第3回 絶望してはいけませんか?
今回は私自身のことです。
色々な場面で耳にする言葉に『頑張れば出来る(何とかなる)』といったような言葉があります。
別にこの言葉を否定するつもりはありません。世の中には頑張れば(努力すれば)出来る事は実際にありますし、それをしている人を否定しても意味がないと思います。
ですが『頑張ってもどうしようもない』という状況に陥った時、何を考えるでしょう? 私は『絶望』でした。
色々な人から今まで「何か方法はある」や「努力が足りない」、「生きているだけ幸運なんだから~」など、様々なことを言われましたが、正直迷惑でしかありませんでした。
細かいことについては別の回に書きますが、今までに3回『脳血管疾患』を患い、精神疾患も発症しました。
いまでは『身体障害者手帳』と『精神的障害者手帳』を持っており、障害の内容としては3種類記載されています。特に身体障害者手帳の記載は1級であり、最も高い等級です。
そもそも『脳血管疾患』のうち1回は脳内出血で、2回は脳梗塞です。一生の中で3回も脳血管疾患を患って、しかも身体障害者手帳の等級は最も高い1級。しかも今、私の年齢は40歳前半です。普通なら何らかの仕事をして給与(所得)をそれなりに得て、満足とは言わなくともソコソコの生活を送っていておかしくない年齢だと思いますが、私が今得ている最も主な所得は『障害基礎年金』の1級で、それによる年間所得は日本年金機構のHPをご覧頂ければ分かりますが、障害基礎年金1級で頂ける額は974,125円(月額81,177円)で、2ヶ月に1回の給付となるため偶数月に162,354円です。
1ヶ月81,177円に所得税はかかりませんが、健康保険料などは別途必要になりますし、実質にこの金額を頂ける訳ではないので現在1人暮らしはしていません。そもそもこの額で家賃まで支払って1人暮らしは無理があると思います。もちろんこの額で1人暮らしをされている方もいるかもしれませんが、少なくとも私には無理です。
この他に住んでいる市から障害者手当を年間で7万2千円(月額あたり6千円)頂いていますが、給付は年2回なので毎月頂ける訳ではありません。
私の場合は医師によりタバコ、アルコール類を本来は禁止されていますが、精神疾患の医師から『1日1箱であれば精神面を安定できるので喫煙は構わないが、薬の影響があるのでアルコールは絶対にダメだ』と言われているので、タバコは吸っています。その代わりアルコールはほぼ飲みません(年に数回、数杯程度は記念日などで飲むことも希にあります)し、ギャンブルなども行いません。脳外科の医師から『タバコはダメだが少量の飲酒なら可』と言われましたが、精神科の医師から言われたことを言うと、黙ってしまいました。別に強く「タバコを吸いたい」と言った訳ではありませんが、その時より車いす生活でしたし、当然車いす生活では行動範囲は極めて限られます。階段があるお店には入れません。それだけでも生活範囲が限られてしまう状況で、楽しみとすべきような事は極めて限られてしまう以上、タバコに「逃げ」て何が悪いのでしょうか? 医師にそう言った訳ではありませんが、制限も限度がある事は医師が認めていますし、脳外科の医師も『なんでも禁止にするのはね・・・・・・』と言われました。
ここ最近のタバコの値上げで正直金銭的な苦しさが増してはいますが、はっきり申し上げれば簡単に『禁煙』など言わないで頂きたいです。逃げるしか無い状況に、逃げて何が悪いのでしょう?
比較的最近話題となった公務員の水増し問題ですが、あの応募試験にも行きました。結果は1次すら突破できませんでしたが、脳外科の医師曰く『記載していない暗黙の雇い止めもあるからねぇ』と言われた次第です。勿論それに私が該当しているかどうかは、試験の本当の募集内容(障害内容の程度や通勤などにかかる様々なこと)が分からないのではっきりとは言えませんが、噂レベルで『車いすの障害者は対象外』と試験前に耳にした事もあり、本当に試験の点数などで公平な採用をしたかは正直疑問に思います。
他にも障害の内容で以前にハローワークの障害者窓口にて言われたことですが、私の障害内容を確認してから『あなたに紹介できる仕事はありません』とこの言葉をそのまま言われました。普通は『難しい』など直接的な表現を避けるかと思うのですが、そんな様子もまるでありませんでした。
小学館のデジタル大辞泉で「絶望」の単語を調べると
希望を失うこと。全く期待できなくなること
と記載されています。
ハローワークで絶望を文字通り味わった記憶が今でも鮮明にあります。
確かに障害内容から早々仕事が簡単に見つかるなどとは思っていませんでしたし、色々難しいとは思っていましたが、仕事を紹介する側が『ありません』という言葉を使うのは正直いくら現実を見せるためだったとしても、納得など出来るはずがありません。
他にもインターネットで障害者向けの仕事斡旋サイトにて私の障害内容の1つを検索条件に検索すると、全国でも該当する件数はゼロでした。
一応その仕事斡旋サイトに登録すればもっと詳細な検索が出来るようですが、だからといって仮の検索ですら1件も全国にないとなると、それだけで何をすれば良いのか分かりません。
ちなみにハローワークの障害者窓口やインターネットで調べた時の検索キーワードは『視覚障害者』です。
視覚障害にも種類は色々あります。最も重い全盲から、弱視や視野狭窄、色覚障害など様々です。ですがパソコンで入力が出来る程度には目は見えています。それでも視覚障害と指定した場合には、それだけでインターネットでは該当件数がゼロ。ハローワークの障害者窓口にて言われたことは「視覚障害はその詳細に関係なく、どの企業も全盲と同じ扱いをするので」と言われたのをはっきり覚えています。これが今の障害者に対する社会の実情ではないでしょうか?
こういった仕事1つ満足に探すことすら難しいことに絶望して、何が悪いのでしょう? 絶望から逃げるのにタバコを吸っていいけませんか?
健康云々とタバコを止めるように言う人は言いますが、現実問題として十分に健康は既に害しています。タバコはそのダメージを幾分早めるかどうかの問題としか私は思っていませんし、少なくとも世の中で言われる喫煙ルールは守って吸っています。何より紙巻きタバコ金額の7割以上は税金です。ある意味税金から補助が出ている障害基礎年金を、タバコを吸うことで多少なりとも還元しているとすら勝手に思っています。
もし私にタバコを止めるように言われるのであれば、他にタバコよりも安価で精神的な負担も物理的な移動についても負担が軽く、理想ではタバコ程度に精神安定が行える方法を提示して下さい。それが提示できないのであれば、簡単にタバコを吸うことが悪いとは言わないでもらいたいです。
他にも最初の『脳血管疾患』は『脳内出血』でしたが、2回目、3回目は『脳梗塞』であり、しかも1回目と2回目の脳梗塞を起こした期間は1年も経過していません。この時にも絶望しました。
簡単に絶望と確かに書いていると思いますが、正直他に表現の方法がありません。
1回目の脳梗塞にしてもその発症年齢は30代で、統計的には脳卒中(脳内出血や脳梗塞など全般的な脳の病気とした場合)になる確率は2%以下であり、しかもその時に起こした脳梗塞の場所は本来生命活動に関わる部位の中枢に極めて近い所でしたので、ある意味こうやって生きているのも偶然なのかもしれませんが、再発予防に薬を飲んでいたにも関わらず1年もせずに再度の脳梗塞。場所は小脳。小脳は運動などを制御する大事な場所でもあるため、1回目の脳梗塞の時にも大まかな脳の構造をネットなどで調べましたが、2回目を短期間に、しかも小脳で起こしたことに絶望して何が悪いのでしょう?
これまで書いたように、脳の病気で直接的に分かることだけでも十分に絶望に陥る事があり、しかも仕事も事実上紹介してもらえないことに絶望して何が悪いのでしょう?
さらに書きますが、手帳にこそ記載するほどではなかったのですが、1回目の脳梗塞の後に色々と調べた結果1回目の『脳内出血』の時に、既に『高次脳機能障害』を軽度ながら発症していることが分かりました。高次脳機能障害については別の機会に書こうと思いますが、高次脳機能障害の中の記憶障害など、いくつかが手帳に記載するレベルではないけども、発症していることは間違いないと医師から宣告されています。そしてその時に医師から「小学校や中学校で特に大変だったと思いますよ」と言われましたが、正直今さらです。そもそも日本において高次脳機能障害が診断されるようになったのは、私が社会人として働くようになってからのことです。いまさら過去に戻れる訳でもなく、どうしろというのでしょう? 過去に戻ってやり直せるならやり直したいくらいですが、無理なことは無理なのに、そして恐らくそれが原因の一端としてイジメにも遭ってきた身からすれば、一生を返して欲しいと思ったほどです。
高次脳機能障害で様々なことに対して一般的な人に比べて制限がつきます。例え軽かったとしても、私自身はいわゆる『早生まれ』です。第1回に書いたように、早生まれだから日本では起きる『生まれの差』があり、さらに脳の障害による差まであれば、今思えば一部の授業などについていけなかった事など、思い当たることは多々あるとしか言えませんし、今さらそれが戻っては来ません。
こういった複数のことを様々に経験し、それに対して絶望をする事はおかしな事でしょうか? 希望を失って、何が悪いのでしょうか?
簡単に『頑張れば出来る』や『やれば出来る』など、正直言って私から言わせれば不愉快でしかありません。世の中にはそのスタートラインにすらまともに立つ事すら出来ない人もいるのです。
絶望してはいけませんか?