食器棚からまだ一度も使っていない夫用の大きな湯呑みを取って、お茶を注いだ。

「はい、どうぞ」

 木製のお盆に載せたそれを、二人からやや離れたカーペットの上に置く。

「あ、はい」

 義妹は振り返ってその湯呑みを見る。大きくて厚手の、側面に根岸流の江戸文字で『大相撲』と書かれたそれを。そして困惑気味の視線を私に送る。これをどう捉えればいいのか、分からないで戸惑っているよう。私のセンスはなぜかいつも外れていて、滑り倒してしまう。

「ん?」

 私は笑って見せる。つられて義妹の表情が緩んだ。するりと、場の空気がほどけるのが分かった。

「いただきます」

 義妹はそう言って、その大きな湯飲みを両手で包むように持って一口だけ飲んだ。

「……」

 空気が緩んだのはいいけれど。ここから気楽にお喋りできるわけでもなかった。紫乃がこんなにも一生懸命に眠っているから。碧衣ちゃんは両手で湯呑みを温めるように持って、でもどこか手持無沙汰な様子。私は紫乃の寝顔に視線を移して、まだ少し残っていた動揺を紛らわせた。

 ふと、碧衣ちゃんが何かを探して首を巡らす気配がした。そして壁に掛けた時計を見て、少し戸惑っている。壁掛け時計の三つの針はいちばん上の『12』のところで重なって、そうしてそのまま止まっている。秒針の音さえ、紫乃の眠りを妨げそう。そう思って、ある日の正午を打ったときに止めてしまった。私は黙って、その壁掛け時計の下のデジタル時計を指さした。

『PM02:48』

 右端に小さく映る秒の単位では、七本の線がそれぞれ点いたり消えたりしながら一秒ごとに形を変えていく。1、2、3、4、5、6、7、8、9、0……ことにもアラベスクの飾り文字。代役をつとめる鈍い銀色のデジタル時計くんは、今日も静かに滑るように時を刻んでいる。碧衣ちゃんは少し微笑んでみせて私に了解の意を伝えた。

「ふ、ふあ……」

 紫乃があくびをする。あくびの音に、よだれで光るくちびるの水っぽい音が混じった。まるで子猫みたいな野性味を感じる。人間も動物だから?

「あら、起きた」

 見ればわかることを、口にしてみる。紫乃の両手が何かを探すように中空をまさぐった。どうやら紫乃さまは母乳をご所望らしい。

 碧衣ちゃんを見てみる。紫乃の近くで熱いお茶を容れた湯呑みを持っているのが気になっているふう。今は手を温めるよりむしろ、落とさないように両手でしっかりと持っているような。私が受け狙いを優先して碧衣ちゃんを困らせてしまったらしい。碧衣ちゃんは私の視線に「なんですか?」と問いかけるような表情を浮かべた。

「……」

 ここで? それは少し恥ずかしい。それでも紫乃さまは胸待ち顔。もうすぐ飲めることを疑いもせずに待っている。せめてもの救いはおむつじゃなかったことだけど……。

 ……まあ、いいやあ。そう思って。私はブラウスのボタンを一つ一つ外していく。その方を見なくても、碧衣ちゃんの困惑が感じ取れる。でも、しょうがない。この子を産んでから良くも悪くも開き直るのがうまくなった気がする。自宅だからブラもしていない。そのまま紫乃の口に含ませる。

「ごめんね~」

 つとめて明るく言ってみた。

「あ、いえ……」

 碧衣ちゃんは目のやり場に困って、湯呑みを手のひらに馴染ませる。あんなふうに持って熱くないのかなと思う。紫乃はそんな気まずい雰囲気にもお構いなく、どこかのハンディークリーナーばりの吸引力を見せつけている。このたくましさは少なくとも、私には似ていない。

 静かな時間が流れる。私は義妹と何を話せばいいのか分からない。でも取ってつけたような会話はしたくない。だからもうこのままでいいと思い、そしてそんな時間にどこか居心地の良さを感じていた。

 ようやく満足した紫乃が口を離した。そして無遠慮にげっぷをする。その音が静かな居間の中に小さく響いた。そのとき私の隣から、声にならない笑い声がした。私も苦笑いする。

「まあ、そうゆうことです……」

「いいえ。可愛い、と思います」

 碧衣ちゃんはそんなことを言う。

「よかったね~。碧衣ちゃんがカワイイって言ってくれたよ~?」

 こんなにブチャイクなのにね~。はやく綺麗になって、碧衣ちゃんを驚かそうねぇ~? そんな黒いことを考えながら紫乃をあやしている。

「あの……」

「なあに?」

「わたしも……やってみていいですか?」

「えっ」

 ドキっとする。でも、紫乃を受け取ろうと手を伸ばした碧衣ちゃんが不思議そうな顔をしているのを見て、私は自分の誤解に気づいた。

「どうしたんですか?」

「あ、ううん。碧衣ちゃんも紫乃におっぱいあげたいのかなって」

「……」

 これが世に言うセクハラというもの? 碧衣ちゃんの頬にさっと朱が入る。

「はい、どーぞ」

 私は碧衣ちゃんに紫乃を渡そうとした。でも、碧衣ちゃんが手を引っ込めた。そして……衣擦れの音。

 セーラー服とインナーシャツを脱いで、それからブラも外して。ふと鼻先に触れる女の子の体臭。どうしたの? 冗談だよ? 無理してない? 顔、真っ赤だよ? 本当ならそう言わなきゃいけない。でも言えない。言いたくない。碧衣ちゃんの白い肌に黒い髪が流れて、スカートだけになった碧衣ちゃんが足を斜めに崩した。

 碧衣ちゃんがもう一度手を伸ばした。私は紫乃を碧衣ちゃんに渡した。

「わ、熱い……」

 紫乃の身体を抱いて、碧衣ちゃんは熱いと言った。私が紫乃を初めて抱いたとき、同じことを思ったのを思い出した。緊張した手つきで碧衣ちゃんは紫乃を抱いている。身体をぴったりとくっつけて。その大胆さ。どうしてこんなこと? そう聞いてみたくなる。でももしかしたら、ただそういうことがしたかっただけなのかも、気まぐれなのかも、と思う。

 お腹のくちくなった紫乃は口に含むだけ。口に含んでも何も出てこないのをいぶかしむ様子もない。口を離して、今度はぺちぺちと叩く。そしてぺったりと触れる。私のとは違って、なかなか指が柔らかく沈んでいかないキュッと張ったそれを、好ましいもののように撫でさする。ご機嫌な紫乃さま……。

 そんな紫乃を碧衣ちゃんは生真面目な表情で見つめている。私は……何か見てはいけないものを見ているような気がした。でも、背徳的な光景かと言われると、それも違うと思う。上半身には何も身に着けてなくて、崩した足をセーラー服のスカートに包まれている女の子が、赤子を胸に抱いている。その小さな手が、くちびるが、自分の身体に触れるままにしている。これほど健康的な光景もないような気がしてくる。

「……」

 碧衣ちゃんが紫乃の頭をそっと撫でた。その仕草にも身体の線にも、まだどこかぎこちなさが残っている。でも、それをこんなふうに明るい光の下にさらして、堂々としている。私はそれを美しいと思う。だから私はぼんやりと、その姿を見つめていた。

 紫乃を見つめていた碧衣ちゃんが私の視線に気づいた。そしておずおずと微笑む。

「あ、あの……あんまり見ないでください……」

「あ、ご、ごめんね……」

 紫乃のひたいに触れるか触れないかの口づけをして、碧衣ちゃんは紫乃を私に返した。そしてぎくしゃくしながら服を着る。服を着終えて居住まいを正すと、お互いに何も言い出せない空気になる。そういえば聞こうと思っていた、学校で何かあったの?って。でも、そんなことはもうどうでもよくなっていた。

「……そうだ。ねえ、お夕飯、食べていくでしょう?」

 とりあえず当たり障りのないことを口にしてみる。

「あ、いえ、今日は……」

 そう言いながら碧衣ちゃんは自分のカバンを引き寄せた。その姿を見て、私は自分の失敗に気づく。どう考えても社交辞令のような言葉。きっと碧衣ちゃんには帰りを急かされたように聞こえてしまったのかもしれない。

 私が言葉を継ぐ前に、碧衣ちゃんは立ち上がってしまっていた。私は紫乃を寝かせて、玄関まで見送りに行く。コートを羽織って、マフラーを巻いて。碧衣ちゃんは私を振り返った。

 その顔に表れていたのは、戸惑い。そして自分がどう思われたのかという怯え。最後に何を言えばいいのか分からずに固まってしまった碧衣ちゃん。そんな義妹を、私は抱きしめてみる。温めるように、ひたすら温めるように。私の腕の中、碧衣ちゃんの身体はこわばっている。でもやがて、ゆっくりとほぐれて、柔らかく私の胸に馴染んだ。

「いつでも遊びにおいでね」

 やさしく、やわらかく、社交辞令に聞こえないように。そう意識しながら耳元でささやく。

「は、はい……」

 玄関の扉の前で、名残惜しそうに振り返った碧衣ちゃんに、私は小さく笑って手を振った。そうして碧衣ちゃんは扉の外へ、かすかに茜色を帯びた冬の空の下へと歩を進め、惰性で閉まる扉がその光景に幕を引いた。

 居間に戻ると、ふわっと顔にあたったのはいつもと違う空気感。これから大人の女性になろうとしている女の子がさっきまでこの場所にいた、そんな余韻。その華やいだ感じに心が弾んで、戸惑いを心の隅に押しやっていく。また紫乃に添い寝して、そのほっぺたを突ついてみた。

「あっあ~?」

 紫乃はご機嫌に笑う。私も自然にうれしくなって、なぜか頬が緩んだ。


 夫が帰ってきたのは、夜も九時を過ぎたころ。夫は居間に入ってくると、あたりを見回しながらネクタイを緩める。

「おかえりなさい」

「ん」

 夫の神経質そうな視線が部屋の中を一巡ひとめぐりする。夫は家の中でいつもと違うことが起こるのを嫌がる。家に帰ってきたとき、妻がいて、子供がいて、そして家族以外の誰もいないのを望んだ。

 夫がお風呂へと行き、私は夕飯の支度を始める。作ったものを温めなおして、お皿によそうころ、夫がお風呂から出てくる。夕飯の支度を続けていると、目の端に夫の視線が引っ掛かった。おんぶ紐で紫乃を負ぶいながら食事の支度をする私に、夫は不満を感じている。それが分かった。家の中なのに、それなりにいいお洋服を着ている私。でも、そこにはおんぶ紐の太い帯が食い込んでいて。「所帯染みている」そう言いたい。でも、妻が負ぶっているのは自分の娘。だからそれをはっきり指摘することに躊躇する。夫の視線の意味は、だいたいそんなところ……。

「紫乃、今日もいい子にしてたよ~」

「ん」

 夫はいつもの習慣でテレビをつける。画面に映像が結ばれて、幾人ものテレビタレントさんたちの姿が現れた。途端に明るくはしゃぐ声が部屋の中に満ちて、私たちの会話が途切れる。

 夫は自分の家庭の中で複雑な感情のやり取りをしたくないと思っている。家族なんだから以心伝心で、会話が少ないのは理解しあってる証拠だと、そう考えている。まだ何も積み上がってないのに、そう考えている。思い込んでいる。普段なら、なんでもないこと。

 ここに碧衣ちゃんの目があったら、私はいたたまれなかっただろう。

 赤の他人が他愛もないクイズにはしゃいでないと間が持たない。お笑い番組のおかげで、今日も笑い声の絶えない家庭。そんな黒い冗談を思い付いて、私の口もとは緩む。

 夫の前に夕飯を並べて、お鍋にまだ残っていた分を自分用と明日の朝用によそう。そんな作業をしながら、ときどき、ダイニングキッチン越しに夫の背中と、それからその先にあるテレビの画面とを見遣る。

 最近、思うことがある。私は他人ひとの人生を眺めているだけで、一生を終えてしまうかもしれない。『私』という一人の人間は確かに存在するようでいて、誰かの娘、誰かの妻、誰かの母親に綺麗に分解できてしまう。それらの真ん中にあるはずの、あったはずのものが、いつの間にか私から抜け落ちてしまっている。生まれてからは娘を演じていた。親の望む学歴を手に入れ、親の望む結婚をした。妻となって、夫をよく観察するようになった。今では夫のことは何でもよく分かる。夫もそんな私に――無駄口を叩かない私に――満足している。

 でも、ときどき、私は寂しい。妻を演じる私にしか、夫は興味を持たない。私がいつでも私自身であったら、それでも夫は私を妻としただろうかと考えてしまう。

 でもそれは、きっと考えても仕方のないこと。

 じゃあ……紫乃は? 幼い紫乃は母親である私に、母親であることを求めている。今はそれでいい。いくらでも求めていい。求められたい。でも、いつか。それだけじゃないって分かってほしい。母親というだけじゃない私に気付いてほしい。そして一人の人間として好きになってほしい。友達になって欲しい。


「じゃ、もう寝るから」

「うん。おやすみね」

 夫は寝室へと引き上げていった。ついこの間まで私と一緒に寝ていたダブルベッドに、今は夫が一人で寝ている。「さみしくない?」って聞いてみたい。「なに言ってんだ」って笑ってくれたらいい。でも鼠色の寝間着を着た背中に気後れを感じて、だから言えない。私は紫乃と居間で眠る。紫乃にとって慣れ親しんだこの部屋で。

 居間の灯りを消す。間接灯まで消してしまう。紫乃の眠りが浅くならないように。部屋の中は真っ暗になって、ただ台所にだけ、ほのかな明るさがにじんでいる。そうして私は紫乃に添い寝する。

「今日は碧衣ちゃんに遊んでもらえてよかったね」

 眠る紫乃に話しかける。小さな寝息。紫乃の胸の上に置いた手のひらが温かい。紫乃の手に私の親指を握らせてみる。今日はこの手で碧衣ちゃんの胸にぺちぺち触れてご機嫌だった紫乃。碧衣ちゃんの胸、ヌードデッサンのモデルさんのような堂々とした美しさだったよね。お母さんもそうゆうの好きよ。いつか私たちの前でヌードモデルしてもらおっか? お母さん、絵は少し得意なの。

 でも……私もすっかり年齢としを取ってしまったと思う。だから最近の若い人たちがどんなことを考えているのか、よく分からない。碧衣ちゃんはたしか今年、高校二年生になっていたはず。だとしたら十六歳? 十七歳? 私とは一回り年齢としが違う。

 私がこの年頃だったころは、どうだったろう? 口紅、アクセサリー、香水、ブックカバーをした文庫本、それに誰にも見せない携帯電話。そんなもので精一杯、自分をミステリアスな感じに見せようとしていた。そんな私の手管にだまされて、私を天使のように思っていた男の子もいて。当時の私は自分のつくる波紋に、内心得意になっていた。もし、今の私があの頃の私に出会うことがあれば、その見え透いた背伸びをたやすく見破って、苦笑してしまうと思う。でも今、目の前にあの頃の私と同い年の義妹を置いて、私には何も分からなくなる。彼女が何を考えているのか、分からない。

 今日、碧衣ちゃんは私の前で胸をはだけた。どうしてあんなことしたんだろう? もしかしたら私のこと、誘ってたのかな? 誘ってたって何? それは……例えばそういう意味だったとしたら? そんなこと、あるわけない。でも……もしそうなら、これからどうなるの?

 浮気、しちゃうんじゃない? 浮気? そう。碧衣ちゃんとなら楽しそう。それにバレることなんてないでしょ? 女同士で浮気なんて、夫は考えもしないはず。少しだけ後ろめたさを感じながら、私は碧衣ちゃんと二人だけの秘密をつくるの。

 考えているうちに楽しくなる。暗闇の中で「にへら」って擬音がよく似合う、しまりのない笑顔を浮かべていたかもしれない。

 私には、彼女が何を考えているのか分からない。分からないから……夢を見てしまう。私に告白してきた幾人もの男の子たちと同じ夢を。彼女の中に、私をしあわせにしてくれる何かがある。そんな夢を。

 私は何を考えてるんだろう? きっとこんな妄想に意味なんてない。自意識過剰、支離滅裂、幻想、それだけのこと。でも……。

 今日の紫乃は不思議と夜泣きをしない。ただ静かな眠りの中にいる。

「紫乃、あなたはどう思う?」

 いつでも遊びにおいでね。ただの社交辞令のような言葉。でも気持ちを込めて言った言葉。碧衣ちゃん、真に受けたかな? 真に受けて、くれればいい。碧衣ちゃんが人差し指で撫でた紫乃の頬を、私も同じように撫でてみる。

 碧衣ちゃんのこと、好きになっちゃおうかな? 好きになって、みようかな? だって、ドキドキしたいもの。私は、ドキドキしたい。私は、私を見てくれる人が欲しい……。


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― 新着の感想 ―
[良い点] はじめまして。 五感を使った表現が秀逸で、特に匂いが印象的でした。夫が碧衣と匂いが似ているという部分が納得させられる描写でもあり、碧衣が単なる高校生ではなく義理の妹なんだとはっとさせられる…
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