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第32回 精神障害という現実と会社

 結局のところ、会社としては精神障害を引き起こしたことを認めたくなかったのでしょう。当時でも仮に私が裁判でも起こせば、勝ち負けに関係なく会社の名前に傷がつくことは容易に想像出来ますし、その対策なのか、いつでも裁判をして見ろといった雰囲気でした。


 前にも書いたとおり、それ以前に精神に問題を起こして会社を辞めた方も、結局会社側が有利になるような形になっていたことを考えれば、仮に責任が会社に認められた場合、数千万円単位、私の当時の年齢からすれば、最悪、億に届く金額になったかもしれません。なぜそこまで言えるかといえば、病気になる前までの収入が問題となるからです。そこを基準に算出される訳ですから、精神的に弱っているところへ、圧力をかければどうしても立場的に弱い発言になってしまうのは、こういった場合仕方がない面があると思います。


 むしろ最初から弁護士などを間に挟めば良いのでしょうが、現実的にそれが行えるかどうかとなると、やはり精神的にまだ弱っている状態から抜け出せている訳でもないですし、なかなか厳しいことだと思います。


 また私の場合は同居していた家族からも、会社を訴えることを反対されていました。家族などに理解がない場合は、こういったトラブルに陥った場合、協力を得られない弱点ともなります。


 本来は大人なのだから、1人でやるべきだという方もいるでしょう。


 しかしながら現実には、特にうつ病などで精神的に弱っているところへ、1人で弁護士と話し合うというだけでも必要以上に労力となります。


 実際最初に労働基準監督署へ相談に行った際も、結局まともに取り合ってくれませんでしたが、相手が最初から話を聞く気がないのだとしても、私としては言うべき事を言わなくてはなりません。


 弁護士の場合であれば話を聞くだけなら最初は問題ないかもしれませんが、それは同時に辛かった時期のことを話さなければならず、私はそれは精神に対する拷問のような物だと思います。


 まあ会社側としても、こういった事をあらかじめ多少は見越していたとは思いますが、正直目に見える怪我などでない分、余計に大変なことであると思います。何より病気を証明する物は、医者の診断書だけであり、内臓の病気であれば数値的な証拠として出せますが、精神的な病気の場合はこれが出来ません。どこまでも被害者側に不利であると思います。


 最近こそ若干世の中が変わってきたかとは思いますが、それでも正直どこまで改善されたか疑問に思うことが多いです。なぜなら年間の自殺者数やうつ病などの罹患者が急速に減っているわけではありませんから(自殺者数自体は、一時期から見れば減少はしています)。


 そういった事もあり会社を辞め、転職先を探しましたが・・・・・・現実には精神が限界でした。それからしばらくして、精神科の病院へと入院になりました。


 それと同時期にですが、友人とは呼べない知人であったとしても、その数が激減しました。どうやら重い精神病になったと、勝手な噂が流れたようです。もちろん根も葉もない嘘ですが、それを修正するだけの労力を使える力は、既に私にはありませんでしたし、何より心が悲鳴を上げるというよりも、怨嗟に近いような物まで抱えた気がします。


 何故私がこんな目に遭わなくてはならないのか?


 色々な思いはありましたが、結局はこの一言に尽きます。恨みを募らせても何も解決しないとよく聞きますが、それは自らが厳しい状況に本当に追い込まれた事がないからと私は考えます。


 どこかで心もバランスを取らなければ、ストレスは溜まる一方です。ストレスとは本来物理学の用語です。詳細な説明は省きますが、物体の変化に伴って、その物体の疲労が蓄積し、変形や破壊をもたらすのが物理学としてのストレスです。


 人間も同じ事です。変化とは色々な言葉で言い換える事が出来るでしょう。会社であれば仕事の内容も変化です。そして仕事の内容の急激な変化が起きれば、それはストレスとなります。人間には出来る事、出来ない事があり、それは人によって異なります。それこそ性別でも簡単に変わるのに、個人単位で変わらないと考える方がおかしいのです。


 私の場合は、ある意味学生の時からストレスを溜めていたのだと思います。いじめです。度重なるいじめを我慢し、反撃などほとんどした事がありません。反撃といっても、最低限身を守る程度の事です。そして身を守る行為をしただけでも、それが理由で事実上の停学にもなりました。身を守る行動でもそれが許されない。それがストレスにならないと考える方が無理です。


 会社でも同じでしょう。出来ないとはっきり宣言しているにもかかわらず、それを無理な労働時間などを行わせてまでやらせたり、時には本来の業務とは全く関係ない事にまで使われ、その責任まで問われる。


 こういった事が蓄積すれば、ストレスでいつかは金属が破断してしまうように、人間の心も破綻してしまいます。しかも人間の心は金属よりも複雑です。溶鉱炉で溶かして再生という訳にはいきません。


 そういった状況を全て無視して『恨んでも仕方がない』『常に前を見れば何とかなる』『努力が足りないからだ』など言われました。それが日本の社会の現実を映しているのだと思います。ストレスの上にストレスを重ねる事を言われたりすれば、余計にストレスになって当然であり、破綻して当然なのです。


 バランスは両方が釣り合って、初めて釣り合います。片側に変化があれば、反対側も変化します。心もバランスの上に成り立っていると思います。バランスが保たれて、初めて正常な状態であると言えます。正常な状態を保つために、人は嫌なときがあったときは、好きな事をしたりします。そうやってバランスを取ります。しかし極端な変化には対応できません。あまりに極端な変化が起きると、バランスが保たれなくなり、崩壊してしまいます。


 人の心も、ストレスがある基準を超えた段階で、バランスなど簡単に崩壊してしまいます。

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