第5回 分からなかった障害
今回は私自身のことを再び書きます。
障害と一口に言っても、最近になってやっと分かってきた障害もあります。例えば前の回で紹介した発達障害もその1つではないでしょうか。
しかし今では耳にする事もそれなりにある『高次脳機能障害』も、日本で医師が診断を始めたのが2004年からであり、当然それ以前については一般に認知すらされていなかったでしょう。そもそも今でも一般的な障害と問われると、恐らく多くの一般的な方が『知らない』と答えても、私は不思議に思いません。実際に私の周囲の人でも認知している人は家族の除けばゼロと言っても過言では無い状況です。
ちなみに『高次脳機能障害』をウィキペディアで検索すると
記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害等で脳の損傷部位によって特徴が出る
との記載があります。つまり複数の障害をまとめて1つの障害名としている訳ですから、個別に記憶障害などの単語をご存じの方がいても、それらをまとめて脳の障害としている『高次脳機能障害』を知らなかったとしても、こればかりは仕方がないと思います。
またウィキペディアにも記載がありますが『脳内にそのような部位があるのか(中略)分かりやすく記すれば「高次の脳機能の障害」ということである』となっているように、脳の部位に『高次脳』という部位はありません。ただ誤解を恐れずに書くとするなら『大脳全体』がそれに該当すると考えれば、比較的分かりやすいのかなと思います。もちろん医学的には違うはずなので、知らない人にも分かりやすそうな表現で、なおかつウィキペディアの記載でも分かり辛いという方に対してです。
間違ってもそれが医学的な障害の部位をさしたり、まかり間違ってこの障害を負っている人が、差別的な扱いをされてはならないと思いますが、現実には『無意識の差別』などもあるのが現状ですし(様々な障害のために偏見な扱いを受ける事は無意識であっても差別だと考えます)、完全な差別の撤廃は無理だと思います。
また『高次脳機能障害』は身近なことであれば交通事故で発症することがそれなりに多いそうです。これは『脳の損傷』で起きる障害であるため、交通事故等で頭部に怪我などを負った際に後遺症として残ると考えれば良いかと思います。
さて話は少し変わりますが、皆さんは大体いつ頃からの記憶があるでしょうか?
人によって様々だと思いますが、私が思うに3歳くらいからが限界で、それ以前となると明確な記憶がある人など皆無だと思います。もちろん『なんとなく』といった記憶はあるかもしれませんが、ここでいう記憶とは『いつ、どこで、だれと』などが最低限満たされる場合を想定しています。ですので『なんとなく』は、明確な記憶とは言わないと思います。5歳や6歳の時に『覚えている!』と言う子供はいると思いますが、一般論として成人または、最低でも15歳以上という条件で考えれば、多くの方は同意頂けるのではないでしょうか?
当然ですが、少なくとも3歳以前である0歳から2歳まで、また人によってはそれ以後の数ヶ月から1年前後は、明確どころか記憶すらないのが一般的だと思いますし、当然その頃に何があったかなど覚えていれば奇蹟以上ではないでしょうか?
0歳から2歳前後まで・・・・・・ここからは乳幼児と記載しますが、乳幼児に起きた事で障害を負ってしまったとしても、本人に記憶はないでしょうし、それこそ『生まれつきの障害』と本人が勘違いしてしまうことも、場合によってはあるでしょう。特に今のように『高次脳機能障害』や『発達障害』といった言葉がそもそも一般的でない時代であれば、尚更のはずです。
そんな乳幼児の時期にですが、私は『脳血管疾患』を負いました。
『脳血管疾患』にも種類がありますが、大きく分ければ『出血』と『梗塞』だと私は思います。他にも脳の病気として脳腫瘍などがありますが『脳血管疾患』で検索を行うと『脳出血』と『脳梗塞』ばかりが検索結果のほとんどを占めるようなので、『出血』と『梗塞』の2種類として『脳血管疾患』はここから先は記載します。
私が乳幼児に罹患した『脳血管疾患』は一般的に言う『脳出血』でした。別の言い方では『脳内出血』と呼ぶ事もありますし、正式日本語名称『疾病及び関連保健問題の国際統計分類』と呼ばれる『IDC-10』には『脳内出血』が項目として存在し、その中の細かな分類に私が該当するであろう項目も存在するため、医学用語としては『脳内出血』が正しいのかもしれません。ちょっとした事故によるものだったそうですが、乳幼児にとっては『ちょっとした事』でも『大変な事故』につながるという事なのだと思います。
当然乳幼児に起きた『脳内出血』など、私の記憶には全くありません。そもそも『脳血管疾患』全体で考えた場合には、意識混濁などが起こる事もあるので、今その症状を発症したとしても、発症中の状態を認知できるか大人であっても怪しいと思います。
またその時の脳内出血では、当時の担当医が『生存率50%』で、生存していたとしても『間違いなく障害が残る』と宣言されたそうですが、当然私がその時のことを知るはずもありませんね。ちなみにその障害も『良くて半身不随』だと言われたとか。
ですが極めて幸運と言うべきでしょう。今ここでキーボード入力が出来るとおり生存していますし、当時は担当医から見ても『目に見える障害がない』と非常に驚いていたそうです。
また1975年8月26日に、日本で初めてCTスキャナ(X線コンピュータ断層撮影装置、以後CTと表記)が導入されたそうですが、1978年2月に日本では保険適用が開始されています。ですが、いきなりどの部位の撮影も保険適用範囲ではなかったようですし、今でも交通事故で鞭打ち(頸椎打撲)になったからといって、すぐにCTで撮影してくれる訳でもないです。一般的な健康診断でもX線を使用した肺の撮影などはしても、CTで撮影はしていないと思います。これはCTがX線よりもはるかに被爆することが原因でもありますし、無闇に使用して良い物ではないからだとも考えれば当然です。
CTでの1回の被爆は5-30mSvで、健康診断などで行う胸部X線撮影では0.06mSvと比較した場合に、最低でも10倍程度の差があることが分かります(放射線医学総合研究所ホームページより数値引用)。これだけの被曝量の差があるのですから、無闇にCTを使わない理由も納得頂けるかと思いますが、それでも医療としては必要な機器である事に間違いありません。
現在では頭部の診断にCTを使う事は一般的で、それはX線では脳の中などが診断できないことと、MRI((低磁場)核磁気共鳴画像法)は被爆が起きない代わりに制限などもある(金属製品が身体にある場合に使用できないなど)ので、最初の診断にCTを使用する事は頭部の早急な診断を要する場合に有用であり、これは被爆のリスクよりも診断のメリットが高いからと言えるでしょう。
少し逸れますが、MRIと日本では言うことはありますが、正式名称である核磁気共鳴画像法の名称を使う事は少ないです。これは日本では『核』という単語に対して多くの方が過剰反応してしまうためだそうですが、この場合の『核』とは「人体内の水素原子に共鳴現象を起こさせる」事を指しており、放射線や放射能のことではありません。しかし一般の方に説明をすると単語だけで『アレルギー反応』を起こされる方も多いらしいので、日本ではMRIと言う場合がほとんどだそうです。
だいぶ話が逸れましたが、私が脳内出血を起こした時には、まだ医療装置としてCTは保険適用されていない時代でした。当時どの様に診断したのかは分かりませんが、少なくとも現在のように場所を特定して効率的かつ最小限の手術で行うという事は出来なかった時代だったのではないかと思います。その為だとは思いますが、私の脳は一部が欠損している状況です。今でこそその部位がどの様な役割をしているか私も分かりますが、普通は脳のどの部位が何をしているかなど、医師などの立場でない限り調べることすらあまりしないのではないでしょうか。
その様な状況で聞いた話では12時間の手術を行い、当時としては見た目の障害が特になかったことを考えれば、手術は大成功したと言えるでしょう。
それから幼稚園や小学校などを経て最終的には社会人となりましたが『ちょっとおかしいかな?』とその後脳梗塞を発症してから親が思っていたと聞きました。
脳梗塞を起こして部分麻痺となりましたが、その検査で『過去に手術痕があるので、検査をしてみましょう』と、その時の脳外科医に言われ、いくつかの検査を行った結果『手帳に記載するほどではないけども、高次脳機能障害があります』と宣告されました。
当然その時まで『高次脳機能障害』の事など詳しくは知りません。一応当時は名称として知ってはいましたが、それも単なる偶然でしかありません。
検査結果によると私の場合は『記憶障害』『注意障害』『遂行機能障害』が軽度にあるとの事でした。それでも全体としては『軽度』であるため、障害者手帳などに記載するほどではないそうなのですが、医師から「特定のことが覚えにくいとかありませんか?」と言われ、いわれて見ればいくつか覚えにくいことがあったりします。
しかし普通に生活していて、ちょっと物事を覚えるのが不得意だからそれが『脳の障害』と考える人はどの程度いるでしょう? 今でこそ『高次脳機能障害』という言葉があるので説明を受ければ分かるかもしれませんが、少なくとも小学生などでそれを意識しろという事に無理があると思います。当然当時の私にはそんなつもりなどありませんでしたし、多少勉強で覚えにくいことがあったとしても、単に『勉強不足』と思うだけです。まさか脳の障害で周囲と同じように勉強していても覚えにくい事が『障害のため』など、普通は思わないはずです。
確かに今思い出せば、いくつかの教科で『覚えづらい』ものがありましたが、そもそも当時は『高次脳機能障害』という言葉自体がありませんし、あからさまに他の人と違って記憶が悪いという訳でもないので、それこそ『個人差』とされても仕方がなかったと思います。
結局のところ、そういった事などが分からずに大人となって仕事などもしましたが、もし現在のように的確な診断が行われ、それに沿った学業支援などがあれば、私も今とは違った生活が敵ていたのかなと、時々思うものです。
人生をやり直すことが出来ればと、今でも何度も思うのが正直なところ。
分からなかった障害で、私が何か失ったものは何なのか、今でも考えます。




